表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光を求めて  作者: kotupon


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

432/447

追い詰められたのは?!

西側倉庫——ノッシ一家の縄張り。

その周囲は、チュチュ一家を筆頭に、複数の一家によって十重二重に封鎖されている。

だが、それでも“穴”はあった。

封鎖は完璧ではない。


通りの片隅、壊れた樽の影で、ひとりの男が小さく咳をした。

年のころは四十前後、痩せた体に擦り切れた上着。

誰が見てもただのスラムの住人——だが、その実態は違う。

帝国の諜報組織が「くさ」と呼ぶ人間の一人だった。


“草はその土地に根を張る”

それが彼らの使命である。


彼らは特別な訓練を受けてはいない。

剣も拳も持たない。ただ生きる。

人々の間に混ざり、年月をかけてその土地の「空気」になる。

そして、誰にも怪しまれぬまま、時が来たら“風に流す”のだ——情報という名の種を。


男は十年以上、このスラムで暮らしていた。

酒場で働き、喧嘩を避け、時に病人を助け、時に盗人と取引しながら。

誰も彼を疑わなかった。

だが、今夜、その目は鋭く光を帯びていた。


「……西の倉庫で、騒ぎがあったらしいな」

「チューファんとこの連中も慌ててた。何か“救出された”とか」

スラムの住人たちが噂する。


その言葉に、男は静かに立ち上がる。

夜の通りをすり抜けながら、角を三つ曲がる。


そこには小さな果物屋の裏口があった。

扉を二度叩く。中から男の声。

「何だ、夜更けに」


「リンゴが三つ、腐ってた」

沈黙。次の瞬間、錠が外れる。


中には別の「草」がいた。


スラムの男の言葉は短い。

「パウルへ伝えろ」


「了解」

伝達の糸はすぐに繋がる。

職人へ、役人へ、軍へと渡り歩き——やがて、一人の男の耳へ届く。


パウル・ベニヒゼン。

第二王子マキシミリアンの側近。

「……失敗したか」

低く呟き、深紅の外套を手に取る。



王城の敷地内、北の林を抜けた先にあるクレゴワン・コテージ。

第二王子の私邸であり、外部の目が届かぬ場所。

夜半、その邸宅にひとりの軍人が入っていった。

扉が静かに閉まり、数分と経たぬうちに再び開く。

軍人は早足で外へ出る。


そして——五分後。

扉が開き、深紅の外套を羽織った男が現れる。

長剣を腰に下げ、手には黒手袋。

落ち着いた歩調。まるで影の中を歩くような静けさ。

その姿を、遠くから見ていたのがベガだった。



ベガは夜風の中に身を沈めていた。

灰色の外套に、薄い布のマスク。

林に紛れ、コテージを監視している。

彼の目は夜に慣れ、わずかな動きすら見逃さない。


「……軍人が出入りしてる?」

独り言のように呟く。

この時間、王城に出入りできる軍人など限られている。

しかも、第二王子の私邸だ。


男が入ってから、出てくるまで——三分。

会話か、それとも報告か。

だが、直後に別の男が現れた。

深紅の外套。腰の剣。あの落ち着いた歩み。


物資を押収していた、あの現場の指揮官——

(まさか……!)


風が吹く。

パウルの外套が翻り、剣の柄が光を返す。

その姿は、かつて北の倉庫を指揮していた男と寸分違わなかった。


ベガの背筋に冷たいものが走る。

(……そうか。お前が“パウル・ベニヒゼンか……)

情報が線となって繋がる。


(…どこへ行く……?)

声にはならない囁き。

ベガは後を尾ける。足音は砂の上に吸い込まれるように消えた。

獲物を追う獣のように、彼はただ、赤い外套の背を見つめていた。


だが、次の瞬間、その“パウルらしき男”が立ち止まり、辺りを見回した。

鋭い、獣のような目。


(ッ、バレたか?)

ベガの指が自然に剣の柄を探る。


しかし、男はそのまま方向を変え、ゆっくりと歩き出した。

城壁を抜ける道へ——北西の街道だ。


通りの角、古い井戸の前。

その影から、別の人影が現れる。

軍人——いや、報告を届けた“草の伝令”か。

二人は言葉を交わさず、手短に何かを受け渡す。

その仕草を見て、ベガは確信した。

(やはり、あの騒ぎを知って動いてる……!)


パウルは書簡を懐に収め、歩き出す。

足取りはまっすぐだが、何度も振り返るような素振りを見せた。

まるで、自分が“追われている”ことを知っているかのように。


ベガの中で警鐘が鳴る。

クリフたちが救出を終えたその直後——帝国の草が動き、王族の側近が夜明け前の街を行く。

——まだ夜は終わらない。



路地の壁に積まれた石や桶、油壺の影が二人を取り巻く。


ベガの胸に、冷たい血のような予感が走った。

「…尾行していたつもりが誘い込まれたか…!」

思わず声が漏れる。

だがその声は、風に掻き消される前に、赤い外套の男の耳に届いた。


パウルはゆっくりと振り返り、薄く笑った。

「ふん。シャイン傭兵団だろう…?」

薄暗い街灯にその横顔が浮かぶ。長く鋭い鼻、冷たい瞳。

「貴様らのせいで計画は失敗した。逃げるつもりだったが気が変わった。せめて一人でも殺さんと、私の気がすまんのでな――死ね、下郎!」

言い放つが早いか、パウルは剣を抜いた。


抜く音さえも、ベガには鋭く聴こえた。

咄嗟に体を低くし、後ろに飛ぶ。

パウルの長剣の切っ先が虚空を抉る。


二閃、三閃ッ!


ベガは刃を避け、剣で擦り合わせるように弾く。火花が飛ぶ。

刃と刃の接触音が耳に突き刺さる。

周囲の影が瞬間的に動く——路地裏の窓から、誰かの息遣いが聞こえた気がした。


「くっ」ベガは前に踏み込み、脇腹を斬りつけられぬよう体を捻じる。

パウルの腕力は強く、押しの強さがある。


だがベガは諜報屋だ。正面からの勝負は避け、隙を作る。

足下の砂を蹴り、油壺の蓋を弾く。小さな爆ぜ音。

油の匂いが鼻を刺し、パウルは一瞬目を細める。


その隙に、ベガは低く踏み込み、剣をパウルの顔面目掛けて振る——上体だけで躱すパウル…牽制…!

ブーツに備え付けられいるナイフで相手の太腿に突き立てた。

肉を穿つ鈍い音。パウルが呻いて一歩後退する。

真っ赤な血が外套の縁を濡らす。

だが彼は倒れない。むしろ、その顔に残忍な笑みが浮かんだ。


「愚かだな」パウルが呟く。

二歩三歩で距離を詰める。長剣が再び振り下ろされる。


凡庸な兵ならば一撃で終わるはずのところを、剣を打ち付ける。

刃が彼の外套を裂き、剣が折れ、腹を浅く割る。

痛みが走るが…動ける…!


「ここで死ぬ気はねえ」ベガは短く笑い、身体を転がすように後退。


パウルの長剣は重く、振り終わりを狙って、ベガは石礫を投げつける。

腕でガードするパウル。


ベガは一瞬で決断する。

短剣を抜き、再び突進。パウルの懐へ入るように、首筋を狙って斜めに切り込む。

刃先が衣を裂いて肌を浅く掠め、血しぶきが小さな星を描いた。

パウルの顔色が変わる。


「ふん、下郎のくせに中々やるじゃないかッ!」

パウルの口元に嗜虐の笑みが浮かぶ。

次の瞬間、鋼の閃光がベガの視界を裂いた。


本能だった。

ベガは右手のナイフを横に滑らせ、咄嗟にガードを取る。火花が散り、耳の奥に鈍い金属音が刺さる。

衝撃が腕から肩へ抜け、肺がひゅっと押し潰されるような感覚。

だがベガはその勢いを利用し、自ら後方へ飛び退いた。


ドンッ——背中が地面を滑る。石畳の摩擦が外套を削り、砂埃が舞う。

「ぐっ……!」

息が詰まる。ナイフを持つ腕が痺れ、肩が外れそうなほど痛む。

だがそれでも生きている。いや、“生き延びた”というべきか。


ナイフでガードしていなかったら?

自ら後ろに飛ばなかったら?

答えは簡単だ。胸からわき腹に走る浅い線が、その全てを語っている。


薄い布を焦がし、皮膚を裂いた一閃。

血が温かく流れ出し、外気に触れてぴたりと冷える。

ベガはそれを感じながら、息を整える間もなく身を起こした。


(…ヤベぇな…こいつは俺より上だ!)

直感が叫ぶ。あの剣筋は、訓練された兵のそれじゃない。

殺しの経験を積み重ね、無駄を削ぎ落とした刃の動き。

(…にしても太腿にナイフを突き立ててやったってのに…何故ここまで動ける?)

目の前の男は、確かに右脚を負傷しているはずだ。だが動きは鈍らない。

むしろ痛みを推進力に変えるような執念。ベガはぞくりと背筋を冷やした。


(…そんなことより今の状況をどう切り抜けるかだな…!)

呼吸を整え、視界の隅々を走査する。路地は狭く、左右の壁は高い。

逃げ道は一つしかない——だがそこは、パウルが進路を塞ぐように立っていた。

赤い外套が風にたなびき、剣の切っ先がわずかに揺れる。


ベガは無意識にポケットを探る。

(ナイフ一本、ポケットに鉄くぎ、小石、それに短いロープ……)

ありあわせの道具。それでも、使いようによっては命を繋ぐ武器になる。

(即席の分銅鎖みたいなもんでどうにか……)

彼の指先がロープと鉄くぎと小石を結びながら、頭の中では逃走経路を模索していた。

目で相手を牽制しながら、ベガは呼吸を合わせる。


パウルが一歩、ゆっくりと近づく。

「逃げるか? それとも諦めて死ぬか?」

声は静かだが、底に狂気の熱を帯びている。


ベガは返事をせず、砂利をつま先で蹴り上げる。

目くらましにもならない程度の動き——だがそれで十分だ。

ほんの半瞬、パウルの視線が揺れた。

その隙に、ベガは即席の分銅鎖を投げ放つ。ガシャン!と壁を叩く。

空気が震える音。パウルは軽く身体を傾け、難なく避ける。


(クソッ、やっぱり速ぇ!)

狙いは外れた。だが、それも計算のうちだ。

ロープを引き戻しながら、ベガは距離を取る。

(逃げ回るしかねぇ……懐に入るのは危険すぎる)


汗が頬を伝う。痛みで視界が霞む。だが集中を切らさない。

一歩間違えれば死。


その時——

「よう、ベガ。絶体絶命か?」

軽く笑うような声が、奥から聞こえた。


ベガの瞳が見開かれる。

声の主は、路地の影から現れた男——ギュンターだった。

片手で剣をくるりと回し、口の端に不敵な笑みを浮かべている。


「……おいおい、ギュンターか。なんでここに……!」


「見に来ただけだよ。お前がどれだけ追い詰められてるか、な」


パウルがわずかに眉をひそめる。

その隙を、ギュンターは逃さない。剣を構え、足を一歩滑らせた。砂塵が舞う。

「続きは三人でやるか?」


ベガは息を荒げながら、わずかに笑った。

「助け舟ってわけか?」


「まあな。お前らは金回りはいいし、太っ腹だからな!」


空気が一変した。

三人の間に張り詰めた沈黙。夜の街が息を潜め、風さえ止まった。


ベガは短く息を吐いた。

(…こいつが来たなら、まだやれる…!)


ギュンターがにやりと笑う。

「さて、帝国の犬野郎。——二対一で、どうだ?」


空が次第に明るくなる。三つの影が交錯する。

戦いの第二幕が始まった。


三人の影が交錯するたび、金属の打ち鳴らす音が空気を震わせる。

「……はあっ、くそ……!」

ベガが息を切らしながらナイフを振るう。


ギュンターの剣がその隙を補うように滑り込み、パウルの剣を弾く。

一閃、二閃、三閃——まるで舞のような攻防が続く。


パウルの剣筋は理詰めでありながら、どこか狂気を孕んでいた。

踏み込みは一歩ごとに鋭く、間合いを詰めるたびに殺気が増す。

二人がかりでようやく釣り合う。だが

(……いや、違う。釣り合ってるように見せかけられてる!)

ベガは肌で感じていた。パウルはまだ“余裕”を残している。


「くっ……はぁ……!」

ギュンターの額から汗が滴る。

剣を振るうたび、筋肉が悲鳴を上げる。

(な、何でこいつは……これほど、はぁッ……動き回れる……?)

ギュンターが荒い息の合間に呟く。


パウルは右脚に傷を負っているはずだった。

それでも、重心はぶれず、まるで痛みを無視しているようだった。


「集中力を切らすな!」

ベガが叱咤する。


その瞬間だった。

パウルの目が細くなる。

「——遅い」

風を切る音が走る。


ギュンターの身体が宙を舞った。

咄嗟に剣で防いだが、その直後、腹部に重い衝撃。

「ぐはッ!!」

息が抜け、空気を掴もうとする手が宙を切る。

背中から石壁に叩きつけられた。鈍い音。空気が止まる。


壁に弾かれたギュンターの身体が崩れ落ちる。

意識が揺らぎ、視界が滲む。

(……重い……何だこの一撃……!)

腹に熱い痛み。呼吸ができない。

耳の奥で自分の鼓動が爆音のように鳴っている。


パウルは迷いなく距離を詰め、剣を持ち替える。

その目は氷のように冷たい。

「二匹目は容易い」

剣の切っ先がギュンターの喉元に伸びる。


だが、そこで火花が散った。

キィン!という高音と共に、ベガの即席の分銅鎖が剣を弾いたのだ。


「させるかよッ!」

ベガが叫び、血まみれの腕で体当たりする。

パウルがわずかに体勢を崩す。

ギュンターを庇うように立つベガ。その眼光は獣そのものだった。


「……なあに、遊んでんだよ」

静かな声が後方から響いた。

振り向けば、そこにフレッドが立っていた。

いつの間にか、煙草を指で弾き、口元には薄い笑み。


「そいつがパウルなんちゃらか?」


ベガは荒い呼吸を整えながら頷く。

「そうだ……後は任せた……殺すなよ……」

その言葉に、安堵と限界が混じっていた。

力尽きるように壁にもたれ、座り込む。


「あいよ」

フレッドは短く答えた。気楽な声だった。


だが、その瞬間、空気が変わる。

視界の中から、フレッドの姿が“消えた”。


次の瞬間——

パウルの両腕が、肩口から「ぼとり」と落ちた。


何が起きたのか、誰も理解できなかった。

剣を振るう暇すらなかった。


パウルは両腕を失ったというのに、呻き声も上げない。

その代わり——笑った。


「なるほど……なるほど! 噂にたがわぬ……いや、それ以上だ!」

目を見開き、嗤う。

その笑みには狂気と快楽が入り混じっていた。


「くはははは……っ!」


彼は自らの両腕を見下ろし、血が噴き出す中、静かに足を動かす。

落ちた腕を器用に足で転がし、拾い上げると、まるで人形のように“垂直に立たせた”。


そして、自らの喉元に剣先を導くように、ゆっくりと倒れ込んだ。


ズシュッ。


鈍く湿った音が響く。

パウル・ベニヒゼンの身体が、夜明けの光が照らす中に崩れ落ちた。

笑みを浮かべたまま、血の海の中で動かなくなる。


フレッドは無言でその光景を見下ろしていた。

煙草の火が、かすかに揺れる。

「……気に入らねぇ終わり方だな」


ギュンターが壁際で咳き込みながら呟く。

「おい……お前、人間か……?」


フレッドは肩をすくめて答えた。

「ただの傭兵さ」


ベガが薄く笑う。

「……ただの、な……は、はは……」


風が吹き抜け、血の匂いと共に静寂が戻る。

三人の影だけが、朝陽の中で長く伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ブラウンクラウン酒が飲みたい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ