死刑執行
翌朝――王都アンヘルの中心広場は、まだ日も昇り切らぬ時刻にもかかわらず、すでに人で埋め尽くされていた。
前日に布告が出されてからというもの、王都民は昼夜を問わず広場周辺に押し寄せ、最前列を取るため夜通しで待ち続けた者も少なくない。
数万人――王都人口の五分の一近くが広場に集まっていると推測され、物々しい警戒の中でも熱気とざわめきは凄まじいものだった。
「今日……処刑されるんだってな」
「国家反逆の罪で? しかも二親等まで連座……」
「当然だ。第二王子が殺されたんだぞ」
ざわめきは、まるで祭事前の興奮に似ている。
だが、ここで行われるのは祝祭ではなく――断罪。
広場中央には木製の断頭台が二基、その周囲には騎士団が厳重に陣を敷き、民衆が殺到しないよう囲いを作っている。どこか乾いた緊張感が漂っていた。
やがて、鎖につながれた罪人たちが護送されてくる。
群衆が一斉に沸き立ち、怒号が飛び交った。
「――裏切り者ッ!」
「国賊がぁッ!」
「売国奴め! 恥を知れ!」
つばが飛び、罵詈雑言が空気を震わせる。
その勢いに押されて、最前列の者が石を投げつけた。
石はひゅ、と空を切り、罪人の頬を裂いた。
鮮血が飛ぶ。
それを皮切りに、次々と投石が始まった。
投石を受け続けるのは――
かつて王家特別監察官長官として絶大な権力を誇った、カーロッタ・デ・マッケンゼン伯爵。
そして外務政務官として辣腕を振るった男、オーギュスト・ド・スタール男爵。
二人とも両手を背で縛られ、猿ぐつわを嵌められ、身を縮めることすら許されない。
石が当たるたびに身体が震えるが、逃げられるわけもない。
群衆の怒号はさらに激しさを増した。
「よくも……貴様ら、よくも王子殿下を……!」
「人殺し! 反逆者! 首を落とせ!」
平民たちの怒りはただの憤りではなかった。
それは、時代の澱のように積もり積もった“特権階級への鬱屈”だった。
贅を尽くした食事。
絹や宝石を当たり前のように身に着ける暮らし。
大邸宅に仕える多数の使用人。
道で会っても庶民を見下し、礼儀を欠く者も多い。
表面上は「民を守る貴族」という建前がありながら、実態は庶民の生活からかけ離れた存在。
もちろん善良な貴族もいる。
ブランゲル侯爵のように武と節義を重んじ、民から慕われる人物もいる。
だが――悪目立ちする輩の方が印象を深く刻むものだ。
カーロッタ、オーギュストの両名は、その典型だった。
罪人たちが広場中央に連れてこられると、さらに重大な儀式が始まる。
二人の二親等――妻、夫、子、兄弟姉妹、祖父母、孫、異母兄弟姉妹らが、護衛に囲まれ次々と引き出されてくるのだ。
群衆がざわめいた。
「……本当に連座、やるのか」
「やるさ。第二王子が死んだんだ。例外なんてない」
親族たちは泣き叫ぶ者、怒りで顔を歪める者、ただ呆然と立ち尽くす者――
その視線すべてがカーロッタとオーギュストに向けられていた。
怨嗟、絶望、悲痛、狂気、諦念――
複雑な感情の渦が、広場にどす黒い影を落とす。
カーロッタの老母が、涙を流しながら倒れ込み、護衛に支えられた。
オーギュストの息子は猿ぐつわを噛まされたまま、父に向けてなにか叫び続けている。
だが声は聞こえない。ただその必死な眼差しだけが、痛々しいほどに父を責め続けていた。
罪人二人の表情が変わる。
初めて――恐怖でも後悔でもない、“理解”が宿った。
(……ああ。これは……私が……)
(……私のせいで……)
自分たちの軽率と傲慢が、何十人もの親族を死地に追いやった。
特権階級に胡座をかき、己の正義だけを振りかざし、国家をも揺るがす愚挙を働いた。
その報いが、今ここにある。
たとえ叫ぼうとも、許しを乞おうとも、もう遅すぎる。
猿ぐつわに噛まされ、泣き叫ぶことすら許されない。
やがて宰相リッベントロップ侯爵が壇上に現れ、冷然と宣言した。
「――これより、国家反逆罪に基づく死刑執行を行う」
群衆から歓声があがる。
誰ひとり、同情の声を上げる者はいなかった。
むしろ、反逆者が裁かれることを喜ぶ声が大多数だった。
アンヘル王国では、貴族とは“民を守るため国より特権を与えられた者”である。
そのために高い給金も出される。
それはすなわち、民から徴収された税金で賄われている。
それを忘れ、民を見下し、国を危うくした者たちに――情けは不要。
騎士の合図が鳴り響く。
断頭台への階段が強制的に引かれ、罪人たちが送られていく。
足は震え、表情は蒼白。
だが、その背後には親族が全員並び、彼らに向けられた怨嗟の視線が突き刺さる。
一歩。
また一歩。
断頭台の上に立った瞬間、カーロッタの顔がわずかに歪んだ。
自分の背後で、孫が泣き叫びながら身体を震わせているのが見えたのだ。
(……私の……せいで……)
オーギュストの喉からは、猿ぐつわ越しにくぐもった嗚咽が漏れた。
刃が落ちると宣告され、広場は息を呑むような静寂に包まれる――
全ての死刑執行が終わった。
断頭台の血を洗い流すために兵士たちが水を打ち、広場では未だ怒号と興奮が渦を巻いているが、王城へ戻る一行の周囲には、まるで別世界のように凛とした沈黙が漂っていた。
「オットー・ラリッシュ・フォン・アンヘル国王陛下、ゾフィー・ドロテア・フォン・アンヘル王妃、エーリッヒ・フォン・アンヘル皇太子が退席されるっ!」
声を張り上げる宰相リッベントロップの号令に合わせ、民衆はひざまずき、深々と頭を垂れる。
王はそれにゆっくりと応え、王妃と皇太子を促して馬車に乗り込んだ。
城へ戻ると、王はまっすぐに庭園へと向かった。
儀式の重さが身体にのしかかるように、歩みはわずかに重い。
それでも、彼にはどうしても見なければならないものがあった。
――薔薇だ。
王自ら丁寧に手入れを続けてきた薔薇園。
王妃が最も愛する花であり、皇太子が幼い頃からよく遊んだ庭。
そして今──慰められる場所があるとすれば、ここしかない。
満開の薔薇が、朝露を散らして咲き誇っていた。
「陛下……見事な薔薇ですわ」
王妃ゾフィーが、努めて明るい声を出した。
声の震えは隠せていない。
第二王子マキシミリアンを失った哀しみが胸を裂いているのだ。
それでも、夫を支えねばならないという気丈さが、その微笑みを形にしていた。
「……うむ。いい出来であろう」
王の声もまた明るく装われていた。
しかし、その笑みは痛ましいほどに無理があった。
普段の彼を知る者たち──王妃、皇太子、宰相、近衛師団長レームス──は皆、胸が締め付けられる思いで彼を見つめていた。
オットー王は本来、穏やかで争いを嫌う人間だった。
だからこそ、今日のような大規模な断罪、血が流れる儀式は、本来彼の望むものではなかった。
それでも国家の長として、父として、やらねばならなかった。
王妃はそっと歩み寄り、王の手に自らの手を重ねた。
「陛下……いいえ、オットー。無理は、しなくていいの。ここには誰もいないわ。誰も聞いていないわ……」
王の肩が、わずかに震えた。
宰相は黙して目を伏せ、近衛師団長は主の背を守るように静かに佇む。
皇太子エーリッヒは唇を噛み、父の痛みに寄り添いたい思いを必死にこらえている。
王は薔薇を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
「……済まぬ、ゾフィー。私が、王として……もっと強くあれば……」
「違います。あなたは……あなたのままでいいの。私は、そんなあなたを誇りに思っていますわ」
その言葉に、王の胸の奥で張り詰めていた何かが少しだけ緩む。
今日処刑された者たちの罪は重い。
しかし、それを決断した王自身もまた深い傷を負ったのだ。
雲間から日の光が差し込み、薔薇園が柔らかな金色に染まる。
その光は、王と王妃の肩を温かく包んだ。
しばし、二人は手を取り合い、ただ風の音と薔薇の香りに身を委ねた。
戦いは、終わっていない。
けれど今だけは──
夫婦として、親として、そして一国の柱としての悲しみを分かち合う時間だった。
王都にそびえる軍庁舎。
その最奥、ブライヒレーダー将軍の執務室は、朝から重苦しい緊張と紙の匂いに満ちていた。
執務机の上には山のような書類が積み上げられ、壁際には兵士名簿、指揮系統図、諸隊の編成一覧、家系図が並ぶ。
膨大な紙束の間を、将軍自身が鬼気迫る形相で捌いていた。
――王都内の全兵士一万五千名。
――駐屯地、国境防衛の兵を合わせれば三万を超える兵力。
そのすべてから、帝国の手先を洗い出す必要があるというのだ。
「何故、俺まで手伝わなければならんのだッ!」
吠えるのは、巨漢、ブランゲル侯爵である。
本来であれば、王城に控えて王命に備えるべき立場。
だが、宰相の命により、将軍を補佐する形で書類地獄に放り込まれていた。
「マキシミリアン様の葬儀が行われるまで暇だろうが!手を動かさんか、ブランゲル!」
ブライヒレーダー将軍が机を叩いて怒鳴る。
脂汗と緊張のにじむ表情。もはや武人というより孤軍奮闘する経理官のようだった。
「暇じゃない!! 俺は書類仕事が苦手なのだッ!」
苦悶のうめきを漏らすブランゲル。
普段なら勇猛な戦場の雄だが、紙を前にすると途端に弱体化する。
「だいたい、何で俺が筆など握らねばならん! これは書記官の仕事だ!」
「書記官総出でやっておるわ! それでも足りんのだ! 全隊を洗うのだぞ、全隊を!」
将軍の怒号が響くたび、執務室の中の空気が震えた。
壁際ではホルダー男爵が、震える手で書類に印をつけながらぼやき続けている。
「お、俺まで巻き込まれるとは……俺は、こういう仕事が一番苦手なのに……」
「ホルダー! 泣き言を言う暇があれば手を動かせ!!」
ブライヒレーダーの一喝。
男爵は「ひぃ」と情けない声を出して、慌ててペンを走らせた。
――軍全体の身元の洗い出し。
――帝国の手先はどこに潜んでいるかわからない。
カーロッタ・デ・マッケンゼンが捕らえられたことで、王都中に緊張が走った。
内部にスパイが紛れ込み、王家を揺るがす反乱の連鎖が生じたのだ。
その“目”を、徹底的に潰す必要があった。
「ネリ!」
ブランゲルが叫んだ。
壁際で淡々と書類を整理し、補佐官らに指示を出していた青年──ネリが振り返る。
「人手をもっと増やせんのか!?」
ネリは眉ひとつ動かさず、冷静な声で答えた。
「ブランゲル様。王都に連れてきた随行員、全員が既に投入されています。追加戦力はもうありません」
「なに……!?お前は優雅に指示だけしているように見えるぞ!」
「私は皆が効率的に動くための采配をしているのです」
「ぐぬぬ……っ! 嫌味なほど優秀だな、お前!!」
「お褒めに預かり光栄です」
涼しい顔のネリ。
一方でブランゲルは、書類の束を睨みつけて地団太を踏みそうな勢いだった。
「ええいッ! 不満を言ってる暇があったら手を動かせ、ブランゲル!」
「言われんでもやっておるわ!!」
両者の応酬は、半ば漫才に近くなっていた。
しかし、その背後にある事情は重い。
今回の内乱未遂で名簿は改竄され、身分調査はゼロからやり直し。
更に帝国の浸透工作が疑われ、各隊の指揮官は自隊の兵を信用しきれない状況にある。
「……王都に来て、何でこんなことをせねばならんのだ……」
ブランゲルは大きく肩を落とした。
「手が止まってるぞ、ブランゲル」
「止まってない! ちょっと休んだだけだ!」
「言い訳はするな!」
「いや、俺は……俺は戦場で輝くタイプなんだ! 書類など……!」
「黙らんか!!」
ブライヒレーダーの怒声に、執務室全体がぴしりと固まる。
緊張に包まれた空気の中、ただ筆先だけが走る音が響いた。
現実として、国の柱たる軍が揺らいでいる。
身元の曖昧な兵士が百人いれば、そこに帝国が紛れ込む余地は十分にある。
その危険を排除するためには、力仕事よりも地道な洗い出しが欠かせない。
しかし、武門の者たちにとって、これほどの苦役はない。
ネリが静かに言った。
「……ブランゲル様。この作業が済めば、王都の安全は飛躍的に高まります。ここが踏ん張りどころです」
ブランゲルはため息をつき、手で顔をこすった。
「……わかっている。わかっているが……やはり性に合わん!」
「性に合わなくても、やっていただきます」
冷静すぎるネリの返答に、ブランゲルは頭を抱えた。
その隣で、ホルダー男爵が言った。
「し、将軍……これ、あと、どれくらいあるんです……?」
「全部だ。三万名分だ。文句があるか?」
「…………っ!」
男爵の絶望の沈黙。
一方のブランゲルは、天井を仰ぎながら呟いた。
「……マキシミリアン様の葬儀まで……俺は、生きていられるのか……?」
「さっさとやれ、ブランゲル」
「やっている!!」
再び、執務室に書類の山と怒声と嘆きがこだました。
外では、王都に張り巡らされた検問と巡回兵が民衆を監視し、内乱の影を探し続けている。
城では、王が息子の死を胸に秘めながら政務をこなしている。
その裏で──
アンヘル王国軍の屋台骨を守るべく、汗と泣き言と怒号にまみれた地味すぎる戦いが、今日も続いていた




