想い
季節は夏前。昼間は暑さを感じるが、朝晩はまだ涼しさが残る頃。
五日間の狩猟期間が終了した。
四日目、五日目になると広範囲に渡り狩猟をする。
狩猟の戦果は以下の通り。
狼:68頭、鹿:10頭、猪:4頭、熊:2頭。
これだけの量となると、村全体が総出で処理に追われた。
「すげえ数だ……これ、本当に五日でやったのか?」
「こんなの見たことねえよ……!」
村人たちは驚き、感嘆の声を上げる。
特に狼の数には皆が衝撃を受けた。
これまでどれだけ村の周囲に潜んでいたのか、考えるだけで恐ろしい。
狩った獲物をそのままにしておくわけにはいかない。
「時間がかかるぞ、手を貸してくれ!」
手の空いている主婦や子供たちまで駆り出され、肉の塩漬けや燻製作り、毛皮の鞣し作業に追われる。
主婦たち → 塩漬けや燻製作り
子供たち → 毛皮を運ぶ、簡単な作業を手伝う
職人たち → 毛皮の処理
しかし、それでも量が多すぎた。
「すまんが、すべての作業が終わるまであと三日は待ってほしい」
村長や宿屋、食堂屋、古着屋の店主たちが申し訳なさそうに言う。
シマたちは快諾した。
「いいぜ。その間、のんびりさせてもらうさ」
仕留めた四頭の熊の毛皮は、シマたちの判断で フレッド一家とメリンダに贈る ことに決まった。
当然、彼らは遠慮した。
「いやいや、こんな高価なもの、もらえない……!」
だが、シマたちは容赦なく押し付けた。
「いいから受け取れ。」
最終的に、ギルバードたちは観念し、ありがたく受け取ることになった。
村からの報奨金:
8銀貨6銅貨(頭数ごとの報酬)
肉の販売:
宿屋3軒、食堂屋1軒に卸し、 各 2金貨(合計 8金貨)
自分たちの食べる分は確保
毛皮の販売:
古着屋2軒にそれぞれ3金貨で売却(合計6金貨)
ほぼ原価のような価格で売ったが、それでも村の経済を考えれば仕方がない。
合計収益:
14金貨と8銀貨、6銅貨
シマたちにとってはそこまで大きな収益ではなかったが、村のために手を抜いたつもりはない。
五日間に及ぶ狩猟を終え、村には明らかに安堵の空気が漂っていた。
「これで、しばらくは安心できるな……」
住人たちは、狼や熊に怯える日々から解放され、穏やかな暮らしを取り戻しつつあった。
三日間の合間に――
陽は優しく照り、風は穏やかに吹き抜けた。
弓を引く音、矢羽が空気を裂く微かな響き。
メリンダの手はまだ頼りなく、しかし確かに強さを宿し始めていた。
サーシャたちに教えを請い弓の練習をするメリンダ。
「こうやって、狙いを定めるのよ」
サーシャがそっと手を添える。
メリンダは息を詰め、慎重に狙いを定める。
的を掠める「…!…ハァッ…ハア…」
息も絶え絶えに一心不乱に弓を射る。
夕飯時になると、宿屋の1階の酒場でシマたちと一緒に摂る。
メリンダはフレッドの隣に座り「今日もごちそうになっちゃったわね」
「気にすんな。どうせ一人二人増えたところで、変わらねえさ」
酒場の灯火が彼女の頬を柔らかく照らす。
フレッドの横顔を見つめながら、メリンダは静かに微笑んだ。
食事を終えると、フレッドが立ち上がる。
「送るぞ」
「……うん」
柔らかな月明かりが、静かな村の家々を包み込んでいた。
夏の夜風が木々を揺らしている。
フレッドとメリンダは、いつものように並んで歩いていた。
言葉はなくても、互いの呼吸の音が心地よい静寂の中に溶けていく。
「……ねえ、フレッド。」
唐突に立ち止まり、メリンダがぽつりと呟いた。
「……なんだよ。」
彼女は夜空を見上げたまま、少し息を吸い込む。
そして、ゆっくりと目を伏せ、唇を噛んだ。
「……あなたが奴隷商人に売られたって聞いた時、どれほど泣いたか……どれほど、悔しかったか……。」
フレッドは驚いたように眉をひそめた。
「……アネッサおばさんたちを、恨んだこともあった。なんで守ってくれなかったのかって。なんで私がもっとしっかりしていなかったのかって。」
彼女の声は震えていた。
「でも、一番許せなかったのは……私自身だったの。何もできなかった自分が、許せなかった……。」
月明かりが彼女の横顔を照らす。涙が頬を伝い、地面へと落ちる。
「……今更だろ。」
フレッドはそう言って、ぎこちなく頭をかいた。
「何よ、それ……。」
メリンダは笑った。けれど、またすぐに涙がこぼれる。
「離れたくない……。お願いだから、行かないで……。」
か細い声でそう言った瞬間、フレッドは彼女を抱き寄せた。
「……すまんな。俺は行く。」
「……知ってる。」
「でも、お前のことは忘れねえ。」
「……嘘つき。」
指が絡み合い、熱を帯びた視線が交わされる。
彼の手が背中を抱き寄せると、メリンダは迷うことなく彼の胸に顔を埋めた。
二人はしばらく抱き合ったまま動かなかった。
「……あったかい。」
吐息混じりの声が零れる。
明朝フレッドたちはキョク村を離れる。
フレッドとメリンダの間では、ある約束事が交わされた。
それを知る者は二人以外にはいない。
キョク村を出発して一日が経った。
シマたちは街道わきの野営地にて焚火を囲みながら夕飯を済ませ、湯を沸かしてお茶を飲んでいた。
夜風が心地よく、薪がはぜる音が静かな夜に溶けていく。
これから向かう先はトーマスの故郷「リュカ村」。
その先には城塞都市「カシウム都市」があり、さらに進めばノルダラン連邦共和国に入る。
ここまで順調に進んできたシマたちは、ようやく旅の大きな節目に差し掛かろうとしていた。
談笑が続く中、ロイドがふと真剣な表情になり、トーマスに向き直る。
「トーマス、気を悪くしたら申し訳ないけど、聞かせてほしいことがある。いいかな?」
トーマスは肩をすくめ、笑って応える。
「なんだよ、俺たちは家族だろ。何でも聞いてくれ。」
ロイドは少し考えてから、慎重に言葉を選びながら問いかけた。
「トーマスの村では、奴隷商人に売られたとき、君以外にもいたという話だね?」
トーマスは一瞬目を細め、それから少しだけ息を吐く。
「ああ、俺を含めて6人だ。」
「…っ!」
一同は息を呑んだ。
ロイドの言葉は予想していたものの、実際に聞かされると衝撃は大きかった。
「…それ程困窮していたの…?」
ノエルが静かに問いかける。
トーマスは焚火の揺れる炎を見つめながら、過去の記憶を探るように言葉を紡ぐ。
「いや、困窮してるような感じではなかったな…。確かに俺は大飯食らいで家族からは疎まれてはいたが。」
その言葉に、皆が更なる疑問を抱いた。
貧困が理由でないなら、なぜ奴隷商人に売られたのか。
次々と質問が投げかけられる。
「村の規模は?」
「大きい、土地があるという意味でな。ただ、村の住人の数はそれほど多くない。たぶんフレッドの村の半分くらいじゃねえか?」
「主な産業は?」
「小麦畑に畜産農家が多い。特に牛を飼ってる家が多いな。」
「税の徴収方法はどうなっていたの?」
エイラが尋ねる。
「それがよく分からねえんだよ。年貢として納めてたのか、人頭税だったのか……そういう話を聞いたことがねえ」
「単にお前が知らなかっただけって可能性もあるな」
ザックが言う。
「それはある。親父たちも、税の話は俺にはあまりしなかった」
トーマスが肩をすくめる。
「それにしても不思議ね。税の徴収方法が不透明なのは、村にとって良いことではないはずよ」
エイラが考え込む。
焚き火を囲みながら、シマたちはトーマスの村についてさらに詳しく話を聞いていた。
「それでさ……トーマス、リュカ村の識字率はどんなもんだった?」
ロイドが尋ねると、トーマスは少し考えてから首を横に振った。
「文字の読み書きや計算ができる奴なんて……いなかったんじゃねえか?」
「えっ……本当に?」
ノエルが驚いたように目を見開く。
「少なくとも、俺の知る限りじゃあ村には学校なんてなかったし、俺の家でも読み書きや計算を教わったことはねえ」
「でも、生活する上で計算くらいは必要じゃない? たとえば売買するときとか……」
リズが言う。
「そこはな、村には一軒だけ商店があって、そこの人間が各家庭を回って何が必要なのかを聞いて回ってたんだよ」
「……商店の人間が?」
オスカーが慎重に問い返す。
「ああ。何が必要か聞いて、次の月にまとめて品物を持ってくるって形だったな。俺たちはその時に家畜や作物、干し肉なんかを渡して支払いにしてた」
「それって……つまり、村の人たちは商店が提示する価格が妥当かどうか、わからなかったってこと?」
エイラが眉をひそめる。
「……そういうことになるな。だって、そもそも字も読めねえし、計算もできねえんだから」
シマたちは顔を見合わせる。
「それ……ヤバくない?」
ミーナが真顔で言った。
「おそらく、その商店が村の経済を完全に握っていたのね」
サーシャが推測する。
「商店の人間が言う値段が、そのまま村の相場になってたってわけか……」
ロイドが腕を組みながら言った。
「じゃあ、商店側がわざと不利な交換レートを押し付けてた可能性もあるな」
クリフが低く呟く。
「ありえるわね……そもそも文字も読めない、計算もできないなら、商店の帳簿を確認することすらできないわけだし」
ケイトが考え込む。
「村長はどんな人物だった?」
「いけすかねえ奴らだったよ。」
トーマスが答える。
「その村長の生活はどうだったのか、気になるわ」
ノエルが静かに付け加えた。
これが単なる貧困の問題ではなく、別の要因が絡んでいるのではないか――彼女の疑念は的を射ているように思えた。
「……あいつの家は立派だったな。服もいいものを着ていたような……」
思い出すようにトーマスが言葉を紡ぐ。そして、ハッとした表情になる。
「あっ!そういえば馬も四頭いたぜ!」
一瞬、場の空気が凍る。
馬を所有するというのは、それなりの資産がある証拠だ。
「村の共同所有物としてかい?」
ロイドが確認する。
馬が村のために使われているなら、それは問題ではない。
しかし、トーマスの答えは違った。
「いや、あいつらの個人の所有物だったはずだ」
「益々おかしいわね……」
リズが低く呟く。
「馬を買う金があって……子供たちを売るか?」
ジトーの声には、明らかな怒りが滲んでいた。
「僕の村では考えられないね」
ロイドがため息をつく。
彼の村では、苦しい時こそ助け合うのが当然だった。子供を売るなど、思いもよらない。
「怪しいのは、その村長一家と商会だろ」
ザックが荒々しく言い放つ。
「とっちめてやりゃあいいんじゃねえか」
だが、オスカーは冷静だった。
「そんな単純な話じゃないと思うな」
「村長が商店と組んで、村の人たちを搾取してた……ってこと?」
ノエルが恐る恐る口にする。
「可能性は高いな」
シマが低く呟く。
「税の徴収方法がはっきりしなかったのも、実は村長が勝手に税を上乗せして村人から搾取してたからじゃないの?」
エイラが核心に迫る。
「そうなると、トーマスたちが売られたのも……」
「……村の経済を回すために、家畜と同じように“商品”として扱われたってこと?」
オスカーの言葉に、一同は息を呑んだ。
夜の野営地。焚き火の炎が揺れ、暗闇に浮かび上がる影がざわめく。
シマたちは食後のひとときを過ごしながら、これからの進路について話し合っていた。
「……このままリュカ村に進むの?」
リズが静かに問いかける。
その場にいる誰もが、ただ村を訪れて農作物の育て方を教えれば済む話ではないことを察していた。
「ジャガイモやブルーベリー、ラズベリーの育て方を教えて、ハイ、さようならってわけにもいかねえだろ」
クリフが肩をすくめる。
「でも困窮してるわけでもないのよね?」
ケイトが疑問を呈する。
もし本当に貧困が理由なら、子供たちを奴隷商人に売るというのも、残酷ではあるが理屈としては通る。だが、話を聞く限り、その村はそれほど困窮しているようには思えない。
「万が一のことを考えて、教えておくのは損じゃないわ」
メグが肯定する。
「何よりも背景が怪しいわ」
サーシャの言葉には、鋭い観察眼が滲んでいた。彼女の感覚は鋭く、何かしらの不自然さを感じ取っているようだった。
確かに、村長一家の独断であれば簡単だ。
だが、もし貴族や領主、商会が関与していたとしたら――話は違ってくる。
「どうするんだ、シマ?」
皆の視線がシマに集まる。
しかし、シマはまずトーマスに尋ねた。
「トーマス、お前はどうしたい?」
トーマスは焚き火をじっと見つめ、長い沈黙のあと、低く呟いた。
「……死んでいったあいつらのことを想うと、真相を知りてぇ」
その声には、怒りも悲しみも滲んでいた。
彼はただ復讐がしたいわけではない。
なぜ自分たちは売られなければならなかったのか、それを知りたいのだ。
「村長一家の独断なのか……貴族や商会も関与しているのか」
シマが静かに言う。
「調べる必要があるな、領主は知ってるか?」
「…知らねえ」
「城塞都市『カシウム都市』を治めているのはイーサン・デル・ブランゲル侯爵家よ」
そう口を開いたのはエイラだった。
彼女の知識は広く、こうした貴族関係の話にも詳しい。
「そして、トーマスの村を治めている領主は、おそらくデシャン・ド・ホルダー男爵家か、その家臣ね。ここから西に向かったところにある『リーガム街』を治めているわ」
「そのイーサンなんとかって侯爵の配下にデシャンってやつがいるのか?」とシマが確認する。
「多分そうじゃないかしら。ブランゲル侯爵家の派閥であることは間違いないと思うわ」
領主がどの派閥に属しているかは、その村や街の運命を左右する重要な要素だった。
大貴族の権力闘争の影響を受けることもあれば、独立性を保とうとする領主もいる。
しかし、トーマスの村に関しては、単なる統治の問題ではない。
焚き火の炎がパチパチと音を立てる。夜の闇が深まる中、シマたちは改めて決意を固めた。
リュカ村――そこには、まだ誰も知らない闇が潜んでいる。




