旅立ち
風が静かに森を渡り、葉擦れの音が心地よく響いていた。
シマたちが暮らしたこの家は、今日まで共に歩んできた場所だった。
夕暮れ時、女性陣の家に集まった彼らは、今宵を最後にこの家を後にすることを思い、それぞれが思い出を噛みしめるようにしていた。
「これで酒でもあれば最高なんだがなあ……」
ジトーが肩を回しながら言うと、トーマス、ザック、クリフ、フレッドが笑った。
彼らはいつの間にか酒の味を覚え、大人びた気分を味わうようになっていた。
「おいおい、最後の夜だぞ? 飲む酒がないなら、雰囲気だけでも楽しもうぜ」
フレッドがそう言うと、リズがすっと立ち上がり、軽やかにステップを踏み始めた。
「それじゃあ、最後に私の歌と踊りでもどうかしら?」
彼女の声は鈴の音のように響き、ロイドが微笑んで手を差し出した。
「僕も一緒に踊るよ」
二人の姿に、皆は自然と手拍子を始めた。
焚き火の灯りに照らされたリズの金髪が揺れ、ロイドが優雅に彼女をリードする。
それを見ながら、シマは静かに家の天井を見上げた。
六年前、血と泥にまみれ、何も持たない子どもたちがここに集まり、生き抜くために力を合わせた。
最初はただの寄せ集めだった彼らが、今では家族と呼べる存在になったのだ。
「……思えば、ここで過ごした日々は長かったな」
ポツリと呟くと、隣にいたサーシャが微笑んで言った。
「長いようで短かったわね。でも、私たちはちゃんと生き抜いたわ」
「そうだな……」
目を閉じると、ここでの出来事が次々と脳裏に浮かぶ。
森へ狩りに出たこと、川で遊んだこと、冬を耐え抜いたこと、命の危険があったこと、そして何度も笑い合ったこと。
「なあ、みんな」
シマが立ち上がると、全員の視線が彼に向いた。
「ここでの六年間は、俺たちにとってかけがえのない時間だった。でも、これからはもっと広い世界を見て、もっと大きなことを成し遂げる時だ」
皆が静かに頷く。
彼らの心にはそれぞれの夢と目標がある。
商会を興し、傭兵団を立ち上げ、名を馳せる。
復讐を果たし、自分を証明する。大舞台で歌い踊る。
そして、愛する者と共に生きる。
ジトーが立ち上がり、拳を振り上げた。
「おい、最後の夜だ! 思いっきり騒いで、明日からの新しい旅に備えようぜ!」
「おーっ!」
一同が歓声を上げた。
酒はなくとも、彼らにはこの瞬間を共に楽しむ家族がいた。
夜が更けるまで、彼らは歌い、踊り、語り合った。
家を去る寂しさよりも、未来への期待が胸を満たしていた。
明日、彼らは旅立つ。
ノルダラン連邦共和国を目指し、商会と傭兵団「シャイン」を結成し、広い世界へと歩み出す。
だが、この家で過ごした六年間は、決して色褪せることのない彼らの原点であり続けるだろう。
朝靄が森の合間を縫うように漂い、シマたちが暮らしていた家の周囲を静かに包み込んでいた。今日、この家を離れる。六年間を過ごした場所を後にし、新たな道を歩み始めるのだ。
「さあ、いよいよ出発だな」
ジトーが大きく伸びをしながら言う。
全員が荷物を抱え、いざノーレム街へ向けて歩き出す。
しかし、問題は山積みだった。
何せ大荷物だった。
15人で暮らしていたのだから当然のことだ。
スコップや鍬、斧、食器類、衣類に加え、どうしても持っていきたい思い出の品もある。
中でも大きな議論になったのが布団だった。
リズが、一針一針丁寧に縫ったもの。
布団はふんだんに羽毛を詰め込んでおり、冬場はもちろん、春先でも肌寒い夜には欠かせない。
しかし、それを全て持っていくとなると、あまりにもかさばる。
「リズが丹精込めて作ってくれたものだが…でも、さすがに全部は無理だ」
シマがため息混じりに言うと、他のメンバーも頷く。
「五組……せめて五組だけでも持っていこう」
最終的に、五組だけを持っていくことで決着した。
残りは、ここに残していくしかない。
こうして、シマたちは思い出の詰まった家を後にした。
数日間の道のりを経て、ようやくノーレム街に到着した。
途中、休憩を挟みながらの移動だったが、やはり大荷物を抱えたままの長旅は相当な負担になった。
「やっと着いたか……」
ザックが疲れた様子で息をつく。
「お前ら、もうバテてるのか? これからが本番だぞ」
フレッドが笑いながら言うが、彼自身も額には汗が滲んでいた。
ノーレム街に着いてからは、すぐに馬車と馬の購入を行った。
事前に予約していたため、手続きはスムーズに進んだ。
「馬車四台、馬八頭。全部で36金貨だな」
シマが店主に確認する。
「以前に手付金で12金貨支払ってるから、残りの支払いは24金貨ね」
エイラが確認しながら金を数えた。
馬車は二頭の馬で引く形になっており、それぞれが頑丈な作りをしている。
旅のために用意したものだけあり、荷台にはある程度のスペースも確保されていた。
「これでようやくまともな移動ができるな」
クリフが馬車の側を軽く叩きながら言う。
さらに、彼らは宿も事前に予約していた。「ライジング宿」と呼ばれる宿で、少々お高めではあるが、その分設備も整っており、ゆっくり休める場所だった。
「さあ、夕飯だ!」
宿に入るや否や、トーマスが声を上げる。
「いい匂いがするわね!」
ミーナが目を輝かせる。
長旅で疲れ切った体には、豪勢な食事が何よりのご褒美だった。
肉やパン、スープが並び、道中の質素な食事とは比べ物にならない。
「いただきます!」
皆が一斉に食事に手を伸ばす。
だが、食べる量が尋常ではなかった。
何せ、成長した彼らは皆、普通の大人の倍以上に食べるのだ。
「おいおい、お前らどれだけ食うんだよ……」
宿の主人が目を丸くする。
「大きくなったぶん、腹も減るのさ」
トーマスが笑いながら肉を頬張る。
さらに、ジトーたちは酒まで注文した。
「ったくもう酒なんて覚えやがって」
シマが呆れたように言うと、ジトーが豪快に笑う。
「いいじゃねえか。お前も早く飲めるようになれよワハハ!」
女性陣は以前までスカーフで口元を隠していたが、今はもう外していた。
「エイラの正体がバレても何とかするって自信があるからな」
ザックが自信満々に言うと、エイラが微笑んだ。
「頼もしいことね」
こうして、彼らのノーレム街での夜は更けていった。
翌朝、彼らはノーレム街を出発する前に、広場でリズの歌と踊りを披露することにした。
「どうせなら、ここでもリズの実力を見せつけてやろうぜ」
クリフの提案に、リズは嬉しそうに頷いた。
彼女が広場の中心に立ち、静かに息を整える。
そして、一歩踏み出した瞬間――彼女の歌声が街中に響き渡った。
透き通るような歌声が、ノーレム街の広場を満たし、人々は次第に足を止める。
「なんて美しい声なんだ……」
「すごい……」
通行人たちが次々と立ち止まり、リズの歌声に耳を傾ける。
彼女の踊りが始まると、広場は一層賑わいを増した。
衣装がひらりと舞い、彼女の動きに合わせて光が差し込む。
その美しさに、人々は魅了されていった。
やがて、演目が終わると、広場は拍手喝采に包まれた。
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
人々の歓声が響く中、おひねりが飛んでくる。
銀貨や銅貨、鉄貨が次々とリズの足元に置かれた。
「すごいな……」
シマが驚きながら言う。
「ふふっ、とても楽しかったわ」
リズが誇らしげに微笑んだ。
これから始まる新たな旅の幕開けだった。
ノーレム街の喧騒を背に、シマたちは馬車を走らせた。
目指すはシュリ村。
ロイドの故郷であり、彼にとっては懐かしい場所だ。
「ついに出発か……」
馬車の手綱を握るロイドが、小さく呟いた。
今回の旅は、シマたちにとって初めての本格的な長距離移動となる。
確かに、彼らは以前ダミアンとの取引でノーレム街からモレム街までの区間を馬車で移動した経験がある。
しかし、あの時は御者付きの馬車に乗っていただけで、自分たちで馬を扱う必要はなかった。
今の彼らは馬の御者も、乗馬も素人レベル。
だからこそ、旅の始まりは緊張の連続だった。
「……なあ、思ったより難しくないか?」
ザックが前方の馬車から振り向いて言った。
手綱を握る手がぎこちなく、馬の動きも不安定だ。
「案外、馬って気まぐれなんだな……」
フレッドも同じく苦戦していた。
思った方向に馬が進まず、時折揺れが激しくなる。
「無理に引っ張ってはだめだよ。力で抑え込もうとすると馬が嫌がるから」
ロイドがアドバイスする。
彼は唯一、馬に慣れているメンバーだった。
多少だが感覚的に扱いを理解している。
「こうやって、優しく引いて……そう、そんな感じだね」
ロイドの指示通りに手綱を扱うと、馬はスムーズに動き出した。
「おお! やっと言うことを聞いてくれた!」
クリフが安堵の息をつく。
「ふふ、男たちって馬一頭に苦戦するのね」
ケイトが笑いながら言うと、男性陣は苦い顔をした。
「まあ、最初はこんなもんだろ」
シマが苦笑しながら肩をすくめた。
それでも、旅を続けるうちに、少しずつ馬の扱いにも慣れていった。
馬車は林を抜け、緩やかな丘陵を進む。
澄んだ風が頬を撫で、草原の香りが心を落ち着かせる。
「……懐かしいな」
ロイドがふと呟いた。
「シュリ村は、こんな風景の先にあるのか?」
シマが尋ねると、ロイドは静かに頷いた。
「そうだよ。もっと先に進めば、小川が流れていて……その向こうに、村がある」
彼の声には、どこか懐かしさと寂しさが混じっていた。
シュリ村に着いた時、ロイドはどんな顔をするのだろうか。
シマは、馬車を進めながら、彼の横顔をそっと見つめた。




