処分
家の中は狭く、すべての家具が古びていた。
粗末な木の椅子に腰掛けたフレッドの母親は、膝の上で両手を強く握りしめ、困ったような表情を浮かべていた。
エイラは穏やかに微笑みかけながら、フレッドの母親とメリンダを見て言葉を紡ぐ。
「積もる話もあるでしょうけど、先に本題に入りましょう」
頷き、メリンダも腰を下ろし座る。
フレッドの母親は、深く息を吐き出した。
そして、決心したように静かに口を開いた。
「……もう少し大きくて、きれいな家に住みたいんです」
彼女の言葉は、長年心の中に溜め込んできたものだったのだろう。
「畑も拡張したいし、ご飯の量も増やしたい……でも、この村では誰も手伝ってくれないんです。農具も貧相なものばかりで、ろくに作業ができなくて……それに、お金もありません」
フレッドの母親は、視線を落としながら続けた。
「……それに、この村に住まわせてもらっている負い目があって、強くは言えなくて……」
その言葉を聞いて、エイラが少し眉を寄せた。
「負い目?」
メリンダが、少し言いづらそうに口を開く。
「この村は山間部にあるでしょう? こういう場所って、どうしても閉鎖的なんです。流れ者には特に厳しいんです」
彼女の言葉に、フレッドたちは無言で耳を傾ける。
「それに、農地が限られているから、新しい人が増えると畑を分けるのが難しくなるのも理由のひとつです」
フレッドは腕を組みながら考え込むように唸った。
「……なるほどな。けど、山に囲まれてるなら猟師もいるだろ? 山の恵みもあるんじゃねえのか?」
フレッドの言葉に、メリンダが首を横に振る。
「確かに腕のいい猟師は何人かいるけど。…この辺りは熊や狼が頻繁に出るのよ、そうそう山には入れないわ。それと……問題は弓よ」
「弓?」
「弓を作る職人がいることはいるんだけど、正直、出来が良くないの。すぐに折れるし、狩りに向かないことも多いわ。」
メリンダの言葉に、フレッドの母親もうなずいた。
「だから、村と山の間には丈夫な柵を作るために大半のお金と余った人手を使っているんです」
「確かに、俺も山に入るなって言われたことがあるな。行きたくても柵が邪魔で行けなかったが……」
フレッドは過去の記憶を思い出すように呟いた。
エイラは大体の状況を理解した。
「なるほど……」とエイラが頷く。
「状況はわかったわ。まずは、この村の村長と話をするべきね」
「村長と?」
「家を建て替えるにしても、畑を拡張するにしても、まずは許可を得なければいけないわ」
エイラは冷静に説明を続ける。
「後で難癖をつけられたら、たまったものじゃないでしょう?」
「え? でも、人手がいないわ……」
メリンダが困ったように眉を下げる。
しかし、その言葉にフレッドがニヤリと笑う。
「心配すんな。俺たちがいるぜ。家の一棟や二棟、ちょちょいのちょいだ」
フレッドの言葉に、メリンダとフレッドの母親は驚いたように目を見開いた。
思い出したようにメリンダが声を上げる。
「あっ!それと村長なら、家の前にいるわ」
フレッド、エイラ、フレッドの母親とライド、メリンダが家の中から出てくる。
「おっ、話は終わったのか?」
とクリフが言う。
「まだよ」
エイラがそう答え、村の入り口付近に佇む老人に目を向けた。
「村長さんはどなたかしら?」
「……私が村長だ」
答えたのは、年配の男だった。
見た目は六十代くらい、痩せぎすで皺の深い顔をしている。
村の長としての威厳はあるが、どこか疲れたような印象も受ける。
「名前はコモロフだ」
「コモロフ村長。お話をさせていただきます」
エイラは、すっと前へ出た。
「私たちはフレッドの家を建て替え、畑を拡張したいと考えています。それにあたって、何か条件や制約はありますか?」
村長のコモロフは腕を組み、少し考えてから答えた。
「家については、材料の供給はできんし、人手も貸せない。家の大きさは常識的な範囲であれば問題はない」
「畑の拡張は?」
「山側を切り開くのであれば許可する。ただし、人手は出せん。それと、柵はしっかりと補修すること。そして――」
村長は一度、フレッドの母親へ視線を向け、それから厳かに言葉を続けた。
「何か問題が起きても、村としては補償はしない。例えば、熊や狼たちに襲われても、な」
その言葉を聞いて、フレッドの母親とメリンダが顔を曇らせる。
しかし、エイラは涼しい顔で答えた。
「山で切り倒した木は自由に使っていいのかしら?」
「そこは問題ない」
コモロフの返答に、シマたちは思わずニヤッと笑う。
(なら、木材はいくらでも確保できるってことだな……)
エイラも微笑を浮かべながら、さらに言葉を続ける。
「このくらいの規模の村であれば、公証役場があるはずだわ」
「ええ、確かにありますな」
コモロフは少し怪訝な顔をしたが、すぐに頷いた。
「では、そこで正式に証明書を発行してもらい、合意書を交わしませんか?」
「合意書、ですか?」
「ええ。その方がお互い、後から文句を言わずに済みますでしょう? 例えば、私たちの誰かが怪我をしても」
その瞬間、シマたちは思わず心の中で苦笑した。
(俺たちが熊や狼相手に怪我……ありえねえだろう)
だが、表情には出さず、エイラの交渉を見守る。
「……そうですな。その方がいいでしょう」
コモロフは少し考えた後、頷いた。
「では、公証役場で正式に証明書を作成しよう。昼過ぎにフレッド、お前の家族、それに……」
「私も同行します」
エイラが毅然とした態度で言うと、コモロフは少し驚いたようだったが、すぐに了承した。
「わかった。昼過ぎに公証役場で落ち合おう」
そう約束を交わし、村長たちは帰っていった。
村長たちが立ち去り、少しの静寂が流れる。
「メリンダ、お前は残るのか?」
フレッドが尋ねると、メリンダは小さく頷いた。
「……うん。おばさんとライド、それにフレッドともう少し話がしたいから」
「そうか」
フレッドが軽く肩をすくめたとき――
「……ただいま戻ったぞ」
低く、少し掠れた男の声が静かな村に響いた。
日焼けした肌、長年の労働で鍛えられた体ではあったが細く、どこかやつれた印象もある。
男は鍬を肩に担ぎ、額の汗を腕で拭いながら、ゆっくりと歩いてくる。
ギルバードは、まず妻とライドへ視線を向けた。だが、すぐにフレッドの方へと目を移す。
フレッドもまた、まっすぐに父を見据えていた。
「……よぉ、親父」
ギルバードの目が大きく見開かれる。
「……生きて……いたのか……?」
彼の目が揺れ、唇がわずかに震える。
そして、視線を外しながら、絞り出すように呟いた。
「……すまなかった」
謝罪の言葉を聞いたフレッドは、一瞬だけ目を細めたが、すぐに表情を戻した。
「……別にもう気にしちゃいねえよ」
フレッドの視線が、ギルバードが肩に担いでいた鍬へと向く。
鍬はボロボロだった。
刃先はとうに摩耗し、かつては金属製だった部分も、ナイフで削りながら使い続けたのか、木製の刃がついているように見えた。
(……こんな鍬で、ずっと働いていたのかよ)
フレッドは胸の奥にわずかに込み上げるものを感じながらも、それを振り払うように口を開いた。
「……明日、昼過ぎに公証役場に来いよ。詳しいことは、お袋から聞いてくれ」
そう告げると、フレッドは踵を返し、シマたち一行と共にその場を後にした。
ギルバードとの再会を終えたフレッドは、何かを言いかけたが、それを飲み込んだ。
そんな彼に、トーマスが横目で見ながら言う。
「……言いたいことがあったんじゃねえのか?」
フレッドは、少しの沈黙の後、ゆっくりと首を横に振る。
「……いや、もういいんだ」
その言葉に、誰もそれ以上は何も言わなかった。
しかし――「ところでよ」
ザックが突然、何かを思い出したように口を開いた。
「そこにいる女性、お前の女とか言わねえだろうな?」
「ちげえよ!」
即答するフレッド。しかし、ザックは満足そうに頷いた。
「そうだよな!お前が俺を裏切るわけねえよな」
「裏切る?何の話だ」
「決まってんだろ! 彼女がいない者同士ってことだ!」
フレッドは頭を抱えた。
(……こいつ、バカすぎる)
そんな他愛もない会話をしながら、一行は宿屋に到着し、馬車が停めてある場所へと向かった。
そこで、シマがある袋を手に取ると、それをフレッドに放り投げた。
「この食材、そろそろやべえか?」
フレッドが受け取った袋の中身は、小麦粉だった。
「……って、なんで俺に渡すんだよ」
クリフも次々と荷物を持ってきて、フレッドの腕の中へと押し込んでいく。
「こっちの乾燥肉も処分しねえとな」
ロイドが、古びたパンを手に取りながら言う。
「カチカチになったパンがあったね。フレッド、食べちゃってくれるかい?」
「……食べるんじゃねえ、処分だろ!」
さらにサーシャが、使わない食器を持ってきて、フレッドに手渡す。
「フレッド、これも処分しといて」
「おいおい……」
次々と積み上げられる不要品。
「使ってねえ鍬もあったな」
「塩や砂糖も余ってたわね」
「ジャムもそろそろ消費しないと」
「いらない布があるのよね。かさばって大変だわ。フレッド、それも処分しといて」
「お茶の葉も余ってたわね」
「古くなった薬草類もどうしようかしら……ちょうどいいから、フレッド、処分しといてね」
「おいおい! お前ら、いい加減にしろよ!」
フレッドの悲鳴が響き渡るが、誰も気にせず宿屋へと戻っていく。
「それじゃあ、処分よろしくね~」
「夕飯までには帰って来いよ」
軽く手を振りながら去っていく仲間たち。
フレッドは、両腕に抱えきれないほどの荷物を見下ろし、ため息をついた。
「ったく……あいつら……」
そう呟いた後、ふと、微かに笑みを浮かべる。
「……ありがとよ」
その小さな呟きを聞いていたメリンダは、微笑みながら言った。
「……素敵な仲間ね」
フレッドは、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……仲間じゃねえよ。家族だ」
メリンダの目が、少し見開かれる。そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……そうね」
フレッドは、抱えた荷物を見つめ、再びため息をつきながら歩き出す。
(……さて、"処分"するか)
彼の背中を、メリンダはそっと見つめていた。




