女子会2
カシウム城の風呂を堪能させてもらう、その少し前のことだった。
大広間へ向かう途中、ひときわ落ち着いた佇まいの女性が、侯爵夫人エリジェの前に進み出て、丁寧に一礼した。
「侯爵夫人、お初にお目にかかります。『エイト商会』のルドヴィカと申します」
柔らかながらも商人らしい芯のある声。
エリジェはにこやかに微笑み、すぐに頷いた。
「シャイン商会と提携しているところね。私たちも、ぜひ良い関係を築きたいと思っているわ」
「御贔屓いただければ幸いでございます」
そう応じるルドヴィカの態度は、あくまで礼儀正しく、しかし卑屈さは微塵もない。
長年商いの場に立ち続けてきた者特有の落ち着きがあった。
そこへ、ぱん、と軽く手を叩いて割って入ったのがエリカだった。
「堅苦しい話は無しよ。今日は商談禁止だからね、いい?ルドヴィカ」
「……わかったわ、エリカ」
そう答えたルドヴィカの口元も、自然とほころんだ。
その場の空気が、ふっと柔らぐ。
◆
場所は変わって、カシウム城・大広間。
湯上がりの女性たちを迎える準備は、すでに完璧に整えられていた。
広々とした空間の中央と壁際には、所狭しと卓が並べられ、その上には果実酒、各地のワイン、色とりどりの焼き菓子、艶やかな甘味、手の込んだデザート、瑞々しいフルーツの盛り合わせがこれでもかと置かれている。
どれも城の威信を誇示するような豪奢さではなく、しかし質と量の両方で「もてなし」を雄弁に語っていた。
そこへ、湯上がりの女性陣が次々と姿を現す。
ふわり、と漂うのは甘く清潔な香り。
チョウコ町で作られている石鹼とリンス——品名「スノードロップ」。
シャイン商会を通じて、すでにブランゲル侯爵家にも卸されている品だ。
甘さの奥に、雪解けの草花を思わせる爽やかさ。
それが湯気と混じり合い、石鹼とリンスの香りが重なって、大広間全体を包み込んでいた。
「……いい香り」
メイドの誰かがぽつりと呟く。
エリジェ夫人の側付きの侍女たちが控えめに並び、エリカの侍女——アンネ、コリンナ、バルバラ、ベティーナ、ヘルガも、今回は女子会への参加を許されていた。
アンネには、シャイン傭兵団のマークと恋人関係だという噂があり、コリンナはダルソンと良い仲だという。
当人たちは何も語らないが、視線が合うと妙に気まずそうに目を逸らすあたり、あながち間違いでもなさそうだった。
サーシャ、エイラ、ミーナ、ケイト、リズ、メグ。
マリア、ティア、コーチン、シャロン、メリンダ、ソフィア、クララ、ヒルダ。
さらに、グーリスの妻ナミと、その息子クライシス。
ギャラガの妻アンジュと娘のシンジュ。
ルーカスの妻ビルギット。マックスの妻マヌエラ。
キリングスの妻アマーリエと、その息子フォルカーとシュテファン。
そして、リズの姉リタ。エイト商会のルドヴィカ。
元王家監察官キャシーの姿もあった。
立場も年齢も、生きてきた道も違う。
だが今この場では、皆がただ「湯上がりの女たち」だ。
果実酒のグラスが配られ、軽く掲げられる。
「さあ!今日は楽しみましょう」
エリジェの一言に、空気が一気に和らぐ。
高貴な者も、商人も、傭兵の妻も、母も娘も。
ここでは誰もが等しく、笑い、語り、くつろぐ。
甘い香りと、軽やかな笑い声に満たされたカシウム城大広間。
それは、この夜だけ許された、束の間の安らぎの時間だった。
その中で、エリジェはふと周囲を見渡し、小首をかしげた。
「あら……ノエルは?」
その問いに、エイラが穏やかに答える。
「トーマスのご家族の面倒を見ています。」
「そう……」
エリジェは少し残念そうに微笑んだ。
「ノエルとも、たくさんお喋りしたかったのだけれど」
「仕方ないわ、お母様」
エリカが肩をすくめる。
「だって、もう半泣き状態だったのよ。」
「まあ!」
エリジェは思わず口元に手を当てた。
「それは……ずいぶん酷なことをしてしまったわね」
そして、視線を移し、シャロン、アンジュ、ビルギット、マヌエラ、アマーリエの面々を見回す。
「それに比べて……あなたたちは、ずいぶん平気そうね?」
そう言われ、シャロンは小さく笑った。
「エリカたちと一緒に生活しているうちに、慣れてしまったのかもしれません」
その言葉に、周囲がくすりと笑う。
一方で、少し控えめに声を上げたのはソフィアだった。
「……私たちは、正直ちょっと緊張しています」
クララ、ヒルダ、リタ、キャシーも、こくりと頷く。
だが、エリジェはふふっと柔らかく笑った。
「一緒にお風呂に入ったから、もう分かるでしょう?」
穏やかだが、芯のある声。
「どんなに高貴な人でも、人であることに変わりはないわ」
「それが一番よく分かってるの、私たちじゃない?」
即座にエリカが言い、周囲から同意の笑いが起きる。
「特に……」
ミーナが意味ありげに間を置き、
「ザックとフレッドが、そうよね」
その瞬間、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「身分も出自も関係ない」「傍若無人」
「敬うことを知らない」「敬語を知らない」
「我が道を行く」「わがままで問題児」
「娼館狂い」「バカ」「アホ」
次々と飛び出す、容赦のない評価。
だがそのどれもが、どこか楽しげで、愛嬌すら帯びている。
「あはははは!」
「うふふふふ!」
笑い声が重なり、大広間に広がっていく。
ひとしきり笑った後、誰かがぽつりと付け加えた。
「……でも、放っておけないのよね」
「そうそう」
「いざって時は、ものすごく頼りになるし」
「ああ見えて、家族思いだし」
「時々見せる優しさが……効くのよね」
その言葉に、また笑いが起きる。
悪口のはずなのに、いつの間にか褒め言葉になっているのが、彼女たちらしかった。
その流れで、場の空気は一層和み、次第に話題は旦那や彼氏の話へと移っていく。
「うちの人はね……」
「それ、分かるわ」
「でも、そこがいいところなのよ」
良いところ、悪いところ、腹の立つところ、どうしようもないところ。
それでも一緒に生きていく理由。
恋バナは尽きることなく、果実酒のグラスは何度も満たされる。
やがて話題は、ブランゲルとエリジェのなれそめへ。
「それでね——」
エリジェはどこか誇らしげに、少し照れたように語り始める。
若き日の出会い、衝突、歩み寄り、そして今。
その姿を見ながら、女性たちは思う。
この侯爵夫人もまた、ひとりの女性なのだと。
笑い声と甘い香りに包まれたカシウム城大広間。
緊張はすっかり溶け、そこには身分も立場も越えた、ただの“女子会”があった。
大広間の一角では、子供たちの元気な声が途切れることなく響いていた。
クライシスを先頭に、フォルカーとシュテファン、シンジュたちが走り回り、追いかけっこが始まる。勢い余って扉の方へ駆け出そうとした瞬間
「この部屋から出てはいけませんよ」
使用人が慌てず騒がず、しかし逃がさぬように立ちはだかる。
「迷子になってしまいますからね。ここはお城ですから、通路も多いのですよ」
やさしく窘められ、子供たちは一瞬しょんぼりしたものの
「はーい……」
素直に返事をし、すぐさま別の遊びを思いついたのか、今度はテーブルの周りをぐるぐる回り始める。
その様子を見て、女性陣からくすくすと笑いが漏れた。
一方、少し落ち着いた一角では、ソフィアとキャシーを中心に、クララとヒルダが集まっていた。
「チョウコ町って、本当にすごいのよ!」
ソフィアが身振り手振りを交えて語り出す。
「食べ物もね、凄く美味しいのよ!」
クララが誇らしげに続ける。
「仕事もたくさんあって、王都みたいに“明日どうしよう”って顔をしてる人はいないわ!」
ヒルダも大きく頷く。
「最初は信じられなかったけど……」
それを聞きながら、キャシーは静かに微笑んだ。
「みんな、いい顔をしてるわ。……それが何よりよ」
王家特別監察官だった頃には、決して見られなかった種類の“変化”。
それを幼馴染たちが誇らしげに語る姿に、キャシーの胸にも温かなものが広がっていた。
その近くでは、リズが姉のリタからほとんど離れずにいた。
だが、ただくっついているだけではない。
「それでね、お姉ちゃん——」
誰かが話す輪に自然と入り込み、相手の言葉に頷き、いつも以上に明るく、柔らかく笑いながら話すリズの姿があった。
やがて、場の中央でルドヴィカが静かに声を上げる。
「実は……報告があるわ」
その言葉に、自然と視線が集まる。
「ダミアンと……結婚しました。今は一緒に生活しています」
一瞬の静寂のあと、
「まあ!」
「おめでとうございます!」
「素敵じゃない!」
祝福の声が一斉に上がり、大広間はぱっと明るい空気に包まれた。
ルドヴィカは少し照れたように微笑む。
「私たちは一応、手続きをしてきたわ」
この世界では、庶民の結婚は形も様々であり、役所で正式に手続きをする人もいれば、そうでない人もいる……離婚も同様である。
祝福と笑顔に包まれたルドヴィカの姿を見ながら、女性たちは思う。
この場に集ったそれぞれが、違う立場、違う人生を歩みながらも、今この瞬間を共有しているのだと。
子供たちの笑い声、近況を語り合う声、祝福の拍手。
それらが溶け合い、カシウム城の大広間は、まるで一つの大きな家族のような空間になっていた。
アパパ宿の酒場兼食堂は、夕刻を迎え、昼間の喧騒とは少し違う落ち着いた賑わいに包まれていた。
木の梁から下がる灯りが橙色に揺れ、焼き物と煮込みの匂いが腹を刺激する。
卓の上には大皿がいくつも並び、湯気とともに食欲をそそる香りが立ちのぼっていた。
「美味い! 美味い!」
そう声を上げながら、豪快に匙を動かすのはカウラス一家の大人たちだ。
旅の疲れも、昼間の緊張も、温かい料理とエールでようやくほどけてきたらしい。
しかし、その横で少し首をかしげながら呟く声があった。
「……おしろのごはんの方が、おいしかったよ?」
無邪気な一言を放ったのはミライだ。
「うん、僕もそう思う」
エバンスも素直に同意する。
その言葉に、リズの母ヘラが目を丸くする。
「あら? お城でご飯をごちそうになったの?」
「うん! すごくおいしかったよ!」
ウエンスが満面の笑みで答える。
「あら~、よかったわねぇ」
ヘラは目を細め、心から嬉しそうに微笑んだ。
そのやり取りを聞きながら、カウラス、ガンザス、ダンドスの三人は、表情を変えぬまま内心で同時にため息をつく。
(……俺たちは緊張しすぎて、味が分からなかったな……)
城の豪奢な食卓、静かな使用人たちの視線、格式ばった空気。
料理が美味かったかどうかを判断する余裕など、彼らには残されていなかった。
「お姉さん! エールをもう一杯!」
そんな空気をぶち破るように、アンが給仕係に声を張り上げる。
「私にもお願い!」
すかさずイライザも続く。
だが、その前にノエルがやんわりと、しかし逃げ場のない声音で口を挟んだ。
「お義姉さんたち、これで最後ですよ」
「もう~、ノエルってば固いんだからぁ~」
アンはむくれながら抗議するが
「いい加減にしなさい! 次の一杯でお終いよ!」
マーサの一喝が飛ぶ。
「……は~い」
アンとイライザは、見事なまでに同時に肩を落とした。
「はぁ……子供たちの方が、よほど聞き分けがいいわ」
マーサは呆れたように溜息をつき
「あなたたちも、しっかりしなさい!」
と、息子であるガンザスとダンドスを睨みつける。
「……はい」
「……ごめん」
二人は反射的に背筋を伸ばし、条件反射のように返事をした。
その様子に、ノエルとヘラは顔を見合わせ
「ふふっ」
「うふふ」
思わず声を殺して笑ってしまう。
城の緊張感から解放され、温かい料理と程よい騒がしさに包まれたアパパ宿の夕餉。
大人も子供も、それぞれの形で一日を振り返りながら、ゆっくりと腹と心を満たしていくのだった。




