目を付けられた
「申し遅れたが、僕はマリウス・ホルダー。ここの領主の嫡子だ」
身なりのいい男——マリウスは、自信ありげに胸を張る。
「僕と誼を通じておいて損はないんじゃないかな? 君たちに声をかけたのは、只者じゃないと思ったからだよ。これでも僕は人を見る目があるし……僕自身も強いからね」
事実、マリウスは弱くはなかった。
王都の騎士学校を次席で卒業した優秀な学生であり、剣の腕も確かだった。
通常であれば、同世代の傭兵や騎士候補生に負けることはほとんどない。
誇らしげに語るマリウスに、周囲の護衛たちは頷き、彼の強さを裏付けるような雰囲気を醸し出していた。
しかし——ここで、空気の読めない男が一人いた。
「へ? どこをどう見ても雑魚だろ?」
ザックが、心底不思議そうに言い放った。
一瞬、周囲の空気が凍りつく。
「……ハハ……ハ?」
マリウスは乾いた笑いを漏らしながら、耳を疑うように聞き返す。
「アレ、僕の聞き間違いかな?」
「ん? 雑魚のことか?」
ザックは首を傾げ、何が問題なのか理解できないといった表情で続ける。
「聞き間違いじゃねえぞ。はっきりと雑魚って言ったぞ」
その瞬間、周囲の空気が変わった。
エイラ、サーシャ、ジトー、トーマス、オスカー、ロイド、メグ……そして他の仲間たちも、揃ってため息をついた。
(……やっちまったな)
全員が同じことを思ったが、時すでに遅し。
「き、貴様……殺す!」
マリウスの顔が怒りに染まる。
彼は剣の柄に手をかけ、今にも抜刀しようとする——
その瞬間だった。
エイラたち十一人の殺気が、一斉にマリウスへ向けられた。
「——っ!」
マリウスの顔色が一瞬で青ざめる。
息が詰まり、背中を冷たい汗が伝う。
全身が硬直し、その場から一歩も動けない。
がくがくと膝が震える。
「……っ!」
次の瞬間、彼はバランスを崩し、尻もちをついた。
護衛たちも一歩引き、明らかに動揺している。
殺気を放ったのはわずか一瞬——にもかかわらず、マリウスは完全に戦意を喪失していた。
エイラが静かに口を開く。
「私たちは騒ぎを起こしに来たわけではありません。そちらが冷静になってくれるなら、私たちも剣を交えるつもりはありません」
その言葉に、マリウスは唇を噛みしめる。
彼は騎士学校を優秀な成績で卒業した。
貴族として誇りを持ち、剣士としての腕にも自信があった。
だが——「本物」を目の当たりにした今、己の未熟さを思い知らされたのだった。
このまま黙っているのも癪だが、下手に動けば「殺される」。
その事実を、マリウスは本能で理解していた。
「……早速目を付けられちゃったわね」
サーシャがため息混じりに言う。
「慎重に行動しようって言ってたのに」
ミーナが肩をすくめ、呆れたように続けた。
「あんた昨夜の話し合いで、シマに『わかってるさ』って言ってなかった?」
ノエルが腕を組み、問い詰めるようにザックを見た。
「……そんなこと言ったか?」
ザックは首を傾げると、すぐに気にする様子もなく肩をすくめた。
「まあ、もう別にいいじゃねえか」
「よくない!」
女性陣たちの怒声が一斉に飛ぶ。
「……はぁ、お兄ちゃんに合わせる顔がないわ」
メグが項垂れる。
それを見てオスカーが肩をぽんぽんと叩き、優しく微笑んだ。
「シマのことだから、笑って許してくれるさ」
「そうそう、何とかなるって」
ザックも気楽な口調で言う。
「お前が言うな!」
再び女性陣から総ツッコミを受け、ザックは「おお怖っ」と冗談めかして両手を挙げた。
エイラは額に手を当て、ため息をつく。
「……私もうかつだったわ。ジトー、トーマス、ザックを連れて歩いていたのが間違いだった」
「目立つものね……」
リズが頷く。
「今更じゃねえか、ワハハ!」
ザックは豪快に笑う。
サーシャがじとっとした目で彼を見つめ、皮肉たっぷりに言った。
「あんたが時々羨ましくなるわ」
「おお? なんだ、そんなに俺の魅力に惚れたか?」
ザックがニヤリと笑いかけると、メグが冷たく言い放つ。
「能天気という意味でね」
周囲がくすくすと笑う中、ロイドが真剣な表情で話を切り出す。
「……一旦落ち着いて、これからのことを考えよう」
「そうだな。とりあえずは宿に戻ろう」
トーマスが頷く。
「飯でも食って考えようぜ」
ジトーが腕を組みながら言うと、ザックがすぐに続けた。
「ついでに酒もな!」
皆が苦笑いしながら歩き出す頃、辺りはすでに夕方の色に染まり始めていた。
人通りはまだ多く、商人や旅人、地元の住民たちが道を行き交っている。
酒場からは陽気な笑い声が漏れ、焼きたてのパンや肉料理の香ばしい匂いが漂っていた。
そんな賑やかな通りの中で、エイラは微かな違和感を覚えた。
(……誰かの視線を感じる)
ごく自然な仕草で髪をかき上げながら、さりげなく周囲に目を配る。
視線を感じたのは彼女だけではなかった。
ジトー、トーマス、ザック、ロイド、オスカー、サーシャ、ミーナ、ノエル、メグ、リズ——。
皆が無言のまま互いの気配を探り、それぞれに視線の主を意識したことを確認し合う。
「……なんか、後ろが騒がしいな」
ザックが大げさに伸びをしながら言う。
「人気者はつらいわねえ」
リズが冗談めかして微笑む。
「ええ、まったく。こうも注目されると、歩きにくくて仕方がないわ」
ミーナが苦笑しながら言葉を継ぐ。
彼らの軽口は、ただの世間話に聞こえるように巧妙に練られたものだった。
それでも尾行者の気配は消えない。
(ジトー、どうする?)
エイラが目配せをすると、ジトーはさりげなく手でサインを送った。
——そのまま宿へ向かう。
エイラは頷き、さらに何気ない会話を続けながら足を進めた。
「ねえ、今夜の夕飯、何を頼もうかしら?」
「酒場に行くなら、肉料理は外せねえよな!」
「スープも美味しいのがあるらしいわよ?」
冗談を言い合いながらも、全員が尾行者の力量を探ることに集中していた。
歩き方、距離の詰め方、気配の消し方——。
相手の技量はそこそこ高い。
宿に到着すると、エイラたちはすぐに一階の酒場へ向かった。
ここは宿泊客だけでなく、街の住人や旅人も訪れる場所で、店内は活気に満ちていた。
長い木製のテーブルが並び、中央の炉では大きな肉が焼かれている。
香ばしい匂いが広がる中、エイラたちは適当な席に座った。
「よし、今日はたっぷり食って飲もうぜ!」
ザックが陽気に言い、トーマスもそれに頷く。
「まずは肉料理だな。あと酒も頼もう」
「そうね。スープとパンも追加しておこうかしら」
サーシャが店員を呼び、次々と注文を入れていく。
やがて料理と酒が運ばれてくると、ザックがジョッキを掲げた。
「乾杯といこうぜ!」
「「乾杯!」」
ジョッキがぶつかり合い、一同は一息に酒を煽った。
食事が進むにつれ、話題は自然と尾行者のことに移った。
酒を飲みながら、トーマスが静かに切り出す。
「……さて、どう思った?」
「そこそこだな」
ザックが簡潔に答えた。
「……あら、結構な力量はあると思うわ」
リズが肉を一口食べながら言う。
「確かに、普通の人じゃまず気づかないでしょうね」
ミーナも同意する。
「でも、敵意は感じられなかったよ」
オスカーがゆっくりと言い、一同も頷いた。
「今のところは放っておいても大丈夫か?」
ジトーが淡々と言うと、女性陣たちも「そうね」と頷いた。
「ただし……油断だけはしないようにね」
ロイドが釘を刺すと、一同が再び頷く。
食事が進むにつれ、また場は賑やかになっていく。
「それにしても、この肉料理、すげえ美味いな!」
「うん、塩加減がちょうどいいわね」
「酒もなかなかのもんだぜ」
「よーし、今夜は飲むぞ!」
「お前、さっきも言ってただろ!」
一同は笑いながら杯を重ね、料理を堪能した。
ジトーが大きく息を吐いた。
「ふう……やっぱり飯を食うと落ち着くな」
「うん、ここの料理、美味しいわね」
サーシャがスープを口にしながら感想を漏らす。
「この串焼き、肉の旨味がしっかりしてるね。塩加減もちょうどいい」
ロイドが感心したように言うと、メグがニコニコしながらパンをちぎる。
「パンも焼きたてみたい。やっぱりこういうちゃんとした食事が食べられるのは嬉しいね」
「それに酒もある!」
ザックがジョッキを掲げる。
エイラはそんな彼らを見ながら、落ち着いた口調で話を始めた。
「さて……そろそろ本題に入りましょうか」
皆が真剣な顔になり、食事の手を止める。
「これからどう動くかを決めないとね」
「そうだね……まず、今回の件で僕たちは完全に目をつけられた」
ロイドが言うと、ノエルが頷く。
「マリウス……領主の息子だったわよね」
ロイドが考え込むように呟く。
「向こうがどう動くかは読めないが……正直、厄介だ」
「…今はまだ敵に回したくねえ相手だな」
トーマスが腕を組む。
「俺たちが脅威だと認識されれば、領主が動く可能性もある」
「軍や私兵を差し向けてくるかもね」
エイラが冷静に推測する。
「どうする? ここでおとなしくしておく?」
ノエルが問いかけると、ザックが即答する。
「おとなしくしてたって、どうせ向こうが動くなら意味ねえだろ」
「…それはそうね」
サーシャが小さくため息をつく。




