晩餐会
シマたちは広々とした会場に通され、それぞれ用意された席に腰を下ろした。
天井の高い部屋には重厚なシャンデリアが輝き、壁には格式ある絵画や装飾が並んでいる。
部屋の隅には給仕たちが控え、使用人が五人、メイドが六人、そして執事が一人、整然と配置されていた。
しばらくして、扉が静かに開き、一人の青年が執事を伴って姿を現した。
彼こそがこの場の主であるマリウス。
デシャン・ド・ホルダー男爵の息子である。
シマたちは立ち上がり、エイラが一歩前に出て優雅に一礼する。
「デシャン・ド・ホルダー男爵ご子息様、本日はお招きいただき光栄でございます」
エイラの礼儀正しい挨拶に、マリウスは柔らかく微笑んだ。
「今日の来賓は君たちだけだから、そんなにかしこまらなくていいよ。それに僕のことはマリウスと呼んでくれればいい」
「承知しました」
エイラが答えるが、その口調はまだどこか硬い。
マリウスは苦笑いしながら肩をすくめた。
「まだ固いなあ。まあ、それも仕方ないか」
そう言って、彼は執事へと視線を向けた。
「それじゃあ、始めようか」
執事が軽く頷くと、給仕たちが静かに動き始めた。
まずはアミューズから始まり、オードブル、メインの肉料理、サラダ、そしてデザートへと続く流れである。
しかし、シマとエイラは酒を口にしなかった。
それに気づいたマリウスが問いかける。
「おや、お酒は飲まないのかい?」
「申し訳ありません、私たちは酒を嗜みませんので」
「なるほど、それならジュースを用意しよう」
マリウスの言葉に、すぐさま給仕が対応し、シマたちの前には果汁たっぷりのジュースが運ばれてきた。
マリウスは軽くグラスを掲げる。
「では、食事の前にひとつ。君たちの名前と年齢を聞いていなかったね。よかったら教えてくれるかい?」
「シマです。十五です」
「エイラと申します。年齢は同じく十五になります」
「トーマスだす……十五」
トーマスは緊張しているのか、ややぎこちない口調になっていた。
そんな彼を見て、マリウスは優しく笑った。
「なるほど、ありがとう。こうして話してみると、みんな年齢が近いんだね」
その言葉にシマは意を決し、遠慮がちに尋ねた。
「マリウス様、よろしいでしょうか?」
「なんだい?」
「自分たちは教養がありません。不躾ではありますが、砕けた話し方をしてもよろしいでしょうか?」
シマの慎重な問いかけに、マリウスは目を丸くし、すぐに朗らかな笑い声を上げた。
「ぜひそうしてくれ! 形式ばった話は苦手でね。いつもの君たちの話し方で構わないし、『様』付けもいらないよ」
その言葉にシマたちは少しだけ肩の力を抜いた。
「ふう、…助かるよマリウス」
「そうそう、その調子だよ!」
マリウスは満足げに頷き、グラスを傾けた。
こうして、緊張気味だった食事会は、少しずつ和やかな雰囲気へと変わっていった。
給仕たちがカートを押してくる。まず運ばれてきたのはアミューズだった。
次に色とりどりのオードブルが美しく並べられた皿が各々の前に置かれる。
シマはナイフとフォークを手に取り、そつなく扱いながら食べ始める。
洗練されているとは言い難いが、不自然ではない。
エイラもまた同様に、手馴れた様子で口に運んでいく。
使用人たちや執事の視線が一瞬、彼らの手元に向けられた。
「君たちはナイフとフォークの扱いに慣れているみたいだね?」
マリウスが興味深そうに尋ねる。
「まあ、何度かはな」
シマは曖昧に答える。
前世での経験があったのだろうし、エイラもまた、元々そこそこの規模を誇る商会の跡取り娘として英才教育を受けていたため、食事の作法には心得があった。
しかし、トーマスは違った。
一応、前夜に簡単なレクチャーを受けてはいたものの、一夜漬けでは完璧にこなすのは難しい。
ぎこちない手つきでナイフとフォークを持ち替えながら、なんとか食べようと苦戦している。
それを見たシマは、マリウスに向かって言った。
「マリウス、食べ方も俺たちの流儀でいいか?」
「もちろん、そうしてくれ」
快く許可するマリウス。
トーマスはほっとしたように、手づかみはしないまでも、ナイフとフォークの扱いに固執せず、自分なりに食事を進めることにした。
ここまでの会話や雰囲気、マリウスの挙動を見ても、敵意は感じられない。
少なくとも、今この場で何か罠を仕掛けられることはなさそうだった。
やがて、給仕が次の皿を運んできた。
メインディッシュの肉料理が置かれる。
分厚く焼かれたステーキが赤ワインソースと共に美しく盛り付けられていた。
「そういえば」
マリウスがフォークを手に取りながら、さらりと言った。
「『シャイン』傭兵団とは、君たちのことだろう?」
シマたちは一切の動揺を見せなかった。
貴族であれば、情報の価値を理解しているはずだ。
ならば、こちらが知られていることも当然と考えるべきだ。
マリウスは微笑しながら言葉を続ける。
「驚かないんだね」
シマは黙って彼を見つめた。
「出入りの商人が教えてくれたんだ。キョク村で年若い傭兵団が狼や熊を次々と狩っているってね」
なるほど、とシマは納得した。
キョク村に滞在していた商隊が、シマたちよりも二日前に出発していた。
彼らが情報を持ち帰り、それがマリウスの耳に入ったのだろう。
「なるほどな」
「キョク村での狩り、なかなかのものだったと聞いたよ。腕が立つようだね」
「まあな。食っていくにはな」
シマは軽く肩をすくめ、次に少し言いづらそうにしながらも、意を決して口を開いた。
「……あ~ところで昨日、何やらうちの団員が失礼を働いたようだが、怒ってないのか?」
マリウスは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、ふっとおかしそうに笑った。
「僕はそれなりに強いと思っていたんだけどねえ……自信を根底から覆された気分だったよ」
苦笑しながら肩をすくめるマリウスに、シマは観察するような視線を向ける。
彼の口調や態度からは怒りや恨みの感情はまるで感じられなかった。
むしろ、自嘲ともとれる軽い笑みすら浮かべている。
「勝てないと分かっている相手に挑むのは、阿呆のすることだよ」
あっさりとそう言い切るマリウスに、シマは少し驚いた。
貴族であれば、敗北を恥じる者も多い。特にプライドの高い貴族ほど、敗北を認めず執念深く仕返しを考えるものだ。
しかし、マリウスにはそうした気配がなかった。
「……気にはしていないと?」
「そうだね。別に手を出されたわけじゃないし……まあ、公衆の面前で恥をかかされたら話は違ってくるけどね」
マリウスは穏やかに微笑む。
その表情からは本心が読めなかったが、少なくとも彼が根に持つような性格ではないことは分かる。
シマは内心で安堵しつつも、油断はしないようにと自分に言い聞かせた。
その後、会話は自然と他愛のない話へと移り、食事の雰囲気も和やかになっていった。
マリウスは気さくに振る舞い、エイラやトーマスとも談笑する。
特にエイラとは商売の話題で盛り上がり、ノルダラン連邦の商圏について興味深そうに聞いていた。
やがて晩餐会は終わりを迎えた。
シマたちは粗相なく終わったことに胸をなでおろしながら席を立つ。
そして、見送りにマリウス自らが出てきた。
広間の入り口までシマたちを送り、そこで立ち止まる。
「今日は楽しい時間をありがとう。また会えることを楽しみにしてるよ」
そう言いながら、マリウスはシマに手を差し出した。
シマもそれに応じ、しっかりと握手を交わす。
その瞬間、シマの手の中に何かが押し込まれた。
シマは一瞬驚いたが、表情には出さず、自然な動作でそれを受け取る。
マリウスはにこやかに微笑んだまま、何も言わずに手を離した。
「では、また」
そう言って彼は一歩下がる。
シマたちは礼を述べ、マリウスの領主館を後にした。
領主館を出て少し歩いたところで、シマはこっそりと手の中にあるものを確認する。
それは小さく折りたたまれた紙だった。
紙の質は上質で、貴族の間で使われるようなものだ。
シマは慎重に開き、その内容を確かめた。
『明日、午前二時。倉庫街11の中で。』
それだけが書かれていた。
シマは軽く息を吐き、夜空を見上げる。星が瞬いていた。
彼はこの約束が何を意味するのかを考えながら、静かに紙を折りたたみ、懐にしまった。
「……さて、どうするか」




