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光を求めて  作者: kotupon


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サロン

 朝靄の残る道を、シャイン傭兵団の荷馬車がギシギシと木を鳴らしながら進んでいく。

夜明けの空に薄い雲が流れ、冷えた空気が乗り手たちの頬をかすめた。


 その荷台の一角で、チュチュがひときわ落ち着かない様子で身なりを整えている。

「く、クリフさん! お、俺の恰好……おかしくないですか?! だ、大丈夫でしょうか?!」


 声が裏返るほどの緊張に、クリフは額を押さえ、深々とため息をついた。

「……もう、何回目だよ。それ」


 隣でキースまで同じように袖を引っ張ってくる。

「お、俺も……変じゃないですよね……?」


 ふたりが着ているのは、クイレイ商家に急ぎで仕立てさせた真新しい服――

 白地が眩しいシャツは硬めの布で、着慣れていない肩に少し突っ張る。

 深い藍のズボンは折り目が直線的に落ち、靴は磨き上げられ、黒地の外簑は新品特有の匂いを放っていた。

 それらが余計に、ふたりの不慣れさを際立たせている。


 そんな様子を見ながら、フレッドが手をひらひらと振る。

「ちょっと会って、なんか貰って終いだろ? そんな気張るほどのことじゃねぇよ」


 ザックが腕を組み、鼻で笑った。

「酒でも出してくれりゃあいいけどな。王家秘蔵のワインがあるかもしれねえ」


「王家秘蔵……それは少し気になるねえ」

 ユキヒョウが目を細め、ケイトが苦笑しながら肩をすくめる。

「それなら、わたしもちょっと飲んでみたいかも」


「……お前ら、相変わらず緊張感ねぇな」

 ベガは呆れながらも、ふたりに優しく視線を向けた。

「チュチュ、キース。お前らが緊張するのはわかるがな……こいつらの後ろにくっついていけばいいだけだ。そんな硬くなるなよ」


「は、はひっ……」

 ふたりがそろって情けない返事をすると、フレッドが腹を抱えて笑い出した。

「ぷっ……わ、ワハハハ! なんだよ“はひ”って!」


「へ、返事にすらなってねえじゃねえか! ウハハハハ!」

 ザックも大笑い。


 チュチュとキースは耳まで真っ赤にして肩をすくめたが、その姿がまた彼らの笑いを誘う。


 やがて、ケレンズ伯爵邸が視界に大きく広がった。

 石造りの堂々たる屋敷、整備された庭園、朝の光を反射する大きな窓。


 門前で待っていたネリが一行を見つけ、軽い駆け足で近づいてきた。

「皆さま、おはようございます。さぁ、こちらへ。ブランゲル侯爵様もお待ちです」


 案内に従い進むと、応接間で大柄な人影が腕を組んで立っている。

 イーサン・デル・ブランゲル侯爵――威風堂々たる長身が、寝不足の隈とともにそこにあった。


「よう、ブランゲル……どうしたその顔は?」

 フレッドがずいと近寄る。ザックも顔を近づけ、目の下を指さした。

「ひでぇ顔だな。目の下に隈できてんじゃねえか」


「……書類仕事を手伝わされてな……。さっさと用事を済ませて王都を出るぞ」


「それな!酒場も娼館もやってねえし!」


「……朝から何の話してんのよ」

 ケイトが呆れつつも笑った。

「ブランゲル様、お久しぶりです。ケレンズ様、おはようございます」


「ケイト、おはよう」

 ケレンズ伯爵が柔らかく手を上げ、ブランゲルは彼女を見て目を丸くした。

「おお、ケイト嬢!しばらく見ない内に……益々綺麗になられたな!」


「エリカも綺麗になりましたよ。ブランゲル様が驚くほどに」


「ほう、それは会うのが楽しみだな!」


 そんな和やかなやり取りの横で、ケレンズ伯爵が急にケイトの手を掴む。

「そうそう!ケイト!何よあれ? “リンス”って言ったかしら? あれ、あなたたちが作ってるって言うじゃない?!」


「……義母上は忙しくて、すっかり忘れていたらしい」

 ブランゲルが苦笑し、背後からクリフの声が飛ぶ。

「おーい! いつまで話し込んでんだ?」


 ブランゲルはクリフ、ユキヒョウ、ベガへと視線を向けた。

「おお、クリフにユキヒョウとベガ! お前らとも久しぶりだな……。そっちの二人は初めて見るな」


 ネリがすぐに前へ出る。

「ブランゲル様。こちらはチュチュ殿、キース殿です」


「そうか……お前らがシャイン傭兵団の代わりに、スラムを治めるのだな?」


「は、はひっ!!」


 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、フレッドとザックの爆笑が屋敷前に響き渡った。

「ぷっ……あぁ、ダメだ……!」

「また、はひって……! ウハハハハ!!」


 チュチュとキースの緊張はまだ抜けないが、それでも――

 仲間たちの賑やかな声に包まれて、その背筋はわずかに伸びていた。

 ブランゲルも口元にごくわずかに笑みを浮かべた。



 ケレンズ伯爵邸を辞した一行は、そのまま伯爵家の紋章が刻まれた豪奢な馬車へと乗り換えた。

 深紅の内張りに金糸が縫い込まれ、外装には磨き上げられた銀の装飾。


 王都の大通りを進むごとに石畳の響きは静かになり、王城に近づくにつれ、衛兵たちの甲冑に朝の光が反射して眩しいほどだった。


「……お、お城って……でっか……」

 キースのつぶやきにチュチュは返事すらできず、小さく喉を鳴らすばかりだった。


 王城正門をくぐり、馬車が止まると同時に扉が開けられる。

 出迎えた近衛兵の動きは寸分の狂いもなく、無言の威圧感が頭上から降ってくるようだった。


 案内されたのは、王族と重臣だけが使う“第一サロン”。

 高い天井には琥珀色のシャンデリアが揺れ、壁には王家の歴代肖像画。整然と並んだソファは、どれも深い青のベルベット張り。


 その中央に――

 王、王妃、皇太子、宰相、ブライヒレーダー将軍、近衛師団長レームス、そして王家付き執事の姿が静かに待っていた。


 重い沈黙が一瞬だけ落ちる。


 先に膝を折ったのはブランゲル侯爵だった。

 続いてケレンズ伯爵、ネリ。

 その動きを真似ようとしたチュチュとキースは、ぎこちない動作で膝をつき、背筋を伸ばすのもままならない。


 残りのクリフたちは、いつも通りの立った姿勢のまま。

 その対比が余計にふたりの必死さを際立たせた。


 王が穏やかな声で言う。

「面を上げよ」

 その声は静かだが、部屋の空気を一瞬で引き締める響きを持っていた。


 チュチュとキースは慌てて顔を上げるが、視線をどこに置けばいいのかわからず挙動不審になる。

 王妃が口元に小さく笑みを浮かべた。


「さあ、席についてくれ」

 宰相の声で、重臣たちも各々の席へと腰を下ろす。

 チュチュとキースは、ネリが後ろからそっと袖を引き、どこに座ればいいのか教えられてようやく椅子に辿りつく。


「謁見の場でもよかったのだがな」

 王が背もたれに身を預け、ゆっくりと周囲を見渡した。

「ここなら気兼ねなく話せよう。……密約もあるし、公にはしたくないのだ」


 王妃が静かに頷く。

「それに――こういう場の方が、皆さんも肩の力を抜けるでしょう?」


 その言葉に、ザックとフレッドが同時に鼻を鳴らした。


 皇太子が彼らを見て、少し困ったように、しかしどこか楽しげに言う。

「君たちは……随分飲むらしいじゃないか? ワインを用意してあるけど、飲むかい?」


 その瞬間、フレッドが勢いよく手を上げた。

「おっ!気が利くな!ちょうどその話をしてたとこだ!」


 ザックも負けじと身を乗り出す。

「あれだろ?王家秘蔵のワインってやつだろう?!飲んでみてぇって話してたんだ!」


 サロンの空気が、一拍遅れて揺らぐ。

 だが――侮辱と捉える者は誰一人いなかった。


 むしろ、王が腹の底から響くような笑い声を上げた。

「ハハハハハ! そうだ、中々お目にかかれるものではないぞ!」


 皇太子も肩を揺らす。

「……こんな無遠慮な物言い、普通は叱責されるんだがね」


「でも、嫌味がない分、妙に気持ちがいいわね」

 王妃までくすくすと笑った。


宰相は「これは……新しい風だな」とでも言いたげに眼鏡を押し上げ、レームス師団長は口元を緩めた。

 

 ぞんざいな口ぶり。

 敬う姿勢もない。

 へりくだりもない。

 空気を読まない。

 本来なら不敬罪で首が飛んでもおかしくないのに――

 不思議と、この場を和ませてしまう。


 王は微笑しながら、グラスを手に取った。

「では――この奇妙に飾り気のない客人たちに、王家の秘蔵を開けるとしようか」


 サロンに控えていた執事が静かに頷き、重い木箱を運び込む。

 王族と重臣、そして傭兵団、チュチュとキース。

 その異色の面々が、同じテーブルに着いて酒を酌み交わす準備を始めていた。


 チュチュとキースはまだ緊張で震えていたが――どこか、場の空気は温かかった。


 王家秘蔵のワインが開けられ、サロンに芳醇な香りが広がった。

 深紅の液体はグラスに注がれるたび光を吸い込み、宝石のように輝く。

 王族も重臣も、そしてシャイン傭兵団も、それぞれに杯を掲げた。


 最初の一口が喉を通ると、場の空気は一気に和らいだ。

 王も皇太子も、ごく自然な笑みを見せ、硬かった宰相の頬の筋肉すら緩んでいる。


 ――ケレンズ伯爵が、王妃の方へ身を乗り出した。

「王妃様、聞いてくださいまし。彼らが、あの“リンス”を作っているそうですのよ」


「まあ!」

 王妃はぱっと目を輝かせ、ケイトの方を見つめた。

「“スノードロップ”のこと? あれは本当に素晴らしいわ。今ではエリジェから送られてくるのを心待ちにしているのよ!」


 ケイトは一瞬たじろいだが、すぐに微笑んで会釈する。


 ブランゲル侯爵がグラスを揺らしながら、ケイトへ尋ねる。

「ケイト嬢、あれの量産発注は難しいか?」


「チョウコ町の住人もだいぶ増えてきまして……。町でもそれなりに消費していますので、まとまった量の納品となると、少しお時間をいただくことになります」


 そこへ、宰相が興味深そうに眼鏡を押し上げながら言う。

「私も愛用していてな。家内も非常に気に入っておる。ぜひ欲しいのだが……何とかならんか?」


 その瞬間――


「め……眼鏡のくせに、“愛用してる”ってなんだよ!」

 フレッドが腹を抱えて笑い出した。

「ひゃっ……ひゃひゃひゃひゃ!」


 「そ、そんな短ぇ髪にリンス使っても意味ねぇだろ!!うひゃひーーっひひぃぃ~~っ!」

 ザックが床をドンドン叩きながら爆笑する。


 宰相は一瞬ぽかんとして、次の瞬間に顔を真っ赤にした。

「……め、眼鏡……?そ、そんなに笑わんでもいいだろうっ!こ、この無礼者がっ!!」


 だが、その怒声すら怒りというより照れ隠しで、勢いも弱い。


 王妃がくすくす笑いながら言った。

「でも確かに……短い髪なら、あまり意味はないわね」


「お、王妃様まで?!」

 宰相は椅子からずり落ちそうになるほどの衝撃を受け、その様子に一同は堪えきれなくなり――

 サロンが爆笑に包まれた。


 王は笑いすぎて腹を押さえながら

「ハハハ……こ、こんなに笑ったのは久しぶりだ……!」


 近衛師団長レームスでさえ肩を震わせ、ブライヒレーダーも爆笑。


 チュチュとキースは何がそんなに面白いのかまったく理解できないが

 周囲が笑っているので、つられて顔を真っ赤にして笑い転げる。


「ひ、ひゃっ……あ、あっひゃっ……王城でこんな……!」


キースは涙を浮かべ、チュチュは笑いすぎて椅子から転げ落ちそうになり、クリフに襟首をつかまれた。


 王妃が涙をぬぐいながら、ケレンズ伯爵に言う。

「まあ……本当に賑やかな方々ね。」


 ケレンズ伯爵も満面の笑みで頷く。

「ええ、王妃様。シャイン傭兵団は……“空気を壊す”代わりに、“心をほぐす”ことにかけては天下一品ですわ」


 王も深く頷き、グラスを掲げた。

「今日はよい日だ。亡き王子の喪も、悲しみも、少しは癒える……其方たちのおかげだ」


 ザックとフレッドはそれが褒め言葉だと気づいていないのか、

「お、王家の酒! 次、まだあるか?!」

「おい、皇太子! 秘蔵もう一本開けようぜ!」

 肩を組んで大盛り上がり。


 皇太子は苦笑しながら、

「……宰相、彼らに飲ませすぎると城が壊れるのでは?」


「……本気で心配になりますな……」

 そんな呆れ声すら、今のサロンには温かな笑いとして響いた。



 「忘れぬうちに、渡しておこう。」

 国王が静かに言葉を落とすと、背後の執事が恭しく歩み出た。


手には深紅の封蝋が押された二通の書簡。

王家の印璽が金糸のように光を反射し、周囲の空気が一瞬だけ緊張に包まれる。


 書簡を受け取ったクリフは、いつもの飄々とした顔をわずかに引き締めた。

王の前でも態度の変わらない男だが、書簡の重みだけは無視できなかった。


 「スラムの地は、正式にシャイン傭兵団の所有とする。加えて――特区として王家が認定した。」

 王の静かな声が、サロンの空気を震わせた。


 書簡には王の印璽だけではない。

今この場にいる重臣、すなわち国家の柱たちの署名がずらりと並ぶ。

これ以上の保証は存在しない。


 クリフは一通を胸に納め、もう一通をチュチュへと無造作に放った。

 「受け取れ。陛下並びに重臣の方々――助かる」

 短い言葉だが、そこにはクリフらしからぬ深い安堵が滲んでいた。


チュチュは瞳を丸くし、受け取った書簡を胸に抱く。

震える指先に、実感が宿っていた。



 サロンはやがて、緊張が解けたかのように和やかな談笑へと包まれる。

 ――サロンから笑い声が絶えなかった。


 だが、その一方で。

軍庁舎にてホルダー男爵は、部屋で机にかじりついている。

「……ったく。なんで俺が…?早く帰りたい…!」


 机の上には山のような書類。

 王葬の余韻など、男爵には一切ない。


 「はぁ……ブランゲル様たちは、今ごろ酒でも飲んで笑っているのだろうか……?」

愚痴のように漏らした声は、誰にも届かない。

 ――軍庁舎だけが戦場だった。

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