再会6
「シマお帰り!」
弾けるような声とともに、エリカが勢いよく飛びつこうとした瞬間、シマは反射的に片手を差し出して制した。
その動きは慣れたもので、乱暴さは一切なく、むしろ庇うような仕草だった。
その理由はすぐに明らかになる。
シマの腕の中には、小さな命が抱かれていた。
真っ白な毛並み。ふわりとした柔らかさを想像させる体躯。
つぶらな赤い瞳がきょろりと動き、見知らぬ顔ぶれを不思議そうに見回している。
「キュッ?」
短く、かすれたような鳴き声。
まるで「誰?」と問いかけているかのようで、場の空気が一瞬、止まった。
「……え?」
勢いを削がれたまま、エリカは目を瞬かせる。
戸惑いと驚きが入り混じった表情で、そっとアルを覗き込んだ。
「ちょ、ちょっと……この仔は?」
問いかけに、シマはいつも通り淡々と答える。
「家族に加わった。アルだ」
その一言が落ちた瞬間、静止していた空気が一気に弾けた。
「え、なにそれ可愛い!」
「聞いてない!」
「白い!ちっちゃい!」
女性陣が一斉にシマの周囲へ集まってくる。
メグがいち早く身を乗り出し、目を輝かせて声を上げた。
「可愛い!お兄ちゃん、私にも抱かせて!」
あっという間にアルは注目の的となり、次々と差し出される手に囲まれる。
背中を撫でられ、頭を撫でられ、頬をくすぐられ――。
「キュ……」
最初こそ戸惑っていたアルも、すぐに抵抗をやめた。
真っ白な毛並みは撫でるたびに光を反射し、赤い瞳は気持ちよさそうに細められていく。
小さな体はされるがまま、くったりとシマの腕に身を預けていた。
「……お前ら」
少し呆れたように、しかしどこか許している声音でシマが口を開く。
「ブランゲル夫妻がいる前だぞ」
その言葉に、ロイドが即座に補足する。
「ジェイソン様に、デシャン様、マリウス様もね」
はっと我に返ったエイラが一歩前に出る。
「……はしたない所をお見せしました。どうぞご容赦を」
その言葉を合図にしたかのように、女性陣は一糸乱れぬ動きで揃って片膝をつき、首を垂れた。
先程までの喧騒が嘘のような、見事な切り替えだった。
「ほう……」
思わず、デシャンの口から感嘆の声が漏れる。
「実に見事なものだ」
その様子を見届けてから、エリカが改めて前へ進み出る。
「お父様、お母様、ジェイソン兄様。ただいま帰りました」
ブランゲルは静かに頷いた。
「うむ……立つがいい。ここでは無用な礼はいらん。いつものように振る舞ってくれ」
「では、お言葉に甘えまして……」
次の瞬間だった。
「シマお帰り!」
エイラが勢いよく抱きつく。
「あ、ずるい!」
それに続いてサーシャ、エリカも次々とシマに飛びつく。
堰を切ったように、再会の抱擁が連鎖していった。
ミーナはジトーに。リズはロイドに。
ノエルはトーマスに。メグはオスカーに。
そして――。「え、ちょ、よせよ?!」
フレッドは、メリンダに抱きつかれて完全に狼狽していた。
「なに赤くなってんのよ」
その様子を見て、マリアがにやりと笑う。
「あんた、寂しそうね。私がハグしてあげようか?」
「へっ、特攻ねーちゃんのハグなんて、いらねえよ」
ザックは肩をすくめ、視線を逸らす。
――その一瞬だった。
死角から、見事なリバーブローが叩き込まれる。
「おごッ……!」
鈍い衝撃音とともに、ザックの体が前のめりになる。
「ぐ……お、お前……!」
抗議の言葉を絞り出すより早く、マリアががっしりと抱きしめた。
「なによ、そんなに私に会いたかったの?」
完全に動きを封じられたザックの情けない姿に、堪えきれず笑いが弾ける。
「わはははは!」
「見事な一撃だったな!」
爆笑が広がり、サロンは一気に温かな喧騒に包まれた。
その中心で、アルは小さく「キュッ」と鳴き、何もかもが楽しいと言わんばかりに赤い瞳を細めていた。
再会と笑い、そして新しい家族を迎えた喜びが、確かにそこに満ちていた。
「うふふふふふ……っ」
扇で口元を隠しながら、なおも肩を震わせているのはエリジェだった。
その隣ではジェイソンが堪えきれずに声を上げる。
「あははははは!」
さらに向かいでは、マリウスが腹を押さえながら大きく息を吐く。
「アハハハ……!」
笑いの波はなかなか引かず、しばらくの間、サロンには愉快な余韻だけが漂っていた。
「……き、君たちは」
ようやく呼吸を整えたマリウスが、目尻に涙を残したまま言う。
「相変わらずだね。本当に」
その言葉に、ジェイソンが「こう言ってはなんだけどさ」
ちらりと父の方を見る。
「父上の前で、ああいうことができるのは……君たちくらいだよ」
「ふん」
そして、実に豪快に言い放つ。
「こいつらはこれでいいのだ」
杯を揺らしながら、愉快そうに続ける。
「今さらシマたちが敬語で話しかけてきたら、虫唾が走るわ」
それを聞いたジェイソンが苦笑しつつ補足する。
「ロイドとオスカー、それからヤコブさんは別だけどね。女性陣も」
「ワシらは礼節を弁えいますからな」
ヤコブが穏やかに頷くと、また小さな笑いが起きる。
エリジェはその様子を眺めながら、ふっと息を吐いた。
「……私も、こういうお友達が欲しいわ」
柔らかい声で言う。
ブランゲルとエリカを見比べ、微笑む。
「貴方も、エリカも……本当に羨ましい」
その言葉に、ジトーが静かに口を開いた。
「それは、俺たちにとっても同じだ」
視線をブランゲルに向ける。
「ブランゲルみたいに懐の深い男じゃなきゃ、俺たちのことなんて……到底、受け入れてくれなかっただろう」
「そうだろう、そうだろう!」
ブランゲルが得意げに胸を張る。
「ワハハハハ!」
その様子があまりに分かりやすく、また笑いが起きる。
「そういう意味では」
オスカーがにこやかに続ける。
「マリウスさんも、同じですね」
不意を突かれたように、マリウスが目を瞬かせる。
「……ブランゲル様と比較されるのは、さすがに畏れ多いけれど」
苦笑しながらも、どこか嬉しそうに言う。
「でも、そう言ってもらえるのは光栄だね」
「事実だ」
短く、しかし迷いなくシマが言った。
それ以上の説明はいらない、と言わんばかりの一言。
マリウスは一瞬黙り込み、そして小さく息を吐いた。
その表情には、納得と、わずかな誇らしさが滲んでいた。
再びサロンに広がる、穏やかで温かな空気。
笑いと信頼が混じり合ったその場は、もはや主と客、貴族と傭兵という枠を軽々と越え、ひとつの「輪」として確かにそこに存在していた。
サロンの熱気がようやく落ち着きはじめた頃。
ソフィアが、一歩前に出る。
「団長さん……」
視線をシマに向け、ぺこりと頭を下げた。
「彼女、幼馴染なんです」
それを受けて、クララがにこやかに続ける。
「私たちの友達でもあるわ」
ヒルダも小さく頷き、控えめに微笑んだ。
シマは一瞬だけキャシーを見る。
王家特別監察官という肩書きを脱いでも、背筋の通った佇まいは変わらないが、今はどこか肩の力が抜けているようにも見えた。
「普通に話せばいい——」
そう言ってから、ふと思い出したようにマリウスを見る。
「……今は任務中か?」
マリウスは軽く首を縦に振った。
「そうだね…今日の夕方からは自由にしていい」
キャシーに向かって、柔らかく告げる。
「ゆっくりするといいよ」
「ありがとうございます、マリウス様」
キャシーは深く頭を下げた。
その空気を切り替えるように、エリジェがぱっと手を叩いた。
「あッ……!」
何かを思い出したように目を輝かせる。
「私たち、アレをしましょう!」
「……アレ?」
首を傾げる周囲をよそに、エリジェはエリカの方を見る。
「ほら、エリカが言ってたじゃない。なんとか会」
「……女子会、ですか?」
少し照れたようにエリカが言う。
「そうそれよ!」
エリジェは満足そうに頷いた。
「父上たちは飲みに行くそうだし、私はシマとマリウス、ロイド、オスカーと一緒に、おとなしく城で飲むことになっている」
ジェイソンがそう告げる。
「女子会ですか……?」
デシャンが顎に手を当てる。
「聞き慣れぬ言葉ですが、何やら華やかな会になりそうですな」
「ええ、女性だけの集まりなのよ」
エリカが胸を張る。
「早速準備をしましょう!」
エリジェの一声で、女性陣が一斉に湧いた。
「楽しみだわー!」
「練習の後だし、汗を流したいわ!」
「うちのお風呂を使えばいいわよ!」
エリカの言葉に、さらに声が重なる。
「着替えは?!」
「リンスはある?!」
「場所はどこに?!」
一気にサロンが騒がしくなり、使用人たちが慌てて動き出す。
その喧騒の端で、フレッドがぽりぽりと頬を掻きながら、メリンダに声をかけた。
「なあ……お前、よくエイラたちに合わせられたな」
片膝をつき、首を垂れたあの一糸乱れぬ動きを思い出しているのだろう。
メリンダは少し照れたように笑った。
「私もね、公演に出るのよ」
そして続ける。
「みんなと一緒に練習しているうちに、何となく合わせられるようになってきたの!」
「……人って順応するもんだな」
フレッドは感心したように呟いた。
一方その頃、トーマスはノエルの前に立ち、深々と頭を下げた。
「ノエル、すまん!」
その声には切実さが滲んでいる。
「ウチの家族が別室にいるんだが……面倒を見てくれないか? 本当にすまない!」
ノエルは驚くでもなく、柔らかく微笑んだ。
「いいわよ」
さらりと答える。
「私が言いだしたことだもの。あなたのご家族を招待したいって」
少し考えてから言った。
「……アパパ宿に連れて行った方がいいわね」
「そうしてくれると助かる」
トーマスは心底ほっとしたように息を吐いた。
そのすぐ近くでは――。
「この……暴力女めッ!」
腹を押さえながらザックが呻く。
マリアが小首を傾げ、にっこりと微笑んだ。
「あら、なんのことかしら?」
そして、わざとらしく首を傾ける。
「確か……どんな攻撃も俺には効かねえ、って豪語してたのは、どこの誰だったかしらね?」
「……グッ……」
言葉に詰まるザックを見て、周囲からまた笑いが起きる。
女子会の準備に奔走する女性陣、気楽な冗談を飛ばし合う男たち。
城の中は、いつの間にか“傭兵団と侯爵家”という枠を超え、まるで大きな家族のような賑わいに包まれていた。
使用人に案内され、ノエルは城の別室の前に立った。
控えめに――コンコン。
その瞬間。 中にいた大人たちは一斉にビクゥッ!!と肩を震わせた。
「は、はいっ! た、ただいま……!」
情けないほど上ずった声を上げながら、アンが立ち上がりドアへ向かう。
しかし緊張のせいか、足がもつれて思った通りに進まない。
使用人が静かにドアを開け、にこやかに言った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ノエルがぺこりと頭を下げた、その瞬間――。
「ノエルゥ~~ッ!!」
アンとイライザが半泣きで飛びついた。
「助けてぇ……!」
「ここ怖すぎるのよ……!」
「ちょ、ちょっと、お義姉さんたち、落ち着いて……!」
ノエルが抱き止める間もなく
「あっ! ノエルお姉ちゃんだ!!」
「ほんとだー!!」
子供たちが一斉に突撃。
ノエルの腰、足、背中に張りつき、まるで人間雪だるま。
「うわ、ちょ、みんな一気に来ないで……!」
その光景を見て、カウラスは椅子に崩れ落ちた。
「……た、助かった……」
魂が半分抜けた声だった。
「ふぅ~……」
マーサは胸に手を当てて大きく息を吐く。
「ノエルさんが来てくれて、これで一安心だわ……」
その横で、ガンザスが遠い目をしながらぼそり。
「……早く、ここから離れたい……」
豪奢な城の一室。だが彼らにとっては、もはや試練の間でしかなかった。




