何者?
オスカーは距離を保ちながら、前を行く男を尾行していた。
男は酔っ払いのふりをして、千鳥足でふらふらと歩いている。
時折、街灯の下で立ち止まり、壁に手をついて休む素振りを見せる。
しかし、オスカーの目はその演技を見抜いていた。
男が歓楽街を抜け、細い路地へと足を踏み入れる。
オスカーは慎重に距離をとり、陰に隠れながらその様子を観察する。
すると、男は辺りを注意深く見渡し、一転して先ほどまでの覚束ない足取りとは打って変わって、素早く歩き出した。
(やはり、ただの酔っ払いじゃないな)
男の動きには無駄がない。
その歩き方、体幹の強さ、そして何よりも周囲への気配り。
まるで自分が尾行されていることを意識し、周りの気配を探っているかのようだった。
オスカーは息を潜め、慎重に後を追う。
やがて男は商店が建ち並ぶ通りへと出る。
雑貨屋や道具屋が並ぶこの通りで、男はふと足を止めた。
そして、一軒の雑貨屋へと入っていく。
オスカーは周囲を装うようにしながら、店の外で待った。
しばらくすると、男が店から出てきた。手には紙袋が一つ。
次に男は道具屋へと足を運び、また何かを購入する。
(……なぜ、この店を選んだ?)
オスカーはふと疑問に思った。
ここへ来るまでに、雑貨屋も道具屋も何軒かあったはずだ。
それなのに、男はあえてこの店で買い物をした。
(品揃えがいいのか? 質がいいのか? 他の店よりも安いのか? それとも、知り合いの店だからか?)
様々な可能性を考えながら、オスカーは視線を巡らせた。
そして、一つのことに気が付く。
(……ここへ来るまでの雑貨屋や道具屋には、客の姿が見当たらなかった。だが、この店にはそこそこ客が入っていた)
男は目立たぬよう、人混みの中に紛れようとしているのではないか。
閑散とした店では、客としての存在が際立つ。
だが、ある程度の賑わいがある店であれば、その場の空気に溶け込むことができる。
(印象を薄れさせるため……か?)
男は再び歩き出した。
今度は屋台が立ち並ぶ通りへと向かっていく。
オスカーも気付かれぬよう、慎重に尾行を続ける。
屋台通りに入ると、香ばしい匂いが漂ってきた。
焼き鳥、揚げ物、煮込み料理。どの屋台も活気にあふれ、大勢の人々が行き交っている。
男はその中の一軒に立ち寄り、焼き串を数本買った。
そして、それを頬張りながら、ゆっくりと歩く。
(……ここでも同じか)
なぜ、この男はあえて混雑している屋台で買い食いをするのか。
閑散とした屋台なら、すぐに食べ物を手に入れられる。
それなのに、男はわざわざ賑わっている店を選んだ。
男は人混みに紛れ、自分の動きを悟られにくくするために、あえて混雑した場所を選んでいるのではないか。
そう考えると、先ほどの雑貨屋や道具屋での行動とも符合する。
(徹底してしている。この男……何者だろ?)
オスカーは身を引き締めた。
単なる一般人ではないことは明らかだった。
行動の一つ一つが計算されているように思える。
男の尾行を続けながら、オスカーは慎重に状況を見極めようとしていた。
この先、何が起こるのか。その警戒心は、より一層強くなっていった。
歩いている最中、男は何かを思い出したように手を軽く叩くと、踵を返し、今来た道を戻り始める。
忘れ物でもしたかのような自然な振る舞いだったが、その目線の動きや微妙な仕草を見逃さなかったオスカーは、これが演技であることを察知する。
男は倉庫街へと向かい、ポケットから何かを取り出すと、ある倉庫の扉を素早く開け、音も立てずに身を滑り込ませた。
オスカーは息を潜めながら慎重に周囲を見回す。
『単独行動は避けろ。昼には宿に戻れ』
シマの言葉が脳裏をよぎる。
しかし、今の状況ではそうもいかない。
メグが心配するだろうなあという考えも頭をかすめたが、目の前の事態を優先することに決めた。
…後1時間したら一旦宿に戻ろうと決めるオスカー。
日はすでに落ち、月が夜空に姿を現している。
そんな中、オスカーは微かな気配を感じた。
薄闇の中、ひとりの男が倉庫街へと入ってくる。
その立ち振る舞いからして、明らかに一般人ではない。
オスカーは物陰に身を潜めながら、その動きを静かに見守る。
すると、さらにもうひとつの人影が、先ほどの男の百メートルほど後方から現れた。
その人物の動きは異様だった。
足音ひとつ立てず、まるで影のように滑らかに倉庫街を進む。
気配を完全に殺している。オスカーは思わず緊張を強めた。
(あの後ろの男は相当ヤバい…)
最初の男は、オスカーが尾行していた男と同じ倉庫へ入っていった。
その直後、後方の男の顔が一瞬だけ月明かりに照らされる。
(…!よかったあ~)
フレッドだった。オスカーは思わず息を吐いた。
フレッドは倉庫の陰に身を潜め、慎重に周囲を伺っている。
オスカーはゆっくりとブーツに装着しているナイフを抜き、月光にかざしてフレッドの方へと反射させる。
しばらくすると、小さな足音が響き、フレッドがオスカーの隣に身を寄せた。
夜の帳が降りた倉庫街に、湿った風が吹き抜ける。
フレッドは、低い声で尋ねた。
「何時からここにいた?」
「三十分ほど前くらいかな。」
「中には何人いるかわかるか?」
「僕が知っているのは二人だけだね。」
フレッドは頷き、目を細めた。
「そうか、ちょっと探ってくる。」
そう言うと、彼は倉庫の周囲を慎重に歩き回り、時折壁に耳を当てて中の様子を探った。
わずかな物音や人の気配を敏感に感じ取りながら、慎重に情報を収集していく。
数分後、戻ってきたフレッドは低く囁いた。
「中にいる気配は二つ。入り口は正面と裏口にひとつずつだ。お前は裏口に回れ。殺すなよ。」
「了解。」
静かに動き出した。
フレッドは正面の扉へ、オスカー一人は裏口へと向かう。
フレッドは愛剣である二本のグラディウスを抜き、目を閉じて一瞬息を整える。
そして、鋭い閃光のような二閃を放った。
鋼が裂ける音と共に、倉庫の扉が断ち切られる。
中にいた二人の男は驚愕し、すぐに反応した。
倉庫の奥、約二十メートル先で、一人の男が剣を抜き構え、もう一人の男は裏口に駆け出す。
剣を構えた男の目には動揺が滲んでいたが、それでも戦意を失ってはいない。
しかし、フレッドとの間には埋めようのない実力差があった。
相手が一歩踏み出すよりも速く、フレッドは疾風のごとき速度で間合いを詰める。
男は剣を振り下ろすのでは間に合わないと判断したのか、突きを繰り出してきた。
だが、それを見たフレッドは僅かに体を傾けるだけでかわし、男の剣の柄を抑え込む。
そして、喉元へ寸分の狂いもなく手刀を叩き込んだ。
「グッ……!」
男は息が詰まり、苦しげにのけぞる。
その隙を逃さず、フレッドは鋭い膝蹴りを腹部へめり込ませた。
男は一瞬浮き上がり、もんどり打って床に崩れ落ちる。
その瞬間、裏口の方から鈍い音が響いた。
「ドンッ!」
フレッドが視線を向けると、裏口に逃げた男が地面に押さえつけられていた。
男の背に圧し掛かるのはオスカーだ。
腕を取られ背中に回され男は身動きすら取れない。
「逃がさないよ。」
オスカーは低く呟く。
男は顔を歪め、抵抗しようとしたが無駄だった。
オスカーがさらに腕を絞ると、苦悶の声が漏れる。
フレッドはグラディウスを収め、倒れた男を見下ろしながら言った。
「さて、話を聞かせてもらうか。」
男は荒い息をつきながら顔を上げるが、フレッドの冷ややかな視線に射すくめられ、再び俯いた。
「……何を知りたい?」
「誰の指示でここにいる? 目的は?」
男は躊躇し、一瞬口をつぐむ。
しかし、フレッドが無言で剣の柄を握り直すと、観念したように口を開いた。




