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光を求めて  作者: kotupon


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里帰り2

カシウム城内、応接間。


「……僅か半年ではあったが」

ブランゲル侯爵は背もたれに身を預け、低く落ち着いた声で切り出した。

「チョウコ町でのことを、聞かせてはくれんか」


その問いは穏やかでありながら、重みを伴っていた。

視線は娘――エリカに向けられている。


その瞬間、エリカは一歩、前に出た。

「……その前に、お父様」


応接間の空気が、わずかに張り詰める。


「私……正式に、シャイン傭兵団に入団します」

迷いのない声音だった。

宣言、と呼ぶにふさわしい。


一瞬の沈黙。


だがそれを破ったのは、エリジェだった。

「貴方を説得できたら、許可されるらしいわ」

冗談めかした言い方ではあったが、その目は真剣だ。


「……父上を説得させる前に」

今度はエリクソンが口を開く。

「俺が、力量を測ってみましたが……負けました」


カシウム領軍副団長。

ブランゲル侯爵の息子であり、その父に劣らぬ巨躯を誇る男。

鍛え抜かれた肉体は、鎧を纏わずとも武そのものを感じさせる。

「エリカが帰って来た初日です。模擬戦をしました」


その言葉に、ブランゲル侯爵の目が細まる。

「……ほう。油断したか?」

試すような問い。


「微塵も」

エリクソンは即座に、首を横に振った。

「真正面から、全力で……それでも、です」


その応答に、侯爵は何も言わなかった。

ただ、静かに娘を見つめる。


エリカは、かつての彼女とは違っていた。

出迎えの際に見せた感謝の言葉。労い。

自然に頭を下げた所作。


かつてのエリカは、貴族として、領主の娘として、人を見下すことこそなかったが、意識して敬意を示すこともなかった。

平等ではあったが、距離があった。


今は違う。

相手を「人」として見ている。

立場ではなく、生き方と覚悟を。


落ち着き。芯の強さ。揺るぎない自信。

そして――覚悟。


(戦場を知ったな)

ブランゲル侯爵は、そう直感する。


人を殺め。

己の弱さを知り。

それでも生き延び、這い上がった者だけが纏う気配。


「……シャイン傭兵団。シマたちと共に、生きるか?」

低く、重い問い。


「はい」

即答だった。

静かだが、はっきりとした声。

そこに迷いはない。


ブランゲル侯爵は、言葉を返さなかった。

代わりに、ゆっくりと立ち上がる。


「来い」

短い一言。


その背に、エリカが続く。

エリジェ、ジェイソン、エリクソン。

さらにアデルハイトとネリも、無言で後に続いた。


カシウム城の裏手。

重厚な石造りの建物に囲まれた中庭が、そこにあった。


ブランゲル侯爵が個人で使用する鍛錬場。

広さは五十メートル四方。

所々に刻まれた剣痕と槍痕。

数え切れぬほどの戦いと鍛錬を受け止めてきた場所だ。


ここで――父は、娘の覚悟を量る。


鍛錬場の中央に、ブランゲル侯爵は静かに進み出た。


壁際の武器架から木槍を一本、無言で手に取る。

その所作に無駄はなく、迷いもない。

その瞬間、侯爵の表情から――父としての柔らかさは完全に消え去った。


そこに立っていたのは、

アンヘル王国随一の武人と謳われる男。


長年の戦場と鍛錬が刻み込まれた肉体。

呼吸は深く、一定。

一歩も動いていないにもかかわらず、周囲の空気が張り詰め、重く沈む。


ただ「そこにいる」だけで、場を圧倒する存在感。

それは殺気ではない。

積み重ねられた勝利と生存が生み出す、抗いがたい――『威』。


対するエリカも、武器架へ向かう。

手に取ったのは木剣。

軽装鎧に身を包み、構えは自然体。

肩に力は入っておらず、視線も穏やかだ。


だが、その立ち姿には、確かな芯があった。


気負いはない。

畏れもない。

しかし、油断も慢心も存在しない。


研ぎ澄まされた静けさ。

自らの歩んできた道を疑わぬ者だけが纏う――『凛』。


『威』と『凛』が、正面から対峙する。


誰一人、声を発する者はいなかった。

開始の合図すら不要だった。


ブランゲル侯爵が、木槍を構える。


それだけで、空気が変わる。

槍先がわずかに揺れ、地を踏みしめる足に力が籠もる。


(――近づけない)

常人であれば、そう感じるはずだった。

槍の間合い。

一歩踏み込めば、命取りになる距離。


だが――エリカは、無造作に、無遠慮に、その間合いへ踏み込んだ。

躊躇はない。ただ「そこに行くべきだ」と知っている者の動き。


軽装鎧とはいえ、打ち所が悪ければ骨を砕く。

まして相手は、アンヘル王国随一の武人。

その一撃は、木槍であっても致命になり得る。


それでも、エリカは止まらない。


修練の賜物か。

あるいは長年積み重ねた戦場での経験か。


ブランゲル侯爵の身体が、自然と動いた。


――突き。


木槍が一直線に伸びる。

「ボッ」と、空気を切り裂く鈍い音。


だが、その瞬間――

エリカは懐へ飛び込んだ。


槍の軌道を読み、半身になってかわす。

紙一重。

穂先が鎧の表面を掠める感触が伝わる。


ブランゲル侯爵は右利き。

突きを繰り出した瞬間、左手が前に伸びる。


エリカは、その左側面を見逃さなかった。


身体を低く沈め、死角へ潜り込み、

木剣を――横薙ぎに振るう。


胴を断つ軌道。


ブランゲル侯爵は、反射的に飛び退いた。

そこに余裕はない。必死の判断だった。


紙一重でかわした直後――

エリカは、間髪入れず追撃に移る。


ブランゲル侯爵は、無理な体勢のまま木槍を横薙ぎに振るった。

距離を取るための一撃。


今度は、エリカが後方へ跳ぶ。


木剣で受け止めるという選択肢は、最初からない。

膂力が違いすぎる。

受け止めれば、腕が痺れ、次の動きが死ぬ。


受け流す――横薙ぎを?


(無理)

一瞬で、そう悟る。だから、退く。


ほんの一瞬の攻防。

だが、その中に、数え切れぬ判断と経験が詰め込まれていた。


再び、二人は距離を取り、向かい合う。

『威』と『凛』。


互いに、相手の力量を理解した上で。

沈黙の中、次の一手を探る。


この戦いは――まだ、始まったばかりだった。



エリカの剣には、疑いようのない天賦の才があった。

カシウム領軍に在籍していた頃、彼女が剣で敗れることはほとんどなかった。

入隊当初、兵たちは皆、遠慮がちだった。

侯爵家の娘――その肩書きが、無意識のうちに刃を鈍らせていたのだ。


「お嬢様に怪我でもさせたら厄介だ」

「形だけでいいだろう」


そんな空気が、確かにあった。


だがエリカは、それを敏感に察していた。

本気で斬りかかってこない視線。

一歩引いた間合い。

剣に宿らない覚悟。


そして彼女自身もまた、怒りと苛立ちを剣に乗せていた。


やがて、兵たちの心境が変わる。

――気の強いお嬢様の鼻っ柱を、へし折ってやりたい。


そう思う者が現れ、次第に増えていく。

今度は本気だった。

力も速度も殺気も、すべてをぶつけてくる。


それでも――エリカは勝ち続けた。

天賦の才。

柔軟な身のこなし。

相手の癖を一瞬で見抜く観察眼。


挑んだ兵士たちは、次々に敗れ、やがて悟る。

彼女は「侯爵家の娘」ではない。

一人の兵士であり、一人の剣士なのだと。


そうしてエリカは、確かな評価を得た。

剣で語り、剣で立つ存在として。


だが――チョウコ町、シャイン傭兵団では、それが通じなかった。


模擬戦。

相手は隊長格、副隊長格。

最初の頃、エリカは負け続けた。


技が通じない。

間合いが詰められない。

体力で押し潰される。


悔しさに歯を噛み締め、夜明けまで剣を振った。

走り込み、基礎を磨き、考えた。


やがて体力が付き、戦い方も変わっていく。

天賦の才に加え、戦略を組み立てるようになる。

誘い、罠を張り、勝機を作る。


勝てるようになった。

確かに、勝てるようになったのだ。


だが――そこまでだった。

再び、勝てなくなっていく。


理由は単純だった。

隊長格、副隊長格の面々が、シマたちシャイン隊に徹底的にしごかれていたからだ。


日々、限界を超える鍛錬。

生死を分ける実戦。

その中で彼らは、加速度的に強くなっていった。


それこそ、化け物じみた域へ。

当人たちは、自覚していない。

だが確実に、人の枠を踏み越え始めていた。


どれほど戦略を練っても、

どれほど才があっても、

最後は体力と力で押し切られる。

剣を振る腕が重くなり、足が止まり、その瞬間を逃さず叩き潰される。


エリカは、思い知った。

――才だけでは、届かない場所がある。


エリカの剣が、決定的に変わったのは、『ドノヴァン砦の戦い』の後だった。

肉を切り、骨を断つ感触。

剣越しに伝わる、生々しい抵抗。

崩れ落ちる敵兵。

死にゆく男の、焦点の合わない目。


戦いが終わった夜、エリカは恐怖に襲われ、一晩中泣き崩れた。

手が震え、剣を握ることさえできず、自分がしてきたことの重さに押し潰されそうになった。


それでも――エリカは、立ち上がった。

逃げなかった。剣を捨てなかった。


その後、彼女の剣は変わっていた。

一撃一撃が、重い。

技術ではなく、覚悟が乗る。


斬ると決めた瞬間、迷いが消える。

相手の懐へ飛び込むことを、恐れなくなる。


天賦の才は、そこでさらに開花した『後の先』。


相手が動くより早く動くのではない。

動きを見てから対応するのでもない。


――感じる。

振るわれる槍、剣。

その軌道を、視覚ではなく、肌で捉える。

次の瞬間、懐に入り、ショートソードが閃く。


あるいは、間合いが潰れた瞬間、体捌きで懐に入り、

アイキドーによる投げ技で地に叩き伏せる。


剣だけではない。

身体そのものが武器となる。


それは、戦場を知り、人を殺め、己の弱さを知った者だけが辿り着く境地。


エリカの剣は、もはや「才ある剣」ではなかった。

覚悟と生存を背負った、

生きるための剣へと変わっていた。


そして今――

その剣が、父であるブランゲル侯爵の前に、静かに突きつけられている。

それは、娘の剣ではない。

一人の戦士としての、答えだった。


木槍の穂先が、ゆらり、ゆらりと円を描く。

一定のリズムはない。


わずかに上下し、時おり鋭く跳ねるように軌道を変え、虚と実の境を曖昧にする。

牽制。そして――拒絶。


そこには、明確な意思があった。

(懐には――入れさせん)


ブランゲル侯爵の足運びは重く、しかし静かだ。

地を踏みしめるたび、踏圧が土へと染み込み、間合いそのものを押し広げていく。

槍という武器の本質を、骨の髄まで理解した動き。


長柄武器は、突くためのものだと思われがちだ。

だが、真に恐ろしいのは「間合いを支配する」点にある。

近づかせない。踏み込ませない。

そして――来た瞬間に、殺す。


穂先が一瞬、わずかに下がる。

フェイントだ。


だがエリカは、微動だにしない。

木剣を正中に構え、呼吸ひとつ乱さず、視線は穂先のさらに奥――侯爵の肩と腰を同時に捉えている。


(……引っかからんか)

ブランゲル侯爵は内心で舌を打つ。


最初の一撃。

それは、もはや技とすら呼べない。

「間合いに入ってきた者を、突く」


何万回。何十万回。

戦場でも、鍛錬でも、身体に叩き込んできた動作。

考える前に、身体が動く。

意識するより早く、腕が伸びる。


――突き。

鋭い踏み込み。木槍が一直線に走る。

その瞬間、ブランゲル侯爵の脳裏を、微かな違和感が掠めた。


(……マズイッ!)

警鐘のように鳴る直感。

(今のタイミングだと……入られていたか……?)


穂先が伸び切るより、ほんの一拍早く、エリカの身体が沈む。

半身。視線を切らず、体軸だけをずらす。


木槍は、紙一重で空を裂いた。


侯爵は即座に引く。

突きよりも、引き。

槍という武器の真骨頂。


だが、エリカは追わない。

追えない。

互いに距離を保ったまま、再び牽制が始まる。


穂先が揺れる。

木剣がわずかに角度を変える。


懐に入れさせたくない父。

懐に入りたい娘。


意志と意志が、無言でぶつかり合う。


観ている者にとっては、静止しているかのようにも見える。

だが実際には、無数の判断が交錯していた。


(……恐ろしい剣士になったな)

ブランゲル侯爵は、心の中で毒づく。

我が娘ながら――いや、だからこそ。


エリカは、父のフェイントをすべて見切っている。

槍先ではない。肩。腰。重心。

「次」を知っている。


牽制が、次第に張り詰めていく。

やがて、二人の呼吸が、同時に変わった。


――来る。

互いに、そう悟る。


「……エリカ」

ブランゲル侯爵が、低く言った。

「我が生涯で、最高の突きを見せてやる」

その声に、誇りと覚悟が滲む。


「光栄ですわ――お父様」

エリカは、微笑みすら浮かべて応じた。


その瞬間――「――ッ!!」

エリジェは、叫びそうになる。

やめて、と。もういい、と。

妻として。母として。


だが――この戦いに口を出すことは、二人の覚悟を汚すことになる。

唇を噛みしめ、声を殺す。


(どうか……どうか、お互い無事で……)

祈ることしか、できなかった。


ブランゲル侯爵が、動く。

踏み込み。突き。


だが、それは単なる突きではない。

伸ばすよりも、引くことに重きを置いた一撃。

相手が躱した、その「次」を殺すための突き。


エリカの視界に、槍の軌道が走る。

瞬時に、理解する。

(――このままでは、終わらない)


穂先を躱す。

だが、同時に――一歩、踏み込まれる。


石突が、襲い掛かる。


エリカは、木剣を振れない。

間に合わない。

選択は、一つ。――受ける。


木剣で、石突を受け止める。

鈍い衝撃。骨に響く重さ。


鍔迫り合いのような体勢で、二人の距離が、極限まで縮まる。


「……俺の勝ちだ」

ブランゲル侯爵が、低く言う。

「この体勢なら――頭突きを喰らわせている」


そう言って、一歩、距離を取る。


エリカも、同時に下がった。

そして――彼女は、口元に手をやり、何かを吐き出す。


小さな、鉄の釘。

指先に摘まみ、静かに掲げる。

「どうしてかしら――お父様?」

穏やかな声。

「もし、頭突きをしてきたら……」

エリカは、その釘を、ふっと息で揺らした。

「これを、吹き付けていましたわ」


一瞬の沈黙。


ブランゲル侯爵は、目を見開き――次いで、深く、息を吐いた。

「……参った」

それは、父としてではない。

武人としての、敗北の宣言だった。


鍛錬場に、静かな風が吹き抜ける。

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