キョク村に着く
キョク村――フレッドの故郷
キョク村は山間に位置する中規模の村だった。
周囲を険しい山々に囲まれ、冬の寒さは厳しく、農作物の収穫量も限られている。
村の者たちは保守的で、外部からの流れ者を快く思わない。
そうした閉鎖的な風土の中、フレッドの両親はこの村にやってきた。
彼らはわずかな農地を分け与えられ、他の村人たちと比べて圧倒的に少ない収穫で細々と生計を立てていた。
肩身の狭い生活。
村の集まりでは端の席に追いやられ、助けを求めても誰も手を貸さない。
それでもフレッドの両親は不平一つ言わず、ただ黙々と畑を耕し、厳しい環境の中で生き抜こうとしていた。
そんな環境で育ったフレッドにとって、村の生活は理不尽そのものだった。
なぜ両親はこんなにも虐げられているのか?
なぜ自分の家だけ、ほかの家よりも貧しいのか?
なぜ両親は、それでも何も言わずに受け入れているのか?
幼い彼には理解できなかった。
やり場のない怒りが胸の奥で膨れ上がっていった。
フレッドは反発心の塊となった。
幼いころから、同年代の子供たちと喧嘩をしてはボコボコにされる日々だった。
「お前の家、いつまでたってもボロいままだな!」
「お前、村の端っこでコソコソ暮らしてるくせに、なんでここにいるんだよ!」
そんな言葉を浴びせられるたび、フレッドは拳を握りしめ、容赦なく殴りかかった。
相手が二人でも三人でも関係ない。
どれだけ殴られても、倒されても、決して心は折れなかった。
「いつか見ていろ……」
その思いだけを胸に秘め、何度倒れても立ち上がった。
気づけば村の子供たちから 「悪童フレッド」 と呼ばれるようになっていた。
フレッドには友達はいなかった。
誰も彼を好んで相手にしようとはしなかったし、フレッド自身も誰かに頼る気はなかった。
だが――たった一人だけ、そんな彼に話しかけてくれる女の子がいた。
「ねえ、フレッド」
彼が地面に転がっていると、彼女はいつもそう言って声をかけてきた。
「また喧嘩?」
あまりにも日常的な光景だったのか、驚きもせず、ただ淡々と聞く。
「……ああ」
ボロボロになった身体を起こしながら、フレッドは答えた。
「痛くないの?」
「痛いさ」
「じゃあ、どうして毎回喧嘩するの?」
「……わかんねえよ」
彼女はフレッドの隣に腰を下ろした。
「フレッドは優しいと思うよ」
「は?」
「いつも誰かを守るために喧嘩してるように見えるから」
フレッドは何も言わず、空を見上げた。
やがて、彼女はにこりと笑い、立ち上がった。
「でも、無理はしないでね」
そう言い残して、彼女は村の方へと走っていった。
その後ろ姿を見送りながら、フレッドはぼんやりと思った。
(無理なんてしてねえよ)
だが、胸の奥がほんの少しだけ温かくなった気がした。
山間部に入り、道は次第に険しくなっていった。
木々はうっそうと生い茂り、風が吹き抜ける。
馬たちも慣れない道に戸惑いながらも、一行は着実に進んでいく。
シマたちも以前より馬の扱いに慣れてきており、道中で馬を止める回数も少なくなっていた。
しかし――
「女性陣が御者をすると、馬が止まることがないんだよな」
ザックがぼやくように言った。
「ふふ、私たちの方が馬に好かれているのかも?」
ノエルが微笑む。
「……いや、そういう問題じゃねえだろ」
男性陣の誰もが首をかしげたが、事実、女性陣が手綱を握ると馬たちはスムーズに進んだ。
キョク村の門前
やがて、山間を抜けた先に村の門が見えてきた。
木製の頑丈な門がそびえ立ち、門番が二人、槍を持って立っている。
門の前にはいくつかの荷車が止まり、旅人や商隊が順番を待っていた。
「一人一銅貨だ」
門番が手を差し出す。
一行は素直に銅貨を支払い、村へと足を踏み入れた。
「へえ、なかなか大きな村じゃないか」
ロイドが感心したように周囲を見渡した。
「規模はそこそこってとこだろ。それよりも……飯でも食おうぜ」
フレッドがそう言うと、皆もうなずいた。
村の中は整然としており、通りには木造の家々が並んでいた。
村人たちはよそ者に対して冷ややかな視線を向けるが、旅人や商隊にはそこまで敵意を見せていない。どうやら 「定住しようとする者」 には厳しいが、「金を落とす者」 には寛容なようだ。
一行はまず宿を確保し、それから食事をとるために宿の一階にある酒場へと向かった。
木の扉を開けると、中は適度に賑わっていた。
村人、旅人や商人らしき者が数組、酒を酌み交わしている。
調理の香ばしい匂いが漂い、暖炉の火が揺らめいている。
一行は適当な席に腰を下ろし、料理と酒を頼んだ。
「お前、実家に行かなくていいのか?」
クリフがフレッドに問いかける。
「……そのうち顔を出すよ」
フレッドは酒を口にしながら、気のない返事をした。
そんなときだった。
店の片隅で酒を飲んでいた二十代前半の男二人が、ひそひそと話しているのが聞こえてきた。
「なあ……あいつ、どっかで見たことがねえか?」
「俺もさっきから気になってたんだ」
男たちは、ちらちらとこちらを見ながら話している。
シマたち一行の耳には、その会話がはっきりと届いていた。
「お前の知り合いか?」
ザックがフレッドに尋ねる。
「……俺には、この村に知り合いなんていねぇよ」
フレッドは軽く肩をすくめた。
しかし、彼の表情にはどこか引っかかるものがあった。
「あなたの故郷でしょう?」
ノエルが小首をかしげる。
「まあな……だが、俺は嫌われ者だったんでな」
フレッドは苦笑いを浮かべながら、酒を一口飲んだ。
シマたちは視線を交わしながら、静かに周囲の様子を窺った。
店の隅でひそひそ話していた二人組の男の声が急に大きくなった。
「ま、まさか……あいつ、悪童フレッドじゃねえか……?」
「い、いや、そんなわけねえだろ……あんな瘦せっぽちでガリガリだった奴が、あんな体格になるわけねえ……」
二人は訝しげな表情を浮かべ、フレッドの方を見つめている。
「悪童フレッド?」
オスカーが首を傾げる。
フレッドは酒を一口飲むと、一つ息を吐き、ゆっくりと席を立った。
無言のまま歩み寄り、二人の前に立つ。
その視線には、昔のような苛立ちや敵意はなく、ただ静かに見下ろしていた。
「――悪童フレッドが帰ってきたぜ」
フレッドがそう言うと、二人の男たちはまるで幽霊でも見たかのように目を見開き、顔を青ざめさせた。
「……い、生きていたのか!?」
二人のうちの一人が声を震わせながら言う。
しばしの沈黙の後、彼らは慌てて財布を取り出し、急いで会計を済ませると、逃げるように店を出ていった。
フレッドはそんな彼らを目で追うこともなく、ただ軽く肩をすくめ、何事もなかったかのように席に戻る。
「なんだったんだ、あいつら?」
ザックが怪訝そうな表情で尋ねる。
「さあな。昔の知り合いってわけでもねえが……俺のことを知ってるやつだろうな」
フレッドは酒をあおりながら、ぼそりと呟く。
フレッドは酒を一口飲みながら、ポツリポツリと語り始めた。
シマたちは静かに耳を傾ける。
「俺のガキの頃の話だが……この村じゃ、……うちの家族は、ずっとこの村で冷遇されてたんだ。どうしてかは知らねえ。俺が物心ついた頃にはもうそうだった。だから、俺はずっと疑問だったんだ。なんでうちだけがこんな扱いを受けなきゃならねえんだ? ってな」
「うちの家は貧しかった。畑は小さく、村の連中は俺の両親をまともに相手にしなかった。何かを頼んでも後回しにされるし、村の祭りや集まりでも、俺たちはいつも端っこでひっそりとしていた」
フレッドは苦々しげに笑う。
「でもな、親父もお袋も文句一つ言わず、それを受け入れてたんだ。それが余計に腹立たしくてな……俺はいつも苛立ちをどこにぶつければいいのかわからなかった。だから、同年代のガキどもと喧嘩ばかりしてたんだよ」
彼の言葉に、仲間たちは真剣な表情になる。
「喧嘩を売られることもあったが、大抵は俺の方から仕掛けた。結果? …そりゃいつもボコボコにされたさ。だが、一度も心は折れなかった。いつか見返してやる、その気持ちだけでやってたな」
フレッドは静かに酒を飲み干した。
「だから、村じゃ悪童フレッドなんて呼ばれてた。今にして思えば、笑える話だがな」
「なぜ?……でも、それっておかしくない?」
サーシャが眉をひそめる。
「フレッドの家族だけがそんな扱いを受ける理由があるはずよ。何か、特別なことがあったんじゃない?」
「知らねえよ」
フレッドはそっけなく言ったが、その表情にはどこか戸惑いが見えた。
「両親に聞くべきだね」
ロイドが静かに言う。
「そうね。根本的な原因がわからなければ、対処のしようがないわ」
エイラが冷静に分析する。
「んじゃ、飯食ったらさっさと聞きに行くか」
ザックが当然のように言う。
「お、おい、別に今日じゃなくてもいいだろ?」
フレッドが困惑したように言うが――
「こういう問題は先送りにしちゃダメよ」
リズがピシャリと言い放つ。
「あなたらしくないわね」
ミーナがじっとフレッドを見つめる。
「怖いのかしら?」
メグが挑発するように微笑む。
「まさか~そんなことはないわよね~?」
ケイトがからかうような口調で言う。
フレッドは大きくため息をついた。
「……はあ~、行けばいいんだろう」
彼は観念したように肩を落とした。
フレッドの家族との再会が、何をもたらすのか――それは、誰にもわからなかった。




