無双?!
カシウム城大食堂。
ザックとフレッドはひと通り話をまとめ終えると、「じゃ、ちょっと仮眠だ」と軽く手を挙げ、城内で寝泊まりしている自分たちの部屋へと向かっていった。
夜――娼館……もとい“情報収集”に備えるためだ。
二人の背中が扉の向こうに消えると、大食堂にはまた別の熱気が残った。
夜に同行することになった男たちは、実に三者三様だった。
午後から再開される写本作りに気合を入れ直す者。
すでに夜のことを思い浮かべ、だらしなく頬を緩ませている者。
そして、ひそひそと耳打ちし合い、期待と不安を入り混ぜた声で情報交換を続ける者。
当然、その輪の中にはテオの姿もあった。
「……これもまた、シャイン傭兵団らしい光景だね」
その様子を眺めながら、ユキヒョウがくすりと笑う。
混沌としているのに、どこか居心地がいい――彼にとっても、もはや見慣れた空気だった。
「ところでさ」
ユキヒョウはふと表情を引き締め、ルーカスたち幹部に目を向ける。
「僕の隊、氷の刃隊がチョウコ町に残っているのは、どうしてだい?」
問いかけに、デシンスが「ああ、それはですね」と一歩前に出た。
「シオンの奴が手を挙げたんですよ。移住組やカイセイ族を、相談役一人に任せるのは大変だろうって」
「へえ……」
トーマスが感心したように鼻を鳴らす。
「アイツも、いいところあるじゃねえか」
「サーシャ嬢たちからも感謝されてな」
ダルソンが続ける。
「アイツら、鼻高々だったぜ」
「……フフッ」
ユキヒョウは目を細め、柔らかく笑った。
「目に浮かぶよ」
その様子を想像したのだろう。一同から、自然と笑いがこぼれる。
しばらくして、オスカーが少し遠慮がちに口を開いた。
「僕も、聞きたいことがあるんです。マルクさんたちはシャイン傭兵団のバッジをつけていましたよね。
でも、皆さんは、まだつけていないのは、どうしてなんですか?」
その問いに、マックスが「ああ」と頷く。
「どうせならな、シマから直接、つけてもらった方がいいだろうって話になってな」
「チョウコ町に帰ってからだ」
ドナルドが続ける。
「ちょっとした儀式みたいなもんだな」
「マルクさんたちは、来年の四月まで帰ってこないからね」
そう補足したのはマークだった。
「色分けは聞いてるか?」
ルーカスが確認するように言う。
「はい」
ロイドが即答する。
「シャイン隊は黒縁。隊長は赤縁、副隊長は青縁。団員は縁なし、ですよね」
「……住人たちにつけるバッジのことは?」
デリーが首を傾げて尋ねる。
「聞いておらんのう」
ヤコブが顎髭を撫でながら答えた。
「住人用はな」
エッカルトが説明を引き継ぐ。
「二回り小さいやつだ。裏には名前だけが刻まれてる」
それは身分や立場を誇示するものではなく、“ここにいる”という証そのものだ。
ざわめいていた大食堂は、いつの間にか落ち着いた談笑の場へと変わっていた。
夜への期待、午後の作業への意欲、そして仲間たちの未来。
様々な思いが交差しながらも、空気は穏やかで、どこか温かい。
――これもまた、シャイン傭兵団の日常だった。
チョウコ町――
昼時に差しかかる訓練場は、土と汗と熱気の匂いが混じり合い、重たい空気を残していた。
全体訓練が終わり、号令がかかって解散――となるはずの、その矢先だった。
「シオン!」
荒い息を吐きながら、ゴードン・ハッサンが一歩前に出る。
胸板が大きく上下し、額から滴る汗が顎を伝って地面に落ちた。
「……ハアッ……模擬戦だ……!今日こそは……一撃、入れてやる……!」
その声音には、疲労と同時に、闘志がまだ燃え残っていることがはっきりと表れていた。
「……いや、やめておこうぜ」
シオンは肩に手を当て、静かに首を振る。
「皆、疲れてるだろ。明日は休養日とはいえ、無理はしない方がいい」
氷の刃隊の団員もすぐに同調する。
「そうだぞ、シオンの言う通りだ」
「今日はもう十分やった」
「風呂とエールが俺たちを呼んでる」
訓練場を見渡せば、その言葉が誇張でないことは一目でわかった。
移住組、カイセイ族の者たちの大半は、もはや立っていられない。
地面に座り込み、膝に手をついて肩で息をする者。
仰向けに倒れ、空を見上げながら呼吸を整える者。
誰もが限界近くまで体を追い込まれていた。
そんな中でも、なお余力を残している者たちがいた。
ゴードン・ハッサン――元ハッサン族族長。
セシリオ・レイモンド――元レイモンド族族長の次男。
ドミンゴ・ナハリ――元ナハリ族族長の長男。
血気盛んなチラン族の青年、ペドロ。
そして、カイセイ族族長ドラウデンの息子、ラルグス。
アドルフ・レーア——現スレイニ族、元レーア族族長。
移住組では、元ホルン族のカスパルとフィン。
さらに、シャイン傭兵団の相談役スタインウェイ――
元ホルン族族長であり、年齢を感じさせない立ち姿で周囲を見渡していた。
「はあ……はあ……」
ラルグスが前に出る。
肩で息をしながらも、悔しさを滲ませた目でシオンを見る。
「……わかっている。わかってはいるが……」
一度、大きく息を吸い込み、吐き出す。
「今回も……一方的にやられたままでは……な」
その言葉には、若者らしい負けず嫌いと、確かな向上心が込められていた。
「……早く風呂に入って、キンキンに冷えたエールが飲みてえ」
氷の刃隊の団員が、半ば本音を漏らす。
「今日はここまでにしようぜ」という声が、あちこちから上がった。
シオンは一瞬、訓練場全体を見渡す。
地に伏す者たち、歯を食いしばる者たち、まだ立っている少数の顔。
そのすべてを見てから、ふっと息を吐いた。
「……わかったよ」
ゴードンとラルグスに視線を向ける。
「そんじゃあ、三十分後に始めるか」
一瞬、空気が止まり――次の瞬間、余力を残していた者たちの顔に、疲労の奥から笑みが浮かんだ。
「水だ、水を取ってくるぞ!」
氷の刃隊団員たちは、そう言い合いながら水甕の方へと散っていく。
訓練場には再び、重たい呼吸音と、わずかな期待が混じり合った静けさが戻った。
心地良い風がようやく肌を撫で始めたころ、地面には倒れ伏す者たちが点在していた。
「……と、年寄りを……ハアッ……ハア……い、労わらんかッ……ハアッ……」
絞り出すような声で文句を言うのは、シャイン傭兵団相談役スタインウェイ。
腰に手を当て、呼吸を整えながらも、その目はまだ鋭さを失っていない。
「そうは言ってもなぁ……」
少し離れたところで、同じく汗だくのシオンが肩をすくめる。
「俺も相談役相手に余裕があるわけじゃねえし……正直、痛い思いもしたくねえしな」
その言葉に、氷の刃隊の団員たちが苦笑しながら頷く。
「俺たち、これまでシマたちに散々やられてきたしな!」
「それに比べりゃ、まだいい方だろ?」
「あれで“大怪我しないように”めちゃくちゃ手加減してるってんだからよ……」
「考えりゃ考えるほど嫌になってくるよな!」
「ワハハハハ!ホントホント!」
氷の刃隊の面々は、笑いながら肩を叩き合う。
その声だけが、訓練場でやけに元気に響いていた。
一方で――
「……コイツら……オカシイよ……!」
ゴードン・ハッサンは仰向けに倒れたまま、天を仰いで呻く。
胸が上下するたび、苦しげな息が漏れた。
ラルグスも、ペドロも、セシリオも、ドミンゴも。
移住組のカスパルやフィンも同じだ。
誰一人として立ち上がる気力すら残っていない。
仰向けに寝転がり、手足を投げ出し、文句を言う余裕さえなかった。
その光景を少し離れた場所から眺めている男がいた。
アドルフ・レーア。
今回の模擬戦には参加せず、様子を見守っていた。
(……こやつ等、学習という言葉を知らんのか?)
小さく息を吐き、心の中で独り言ちる。
何度叩きのめされても、休めと言われても、挑む。
その愚直さが力になることを、彼自身も知ってはいるが――それにしても、だ。
訓練場で“無双状態”なのは、氷の刃隊だけだった。
「さあて、風呂だ!」
「回復したら、まず風呂に入れよ!」
「そのまま寝たら風邪ひくぞ!」
「キンキンに冷えた酒が待ってるぞ!」
「おい、他の奴らは手を貸してやれ!」
次々と飛ぶ声は明るく、遠慮も容赦もない。
だがその口調には、確かな気遣いが滲んでいた。
限界まで身体を追い込み、それでも前を向こうとする者たちと、それを当たり前のように支える者たち。
今日もまた、チョウコ町の一日は、そんな光景とともに終わっていった。
ところ変わり、城塞都市――「グレイス・ルネ劇場」。
石造りの外壁に夕暮れの光が差し込み、劇場前の広場には張り詰めた空気と、わずかな高揚が同居していた。公演を目前に控えたこの一帯は、普段よりも明らかに警備が厚い。
劇場周辺の要所には、カシウム領軍の兵たちが規則正しく配置されている。
今週の警備を任されているのは、遊撃部隊――即応と実戦経験を重視して編成された精鋭たちだ。
その中に、ひときわ目を引く男がいた。
元・領軍副団長ハラワパ・スメント。
壮年に差し掛かった年齢だが、その体躯は岩の塊のように逞しく、鎧の上からでも分かるほど筋肉が盛り上がっている。
長年戦場に身を置いた者特有の、静かな重みを纏った佇まい。
立っているだけで、周囲の兵の背筋が自然と伸びる。
そして――彼らと距離を取りつつ、同じく警備にあたっているのが、
シャイン傭兵団・灰の爪隊。
ギャラガ率いる、槍を主武装とした精鋭部隊だ。
今回の公演は、ブランゲル侯爵家からの要請だ。
だが、すべてを侯爵家に任せきりにするのは、シャイン傭兵団としても体裁が悪い。
その空気を汲み取り、「ならばこちらも前に出よう」と名乗りを上げたのが、ギャラガだった。
さらに、スレイニ族のヤンとルボシュもまた、「手伝わせてほしい」と自ら申し出ている。
こうして、カシウム領軍
シャイン傭兵団・灰の爪隊
スレイニ族の戦士二名
合同の警備体制が敷かれていた。
劇場の裏手、控えめに人の行き交う通路で、ハラワパは槍を壁に立てかけながら、ふっと懐かしそうに笑った。
「……シマ殿にはな、指一本触れることさえ敵わず、叩きのめされてなぁ」
その声音には、悔恨よりも、むしろ清々しさがあった。
隣で腕を組んでいたギャラガが、低く苦笑する。
「俺は今でも、触れることさえできませんよ」
誇張も、自嘲もない、事実をそのまま述べる口調。
ハラワパは、ゆっくりとギャラガの横顔を見やる。
「ほう……?お前ほどの男でも、か……?」
その目は、値踏みではない。純粋な驚きと、武人としての興味が混じった視線だ。
「見れば分かる。その佇まいでな。伊達に俺も、数多の戦場を越えてきたわけじゃない」
ギャラガは静かに笑う。
「あなたほどの武人に、そう言ってもらえるとは――正直、光栄だ。お世辞じゃありませんよ」
と返した。
ハラワパ・スメントという男は、かつて“将”であった。
だが――シマに言われたのだ。
「お前に将の器はない」
その言葉に、ハラワパは激昂した。
否定されたからではない。
心のどこかで、自分自身が分かっていたからだ。
結果、彼は一対一の私闘を挑み、完膚なきまでに敗れた。
その日を境に、彼は変わった。
いや――本来の自分を、取り戻した。
将として采配を振るうことよりも、兵の先頭に立ち、槍を握り、命を賭して戦う自分。
ブランゲル侯爵の下、一兵卒としてがむしゃらに戦場を駆け、
泥に塗れ、血を浴び、仲間を守るために槍を振るっていた、あの頃の自分。
将としての器はない。
だが、一武人として見れば、その戦闘力は驚異に値する。
恵まれた体格。鍛え抜かれた肉体。
そして、数え切れぬ戦場で培われた実戦の勘。
鎖から解き放たれた獣――それが、今のハラワパ・スメントだった。
かつては副団長という肩書きに縛られ、己の本質を押し殺していた男。
今は違う。命令を下すために立つのではない。
戦うために立つ――ただそれだけでいい場所に、彼はいる。
その獣のもとへ、足音が近づいてくる。
規則正しいが、どこか軽やかで、無駄に気負いがない。
部下を四人引き連れ、歩いてきたのは赤髪の青年だった。
「ハラワパさん、ギャラガさん。そろそろ飯、行きましょう」
気負いのない声。だが、その一言で周囲の空気が自然と切り替わる。
彼の名はコールセン。
平民出身ながら、異例の抜擢でブランゲル領軍・遊撃部隊の隊長となった男だ。
赤い髪は遠目にも目立ち、鎧姿でもどこか少年の面影を残している。
だが、その目だけは違った。
戦場を“眺める”目。
人の動き、間合い、癖、流れ――それらを瞬時に拾い上げる、獣のような観察眼。
彼の背後に控える四人の兵は、明らかに交代要員だ。
配置、距離、立ち位置。
コールセンは一切説明せずとも、それが伝わるように動かしている。
ハラワパは、その様子を見て苦笑した。
「……隊長が部下に“さん”付けとはな…軍としては、あまりよろしくないのだが」
昔のハラワパなら、こういう曖昧さを真っ向から叱責していただろう。
規律、上下、格式――それを何より重んじていた頃の彼なら。
だが、今の言葉には棘がない。
むしろ、どこか照れくさそうですらあった。
コールセンは即座に首を横に振る。
「無理無理!呼び捨てなんて、絶対無理ですから!」
遠慮も、建前もない。それでいて、軽んじている様子も一切ない。
親子ほど年の離れた二人。
しかも、相手はかつての副団長――当時のハラワパは、愛想の欠片もなく、人を寄せ付けない男だった。
だが、彼の武勲は誰もが知っていた。
血と槍で積み上げた実績だけは、誰にも否定できなかった。
今のハラワパの役職は、遊撃部隊副隊長。
肩書きは下がった。
だが、存在感はむしろ増している。
コールセンは、武の才においては「そこそこ」だ。
剣も槍も人並み以上ではあるが、怪物ではない。
学も教養も、正直言って皆無に近い。
文字は読めるが難しい文書は苦手。
戦史や戦略書を読み解くこともできない。
だが――観察眼だけは、ずば抜けていた。
敵がどこを見ているか。
味方がどこで迷っているか。
地形がどう“使われていないか”。
他の者が見落とす“隙間”を、彼は自然と見つける。
そして、
「普通はやらない」
「誰も思いつかない」
そんな戦術を、平然とやってのける。
枠にとらわれない。教本に縛られない。
だからこそ、予測されない。
コールセンとハラワパ。
この二人が組んだ遊撃部隊は、領軍の中でも一目も二目も置かれる存在だった。
部隊同士の模擬戦が行われれば、彼らに勝てる部隊は存在しない。
正面からぶつからない。
守らない。逃げない。
だが、必ず“有利な場所”にいる。
それを可能にしているのが、コールセンの発想と、ハラワパの圧倒的な実戦力だった。
そして、コールセン自身も分かっている。
――自分には、将としての器はない。
大軍を動かす采配はできない。
政治も、交渉も、組織運営も向いていない。
率いられるのは、一部隊がせいぜい。
だが、それでいいと、彼は思っている。
「俺はここで十分ですから」
そう言わんばかりの背中を、ハラワパは少しだけ、誇らしげに見つめていた。
鎖を断ち切った獣と、枠を知らぬ青年。
この二人が揃う限り、遊撃部隊は――誰にも真似できない牙を持ち続けるだろう。




