領主館
翌朝、シマたちは三手に分かれて行動を開始した。
目指すは街の主要な施設や商業区域で、それぞれが情報を集めつつ、今後の行動に役立つ物資の調達も行う。
この街の領主は、かつては領民想いの良き統治者として知られていた。
武力もあり、経済にも一定の手腕を持ち、積極的に慈善活動を行っていた。
しかし、ここ最近は領主の姿が見られず、代わりに嫡子であるマリウスが表に出るようになっている。
マリウスに関しては悪い噂はなく、剣の腕は相当なものだと評判だ。
また、ダグザ連合国がノルダラン連邦共和国やゼルヴァリア軍閥国にちょっかいをかけているという話が広まっている。
物価は少々上がっているものの、街の治安は良好で、スラム街も存在しない。
これは、教会と領主の政策によるものだという。
軍の士気は高く、練度も一定の水準にあるが、シマたちの目から見ると中の下、程度の実力といったところ。
貴族間の争いは特に見られず、街の政治は安定しているようだった。
それぞれのチームが情報を持ち寄り、宿に戻った頃には、街の全体像が見えてきた。
・市場の取引が減少し、貴族間の争いは見られない。
・この街の教会は財政難で、政治との結びつきは薄い。
・練兵場の兵士は一定の実力を持つが、突出した戦力ではない。
・役場では、街の財政が傾いていることが判明。
ジトーたちは市場を巡っていた。
その中で、オスカーとメグは少し距離を置いて歩き、周囲の様子を注意深く観察していた。
「!……あれは」
オスカーがある男に目を留めた。
姿勢、体幹、歩き方――明らかに一般人とは違う。
経験豊富な戦士か、傭兵かそれとも……。
オスカーはメグに目配せし、メグもその姿を捉えてさりげなく頷く。
「見つけたかも。」
囁くようにジトーに伝えるオスカー。
ジトーたちは自然な流れで行動を変え、メグがジトーたちに加わり、代わりにフレッドが離れてオスカーと共に男の尾行を開始した。
やがて男は歓楽街へと向かう。
午前中の歓楽街は閑散としていた。
しかし、その静けさがかえって異様な雰囲気を際立たせる。
男は足取りの覚束ない酔っ払いとすれ違う。
――!「口元が動いた……」
フレッドとオスカーは、そのわずかな変化を見逃さなかった。
すれ違いざま、フレッドたちは違和感を覚える。酒の匂いがしない。
瞬時に判断し、素早くハンドサインを出す。
オスカーは頷くと、すぐに酔っ払いのふりをした男を尾行し始めた。
昼になり、シマたちは宿に集まっていた。
しかし、フレッドとオスカーの姿が見当たらない。
ジトーが腕を組みながら言った。
「俺たちが市場を巡っているときに、それらしい人物を見かけた。フレッドとオスカーが尾行しているはずだ」
「あの二人なら問題ないだろうね」とロイドが頷く。
宿の一室で、各チームがそれぞれ集めてきた情報や噂話をすり合わせる。
情報の整理が終わると、シマがまとめた。
「まず、この街の領主だが、なかなかの人物らしいな」
「領民の支持が厚いらしい。武力もあり、経済に関してもそれなりに目を配っていたそうだ」
ジトーが補足する。
「慈善活動も積極的に行っていたが、ここ最近は姿を見せていないとか」
「気になるな。なぜ急に姿を消したのか……病気か、それとも何か別の事情があるのか」
「嫡子のマリウスは悪い噂がなく、剣の腕が相当なものらしいわ。市場ではかなりの使い手だと評判よ」メグが言う。
「兵士たちの練度も、もしかしたら高いのかもしれないね」
ロイドが付け加える。
「でも、俺から見れば大したことはないように思えたんだが」
トーマスが首を傾げる。
「それは俺たちが普通じゃないのかもしれないな」
シマが肩をすくめた。
確かに、シマたちは過酷な環境を生き抜き、厳しい訓練を積んできた。
傭兵としては並外れた実力を持っている。
彼らの基準で見れば「中の下」と判断した軍でも、一般的には十分に精強な軍かもしれない。
次に、物価の話題に移った。
「市場を見てきたが、物価が少々上がっているな」とジトーが言う。
「品物が入りにくくなっているのも気になるわね」とミーナが続けた。
「ダグザ連合国がノルダラン連邦共和国やゼルヴァリア軍閥国にちょっかいをかけていることに関係しているかもしれないな」
シマが指摘する。
「確かに、その影響で交易が滞っている可能性は高いわね」
エイラが頷く。
「それに、財政も傾いているらしいわよ」とケイトが言った。
「これにより教会の運営も厳しくなっているらしいな」とクリフが補足する。
「治安は今のところ良好だが、このままだと、どうなるか分からないがな」
シマが考え込む。
「午前中の情報収集だけで、これだけの情報が集まったのはなかなかの成果でしょう」
サーシャが満足げに言った。
「後はフレッドとオスカーが戻ってくるのを待つだけだな」
ザックが言う。
シマたちはしばしの間、情報を整理しながらフレッドとオスカーの帰還を待った。
夕暮れが街を染め始めるころ、シマたちは宿で待ち続けていた。
しかし、フレッドとオスカーの姿は一向に見えない。
焦燥感が胸を締めつけるが、シマ、エイラ、トーマスの三人は晩餐会に向かわなければ行けない。
約束の時間が迫っていた。
やきもきしながらも、三人は仕方なく出発することを決めた。
邸宅街へ向かう道すがら、三人は街並みを改めて観察した。
この街は整然としており、建物の造りも上質だ。
石畳の道は手入れが行き届き、商店の看板は綺麗に磨かれ、通りを歩く人々も品がある。
それは、この街の秩序がしっかりと保たれていることを示していた。
しかし、品物が不足しつつある市場の様子や、物価の上昇を考えると、見えない部分でのひずみが出始めているのかもしれない。
やがて彼らの前に、他の邸宅よりもひときわ大きな建物が現れた。
館――いや、屋敷というよりもはや城に近い領主館だ。
荘厳な門の前には、二人の門兵が直立不動で立っていた。
彼らの鎧は磨かれており、槍を握る手には無駄な動きがない。
良く鍛えられた兵士であることが見て取れる。
シマは懐から招待状を取り出し、門兵に差し出した。
「ご招待を受けてまいりました」
門兵は一礼すると、招待状を確認しながら「少々お待ちください」と告げ、一人が館の方へと駆け出していった。
残った門兵は、シマたちを注意深く観察している。
単なる来客として扱っているわけではない。
明らかに相手の力量を測っている目だ。
しばらくして、中から年配の執事らしき人物が現れる。
背筋の伸びたその姿からは、長年仕えてきた誇りが感じられた。
「お待ちしておりました。さあ、どうぞこちらへ」
執事は落ち着いた口調で促し、シマたちは門をくぐる。
館の内部は外観の壮麗さに違わぬ豪華さを誇っていた。
高い天井に吊るされたシャンデリアは輝きを放ち、広々とした廊下には絵画や美しい装飾が施されている。
しかし、シマたちは表面的な豪華さよりも、警備の配置に注意を向けていた。
廊下の角や要所には兵士や使用人が控えており、警戒が厳重であることがわかる。
さらに、警備兵の中にはただの衛兵ではなく、戦闘経験のある者が混じっているのが見て取れた。
そんな中、執事が静かに告げた。
「武器の携帯はご容赦ください。こちらでお預かりいたします」
武器を完全に手放すというのは危険が伴う。
もちろん、晩餐会の場で戦闘が起こる可能性は低いだろう。
しかし、万が一の事態を考えれば、丸腰になるのは得策ではない。
「すべての武器を預けるわけにはいかない。もしそれが許されないのであれば、このまま帰らせてもらう」
シマは静かに、しかしはっきりとした声で言った。
エイラとトーマスもそれに倣い、毅然とした態度を取る。
シマたちの装いは、ビロードのマントに身を包み、リズに質の良い布で仕立ててもらった服を着ている。
見た目には洗練された雰囲気を漂わせていたが、彼らの持つ雰囲気はただの商人や客人ではなかった。
剣を腰に携え、ブーツにはナイフが装着されている。
その立ち居振る舞いからも、ただ者ではないことは容易に察せられる。
執事は一瞬考え込むような素振りを見せると、「主に確認してまいります。少々お待ちを」と言い、奥へと姿を消した。
数分後、再び執事が戻ってきた。
「そのままで結構です」
その返答に、シマたちは目を見合わせた。
予想よりもあっさりと認められたことに驚きを覚えるが、それだけマリウス側にも余裕があるということかもしれない。
あるいは、彼らを敵視するつもりはないという意思表示なのか。
「それでは、ご案内いたします」
執事に続き、シマたちは館の奥へと歩を進めた。
広い廊下を進みながら、シマたちは周囲の様子を観察する。
壁には細やかな彫刻が施され、要所には甲冑を纏った騎士像が飾られている。
床のカーペットは厚みがあり、歩く音を吸収する。
これだけでも、領主が相当な財力を持っていることが伺えた。
やがて大きな扉の前で執事が足を止めた。
「こちらでございます」
扉の向こうには、すでに晩餐会の準備が整えられているのだろう。
シマたちは深く息を吸い、緊張を押し殺しながら扉が開かれるのを待った。
マリウスとの対面がどのようなものになるか――緊張が静かに高まる中、三人は晩餐会の場へと向かっていった。




