昼食?!
カシウム城大食堂へ向かう石造りの回廊を、カウラス一家、ベン一家、そしてオイゲンとカタリーナは連なって歩いていた。
高い天井、整然と並ぶ柱、磨き上げられた床――城という場所そのものが放つ威圧感に、どうしても背筋が伸びてしまう。最初は皆、無意識に歩幅を揃え、声も潜めがちになっていた。
だが、周りから聞こえてくるざわめきと笑い声——そこには大勢のシャイン傭兵団の面々がいた。
談笑しながら歩く姿は、城という格式張った空間の中ではどこか異質で、それゆえに安心感があった。
「……人が多いと、少し気が楽だな」
誰かが小さく漏らす。
オイゲンも頷き、カタリーナは胸元で手を組んで深く息を吐いた。
“城の中”ではあるが、“知らない場所”ではない――そう感じさせてくれる存在が、ここには確かにいた。
やがて扉が開き、大食堂の光景が広がる。
長いカウンター、規則正しく並ぶ木製のテーブル。
そして、各々がトレイを手に列を作り、順に料理を受け取っていく様子は、どこか拍子抜けするほど日常的だった。まるで学び舎の食堂のようだ。
パンが置かれ、サラダが盛られ、湯気を立てるスープが注がれる。
選択肢は多くない。豪華さもない。だが――腹いっぱい食べられる。
それだけで十分に幸せだと、多くの者が疑いなく思える時代であり、世界だった。
しかし、ここカシウム城では少し事情が違う。
シャイン商会からもたらされた新しい料理――
ハンバーガー、ホットドッグ、カツサンド、たまごサンド等々。
これらの“簡易で満足度の高い料理”は、すでに侯爵家の食卓だけでなく、領軍、使用人、城に仕える者たちの間にも広く行き渡っていた。
調理は簡単で、手間が少なく、時間もかからない。
それでいて腹にたまり、味も良い。
料理人たちの評価も高かった。
「楽になった」「余裕ができた」「失敗しにくい」
そんな声が上がり、結果として全体の士気まで上がったと言われている。
「ブランゲル侯爵家に仕えることができて幸せだ」
そう口にする者が出るほどに、食は人の心を掴んでいた。
大食堂に集う人々の表情は穏やかで、満ち足りている。
城という巨大な組織の中で、腹を満たすという当たり前の行為が、確かな忠誠と安心へと繋がっている。
数々の料理をもたらしてくれたシャイン傭兵団の影があることを、誰もが薄々と感じながらも、今はただ温かな食事の時間を楽しんでいた。
大食堂の喧騒が一段落し、食事を終えた者たちはそれぞれの卓で湯気の立つカップを手にしていた。
カウラス一家、ベン一家、そしてオイゲンとカタリーナも同じ卓を囲み、温かいお茶や紅茶を飲みながら、穏やかな時間を過ごしている。
先ほどまでの緊張はすっかり解け、肩の力が抜けた表情だ。
ベンは手でカップを包み込み、「城でこんなふうに飯を食う日が来るとはなあ」と感慨深げに笑う。
ヘラはうなずきながら、「しかも怒鳴られもしないし、肩身の狭い思いもしない」と冗談めかして言い、リタがくすりと笑った。
オイゲンはゆっくりと紅茶を口に運び、香りを確かめるように目を閉じる。
利き腕ではない左手での作業に、想像以上に神経を使ったのだろう。
「正直、物を作るより疲れた気がするな」とぼやくと、カタリーナが「あなた、顔に出てるわよ」と柔らかく突っ込む。
その様子を少し離れた席から眺めていたオスカーが、ロイドに小声で言う。
「ロイド、休憩時間は少し長めに取ろう。慣れない作業で、気疲れもしてると思う」
「うん、そうしよう」
ロイドは即座に頷いた。
「集中力も大事だけど、こういう余白の時間も必要だ」
「慣れない作業は、思っている以上に堪えるからな」
そう付け加えたのはトーマスだった。
腕を組み、どこか納得したような顔をしている。
するとヤコブが顎髭を撫でながら、にやりと笑う。
「しかしトーマス、お主、中々に教え方が上手いのう」
「だよな」
マックスも頷き、「意外と向いてるんじゃねえかって思ったぜ」
「それに、楽しそうだったよ」
ユキヒョウがそう言うと、ルーカスが口角を上げてからかう。
「意外な才能が発揮されたな?」
「うるせー!」
トーマスは即座に言い返す。
「元々、上手かったんだよ。お前らが知らなかっただけだ」
そう言い捨てると、照れ隠しのように立ち上がり
「御代わりしてくる」と言ってトレイを手に取った。
「僕も」「俺もだ」
オスカーとマックスが続き
「ワシもまだまだ食べるぞい」
ヤコブまで立ち上がる。
その光景に、使用人やメイドたちが思わず顔を見合わせる。
「……すごい」
「これで三回目じゃない?」
ひそひそとした声が漏れる。
「まだまだ食うぜ!」
トーマスが振り返って宣言すると、少年組のビリーが対抗心を燃やした。
「俺も負けちゃいられねえ!」
そう言って、無理にハンバーガーを口いっぱいに詰め込む。
「おい、飯は無理して食うもんじゃねえぞ」
近くの席に座っていたドナルドが眉をひそめる。
「よく噛んで食えって、言われてるだろ」
ダルソンも低い声でたしなめた。
「キュウ!」
と、足元から小さな鳴き声。
「ほらな、アルもそうだって言ってるぜ!」
デリーが指差して言うと、周囲からどっと笑いが起きた。
笑い声が天井に反響し、食堂は再び賑やかさを取り戻す。
茶を啜る者、パンを頬張る者、談笑する者。そこに身分や過去の違いはない。
「おいっすっ!」「あ~腹減った!」
やけに通る間延びした声とともに、大食堂の扉が勢いよく開いた。
振り向くまでもない、その声だけで誰だかわかる。
ザックとフレッドだった。
歩き方は相変わらず軽く、肩で風を切るように食堂へ入ってくる。
空腹を訴えるその様子は、まるで戦場帰りではなく、ただの食いしん坊だ。
……その瞬間。
「……っ!!」
ガタン、と椅子が音を立てる。
「ザック!!フレッド!!お前ら俺のことを置いてけぼりにしやがって!!」
食ってかかるように詰め寄ったのはテオだった。
顔は怒りと悔しさがない交ぜになり、完全に根に持っている表情だ。
「あ?」
フレッドが一瞬だけ首を傾げ、次の瞬間、あっさりと言った。
「忘れてた」
あまりにも清々しい一言だった。
「はぁ!?」
テオが声を裏返す。
「今日、連れて行くから昨日のことは忘れろ」
ザックが悪びれもせず続ける。
「いや…忘れられるか!」
テオが噛みつくが、二人はまるで気にしていない。
「で?どうだったよ?」
「噂通りか!?」
「俺が教えた店、行ってみたか!?」
矢継ぎ早に投げられる問い。
その瞬間、どこからともなく男たちが集まり始めた。
女性とは縁がない、ある意味で“清らかな”シャイン傭兵団の男連中が、吸い寄せられるように二人を囲む。
「なあなあ、どこ行ったんだ?」
「本当に評判通りだったのか?」
テオもいつの間にかその輪に紛れ込み、目を輝かせている。
「なあ〖酔いどれババア60〗って店、めっちゃ気になってるんだけどよ?」
誰かがそう言うと、場の空気が一気に色づいた。
フレッドはその様子を見回し、口の端を吊り上げて言う。
「まあ、そう焦るんじゃねえよ。後でじっくり聞かせてやる」
期待を煽るだけ煽ってから、「まずは飯だ」ザックが腹を叩いて締める。
「そうだな、空腹じゃ話にならねえ」
その瞬間、少年組が好奇心いっぱいの目で近づきかける。
だが――「……お前ら」
低く、静かな声。デシンスだった。
「この手の話をしているときは、あいつらに近付かねえほうがいいぞ」
少年組が一斉に立ち止まる。
「え?」
「なんで?」
「悪影響だ」
即答だった。
一切の迷いも、含みもない。
デシンスのその一言で、少年組の足はぴたりと止まった。
視線の先では、ザックとフレッドが大食堂のカウンターへ向かって歩いていく。
聞こえていないはずがない距離、むしろあれだけ大きな声なら嫌でも耳に入る。
だが二人は振り返りもしない。まるで「知ったことか」と言わんばかりに、堂々と料理を選び、トレイに山のようにパンや肉を乗せていく。
その背中を見送りながら、少年たちは一瞬だけ視線を落とし、小さく頷いた。
――が。
「……でもさ」
ビリーがぽつりと口を開く。
「それでこそザックさんとフレッドさんだよなぁ」
ハイドが、すぐに続ける。
「そうそう。自由すぎるけどさ、ちゃんと面倒見いいし」
「うん、なんか憧れるんだよなぁ」
ザシャが少し照れたように笑う。
「めっちゃ強いし、団にいながら縛られてない感じがさ」
「わかる!」
ヴィムが勢いよく頷いた。
「強いだけじゃなくてさ、あの二人がいると空気が明るくなるんだよな」
「父さんが言ってたよ」
静かに、けれど確信を持った声でジーグが言う。
「シャイン傭兵団の“明るさの源”は、ザックさんとフレッドさんがいるからだって。……僕も、そう思うなぁ」
その瞬間。
「ぐふふ……」
どこからともなく、いや、明らかにすぐ後ろから、気持ちの悪いほど満足げな笑い声がした。
「良く分かってるじゃねえか」
ザックが肩越しに振り返り、にやりと笑う。
「見る目あるなぁ、お前ら…俺たち、悪影響だって言われても、これだからなぁ」
フレッドも同じように口角を上げる。
その様子を見て、デシンスたちは揃って溜息をついた。
「はあ……」
「よく見てるじゃねえか」
呆れと感心が入り混じった視線が、少年たちに向けられる。
ザックとフレッドはトレイを持ったまま、ロイドたちの席へとやってきて、どかりと腰を下ろした。
まるで最初からそこが自分たちの席だったかのように。
「……あれ?」
フレッドがトレイを見下ろし、首を傾げる。
「酒はねえのか?」
「この後も写本作りがあるからの」
ヤコブが穏やかに答える。
「一杯や二杯くらい、どうってことねえだろ?」
ザックがトーマスに向かって言った、その瞬間――「……キュウ」
なぜか、ザックの頭の上にはアルがいた。
いつの間にかよじ登っていたらしく、ザックは慣れた手つきでカツサンドをちぎり、アルの口元へ運んでいる。
「俺だけ酒飲むってのも、気が引けるだろ」
トーマスは苦笑しながら言う。
「お~い!」
フレッドが手を挙げ、使用人に声をかける。
「エール頼む!」
「俺にもだ!」
間髪入れずザック。
使用人たちは一瞬だけ戸惑い、すぐに頷いた。
――この二人に常識を説くのは、今さらだ。
「……さすが自由人だな」
ルーカスが半ば呆れ、半ば感心した声で言う。
「普通の神経じゃねえ」
マックスも肩をすくめる。
「いつものことだね」
ユキヒョウは穏やかに笑う。
そして――大食堂には、再び大きな笑い声が広がった。
規律と常識、責任と重圧。
それらを背負いながらも、決して暗くならないシャイン傭兵団。
その中心にはいつも、自由で、奔放で、けれど誰よりも人の心を軽くする――ザックとフレッドがいた。
だからこそ、子供たちは憧れ、団員たちは溜息をつきながらも、どこか誇らしげに彼らを見つめるのだった。
「この時間になるまで帰ってこなかったってことは……大分、儲けたようだね?」
ユキヒョウの問いは、探るというより確信に近かった。
それに対してフレッドは、にっと歯を見せる。
「まあな!」
そう言い切ってから、ふっと声を落とす。
周囲のざわめきに紛れる程度の音量にして、しかし内容だけは重く。
「……ただよ。ひとつ、気になることがあってな」
そう言いながら、フレッドはホットドックにかぶりつき、エールで流し込む。
いつもの飄々とした仕草だが、目だけは笑っていない。
「地下格闘技場の奥でよ。ザックやトーマスより、さらに二回りはデカい男が暴れてやがった」
ザックは何でもないことのように、カツサンドを手に取りながら続ける。
「図体がデケぇだけだったから、一瞬で殺ったけどな」
ひょい、と口に放り込み、咀嚼しながら言葉を継ぐ。
「だが妙だった。何本も槍が刺さって、剣も突き立てられて、頭には剣がめり込んでたってのに――
まるで痛みを感じてねえ」
その言葉が落ちた瞬間、テーブルの空気が変わった。そこだけ一段、遠のく。
「……似ておるのう」
ヤコブが静かに言う。
深い記憶を手繰り寄せるような声音で。
「確か、パウル・ベニヒゼンという者も……そんな感じじゃったな?」
名が出た瞬間、知っている者たちの表情が一斉に引き締まる。
王都での出来事。
異様なまでの耐久力と、常識の外にある存在感。
この話を知っているのは限られた者だけだ。
クリフ、ケイト、ザック、フレッド、ユキヒョウ、ベガ。
そしてキョク村で合流した際に聞かされた、シマ、ジトー、ロイド、トーマス、オスカー、ヤコブ。
ロイドが、周囲を一度見渡してから、落ち着いた声で言った。
「……ルーカスさんたちには、いずれシマから説明があります」
その声音は柔らかいが、有無を言わせぬ芯がある。
「言いたいことがあるのは分かります。でも、今はまだ黙って聞いていてください」
「了解」
短く返事をし、それ以上、踏み込む者はいない。
詳細を語らずとも、女性陣たちに“余計な心配をかけたくない”その意図は、誰の目にも明白だった。
「奴隷商人から仕入れたそうだ……行方はくらませて、もう見つからねえとさ」
フレッドはそう言って、空になったエールのジョッキを机に置いた。
「……念のため、ブランゲル様たちにも報告した方がいいね」
オスカーが静かに言う。
感情を抑えつつも、抜けのない判断だった。
「そうだね。ルーファスさんに伝えておこう」
ロイドもすぐに頷く。
「そういやあ……シマたちは?」
ザックが思い出したように尋ねる。
「未知傭兵団。あいつらに会いに行ったぞ」
答えたのはトーマスだった。
「んじゃ、シマにもそう伝えてくれ」
フレッドはあっさりと言い、次の話題へ切り替える。
「君たちは、これからどうするんだい?」
ユキヒョウが興味深そうに問う。
「飯食ったら寝る。夜に備えてな」
即答するザック。
「……また娼館か」
トーマスが半眼で呟く。
「今さらどうこう言わねえけどよ。お前、ライドに本を送るんだろ?」
フレッドの弟、ライド。
その名が出た瞬間、場の空気が少しだけ和らぐ。
「写本作り、しなくていいのか?」
「おう!」
フレッドは胸を張り、ロイドの方を見る。
「ロイド、頼むぜ!子供でも分かるような、面白いもんをな!」
「……君が写本したものを送った方が、喜ぶと思うけど?」
ロイドの指摘はもっともだった。
「んなもん、誰が書いたって同じだ!」
フレッドは即座に言い切る。
「要はよ、“送った”って事実が大事なんだよ!」
「何とも……フレッドらしい考えじゃのう」
ヤコブが呆れ半分、微笑み半分で言う。
一同、思わず笑う。
肩肘張った空気が、また少しだけほぐれた。
「んじゃ――」
ザックが立ち上がる。
「夜、情報収集する奴は、こっちに来い」
そう言って、別の長机へと歩き出す。
「金のことなら心配すんな。驕りだ」
フレッドが続く。
その一言を合図に、女性と縁の薄い男連中が、まるで吸い寄せられるように二人の周りへ集まり始めた。
デリー、ドナルド、エッカルト――幹部すら混じっているのが、この団の懐の深さというか、緩さというか。当然、テオの姿もあった。彼らは声を潜め、コソコソと話し始める。
「……お、俺も……行こうかな……」
恐る恐る手を挙げるように言ったのはデシンスだった。
「じょ、情報収集、ってやつで……」
その瞬間、ザックとフレッドが、同時にジト目を向ける。
「……お前さ」
フレッドが低い声で言う。
「さっき俺たちのこと、“悪影響”だなんだって言ってなかったか?」
「そ、それはあれだ!」
デシンスは慌てて両手を振る。
「ビリーたちにとっては、だ!俺はほら……大人だし!」
必死すぎる弁明に、周囲から小さな笑いが漏れる。
「……まあ、いいか」
ザックが肩をすくめる。
「よっしゃ!」
デシンスが小さくガッツポーズを取る。
こうしてまた、情報収集という名の“夜の部隊”が、静かに、しかし確実に編成されていくのだった。




