長い夜
今シーズンの狩りは、上々の出来で終えることとなった。
ウサギ二羽、大きさ二十センチから三十センチほどの鳥九羽、蛇四匹という戦果に、誰もが満足そうな表情を浮かべていた。
達成感と充実感が身体の隅々にまで広がり、仲間たちの顔にも安堵の色が見える。
「今回の成果はなかなかだったな」
シマがそう口にすると、サーシャが誇らしげに胸を張る。
「当然よ! 私の矢さばきがあったからこそ、でしょ?」
「はいはい」
ケイトが苦笑しながらも矢筒を背負い直す。
仲間たちは、それぞれに満足そうに獲物を手にしながら帰路についた。
しかし、シマはふと足を止める。
首の後ろがチリチリとするような、痛みではない、だが何か得体の知れない感覚に襲われた。
「……誰かに見られている?」
仲間たちに声をかけてみるが、皆は首を傾げるばかりだった。
「気のせいじゃないか?」
「うーん、私は何も感じないけど」
不安が消えないまま、一行は慎重に歩を進め、やがて家に到着した。
そこにはロイド、トーマス、エイラ、ミーナ、リズ、オスカーが待っていた。
シマは彼らの無事を確認すると、ようやく胸を撫で下ろす。
いつものように賑やかな夕食が始まる。
狩りの終了を惜しむ者、満足感にひたる者、それぞれが思い思いの言葉を交わしながら、笑い声が絶えなかった。
だが、シマの心には一つの疑念が渦巻いていた。
――この何とも言えない嫌な感覚は一体なんだ?
前世の記憶を取り戻してから、感覚が鋭くなったような気がする。
単なる杞憂ならばいい。しかし、もし何かあってからでは遅い。
そう考えたシマは、仲間たちに話すことを決意する。
「今夜、何者かはわからないが、襲撃の可能性がある」
シマの言葉に、場が一瞬で静まり返った。
クリフが思い出したように言う。
「そういえば狩りの後、お前、何かを感じるかって聞いていたよな」
「今も、その“何か”を感じるのか?」
ザックが慎重な口調で問いかける。
「ああ」
シマは力強く頷く。するとロイドが決断を下した。
「襲撃があるとして、行動しよう。シマ、具体的にどうすればいい?」
一瞬、考えてから口を開くシマ。
「…ミーナ、メグ、エイラ、リズ、オスカーはここで待機。何があっても扉を開けるな。…エイラ、頼むぞ」
「わかった、絶対に開けない」
「毛皮と衣服をできるだけ着込め。多少動きが鈍くなっても構わない。防寒と防御のためだ」
シマは次々と指示を出していく。
「サーシャ、ケイト、ノエルは屋根の上に登れ。弓矢は十分に準備しとけ」
「任せて!」
「私も矢をできるだけ多く持っていく」
「俺、ザック、ジトー、トーマスは槍で牽制する一応帯剣しといてくれ」
「了解」
「ロイド、クリフ、フレッドも同じく帯剣してくれ、主に攻撃は短槍を投げる。相手が人か獣かはわからないが、基本はこの形で迎え撃つ」
仲間たちは一斉に頷き、それぞれの持ち場へと移動した。
屋根の上に陣取った弓手たちは、あたりを警戒しながら弦を張り、槍を持った者たちは玄関付近に身を潜める。
シマも槍を手にし、周囲の気配を探った。
外は静まり返っていた。だが、その静けさこそが不気味だった。
――果たして、何が来るのか。
待機すること数時間、夜の闇が深まる中、遠くでかすかな足音が響いた。
「狼! 九、十頭!」
サーシャの叫びに、全員が身構える。
「ノエル、フェンスの扉の前に狼が来たら教えてくれ。俺が扉を開く。一頭ずつ迎えてやろうじゃねえか」
シマはニヤリと笑い、仲間たちの緊張を少しでもほぐそうとする。
「サーシャ、ケイト、扉の前に一頭ずつ来るように誘導、牽制することはできるか?」
「やれるだけやってみるわ!」
「 失敗したらごめんね!」
シマが笑う。
「ハハハ! オイオイ、そこは『任せなさい』って言うところじゃね?」
そのやり取りで幾分か肩の力が抜ける仲間たち。クリフが悪乗りして言う。
「シマ! 骨は拾ってやる」
「どいつもこいつも……」
肩をすくめるシマ。そんなとき、ノエルが叫ぶ。
「シマ、今よ!」
シマは勢いよく扉を開け、一頭の狼を中に誘い込む。
しかしその瞬間、狼がシマの右腕に噛みつき、そのまま引き倒された。
「ぐっ……!」
咄嗟に腰のナイフを抜き、狼の目を切り裂く。
「グォオン!」
悲鳴とも叫び声ともつかぬ声を上げる狼。
それでも噛みついたまま離れようとしない。
ロイドが短槍を構え、体ごと突っ込む。
「おああぁっ!」
狼の脇腹に深々と槍が突き刺さり、シマはようやく解放される。
すぐさま抜剣し、狼の脚を切り裂く。同時にクリフとフレッドの短槍が狼の身体に突き刺さる。
ようやく、一頭を仕留めた。
だが、これで終わりではない。外にはまだ多くの狼たちが蠢いている。
「次が来るぞ!」
シマが叫ぶ。屋根の上の弓手たちが、狙いを定めて矢を放つ。
サーシャの矢が一匹の狼の肩に突き刺さるが、すぐには倒れない。
ケイトも矢を射るが、狼は俊敏にかわす。
「チッ、当たらない……」
その間にも、フェンスの周囲には狼たちが集まり始めていた。
ノエルが警戒しながら叫ぶ。
「扉の前にもう一頭来た!」
「よし、次も同じ要領で行くぞ!」
シマは傷ついた右腕を気にしつつも、扉の取っ手に手をかけた。
再び扉を開けると、二頭目の狼が勢いよく飛び込んでくる。
「こいつは……さっきよりデカい!」
狼は前の個体よりも一回り大きく、筋肉質だった。
素早く飛び掛かってきた狼を、ザックが槍で迎え撃つ。
しかし、狼は槍の先を避け、ザックの足元へ飛び込む。
「うわっ!」
ザックが倒れかけたその瞬間、ロイドが短槍を放った。
槍は狼の肩口に突き刺さるが、それでも狼は動きを止めない。
すぐにクリフとフレッドが追撃の短槍を投げつけ、ようやく動きを止めた。
「まだまだ来るぞ! 気を抜くな!」
その言葉どおり、外ではさらに狼たちが唸り声を上げていた。
夜は長い。これからが本当の戦いだった。
「必ずここから入ってくるって分かってるなら……穴を掘る時間はないが、火はどうだ? あるいは、丸太で思いっきり頭を叩くとか、剣で突き刺すとか?」
シマが仲間たちに相談する。
「剣で突き刺すのが確実か?」
「そうだな、それでいこう!」
扉の前にザック、ジトー、ロイド、トーマス、フレッドが待ち構える。
予備としてクリフを控えに回す。
突き刺すタイミング、頭を狙う者と胴体を狙う者に分け、フェンスを壊さぬよう注意を促す。
「それと、間違っても俺を刺すなよ」
シマが冗談混じりに言うと、皆が苦笑した。
「ノエル、頼む!」
「…シマ、今!」
扉が開かれ、飛びかかる狼をザックたちが一斉に剣で突き刺す。
「オオオッ!」
「ウラァ!」
「死ねえッ!」
三頭目を仕留めた。
戦闘の後、上手くいった点と改善すべき点を話し合う。
「突き刺したのはいいが、抜くのに手間取った」
ジトーが呟く。
「突き刺したら手を放して、その後は丸太でぶん殴ればいいんじゃね? 丸太はすぐそばに置いておこう。」
シマの提案に、皆が頷いた。
そうして四頭、五頭と倒す。
「狼たちの動きがおかしいわ!」
サーシャが警戒しながら声を上げた。
シマは屋根に上り、周囲を見渡す。狼たちは一定の距離を保ちながらフェンスの周りをうろつき、時折低く唸り声をあげる。
その動きには明らかな戸惑いがあった。
「普通、オオカミは人間との接触を嫌がるはずだ。よほど飢えているとかじゃない限り、ここまで執拗に襲ってくることはない……」
シマは倒した狼の死体を見つめた。
痩せこけているわけではない。むしろ筋肉がしっかりついており、十分に食事を取っている個体だ。
「縄張りを荒らした? いや、そんな覚えはない。じゃあ、俺たちなら簡単に仕留められるとでも思ったのか……それとも……」
シマの脳裏に、最悪の考えがよぎる。
「まさか……人肉の味を覚えたのか?」
シマは顔をしかめる。
奴隷商人たちが捕らえた子供たちや、連れ去られた者たちの肉を食った可能性がある。
そうでなければ、ここまで執拗に人間を狙う理由が思い当たらない。
「……とにかく、今やるべきことは狼たちを一頭でも多く倒すことだ。今後のためにもな」
シマは仲間たちに自身の推察を話し、次の行動を指示する。
「首元を守れ! 毛皮や衣服を幾重にも巻きつけろ!」
狼の攻撃は主に首筋を狙ってくる。
噛みつかれれば致命傷になる。防御を固めることで生存率を上げることができる。
「気を抜くなよ、やるぞ!」
「オウ!!」
仲間たちの士気が高まる。
戦いは続き、六頭、七頭、八頭と狼を仕留めていく。
しかし、その過程で危険な場面もあった。
包囲を抜けた狼がクリフに鋭い牙を剥いて飛びかかった。
間一髪でザックが短槍を投げて食い止めた。
「クリフ! 気をつけろ!」
「す、すまん!」
また、ジトーが狼の首に剣を突き立てようとしたとき、狼が最後の力を振り絞るかのようにジトーに飛びかかり、首筋に牙を立てようとした。
「ジトーッ!」
シマが叫ぶと同時に、トーマスが丸太を振り上げ、狼の頭を思い切り叩きつけた。
鈍い音が響き、狼は地面に転がる。
「助かった……!」
「油断すんな、まだ終わりじゃねえ!」
しかし、八頭目の狼が倒れたあたりで、狼たちは急に動きを変えた。
残り二頭の狼が、こちらを睨みながら静かに後退していく。
「……逃げる?」
油断せずシマは身構える。
しかし、狼たちはそれ以上襲いかかることなく、森の闇の中へと姿を消した。
緊張が解けた瞬間、仲間たちから安堵の息が漏れる。
「終わったのか……?」
シマは周囲を見渡す。仲間たちの中に死傷者はいない。
大きな怪我を負った者もいない。しかし、皆、疲労困憊だった。
「ようやく……長い夜が終わったな……」
夜明けの光が、遠くの森の向こうから差し込んでいた。