依頼
酒場の扉が重々しく開くと、フレッドとメリンダが中へと足を踏み入れた。
室内には木製のテーブルと椅子が並び、酔客たちがエールのジョッキを傾けながら陽気に語らっている。
煙草の煙と酒の香りが混じり合い、古びた木の床には何度もこぼされたエールの跡が染みついている。
二人がカウンターに近づくと、店主らしき壮年の男が手を止め、鋭い目つきで二人を見やった。
「いらっしゃい。何を飲む?」
フレッドは迷いなく懐から金貨を取り出し、カウンターに置いた。
「エールを一金貨分、分けてくれ」
その言葉に、店主は思わず目を丸くした。周囲の酔客たちも、一瞬動きを止める。
「え?そんなに買うのか?」
メリンダも驚いた顔でフレッドを見た。
フレッドは肩をすくめ、隣のメリンダに言う。
「あいつらの体つきを見ればわかるだろ」
メリンダは一瞬考え、すぐに納得したように頷く。
彼らの仲間はみな異常なほど体が大きく、酒の消費量も尋常ではないのだ。
店主はしばらくフレッドをじっと見つめると、何か思い出したように眉をひそめた。
「なあ、あんた……夕方、狼や鹿の肉を卸しに来た時にいたよな?」
フレッドは眉を上げた。
「ああ、いたが、それがどうかしたか?」
店主はカウンターを軽く叩き、大声で店内に響かせるように言った。
「おい、こいつらが今日の狼、鹿、それに熊を仕留めたんだぞ!」
店内が一瞬静まり、それからざわめきが広がった。
酔客たちの視線が一斉にフレッドとメリンダに集まる。
「あいつらが……?」
「まさか、あの化け物じみた獲物を……?」
その中に村の者たちの姿もあった。
メリンダの顔を見つけた一人が驚いたように声を上げる。
「メリンダちゃんもいたのか?」
彼女は慌てて手を振った。
「わ、私がそんなことできるわけないじゃない!仕留めたのはフレッドたちよ!」
その言葉を聞いて、さらにざわめきが大きくなる。
「フレッド……?」
「… まさか、あの悪童フレッドか?!」
「嘘だろ……生きていたのか?!」
「確かに、面影がある……」
騒然とする酒場の中で、フレッドはわずかに顔をしかめると、カウンターを指で叩いた。
「それより、早くエールをくれないか?」
店主はハッとしたように頷き、樽を準備し始める。
ほどなくして、重さ30kgほどの樽が二つ、フレッドの前に転がされた。
フレッドはそれらをひょいと肩に担ぎ上げる。
酔客たちの中から感嘆の声が上がる。
「軽々と……!」
「…こいつ、本当にフレッドなのか……?」
フレッドは誰の反応も気にせず、静かに店を後にした。
フレッドとメリンダが酒場を出ると、夜風が心地よく肌を撫でた。
満天の星が静寂を演出しているが、背後の酒場からはまだ村人たちのざわめきが聞こえてくる。
メリンダはフレッドの隣を歩きながら、ふと笑みを浮かべた。
「明日はもっと大騒ぎになってるかもね」
フレッドは彼女を横目で見て首を傾げる。
「なんでだ?」
メリンダは呆れたように肩をすくめる。
「あんたたちがやったことは、それだけ凄いことなのよ。今日一日で村中の話題になってるわ。狩りの成果も、家も畑も、何もかもね」
フレッドは興味なさそうに鼻を鳴らした。
「大したことじゃねえよ」
メリンダはじっとフレッドの横顔を見つめた後、ぽつりと呟く。
「……ねえ、フレッド。ここに定住する気はないの?」
フレッドは迷うことなく即答した。
「ねえな。俺は家族たちと共に生きることに決めたからな」
メリンダはその言葉に少し寂しげな笑みを浮かべた。
「……そう」
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
メリンダは夜空を見上げ、星の輝きをぼんやりと眺めていた。
しかし、やがて小さく息を吸い込み、意を決したようにフレッドを見つめる。
「……私も連れていってほしいと言ったら?」
フレッドは即座に首を横に振った。
「無理だな」
メリンダは驚いたようにフレッドを睨む。
「少しは考えなさいよ!」
フレッドは困ったように言う。
「お前がどんな道を選ぼうと自由だが、俺たちの生き方は簡単なもんじゃねえ。お前にはお前の居場所があるだろ」
メリンダは小さくため息をつき、ふと笑みをこぼした。
「あなたたちを見てると、何だか嫉妬しちゃうわ……私の知らないフレッドがいて……」
フレッドは彼女の言葉に眉をひそめる。
「なんだ、お前……もしかして俺に惚れているとかじゃねえだろうな?」
メリンダは一瞬目を丸くし、それから顔を赤くしてフレッドの肩を軽く叩いた。
「ばっ……バカ! ……昔から好きだったわよ」
今度はフレッドが驚いた番だった。
目を大きく見開き、しばらく言葉を失う。
メリンダはそんな彼を見て、くすりと笑った。
「驚かせてやったわ。だって、私ばっかり驚かされてばかりだったからね、仕返しよ」
フレッドはようやく口を開くが、何かを言いかけて止める。
メリンダはそんな彼をじっと見つめ、ふと微笑んだ。
「あら? 髪にごみがついてるわ、ちょっと……」
彼女はそっと手を伸ばし、フレッドの髪に触れる。
次の瞬間、ふいに顔を近づけ、唇を重ねた。
夜風が静かに吹き抜ける中、フレッドは呆然と立ち尽くしていた。
「何してるの、早く行くわよ!」
メリンダは呆然とするフレッドの袖を引っ張り、足早に歩き出す。
フレッドは口をパクパクさせながらも、メリンダの背を追って歩き出した。
やがて二人はフレッドの家へと戻る。
すでに宴は盛り上がり、肉が焼かれ、香ばしい匂いが漂う。
酒も入って一層賑やかになっている。
エイラはブルーベリーとラズベリーの摘み方をギルバードに教えようとしていたが、久しぶりの酒が効いているのか、生返事ばかり繰り返している。
仕方なく、代わりにアネッサが真剣に話を聞いていた。
メリンダは女性陣と談笑していた。
話題は自然と旅のことへと移り、彼女はふと尋ねた。
「ねえ、いつ村を出るの?」
サーシャがシマに視線を送る。
「明後日くらいでいいんじゃね?」
「だ、そうよ」とサーシャが答えると、メリンダは少し考え込むように頷いた。
やがてメリンダはサーシャやエイラたちに向き直る。
「しばらくこの村にとどまって、狼や熊を狩ってくれないかしら?」
「狩り?」とフレッドが眉を上げる。
「村からも少しは報奨金を出すように、おじいちゃんに頼んでみるから」
シマは顎に手を当て、しばらく考える素振りを見せた。
「交渉次第で引き受けるぞ」
「ありがとう。おじいちゃん……つまり村長にちゃんと話してみる。でも、今はちょっと無理ね」
サーシャが酒の回った村長の方を見ると、彼は上機嫌で歌を口ずさみながら大笑いしている。
どう見ても話が通じる状態ではない。
「後日改めて決めたいと思ってるわ」
メリンダは苦笑しながら言った。
「まあ、悪くねぇな」
フレッドはエールをあおりながら笑う。
シマも「考えておくさ」と頷いた。
夜の宴はさらに盛り上がり、楽しい時間が続いていった。
翌日、公証役場で話し合いが行われ、正式に合意が交わされた。
村長は酒が抜けきらず、痛む頭を抑えながらも、きっちりと仕事をこなす。
昨日の宴での陽気さはどこへやら、今は真面目な表情で書類に目を通していた。
「では、傭兵団『シャイン』の諸君には、期間五日間の狩猟を依頼する。報酬は、仕留めた獣ごとに以下の通りとする」
・狼、鹿、猪 一頭につき 一銅貨
・熊 一頭につき 二銅貨
「村の財源にも限りがあるためこれが精いっぱいじゃ。但し、肉や毛皮に関しては、すべて君たちの好きにして構わん。売るなり、卸すなり、自分たちで消費するなり、自由にするといい」
「ふむ、悪くないな」とシマが頷く。
「ただし、村からは補償手当ては出せん」
村長は釘を刺す。
「つまり、傷を負おうが、命を落とそうが、すべて自己責任ということだ。いいですかな?」
「当然だ。そもそも俺たちは狩りの素人じゃない」
ジトーが豪快に笑う。
「では、契約成立だな」
村長は最後に書類へ署名を入れ、シマもその隣に自分の名前を記す。
これで正式に村との契約が結ばれた。
「それと、狩猟の間、君たちの出入りは門を通ること。その際の入場料は免除する」
「助かるな」とクリフが軽く笑う。
五日間の狩猟は 二班に分かれて行う こととなった。
右回りで狩っていくメンバー。
シマ、ジトー、クリフ、フレッド、サーシャ、ミーナ、ケイト、エイラ。
左回りで狩っていくメンバー。
ザック、トーマス、ロイド、オスカー、ノエル、リズ、メグ。
二手に分かれ、五日間でできるだけの獲物を狩る。
「さて、行くか」
狩猟へ向かう準備を整えた。
シマたちは初日から凄まじい戦果を上げた。
朝から狩りに出かけ、午前と午後に分けて獲物を仕留め、大量の肉と毛皮を持ち帰ってくる。
その様子を見た村人たちは、最初こそ驚いていたが、二日目になる頃には明らかに期待のこもった目で彼らを見つめるようになった。
村人たちにとって、狼や熊は長年の悩みの種だった。
家畜を襲われ、畑を荒らされ、時には人が命を落とすことすらある。
村の猟師が仕留めるにはあまりに強く、手に負えない存在だったのだ。
「またあの傭兵団が獲物を持って帰ってきたぞ!」
「すげえ……本当にあの熊を一日で仕留めたのか……?」
「お前たち、一体何者なんだ……?」
村の男たちは畏敬の念を持ってシマたちを迎え、女たちは感謝の言葉を口にし、子供たちは目を輝かせながら憧れの眼差しを向けた。
三日目の朝、村の猟師たちが申し出てきた。
「俺たちも一緒に狩りに出たい!」
彼らの目は真剣だった。
自分たちの村の安全を守るため、少しでも経験を積みたいのだろう。
だが、シマはすぐに首を横に振った。
「悪いが、ダメだ」
猟師たちは引き下がらなかった。
「頼む!せめて後ろから見て学ぶだけでも……!」
その必死な様子を見ても、シマの態度は変わらない。
彼は鋭い目つきで猟師たちを睨みつけ、低く威圧のこもった声で言った。
「足手まといだ」
一瞬、場が静まり返る。
シマの目には一切の迷いも甘さもなかった。
猟師たちは何も言えず、ただ黙って首を縦に振るしかなかった。
四日目の狩猟が終わった夕方、メリンダがサーシャたちの弓に興味を示した。
「ねえ、ちょっと引かせてくれない?」
サーシャは了承し、慎重にメリンダに弓を渡した。
メリンダは両手で弓を構え、ゆっくりと引こうとする。
だが——びくともしなかった。
「……っ!」
彼女の腕は震え、額に汗が滲む。息が上がり、指が痙攣するほどの負荷がかかった。
「ちょ、ちょっと……これ、どれだけの強さなの……?」
「まあ、普通の弓よりはかなり強いわね」とサーシャが笑う。
弓を返しながら、メリンダは素人目にもその違いを理解した。
村の職人が作った弓とは比較にならないほど優れている。
「これ……私にも作ってくれない?」
冗談ではなく、本気だった。
すると、驚いたことにフレッドが口を開いた。
「俺からも頼む」
村にいた頃のフレッドなら考えられない言葉だった。
「……本当に作ってほしいの?」
オスカーが確認する。
「頼む」とフレッドは真剣な表情で頷いた。
こうして、オスカーは三張の弓を制作することになった。
ただし、サーシャたちが使う 超強弓 のような代物を作るのは不可能だった。
そこまでの技術と膂力が揃っていない。
作れるのは、あくまで「村の弓よりは強いが、超強弓には遠く及ばない弓」。
それでも、メリンダにとっては十分だった。




