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光を求めて  作者: kotupon


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483/532

「乾麵」と「粉末スープ」

リーガム街、領主館応接間。


デシンスは一瞬だけ視線を伏せ、覚悟を決めたように顔を上げる。

「…品名は仮ですが――『乾麵』、そして『粉末スープ』です」


 聞き慣れない言葉に、マリウスたちが眉を寄せた。


 だがマリウスは、促すように静かに頷く。

「続けて」


 デシンスは卓上に小さな包みを置いた。

 中から現れたのは、束ねられた淡色の細長い麺。

「乾麵は…保存は常温で長期可能。湿気にさえ気を付ければ、数ヶ月――環境次第では一年以上持つのでないかとエイラ嬢が予想しています」


 ざわ、と小さなどよめき。


「粉末スープは、湯に溶かすだけで、即座に汁物になります。乾麵と合わせれば、一食分が数分で完成します」


 マニー・シモンズが、椅子の背から身を乗り出した。

「……それは」


 言葉を探すより先に、頭の中で計算が始まっている顔だった。

「補給線が伸びきった状況でも、炊事兵の負担が激減するな」


 クリヤー・シャハリが続く。

「薪も、水も、使用量が抑えられ、鍋ひとつで済む……いや、場合によっては器だけあれば…」


 マリウスは、静かに息を吐いた。


 兵站。

 勝敗を分ける、もっとも地味で、もっとも重要な要素。


「行軍中に“温かい食事”を確実に供給できる意味が分かるかい?」

 マリウスの問いに、周りにいた者たちは即座に頷いた。


「士気が違うでしょうな」

「体力の回復速度が変わるのでは?」

「病人が減る可能性もあり得ます」


 答えは矢継ぎ早だった。


 乾パンや干し肉では、どうしても偏る。

 胃に重く、喉を通りにくい。

 疲労が溜まった兵ほど、食が進まない。


「粉末スープがあれば……」

 マニーは低く呟いた。

「負傷兵や衰弱者にも、即座に栄養を入れられる」


 その瞬間だった。

 それまで黙って聞いていた商人、カレマルが、ゆっくりと背筋を伸ばした。


「乾麵は、軽い。粉末スープは、嵩張らない」

 カレマルは指を折りながら言う。

「保存が利く。調理が簡単。失敗が少ない」


 そして、確信を込めて言った。

「これは……軍だけの話じゃありませんぞ」


 マリウスが視線を向ける。

「街道警備隊、憲兵、開拓民、鉱山、遠隔地の駐屯地……売り先はいくらでもあるね…」


 カレマルは、思わず笑ってしまったように息を吐いた。

「いえ、売り先だけではありません」

 声が弾む。


「“必要とされる理由”が、はっきりしすぎています」

 商人にとって、それ以上の追い風はない。

「天候に左右されない。料理人がいなくても成立する」


 そして、ぽつりと。

「……これは、売れる」


 マリウスは、ゆっくりと腕を組んだ。

「エイラ嬢とミーナ嬢は」


 口元に、わずかな笑みを浮かべる。

「最初から、こちらを本命に据えていたのかな?」


 否定は、なかった。


 濡れない、浸みこまない装備は――守り。

 だが、乾麵と粉末スープは――支える力。

 戦場でも、街でも、国でも。


 それを理解できる者だけが、今、この応接間に座っていた。


 「……では」

 おずおずと、しかし一歩前に出たリットウが口を開く。

「実際に、作り方と味を確かめてみましょう」


 場の空気が、わずかに和らぐ。


「いいですな!」

 真っ先に応じたのは、リーガム領軍団長マニー・シモンズだった。

「やはり、食してみなければ分からぬこともありますからな」

 軍人らしい、率直な判断だった。


 ダルソンが周囲を見渡す。

「熱湯と器……木椀をいくつか、ご用意いただけますか」


「それと」

 キリングスが続ける。

「クズ野菜や、余り物の干し肉があれば。実際の野営に近い形で試した方がいい」


 その一言に、マニーが大きく頷いた。

「まったくだ」


 執事長クレメンスは、静かに一歩下がり、使用人たちへ目配せを送る。

 言葉は不要だった。


 数分もしないうちに、盆に載せられた木椀が運ばれてくる。

 数は五つ。簡素だが手入れの行き届いた器と、金属製のフォークが添えられていた。


 続いて、小さな籠に入れられたクズ野菜――端材の根菜、刻まれた葉物。

 そして、細かく刻まれた干し肉。


 まさに、行軍中のありふれた材料だった。


「では、作ります」

 デシンスが前に出る。


 彼はまず、木椀一つ一つに、乾麵を適量入れていく。

 硬く、軽い音を立てて器に触れる麺。


 次に、クズ野菜を一掴み。

 干し肉を少量。


「特別な配分は要りません」

 淡々とした説明。

「残り物で構わない。むしろ、そういう状況を想定しています」


 使用人が差し出した湯気立つ急須から、熱湯が注がれる。

 じゅ、と小さな音。

 乾いた麺が、湯を吸い、沈んでいく。


「蓋は、これで」

 デシンスは紙を取り、木椀の上にそっと乗せた。

「熱が逃げないようにします。……凡そ、三分から五分。硬い麺が好きな方は、もう少し早くても構いません」


 その言葉に、マニーが笑う。

「軍には、歯の丈夫な者が多いからな」


 場に、軽い笑いが走る。


 三分が経過した頃。

 デシンスは革袋を開き、中から紙包みを取り出した。

 一つ一つ、丁寧に折られた小分け。


「これが、粉末スープです」

 そう言って、五つの木椀それぞれに振り入れていく。


「一包で、一食分」

 軽くフォークでかき混ぜると、湯の色が変わった。

 薄く、しかし確かな香りが立ち上る。

 肉と野菜、塩味とほのかな香辛料。


「……」

 誰かが、無意識に息を吸った。


「それでは」

 デシンスは一歩下がり、言った。

「毒味として、俺たちが食べて見せます」


 その瞬間。


「一つ余っているな」

 マニー・シモンズが、迷いなく手を挙げた。

「俺が食べよう」

 軍団長自らが木椀を取る。


 木椀を手にしたその姿に、使用人たちが一瞬息を呑んだ。


 マニーは、紙を外し、湯気立つ麺を見下ろす。

「……見た目は、質素だな」

 だが、その声に失望はなかった。


 フォークで麺をすくい、口に運ぶ。ひと口。咀嚼。

 そして――「……ほう」短い、その一言。


 続けてもう一口。

「これは……」

 マニーは、ゆっくりと頷いた。


「悪くない、どころか……」

 目を細める。

「行軍中に、これが出てくるなら、兵は喜ぶ」


 デシンスたちも、それぞれ口にする。

 硬すぎず、柔らかすぎない麺。

 干し肉の旨味を引き立てるスープ。


「調理と言えるほどの手間もない」

 マニーは木椀を見つめながら言った。

「だが、確かに“食事”だ」


 応接間に、静かな納得が満ちていく。

 兵站を知る者、現場を知る者、そして価値を嗅ぎ取る者たちが、同じ一杯を囲み、同じ未来を思い描き始めていた。木椀の中の湯気は、確かに、新しい時代の匂いを孕んでいた。



湯気の立つ木椀が静かに卓上へ戻される。

 最後の一口を飲み干した者たちの表情は、皆一様ではなかったが、共通していたのは――軽視する者が一人もいないという事実だった。


 マリウスは、しばし黙って木椀を見つめていた。

 軍団長マニーの反応、商人カレマルの目の動き、側近たちの沈黙。

 それらを一通り確認してから、ゆっくりと口を開く。


「……シマには、驚かされてばかりだよ」

 その声には、呆れと感嘆が半分ずつ混じっていた。

「考えついたのは、シマだろう?」


 視線はデシンスへ向けられる。


「ハハッ……」

 デシンスは肩をすくめ、小さく笑った。

「こんなことを考えつくのは、アイツしかいませんよ」

 即答だった。そこに迷いはなく、誇張もなかった。


「……だろうね」

 マリウスは指を折りながら、静かに列挙する。

「シャイン式計算。牛糞燃料。新しい酒――ショウチュー。濡れない浸みこまないシリーズ。それに、今回の乾麵と粉末スープ」


 一瞬間を置き、苦笑する。

「リバーシに、スーツ……だったかな?」


 周囲から小さな笑いが漏れる。


「よくもまあ、次から次へと出てくるものだ」

 だが、その笑みはすぐに引き締まる。


「で――これは、卸してくれるのかい?」

 問いは、まっすぐだった。


「城塞都市での公演が終わった後にエイラ嬢とミーナ嬢が、こちらに伺うと言っていました」

 デシンスが答える。


「ああ」

 マリウスは軽く手を振った。

「その必要はないよ。私も公演を観に行くつもりだからね。公演後に、彼女らと直接交渉しよう」

 それは、次期領主としての意思表示だった。


「マリウス様」

 そこで、キリングスが一歩前に出る。

「少し、よろしいですか」


「もちろんだ」

 マリウスは即座に頷く。

「意見があれば、何でも言ってくれ」


「確証はありませんが……」

 キリングスは慎重に言葉を選んだ。

「エイラ嬢たちは、これをブランゲル侯爵家にも売ると、俺は見ています」


 場が静まる。


「直接聞いたわけじゃありませんが……」


「だろうね」

 マリウスは即答した。

「商売人なら、当然そうするさ。売れると分かっているものを、売らない理由がない」


「全くもって、その通りです」

 商人組合代表カレマルが、静かに口を開く。

「リーガム領だけに卸していては、その分、儲けも減ります」


 彼は顎に手を当てる。

「問題は……」


「他国、あるいは民間にも卸すのかどうか、だね」

 マリウスが言葉を継ぐ。


 軍団長マニーが、低く唸った。

「他国の軍が、これを手に入れたら……」

 視線が、木椀へ落ちる。

「正直、厄介ですな」

 その言葉には、現場を知る者の実感がこもっていた。

「兵站が変わる。それは、戦の形が変わるということだ」


 憲兵司令官クリヤーも、無言で頷く。


「彼女らの真意も、聞かねばいけないね」

 マリウスは、ゆっくりと椅子にもたれかかった。

「濡れない浸みこまないシリーズの件もある。あれも、何とかならないか相談する必要がある」


 そこで、側近のビリャフが一歩進み出た。

「となると……」


 一同の視線が集まる。


「シャイン商会、ブランゲル侯爵家、そしてホルダー男爵家、三者で会合を設ける必要がありますね」

 彼は静かに言った。


 その言葉に、誰一人として異を唱えなかった。

 木椀に残ったわずかなスープは、すでに冷め始めている。

 だが、その中に示された価値は、冷めるどころか――

 この応接間の誰もが、はっきりと理解していた。


 これは単なる“新商品”ではない。

 領地の力。軍の形。商の流れ。

 そして、国と国の距離を変えかねないものだ。


 マリウスは、心の中で静かに息を整えた。

 この波に、どう向き合うか。

 それを決める場に、自分は立っている。


 次期リーガム領主として――そして、シャイン傭兵団の「友」として。



 用意されていた乾麵は、全部で三十食分。

 それが当初の数量だった。


 試食と説明を終えたあと、デシンスたちは顔を見合わせ、短く頷き合う。

 そして、革袋から束ねられた乾麵を取り出し、卓上へと並べた。

「十四食分は我々で消費しましたので」


 続けて、ダルソンが淡々と告げる。

「残り十六食分を、試供品としてお渡しします」


 一瞬、場が静まった。


 軍人も、商人も、役人も、その意味を即座に理解したからだ。

 これは単なる“余り物”ではない。

 実地検証用として、意図的に残された数だった。


「……なるほど」

 マリウスは小さく息を吐き、乾麵を見つめた。

「十六食分、 少人数での試験にも、隊単位での検証にも、ちょうどいい」


 誰も言葉を挟まない。


 その沈黙の中で、マリウスは確信していた。

 この展開を、あらかじめ予想していた者がいる。それも、かなりの精度で。


 エイラ。ミーナ。


 交渉役をあえて同席させず、現場には「目録を渡し、代金を受け取るだけ」の人員を送り込む。

 だが、商品は“試せる分だけ”確保してある。要求されれば、即座に応えられるように。


 そして、その要求が出ることを――読んでいる。


 現時点で、そのことに完全に気づいている者は一人しかいなかった。

 マリウス・ホルダー。


 後に、何人かは理解するだろう。

 だが、「今この瞬間」にそれを見抜いているという事実が、彼が次期領主として、どれほど傑出した感覚を持っているかを、雄弁に物語っていた。


「よし」

 マリウスは背筋を伸ばし、場を見渡した。

「私が城塞都市にいる間」


 視線は、マニー、クリヤー、カレマル、アンソニーへと順に向けられる。


「君たちに任せる」


 一同が姿勢を正す。


「特に」

 マリウスは、わずかに笑みを浮かべた。

「カレマルとアンソニー。君らの働き次第で、ショウチューを譲る本数が変わってくるよ?」


 その一言に――


「お任せ下さい!」

 真っ先に声を上げたのは、役所代表アンソニーだった。

 普段は冷静な彼が、思わず前のめりになる。


「万事、抜かりなく!」

 続いて、商人カレマルも胸を張る。

 そして、口元を押さえ、ぼそりと付け加えた。

「……ショウチューのためなら」


「ん?」

 それを聞き逃さなかったのが、憲兵司令官クリヤーだった。

「なんだ?そんなに美味いんですか?」


「ああ、それはですね」

 アンソニーが、少し得意げに言う。

「クリヤー殿は、まだ飲んだことがないから分からんのです」


「……父上が独り占めしてるから」

 マリウスが、ぼそっと呟く。


 一瞬の沈黙のあと、くすりと笑いが起きた。


「あの……」

 カレマルが、思い出すように目を細める。

「お湯割りでしたか……いやあ、あれは……美味かったですなあ」


「ああ、お湯割りな」

 キリングスが大きく頷く。

「確かに美味いよな」


「ヤコブさんが作ってくれるショウチューのお湯割りは、特にな!」

 ダルソンが力を込める。


「なんというか……」

 リットウが、少し考えてから言う。

「ホッとするというか、整うんですよねえ」


 そうそう、と頷くデシンス、ダルソン、キリングス。


「ほう?」

 カレマルの目が輝く。

「整う、ですか?」


「ええ」


 アンソニーも身を乗り出す。

「それは、どういう……?」


 そこからは、しばし――ショウチューのお湯割り談議に花が咲いた。

 茶の種類。湯の温度。割る比率。夜営で飲む一杯と、仕事終わりの一杯の違い。


 軍人も、商人も、役人も、立場を忘れて語り合う。

 やがて、話題が一段落した頃。


 マリウスが、ふと思い出したように言った。

「そういえば……」

 視線をデシンスたちに向ける。

「ヤコブさん、だったかな?学者だと聞いている」


「ええ」

 デシンスが頷く。


「私は、まだ会ったことがなくてね」

 マリウスは、柔らかく微笑んだ。


「いやあ……」

 一拍置いて。

「シマたちに会えるのが、ますます楽しみになってきたよ」

 その言葉には、社交辞令ではない、本心からだった。

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