会合2
チューファ一家の大邸宅――大広間。
張り詰めた緊張が満ちていた。そんな空気の中心で、クリフが口を開いた。
「勘違いすんなよ」
広間に響いたのは、重く、揺るぎない声。
その一言で、さらに空気が引き締まる。
「言質を取ったわけじゃねえ。正式に発布されたわけでもない。今は協議中だ。緊急貴族会議が終わったころに決まるだろう。認められるかどうかはわからねえ」
クリフは腕を組み、視線を向けた相手の胸の奥まで射抜くように言葉を放つ。
「……もし認められなかった場合」
一瞬、空気が止まった。
親分たちは、喉に詰まった息をごくりと飲み下す。
「俺たちはアンヘル王国の敵になる可能性もある」
沈黙。
深く、重く、底の見えない沈黙。
その言葉を軽口と捉える者は、ただの一人もいなかった。
クリフの声の調子は平常のまま。しかし、その内容は常識を遥かに逸脱する。
――一国を敵に回す?
――そんなことを平然と?
親分たちの心に押し寄せるのは畏怖。
人としての反応より前に、本能が“危険”と叫んでいた。
クリフは続けた。
「俺の一存で決められる話じゃねえ。シャイン傭兵団団長――シマが判断することになる。もちろん俺から進言はする」
「俺もだ」
フレッドが即座に同調した。
「私も言うわよ」
ケイトが毅然と言い放つ。
「当然な」
ザックも腕を組みながら言う。
「シマなら受け入れるはずだね」
ユキヒョウは微笑しながら言うが、その柔らかさは逆に親分たちの背筋を冷たくした。
「……俺も同じ意見だ」
ベガも淡々と頷く。
五人が揃って迷いなく「進言する」と言う。
その一言には、ただの賛同ではなく“確信”が宿っていた。
シマならば必ず決断する――その信頼が揺らぎもなく並んでいる。
そのとき。
「……お、お伺いしてもよろしいでしょうか…?」
震える声が広間に響いた。
ラコ一家の親分となった男、ファイブだった。
彼は恐怖と緊張に額を汗ばませ、それでも必死に挙手した。
クリフが顎で促す。
「言ってみろ」
ファイブは喉を鳴らし、勇気を振り絞るように言った。
「そ、その……シャイン傭兵団は……どれくらいの……戦闘力、軍事力があると……お考えでしょうか……?」
その問いは、広間にいた全員の心の奥底が密かに抱いていた疑問だった。
沈黙を破ったのはユキヒョウ。
「僕が答えるよ」
飄々とした声。
しかし、その内容は飄々とは程遠いものだった。
「一国……じゃ相手にならないね」
広間が、凍った。
「王都には確か一万五千の軍人がいたと聞いたよ。悪いけど、一日あれば壊滅できるよ。正攻法でも奇襲でも、どちらでも」
無造作に語られる“壊滅”という言葉。
親分たちは息をするのも忘れ、ただ口を開けたままユキヒョウを見つめる。
ユキヒョウは続けた。
「大げさでもなんでもない。事実だよ」
次に口を開いたのはベガだ。
「お前らもクリフたちの恐ろしさは知ってるだろうが、あんなもんほんの一部だ。シマに進言したなら、シマは確実に受け入れる」
親分たちの背筋に電流のような緊張が走る。
ユキヒョウが言う。
「シマは誰よりも“家族”を大事にする。特に君たちをね」
「んなもん当然だろ」
ザックが鼻で笑う。
「それな! 俺たちは言ってみりゃ魂で繋がってるからな!」
フレッドが胸を叩く。
「シマは、例え他の人が不幸になっても家族第一だから。それに私たちは、私利私欲で言うわけじゃないしね」
ケイトは軽く肩をすくめながら言うが、その言葉の内容は重い。
クリフは最後にこう言い放った。
「家族第一は俺たちも同じだ。……まあ、あいつなら理解してくれるだろう」
その瞬間、広間の空気が震えた。
恐れではなく――畏怖。
尊敬と恐怖が混じり合い、誰もがシャイン傭兵団という存在をあらためて理解する。
――彼らは、ただの傭兵ではない。
――ただの戦士でもない。
一国すら平然と敵に回し、家族を守るためなら王家を相手にも迷わず剣を抜く。
そんな“怪物”が、今、スラムを守るために動こうとしている。
親分たちは思った。
――こんな存在が味方でよかった。
――もし敵だったら……この国はどうなっていたのだろうか。
広間には、誰一人として軽口を叩く者はいなかった。
ただ静かに、圧倒的すぎる現実を噛みしめるだけだった。
普段は静かな大広間も、この日は得体の知れない重圧に満ちていた。
クリフがゆっくりと立ち上がった。重々しい視線が一斉に彼へと向けられる。
「……長年放置されてきたこの地を、貴族連中には任せられねえ。」
淡々とした口調だが、言葉のひとつひとつが刃のように鋭く響いた。
「中にはいい貴族もいるだろう。真摯に向き合うやつ、憂いてるやつ、何とかしようと必死に考えてるやつもな。だが――光があれば闇もある。闇の中でしか生きられねぇ奴がいるのも事実だ。」
親分たちの背中に汗が滲む。
彼ら自身、光と闇の狭間で生きてきた者たちだ。
その言葉の意味は嫌というほど理解できた。
ケイトが口を開く。
声は静かだが、広間全体を射抜くように澄んでいた。
「正直、私たちだって、何が正義で何が悪かなんてわからないわ。でもね、この地を治めてきたのは……紛れもなくあなたたちよ。無法地帯と呼ばれようと、それでも“守ってきた”のは事実。」
親分たちは思わず俯く。暴力、恐怖、金。確かに彼らはそれで秩序を保ってきた。
胸を張れる方法ではない。けれど、他に手段がなかったのも事実だった。
ベガが肩をすくめ、苦く笑う。
「暴力、恐怖、金で支配してきたわけだが……まあ、それも一つの手だな。なめられたら終わりだ。俺たち傭兵団も、こいつらも同じだろ?」
「それな!」
フレッドが大きく頷く。
「力のねぇ奴には従わねえ。自分より弱ぇ奴に従う道理はねえってな。」
「これからも必要な場面はあるだろうよ。」
ザックも続いた。
「ただし――」
その言葉にユキヒョウが重ねるように口を開いた。
「ただし、“人身売買だけ”は絶対に手を出さないでね。」
広間の空気が一瞬止まる。
「それと、炊き出しのルールも守ること。子どもたちを集めて、一人残らず。彼らは僕たちの町へ連れていく。ノルダラン連邦共和国にある、チョウコ町ってところにね。」
クリフが振り返り、クイレイへと視線を向ける。
「クイレイ、馬車を10台購入する用意をしとけ。」
「は、はいぃっ……!」
クイレイが裏返った声で答える。
話の規模に親分たちは息を飲む。まるで“移住計画”ではないか。
スラムの孤児を丸ごと連れて行くなど、聞いたこともない。
クリフはそんな視線を気に留めることなく続けた。
「商売の事はわからねえ。お前らがどんな仕事をしてるのかも知らねえし、口を出すつもりもねえ。暴力も時には必要だろう。」
そこまでは親分たちも頷ける話だった。
だが次の言葉は、彼らの胸に重く突き刺さった。
「……だが、弱者をいたぶるようなことはするな。」
ケイトも続いた。
「私たちが言うのもなんだけど……人の道を外れなければいいのよ。無知な人たちを利用しなければいいの。」
ベガは指を鳴らしながら付け加える。
「要は、きちんと働いた奴には、それなりの金を払えってことだ。」
――正論だ。
正論だが、この地で最も遠ざけられてきた“当たり前”だった。
親分たちの胸がざわめく。
彼らは犯罪者でありながら、この土地を守ってきたつもりだった。
しかし子どもたちまで“商品”にしようとした一部の無法を前に、何もできなかったのも事実だ。
シャイン傭兵団は違う。
怒るべきところで怒る。
守るべきところで守る。
その軸が揺らがない。
だからこそ、彼らの言葉は嘘のような綺麗事でも、押し付けでもなかった。
クリフは広間を鋭く見渡し、静かに言葉を落とした。
「この先、スラムをどうするかなんて俺にもわからねえ。お前らに任せる。軍隊でも国でも出てきたら、俺たちが相手してやる。」
その声音には一切の虚勢がない。続く一言が、親分たちの背筋を凍らせた。
「だがな……“子どもを売らねえ”“弱者を潰さねえ”、それだけは守れ。できねえなら――俺たちがこのスラムごと潰す。」
覚悟を帯びた静かな脅威に、誰も反論できなかった。
声の大きさが問題ではない。
クリフの背後にいるシャイン傭兵団の全員が、同じ覚悟を持っていると理解できたからだ。
ユキヒョウが最後に柔らかく笑った。
「まあ、難しいことじゃないよ。君たちはもう“ここで生きる覚悟”をしているんだろう?なら、その覚悟を弱い人たちのためにも使ってあげなよ。」
広間に深い沈黙が落ちた。
それは恐怖の沈黙ではない。
逃げ場を失った沈黙でもない。
――誰もが、自分たちの在り方を真正面から問われた沈黙だった。
やがて、親分たちはそれぞれに深く頭を下げた。
彼らの胸には、ふたつの感情が入り混じっていた。
畏怖。
そして――僅かな救いの光。
「これからは、お前らがお前ら自身の手でスラムの新しい秩序を作っていくんだ。」
クリフは腕を組み、堂々とした姿勢で続けた。
「頂点はチューファ一家だ。忘れるなよ……チューファ一家の後ろには“俺たち”がいるってことを」
その一言は、脅しではなく、確かな保証だった。
「……いいな!」
クリフの声が響き渡ると、全員が椅子から立ち上がり、声をそろえて叫んだ。
「ハッッ!!」
その声は震えていたが、決意と服従が入り混じった、確かな応答だった。
次の瞬間――
「よっしゃー!!宴だ!!!」
ザックの豪放な叫びが大広間の空気を一気に変えた。
張り詰めていた緊張が弾け飛び、どっと笑い声と歓声が湧き起こる。
「酒だ酒ぇ! 飯を用意しろォ!!甘味もだ!子どもらもいるんだからなぁ!」
フレッドの声に、数名の親分が吹き出した。
晴れやかな空気が一気に大広間を満たし始める。
「……クイレイ、酒と食材、甘味、それからお菓子もだ。手配を頼む。キース、金を渡してやれ」
クリフが指示すると、すぐさま二人が動く。
「ハッ! 畏まりましたッ!」
クイレイは慌てることなく素早く帳面を取り出し、必要分を計算し始めた。
キースは袋から金を取り出し、ざらりと音をたててクイレイの手に渡す。
そのとき、ユキヒョウが柔らかな笑みを浮かべ、ある人物に声をかけた。
「そういえばこの間の宴で出たワイン、あれを用意したのは君だっけ? ファイブ」
突然名を呼ばれ、ファイブはビクリと肩を震わせた。
「そ、そそれが……在庫にはもうなくて……申し訳ございません!」
深々と頭を下げるファイブに、ユキヒョウはふっと笑った。
「いいよ。あそこまでの上物は滅多に出ないからね。仕方ないさ」
許しの言葉にファイブは胸を撫で下ろす。
だがすぐに顔を上げ、強張った表情のまま言う。
「で、ですが! あそこまでではなくとも、それなりの上等なワインをご用意いたします!」
「それはありがたいね。代金はちゃんと払うから……この間の分もまとめて請求してくれ」
「ハッ! ありがとうございます!!」
ファイブは飛び跳ねるようにして駆け出していった。
その背中を親分たちは信じられないものを見るような目で見送る。
(……金を払う、だと? しかも、上等なワインまで要求……)
彼らの世界では、力ある者は奪う側だ。
だがシャイン傭兵団は違う。
力があるからこそ奪わない。
力があるからこそ与える。
それが親分たちには不気味で、同時に眩しくもあった。
やがて食堂へと人が流れ始める。
長いテーブルには、次々と料理が運ばれていく。
大鍋で炊いたシチュー、骨付き肉のロースト、焼きたてのパン、甘い果物、子ども用のお菓子の山。
酒樽が運び込まれ、蓋を開けた瞬間、芳醇な香りがふわりと立ち上った。
「飲め飲めぇ!!」
「今日は祝いだ!!」
「チューファ一家ばんざーい!!」
「シャイン傭兵団ばんざーい!!」
歓声が天井を揺らすように響く。
ザックは杯を片手に騒ぎの中心で笑い転げ、フレッドは肩を組んだ親分たち相手に既に三杯目を煽っている。
ケイトは子どもたちと甘味を分け合いながら笑い、ユキヒョウはワインを味わいながら会話に花を咲かせる。
スラムの未来は、今まさに大きく動き始めた。
その始まりを告げる祝宴は、昼間だというのに熱気と光を孕み、いつまでも終わりを迎える気配を見せなかった。




