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「シマ……予備に積んでる剣を、ハイドに譲ってもいいかい?」
ロイドの視線の先には、弟のハイドがいた。
彼はまだ幼さを残しつつも、ロイドの背を追いかけようとする強い意志を持っている。
「いいんじゃね?」
シマは軽く答えた。
ロイドは微笑み、馬車の荷台から一本の剣を取り出し、ハイドの前に差し出した。
「……本当にいいの?兄さん」
ハイドは剣を握りしめながら、戸惑いの表情を浮かべる。
「ハイドも、いずれはこの村や家族を守る立場になるだろう。今のうちから剣に慣れておいて損はないよ」
ロイドの言葉に、ハイドは真剣な表情になる。
「いいかい、ハイド」
ロイドはゆっくりとした口調で語りかける。
「仲間を、家族を守るときには――一切のためらいもなく振るえ」
その言葉に、ハイドはごくりと唾を飲み込む。
「だが、力任せに振り回せばいいわけじゃないよ」
ロイドは剣を持つハイドの手を軽く叩く。
「まず、正確に刃を立てること。一撃で倒そうとは考えてはいけないよ。そう思えば焦るし、隙も生まれる。常に冷静に、相手をしっかりと見るんだ」
「しっかりと……?」
「そう。目、呼吸、動作、足さばき……そして、何よりも大事なのは“心”」
ロイドの言葉に、ハイドはますます真剣な表情になっていく。
「相手の目を見て、呼吸を読み動作の癖を見極め、足の動きを確認するんだ。それができれば、剣は自然と相手に届く」
ハイドはぎゅっと剣の柄を握りしめる。
「……わかった」
ロイドはハイドの前に立ち、ゆっくりと腰の剣に手を添えた。
「一度だけ、手本を見せるよ」
彼はそう言うと、目の前の空間に向かって無造作に一歩踏み出す。
次の瞬間――シュッ!
鋭い風を切る音が響いた。
ハイドが息を呑む。
いつ剣を抜いたのか。
いつ振るわれたのか。
ただ、風を切る音だけが確かに聞こえた。
気がつけば、ロイドの剣はすでに鞘へと収められている。
「これが……兄さんの剣……」
ハイドは呆然と立ち尽くす。
「……兄さん、僕……強くなれるかな?」
ハイドが不安げに問う。
「ハイド次第だね」
ロイドは微笑みながら、弟の肩をぽんと叩いた。
「焦ることはないさ。まずは、剣に慣れることから始めるんだ。それだけじゃないよ父さんの跡を継ぐということは勉強もちゃんとしないとね…頼んだよハイド。」
ハイドは深く頷く。
四日間の滞在を終え、シマたちはシュリ村を後にすることになった。
苗木はすでに村の土地に根を下ろし、村人たちも手入れの方法を学びながら、新たな作物の可能性に期待を膨らませていた。
馬車の荷物を最終確認し、馬具をしっかりと締める。旅の準備は万全だ。
「世話になったな」
シマが馬車の上から村人たちに声をかけると、手の空いている者たちが集まり、見送りに来ていた。
「また来いよ!」
「気をつけてな!」
「今度はもっと長くいてくれ!」
村人たちは親しげに声をかけてくれる。シマたちにとっても、シュリ村での滞在は心地よいものだった。
村の人々が見送る中、ロイドの家族――父ダグラス、母セリア、弟ハイド、妹ミシェルが名残惜しそうに立っていた。
「本当に行ってしまうのね……」
セリアの瞳には、涙が滲んでいた。
六年ぶりに帰ってきた息子。
もう二度と会えないと思っていた息子。
生きていた。それだけで、どれほど嬉しかったことか。
けれど、またこうして旅立ってしまう。
「ロイド、気をつけてね」
「うん」
ロイドは母の前に立ち、軽く微笑んだ。
それでも、セリアは不安そうに息子の顔を見つめる。
そんな母の手を、ロイドはそっと握った。
「必ず、また帰ってくるよ」
その言葉に、セリアの瞳から涙がこぼれた。
「ええ……待ってるわ」
そして、セリアはリズの方を向いた。
リズは少し驚いたように、けれど静かに微笑んでいる。
セリアはゆっくりと歩み寄ると、リズの両手を優しく握った。
「リズさん……ロイドのことを、よろしくお願いしますね」
その声は優しく、けれどどこか寂しそうだった。
「はい……」
リズは少し目を伏せ、それからまっすぐにセリアを見つめた。
「お義母さま、ロイドは強い人です。でも、きっと時には疲れることも、迷うこともあるでしょう。そんな時、私がそばにいます」
リズの瞳には、揺るがぬ決意があった。
「だから、大丈夫です。私は、ロイドを支えます」
セリアは目を潤ませながら、そっとリズを抱きしめた。
「ありがとう……」
セリアの肩が微かに震える。
「こんな素敵な人が、ロイドのそばにいてくれるなんて……」
その言葉に、リズも目を細め、そっとセリアを抱き返した。
「お義母さま……ロイドだけではありません。お義父さまも、ハイドも、ミシェルも……この村の皆さんも、みんな大切な家族です」
「……リズさん」
「また帰ってきたら、一緒にご飯を作りましょうね」
セリアはくすっと微笑んだ。
「ええ、もちろんよ」
「そろそろ行くぞ」
シマが声をかける。
ロイドは家族の方を振り返ると、もう一度、それぞれの顔を目に焼き付けるようにじっと見つめた。
父ダグラスは無言で頷き、肩を軽く叩く。
ハイドは剣をしっかりと握りしめながら、真剣な表情でロイドを見つめている。
ミシェルは瞳に涙をいっぱいに溜めながら、それでも必死に笑顔を作っていた。
「またね」
ロイドはそう言うと、馬車へと向かう。
リズも最後にセリアの手をそっと握り、微笑んだ。
「お義母さま、行ってきます」
「……いってらっしゃい、リズさん。ロイドを、よろしくね」
「はい」
そして、リズも馬車へと乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出す。
村人たちの見送りの声が響く中、ロイドの家族はただ、静かにその背中を見送っていた。
ロイドは振り返らなかった。
けれど、彼の拳はぎゅっと固く握られていた。
「必ず、また帰るから……」
誰にも聞こえぬほど小さな声で、ロイドは呟いた。
そして、シマたちの旅路は、再び始まった。
旅の道中、馬車が突然止まった。
「またかよ」
ザックがうんざりしたように言う。
御者を務めるシマは、手綱を引きながら深いため息をついた。
「ほんと、俺たち馬の扱い下手すぎじゃね?」
「まあ、まだまだ初心者だからね」
ロイドが苦笑しながら答える。
それでも、止まってしまったものは仕方がない。目的の野営地まではあと少し。
シマたちは、手綱を引いて馬を歩かせることにした。
夕暮れ時、無事に野営地へと到着した一行は、焚き火を囲んで食事を取っていた。
「でさ、これ何とかならないか?」
トーマスが肉をかじりながら言う。
「うーん……馬が言うこと聞かないってこと?」
ミーナが首を傾げると、ザックが大きく頷いた。
「そうそう。オレたちが下手なのもあるけど、馬もあんまり慣れてないよな」
たしかに、馬たちはまだシマたちに完全には馴染んでいない。
そのとき、エイラがふと思いついたように言った。
「名前をつけてあげたらどうかしら?」
「名前?」
「ええ。馬は賢い生き物よ。名前を呼んであげることで、少しずつ心を開いてくれるかもしれないわ」
その提案に、ロイドが頷いた。
「聞いたことがあるね。名を呼ばれることで信頼が生まれることもあるって」
「いいじゃない!」
女性陣たちが盛り上がる。
「どうせなら可愛い名前をつけてあげましょう!」
「じゃあ、雌の方から決めようか」
エイラの言葉に、女性陣たちは真剣に考え始めた。
「花の名前なんてどうかしら?」
「それ、いいわね!」
すぐにいくつかの名前が提案された。
ガーベラ、ジャスミン、フリージア、ラベンダー。
「決まりね!」
「うん、可愛い!」
女性陣たちは満足そうに頷きあった。
一方、男性陣は雄の名前を考えていたが……。
「ロイド号なんてどうかな?」
ロイドが自信満々に提案した。
「お前、自分の名前つけたいだけだろ」
即座にツッコまれる。
「じゃあ、モテモテザックとかどうだ?」
「やめろ! それだけは絶対にやめろ!」
「トーマスムテキ!」
「意味がわからん!」
「フレッドシビレル!」
「どこに痺れる要素があるんだよ!」
「メグオスカー!」
「お前とメグを組み合わせるな!」
「ムキムキジトー!」
「……やめろ」
「カッコイイクリフ!」
「なんで形容詞つけるんだよ!」
男性陣たちは大真面目に考えているつもりだったが、どうにもセンスが壊滅的だった。
しまいには、言い合いが白熱し、ああでもないこうでもないと激論が交わされる。
一方、シマはその様子を傍観しながら、淡々と飯を食っていた。
「……何でもいいんじゃね?」
それから一時間。
男性陣の話し合いはまとまるどころか、ますます混迷を極めていた。
「埒があかねえ」
シマはそう呟くと、ため息をつきながら立ち上がった。
「団長権限で決める」
その一言で、場が静まり返る。
「よし、名前はこうする」
オグリ、キャップ、アイネス、フウジン。
「えっ、それで決まり?」
「もういいだろ、これで」
「まあ、シマが決めたなら……」
文句を言いたげな者もいたが、結局、団長の決定には誰も逆らえない。
こうして、雄四頭の名前も無事に決まった。
「オグリ、キャップ、アイネス、フウジン……いい名前だと思うわ…?」
「なんか強そうな名前だな」
「まあ、適当よりはマシか」
「これでちゃんと慣れてくれるといいんだけど」
「明日から試してみようぜ!」
こうして、シマたちは――命名した八頭の馬とともに、次の目的地キョク村へ向かうこととなった。




