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光を求めて  作者: kotupon


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435/447

束の間?!

スラム——チューファ一家の大邸宅。


フレッドは肩を貸してベガとギュンターを連れ帰ってきた。

ベガは口の端からわずかに血をにじませ、ギュンターは腹部を押さえている。

いずれも深手ではないが、激しい戦闘を潜り抜けたことは明らかだった。


途中、クリフと合流した。

報告を聞いたクリフは短く頷き、急ぎ足で王城へ向かった。



邸宅内は、慌ただしく厨房では鍋の蓋が跳ね、避難民たちの怒号とも賑わいともつかぬ声を上げながら立ち働いている。


大広間に辿り着くと、まずは治療が始まった。

薬剤の匂いと包帯の乾いた手触りが漂う中、ユキヒョウが慣れた手付きで応急処置を施す。

ギュンターは「ちょっと乱暴だな」と小さく舌打ちするものの、ユキヒョウは意に介さず手を進めた。

ベガは黙って処置を受け、時折、痛みに眉をしかめる。


やがて手当てがひと段落した頃——


「相手はそれ程、強かったのかい?」

白磁のカップを指先で弄びながら、ユキヒョウが優雅に問いかけた。

蒸気の上がる紅茶の香りが、血と薬の臭いを柔らかく薄めていく。


ベガは肩を回しながら吐き捨てるように言った。

「確実に、俺よりは強かったな」


「へえ、それはなかなかだねぇ」

ユキヒョウの声には驚愕よりも、むしろ興味深そうな響きがあった。

彼にとって強者との遭遇は、恐怖ではなく純粋な好奇心を刺激する出来事なのだろう。


ベガは乾いた笑いを浮かべた。

「お前なら余裕だろうけどな……にしても、一応報告しなきゃまずいよな?」


「そうだね。フレッドにも見られてるし、包み隠さず話した方が賢明だよ」


ベガは深くため息をついた。

「だよなぁ……。チョウコ町に帰ったら、地獄の扱きが待ってるんだろうな… はぁ〜……帰るのが憂鬱になってくるぜ」


ユキヒョウは唇の端をわずかに吊り上げる。

「フフッ、甘んじて受け入れるしかないよ。それが糧になる。……ところで、逃げる選択肢はなかったのかい?」


「いくつかルートはあったさ。だが……逃げ切れるかどうかは微妙だった」

ベガの口調には、戦いの渦中で冷静に状況を見極めた者特有の重みがあった。


ユキヒョウは紅茶をひと口含んでから、静かに言う。

「それじゃあ、彼にはお礼を言わないとね」


「……大して力になっちゃあ、いねえよ」

ギュンターがぼそりと呟く。


しかしベガは即座に首を振った。

「いや、お前がいなきゃフレッドが来るまで持ったかどうか……。助かったぜ、ギュンター」


ギュンターは鼻で笑い、わざとらしく手を差し出す。

「報酬は期待してるぜ?」


そんな軽口が飛び交ったその時——

大広間の扉が勢いよく開いた。


「飯ができたぞ!」

フレッドの声が響き渡る。

その表情はすでにさっきの戦いの緊張を忘れたように明るく、厨房から湯気と香りが勢いよく流れ込んできた。


ベガとギュンターの表情がふっと緩む。

ユキヒョウも静かにカップを置き、立ち上がる。


「ようやくか。腹が減って死ぬところだったぜ……」

「やれやれ、腹が減って死ぬのはごめんだぜ」


三人は笑い合いながら、食堂へと向かった。

戦いの痛みも、これからの報告の重さも、このひとときだけは遠ざかっていく。

それは戦士たちが束の間の安息を得る、あまりに人間らしい、光景だった。



食堂は、すでに熱気に包まれていた。

長いテーブルには次々と皿が並べられ、湯気の立つスープ、香ばしく焼かれた肉、ふかふかのパン、素朴だが心を満たす料理がところ狭しと並んでいる。

そこに集った人々は実に多様だった。


避難民たち——痩せた頬が徐々に赤みを取り戻し、言葉少なだった者たちも笑い声を上げる。

子どもたちは走り回り、皿を抱えながら椅子に飛び乗り、無邪気な笑顔でテーブルを囲む。

オスカーの両親、オイゲンとカタリーナは、団欒に落ち着いた笑みを浮かべていた。

リズの家族であるベンらも、あれこれと料理を勧め合いながら談笑している。


チューファ一家の面々は慣れた様子で皿を運び、スラムから避難してきた者たちや裏稼業と噂される男たちまで、肩を並べて酒をあおっている。

その中央には、ワインの瓶をまるで水のようにラッパ飲みするフレッドの豪快な姿があった。


「おう、爺さん!飲め飲め!遠慮すんなって!」

フレッドは向かいの老人の木製カップにエールを惜しげもなく注ぎ込む。


誰も彼もが、声を上げて笑っていた。

ただ温かい飯があるだけで、ただ屋根の下に集まれるだけで、人はこんなにも幸福を感じられるのだと——その場の全員が、心の底からそう思っていた。


その輪の中に、救出されたばかりの三人——

ブライヒレーダーの妻・ハイデマリー、そして長女クラリス(18歳)、次女フラウ(16歳)——の姿があった。


彼女たちは緊張を隠せない様子で席に座っていた。

貴族の生活しか知らず、スラムの住人や平民、さらには荒っぽい男たちと同じ食卓を囲むなど、想像したこともなかったのだ。

テーブルを叩いて笑う男たち、行儀も気にせず料理にかぶりつく子どもたち、肩を組んで歌い始める者までいる。


マナーは欠片もない。

秩序もない。

けれど——そのどの顔も、確かに笑っていた。


ハイデマリーは、荒れた手でパンを口に運びながら静かに思う。

——なんて明るく、なんてたくましい人たちなのだろう。


クラリスはそっと周囲を見回した。

フラウは胸の前で手を握りしめ、戸惑いを隠せない。

(こんなに騒がしくて、こんなに礼儀もないのに……どうして誰もがあんなに幸せそうなの?)


彼女たちにとって、暖かな屋根の下での食事も、三度の食事も、整えられた寝床も——すべて当たり前のものだった。

それを奪われて初めて、当たり前は当たり前ではないと知ったのだ。


攫われ、人質に取られ、乱暴に扱われた日々。

粗末なパンの欠片と濁った水。

心身ともに疲れ果て、ただ泣くことしかできなかった日々。


(私たちは……なんて弱いのだろう……)


羞恥と後悔と、そして驚きが入り混じり、胸の奥からじわりと熱が込み上げてくる。

そんなクラリスの目元が赤くなり始めたとき——


「どうしたのおねえちゃん?ご飯、美味しくないの?」

隣の席の幼い女の子が、心配そうに覗き込んできた。


フラウは慌てて涙を拭った。

「……ううん、違うの」


「このお肉すっごく美味しいよ! ほら、柔らかいの!」

別の子どもが皿を差し出し、誇らしげに胸を張る。


「こっちのパンもふわふわだよ!」

温かな言葉が、次々とクラリスたちを包んでいく。


クラリスもフラウも、思わず目を見張った。

こんなにも無邪気に、こんなにも自然に、彼らは他者を思いやれるのかと。


ハイデマリーはそっと微笑んだ。

「ありがとうね。……頂くわ」


そして、娘たちに向き直り、膝に手を置く。

「クラリス、フラウ……。あなたたちもたくさん食べて、体力を戻さないといけませんよ」

その声には、母としての強さと、救われた安堵と、再び歩き出す決意が込められていた。


三人はゆっくりと皿を手に取る。

不安も疲れも完全には消えていない。

それでも——温かな料理の湯気の向こうに、確かな希望が見え始めていた。


笑い声が響く食堂の中で、彼女たちは初めて、胸の奥から小さな安堵の息を吐いた。


今朝の食卓は、単なる食事ではない。

痛みを乗り越え、生き延びた人々を結びつける、ささやかで、しかし何よりも尊い祝宴だった。



王城敷地内、その静寂とは裏腹に、兵の足音と緊張のざわめきが広がっていた。


クリフは、ケイトと合流した。

ケイトは小さく息をつきながら、指を示す。

「国王夫妻と皇太子がクレゴワン・コテージに入って……もう一時間が過ぎようとしているわ」


クリフは頷き、短く息を吐いた。

その目には、重い現実を見据える緊張が宿っていた。

「……そうか…ベガは見つかった。多少傷は負ってるが、生きてる。パウル・ベニヒゼンは……死んだ。自分の剣で喉を貫いたらしい」


ケイトは一瞬だけ目を伏せる。

「そう……。仕方ないわね。これで“口”は閉ざされた。重要な情報は、生き残った者たちから集めるしかなさそうね」

冷静な口調だが、その裏に渦巻く憤りと悔しさは隠せなかった。


その時——

クレゴワン・コテージの扉がゆっくりと開いた。


場の空気は、瞬時に張り詰める。

辺りの兵士たちは武器を下げ、頭を垂れ、誰一人として息を飲む音すら立てない。


先頭に姿を現したのは国王——

オットー・ラリッシュ・フォン・アンヘル。

白髪まじりの髪が薄明の光に照らされ、皺深い顔は、悲しみに疲れ果てていた。


その隣で王妃ゾフィー・ドロテアが、目を真っ赤に泣き腫らしながらも毅然と歩く。

皇太子エーリッヒは唇を真一文字に結び、前を見据えていた。


血の気を失った第二王子の身体は、まるで眠っているかのように見えた。

だがその首には深い裂創が刻まれ、抱える三人の衣服には乾いた血の跡が痛々しく残っていた。


誰も声を発しない。

その沈黙は、王城全域すら飲み込むほど深かった。


王は振り返り、宰相ヨアヒム・デル・リッベントロップ侯爵に低い声で命じる。

「……宰相、中の遺体を……丁重に運び出せ」


「はっ!畏まりました」

宰相は即座に近衛師団長レームスに目で合図した。

レームス以下、近衛師団の精鋭たちが息を揃え、コテージへ入っていく。


王族が運ぶマキシミリアンの亡骸の後ろには、長い行列が続いた。

宰相、近衛兵、軍兵、そして官吏

クリフもケイトも、その光景をただ見送るしかなかった。


その後——

王子の亡骸は王家の遺体安置場に静かに横たえられ、薄い布がかけられた。


国王はその場で振り返り、声を震わせながらも力強く言う。

「……全土に触れを出せ。緊急貴族会議を開く」


「承知致しました」

宰相が頭を下げた。


空気は重く、血の匂いすらまだ王城内に残っていた。

すべてが凍り付くような緊迫の中、クリフ、ケイト、ケレンズ伯爵は国王の執務室へと案内された。


王城中が慌ただしく動いている一方、執務室の中は奇妙なほど静かだった。

暖炉の火がぱちぱちと小さく鳴り、その音がやけに大きく感じられる。


重い沈黙を破ったのはクリフだった。

「……ケレンズ伯爵。パウル・ベニヒゼンは自殺した。喉を刺して……死んだそうだ」


ケレンズ伯爵はゆっくりと目を閉じ、深くうなずいた。

「……そうですか。……後はカーロッタ・デ・マッケンゼン伯爵と、オーギュスト・ド・スタール男爵。この二人の身柄さえ無事押さえられれば……」


その時だった。

廊下の方から、ざわざわと騒がしい声が聞こえてくる。

怒号、足音、金具の触れ合う音——何かが起きたのは明らかだった。


執務室の扉が勢いよくノックされ、秘書官が蒼白の顔で飛び込んできた。

「ケレンズ伯爵! 報告いたします!」


「どうしました?」


秘書官は胸に抱えていた書状を差し出す。

「カーロッタ・デ・マッケンゼン伯爵、並びにオーギュスト・ド・スタール男爵——両名を無事確保致しました!まもなく、ブライヒレーダー将軍がこちらに参るとのことです!」


その瞬間、執務室にいた全員が息を呑んだ。


ケイトは拳を握り、クリフは静かに目を細める。

ケレンズ伯爵もまた、長く険しい戦局のような表情でうなずいた。


近衛兵の足音が、廊下の向こうから徐々に近づいてくる。

王城に積もる重苦しい空気が、少しずつだが確実に変わりつつあった。


ブライヒレーダーの到着を告げるその足音は——

長く陰鬱だった夜の終わりと、嵐のような政治的混乱の幕開けを同時に告げていた。


王の執務室。重厚な扉が軋むように開き、ブライヒレーダー将軍が姿を現した。

そのすぐ後ろに、ザックの巨体が影のように続く。


「おう、上手くやったようだな」

壁際で腕を組んでいたクリフが、親指を立ててサムズアップした。

ザックはニヤッと口角を吊り上げ、無言で応じる。


将軍の視線が二人に向けられる、クリフとケイトに。

「……シャイン傭兵団か?」


「ああ。シャイン傭兵団団長補佐のクリフだ」


「ケイトです」


名乗る二人に、ブライヒレーダーは一拍置いて――

突如、深々と頭を下げた。

「……妻と娘たちを救ってくれたこと、心より感謝する」


執務室にいた執事、侍従、秘書官、官吏たちは、あまりの光景に目を丸くした。


クリフは鼻で笑った。

「依頼を受けたからな。当然の仕事だ。……後で報酬をたんまりもらうつもりだが」


「フハハ、そうか! ならば俺個人からも出そう!」

豪快に笑う将軍。

そのまま隣に立つケレンズ伯爵夫人へ、すっと姿勢を正した。

「ケレンズ伯爵、ご無沙汰しております」


「本当に……たまには家に遊びに来なさいと言っているでしょう?」


「そうですな。今度は家族総出でお邪魔しますかな?」


「望むところよ。歓迎するわ」


そんな和やかな空気が満ち始めたところへ、再び扉が勢いよく開いた。


宰相が入室する。

「ああ、ブライヒレーダー将軍。ちょうど――」

挨拶を交わしながら歩み寄ってきた宰相の視線が、不意に止まった。


ザックである。


「……な、なんだ……この大男は?」


「こいつはザック。シャイン傭兵団だ」

と、将軍が淡々と答えたそのとき――


「あら? あなたがザックなのね?イーサンと飲み友達だって、手紙に書いてあったの」

ケレンズ伯爵が声を弾ませた。


ザックが首を傾げる。

「イーサン? ……あぁ、ブランゲルのことか。そうだぜ、アイツとは飲み友だ」


その瞬間。

執務室にいた全員(クリフとケイトを除く)が、揃って目をパチクリと瞬いた。

アイツ?侯爵を、アイツ呼ばわり……?


あまりの衝撃に数秒の静寂が流れ――

次の瞬間、執務室中から堰を切ったように笑いが起きた。


「ハッハッハッ、言いよるわこの傭兵!」

「さすがシャイン傭兵団……!」

「ブランゲル侯爵様を“アイツ”などと……!」


ケレンズ伯爵は手で口元を押さえながらも、嬉しそうに笑っていた。


ザック本人はと言えば、まったく悪びれる様子もなく、

「なんか変なこと言ったか?」

と肩をすくめ、ケイトに小声でつつかれる始末。


執務室には、緊張と安堵、そして妙に人間くさい温かさが流れ込んでいた。

重苦しい反逆事件の後とは思えないほどの――

束の間の、確かな笑いだった。

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