カシウム城ヘ直行?!
城塞都市が、見えてきた。
遠くからでもわかる、巨大な城壁。
長い年月をかけて積み重ねられた重みと威圧感を放っている。
その内側にあるのは、富と権力、守られた生活――少なくとも、外から見ればそう思える世界だ。
だが。
その城壁の“外側”に、視線を落とした者は、言葉を失う。
壁に張り付くようにして、簡易な住居群が広がっていた。
それは整った街並みとは程遠く、秩序も、美しさもない。
テント。腐りかけた木材で組まれた枠組み。
布をかけただけの掘っ立て小屋。雨風をしのぐだけで精一杯の、脆い住まい。
だが、そこには――確かに、人の営みがあった。
干された布切れ。焚き火の跡。
子どもを抱いた女の姿。疲れた顔で行き交う人々。
シマたち一行の中で、馬車を進めながら、その光景を真っ直ぐに見つめている子どもたちがいた。
エバンス、アニー、ウエンス、ミライ。
彼らは、言葉を発さず、ただ目を凝らしていた。
「……よく、見ておけ」
低く、しかしはっきりとした声で言ったのは、トーマスだった。
「中に、入れない者たちだ」
子どもたちの視線が、揺れる。
「今は、まだ理解できないだろう」
トーマスは続ける。
「自分たちが、どれだけ恵まれた環境にいるのかも」
言葉は淡々としていた。
だが、そこには突き放す冷たさはなく、現実を直視させようとする強さがあった。
子どもたちは、何も言わない。
だが、その目は逸らされなかった。
しばらくして、トーマスは少しだけ視線を横にやる。
「……厳しいか?」
問いかけた相手は、子どもたちではない。
長兄ガンザス、次兄ダンドス。
そして、義姉のアンとイライザにだった。
一瞬の沈黙。
やがて、ガンザスが静かに首を振る。
「……いや、そうは思わん」
低く、落ち着いた声だった。
「お前は、俺たち以上に世の中を知っている」
ちらりと、城壁の外を見やる。
「……厳しさもな」
その言葉に、ダンドスも黙って頷いた。
普段なら、何かと口うるさい義姉たちも、この時ばかりは何も言わなかった。
彼女たちは理解していたのだ。
これは叱責でも、恐怖を与えるための言葉でもない。
子どもたちが、何かを感じ取るための“機会”なのだと。
子どもたちが、何を思い、何を感じたのか。
それを、トーマスは知る由もない。
だが――これが現実だと、教えなければならない。
その思いだけは、確かだった。
シマたちは、その背中を見ていた。
トーマスなりの厳しさ。そして、間違いなくそこにある優しさ。
何も言わずとも、理解していた。
トーマスの両親――カウラスとマーサもまた、息子を見つめていた。
かつての面影と、今の姿を重ねながら。
(……大きく立派になったな)
二人は、改めてトーマスの成長を感じていた。
やがて、一行が城門に近づくと、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ハアッ……ハア……!」
息を切らしながら、衛兵が駆け寄ってくる。
「シャイン傭兵団の皆様だと、お見受けします!」
その声に、フレッドが眉を上げる。
「……よく、俺たちがシャイン傭兵団だと分かったな?」
「ジトー、ザック、トーマスは、遠くからでも目立つからじゃない?」
オスカーが笑いながら言う。
「ハハ……その通りでございます」
衛兵も苦笑する。
「お三方は、特に」
視線は、揃って三人へ。
「これだけの大男が三人も揃っておるのは、シャイン傭兵団だけじゃからな」
ヤコブが、もっともらしく頷く。
「それだけじゃねえだろ?」
そこで、ザックが胸を張った。
「この、あまいマスクも関係してるはずだ!」
親指で自分を指し、得意げに続ける。
「フッ……罪な男だぜ、俺って男は……!」
そして。
「ワハハハハハ!!」
豪快な笑い声。
……。
(コイツ、何を言ってるんだ?)
(遠くからじゃ顔の判別はわからねえだろ)
シマをはじめ、周囲の者たちは、揃って無言になる。
「キュウ~……?」
仔狼のアルも首をかしげ、不思議そうに鳴いた。
「……バカは放っておこうぜ」
ジトーが、あきれたように言う。
「フフフ……何も、そこまで言うことは……」
ロイドは笑いを堪えながら、肩を震わせていた。
シマは小さく肩をすくめると、衛兵へと歩み寄る。
「わざわざ、駆け寄ってきてくれてありがとうな」
そう言って、水袋を差し出した。
城門の前。城の内と外。
現実の重さと、変わらぬ日常。
それらすべてを抱えたまま――
シマたち一行は、城塞都市へと足を踏み入れようとしていた。
城門前で待っていたのは、若い衛兵だった。
その顔を見て、何人かがすぐに思い出す。
「……お、キースじゃねえか」
フレッドが気軽に声をかける。
「は、はい! お久しぶりです!」
背筋をぴんと伸ばしたのは、もはや顔なじみとなった若き衛兵キースだった。
その横には、同じく若い衛兵が二人。
やや緊張した面持ちで、シャイン傭兵団の一行を見上げている。
「カシウム城へお連れするよう、通達が出ております」
キースはそう言って、一礼した。
「事前に、近いうちシャイン傭兵団団長シマ様をはじめとする一行が到着すると聞かされていましたので……」
言葉は丁寧だが、声の端に隠しきれない高揚が混じっている。
フレッドが周囲を見渡し、首をかしげた。
「あれ? 前に来た時より、ずいぶんにぎやかだな」
視線の先――城塞都市の内側は、以前とはまるで別物だった。
「こんなに人でごった返してなかったはずなんだが」
「僕も、こんな光景は初めてです……」
キースも同意するように言う。
「上役の方が、シャイン傭兵団の公演が関係しているんだろう、と話していました」
城塞都市内へと足を踏み入れた瞬間、熱気が一行を包んだ。
露天通りは、まさに人、人、人。
露店の呼び声、行き交う人々のざわめき、笑い声。
荷を担いだ商人、立ち止まって話し込む旅人、子どもたちのはしゃぐ声。
「……すごい」
思わず漏れたのは、マーサの声だった。
カウラス一家は、完全に圧倒されていた。
大人たちでさえ目を奪われる光景に、子どもたちは文字通り目を白黒させている。
「こりゃあ……」
カウラスも、あたりを見回しながら言葉を失う。
その様子を見て、ジトーが眉を寄せた。
「カシウム城に行く前に」
キースへと声をかける。
「家族……仲間たちと合流したいし、宿の予約も入れたいんだが?」
一瞬、キースは困ったような表情を浮かべた。
「それが……」
言いづらそうに続ける。
「宿は、もうどこも満室です」
一同がどよめく。
「他のシャイン傭兵団の皆様も、複数の宿に分かれて泊まっています」
キースは申し訳なさそうに頭を下げる。
「今回は、大団体で来られていますので……必要とあらば、カシウム城にお呼びすることもできますが?」
「家族連れで来た人たちも、いるはずだよ」
オスカーが言う。
「今は、色々な場所を回ってるかもしれない」
時刻は、ちょうど昼時。
城塞都市の活気が、最高潮に達する時間帯だった。
「聞いたところによると……」
キースが思い出したように言う。
「昼頃になると、エリカお嬢様やサーシャさんたちは、グレイス・ルネ劇場に通っているそうです」
「リハーサル、だろうな」
シマが呟く。
「残念だったな?」
ザックが、にやりと笑ってジトーを肘でつついた。
「ミーナに会えなくて」
「ヘッ」
ジトーは腕を組み、堂々と胸を張る。
「俺たちは、離れていても心でつながってるからな」
完全なドヤ顔だった。
「同じく」
ロイドが真顔で頷く。
「だな」「僕も」
トーマスも、オスカーも賛同する。
「……藪蛇だったな」
フレッドが小さく呟き、すぐに話題を変える。
「それより、オスカー。いいのか?」
両親――オイゲンとカタリーナのことだ。
「そのうち、すぐに会えるだろうから別にいいよ」
オスカーは肩をすくめる。
「今、問題なのは……」
視線を、カウラス一家へ向けた。
「カウラスさんたちだよ」
「うむ」
ヤコブが、顎に手を当てる。
「焦点が合っておらんのう……なんとか、せねばいかん」
その時。
「キュウ……キュウ!」
シマの腕に抱かれていた仔狼のアルが、鳴き声を上げた。
小さな体をもぞもぞと動かし、カウラス一家の方を見ている。
呼びかけているのか。それとも、「戻って来い」とでも言っているのか。
カシウム城へと続く道に入った途端、あれほど耳を打っていた喧騒が、嘘のように遠ざかっていった。
露天通りのざわめき、商人の呼び声、子どもたちの笑い声。
それらは背後に押し流され、代わりに足音と衣擦れの音だけが、石畳に静かに反響する。
「……静かだな」
ダンドスが小さく呟いた。
人の流れが減り、空気そのものが張り詰めていく。
城に近づくにつれ、城塞都市の中心部が持つ、独特の重さが肌にまとわりつく。
先ほどまで人の多さに気圧され、ようやく正気を取り戻したかに見えたカウラス一家だったが――
それも束の間だった。
視界が開け、カシウム城の全容が姿を現した瞬間。
大人たちは、再び言葉を失った。
高くそびえる石壁。無駄のない堅牢な造り。
威圧ではなく、圧倒的な「格」がそこにある。
だが、先ほどとは決定的に違う反応があった。
「……素敵」
ぽつりと零れたのは、アニーの声だった。
その瞳は、恐怖ではなく憧れに輝いている。
「ふわぁ~……」
エバンスとウエンスは、もはや言葉にならない声を漏らし、口を半開きにして城を見上げていた。
「……これが、おしろ?」
ミライが、きょとんとした顔で問いかける。
子どもたちは、怯えてはいなかった。
むしろ、胸を高鳴らせ、未知の世界を前にした純粋な驚きを全身で表している。
城門前に立つ一人の男が、静かに一行を迎えた。
背筋を伸ばし、無駄のない所作。その佇まいだけで「できる男」だと分かる。
「シマ様。お久しぶりでございます」
ネリ・シュミッツだった。
「よう、久しぶりだなネリ」
シマは気負いのない声で応じる。
「……だから“様”付けはやめてくれって言ってるだろ」
「そういうわけにはいきません」
ネリは即答し、苦笑を浮かべて続けた。
「どうか、ご容赦ください」
それから振り返り、キースたち若い衛兵に向けて言う。
「キース。皆、ご苦労だったね。もう職務に戻りなさい」
「ハッ!」
三人は一斉に敬礼し、きびきびと踵を返す。
「ありがとな~!」
去っていく背中に、シマたちが声をかけた。
キースは一瞬だけ振り返り、誇らしげな表情を浮かべてから、走り去っていった。
城内へと足を踏み入れる。
サロンへ向かう回廊は静まり返り、柔らかな光が差し込んでいた。
シマたちに対しては、もはや武器類の確認も、帯剣の許可を問われることもない。
それだけ、ブランゲル侯爵家からの信頼が確固たるものになっていた。
ネリと談笑しながら歩くシマたちの様子は、まるで旧知の友を訪ねるかのようだ。
「……その仔は?」
ネリの視線が、シマの腕の中へ向く。
「目が赤い……珍しい種ですね?」
「まあな」
シマは、それ以上を語らなかった。
「キュキュウ」
アルが小さく鳴く。
「挨拶でもしておるのかのう」
ヤコブが目を細める。
「なあネリ、飯と酒は用意してあるか?」
ザックが、当然のように尋ねる。
「もちろんです」
ネリは即座に答えた。
一方で、トーマスはミライを抱き上げながら歩いている。
「ミライ。大声出さないようにな」
ミライはこくりと頷き、きょろきょろと周囲を見回す。
アニー、エバンス、ウエンスは、それぞれロイド、フレッド、オスカーに手を引かれ、落ち着いた足取りで進んでいた。
対照的だったのは、カウラス一家の大人たちだ。
まるで操り人形のように、ぎこちなく足を運び、言葉を発しない。
背筋は強張り、視線は定まらない。
(……無理もないか)
ジトーは、内心でそう思う。
農民が、いきなりこんな場所へ連れて来られたのだ。
城の中を歩いているという事実だけで、現実感が追いつかなくなる。
ある意味では――可哀想ですらある。




