表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光を求めて  作者: kotupon


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

428/444

帝国の影

地下書庫。その一角を改装した地下部屋に執事が来る。

一歩前に出て、深く頭を下げた。

「――今すぐにお会いになさるとのことです。どうぞ、こちらへ」


案内されるまま、クリフ、ケイト、マンフレート、ユリウスの四人は応接間へと足を踏み入れた。

そこには、エルフリーデ・デ・ケレンズ伯爵が待っていた。


彼女は品のある紫のドレスを纏い、薄く結い上げた金髪が蝋燭の光を柔らかく反射していた。

その背後には二人の護衛、そして侍女と執事が控えている。

室内は香木のほのかな香りに満ち、窓辺の重厚なカーテンが風に揺れてわずかに光を透かしていた。


「……貴方たちが、シャイン傭兵団ね」

その声は、静かでありながら芯の強さを帯びていた。


クリフとケイトが姿勢を正す。

マンフレートとユリウスも控えめに頭を下げる。


だが次の瞬間、予想外の行動が起こった。

「――お礼を言うわ。エリジェの命を救ってくれて、本当にありがとう」

ケレンズ伯爵が深く頭を下げたのだ。


その光景に、室内の空気が凍りついた。

高貴なる伯爵が、一介の傭兵たちに頭を垂れる――それは、この王都の常識からすればあり得ないことだった。


だが、マンフレートとユリウスだけは静かに見守っていた。

彼らは知っている。

ブランゲル侯爵家とシャイン傭兵団の関係が――もはや家族に近い絆がそこにあることを。


やがて、ケレンズ伯爵が顔を上げた。

「静まりなさい」

その声は侍女たちに向けられたものだった。

ざわめきかけた空気を、たった一言で鎮める。


そして、ゆっくりとクリフを見つめて言った。

「――伯爵として頭を下げたのではありません。一人の母親として……エリジェの母として、お礼を申し上げたまでです」


その瞳には、冷静さの奥に確かな温かさと誇りがあった。


クリフは少し肩の力を抜き、頷く。

「……シマに、団長には必ず伝える。あー……敬語が苦手でな、この話し方でいいかな?」


ケレンズ伯爵は一瞬きょとんとし、やがて小さく笑った。

「ふふっ、いいのよ。その方が貴方たちらしいわ。――婿殿の手紙にも、あなたたちのことがよく書かれていたの。早く会ってみたかったのよ」


「婿殿」という言葉に、ケイトが軽く首を傾げる。

「ブランゲル様のことですね?」


「ええ。イーサンは昔から真面目で、時々頑固なところもあるけれど……貴方たちのような人たちと交流を持てたのは正解だったと思うわ」

ケレンズ伯爵の言葉は柔らかくも、どこか誇らしげだった。


クリフが微かに笑みを返す。

「そう言ってもらえると光栄だな。俺たちもブランゲルには助けられてる」


「それはお互い様でしょう。イーサンもエリジェもエリカも、どんなにあなた方を信頼しているか、手紙を読めばすぐにわかります。……特にエリカはは無鉄砲なところがありますからね」

伯爵の言葉に、ケイトが小さく微笑んだ。

「ええ、とても。けれど、それが彼女の強さでもあります」


ケレンズ伯爵は満足げに頷き、執事に合図を送る。

温かな茶が再び注がれ、室内には落ち着いた香りが漂う。


「さて――本題に入りましょうか」

伯爵の声が穏やかに戻る。

「貴方たちがここに来たのは、ただの挨拶ではないでしょう?」


クリフが背もたれに軽く体を預けた。

先ほどまでの柔らかな笑みは消え、鋭い眼光が戻っていた。

「ええ。今の王都の動きについて、俺たちも確認しておきたいことがある」


低く落ち着いた声が、部屋の空気を引き締める。

ケレンズ伯爵――エルフリーデは、そっとティーカップを受け皿に戻した。

白磁が小さく触れ合い、微かな音が響く。

彼女の表情は穏やかだが、瞳の奥には濃い陰が宿っていた。


王妃、宰相、そして動き始めた諸侯たち。

いま王都を覆うのは、見えない火薬の匂い――。

誰もが息を潜めているが、火種はすでに撒かれている。

それを伯爵も、痛いほど理解していた。


ケイトが、真剣な面持ちで口を開く。

「単刀直入に申しあげます……どこまでが“想定内”で、どこまでが“想定外”だったんでしょうか?」


彼女の言葉に、エルフリーデは目を細めた。

まるで暗闇の中に浮かぶ地図を思い描くように、静かに息を整える。

「……そうね。整理してお話ししましょう」


室内が静まり返る。

侍女も護衛も動きを止め、ただ伯爵の言葉を待つ。


「まず、想定“内”のことから話すわ。日和見の貴族たちが第二王子側につくこと。法衣貴族たちが動くこと。第二騎士団、第三騎士団が同調すること――すべて予想の範囲内でした」


その声は落ち着いていたが、ひとつひとつの言葉には重みがあった。

「ついたところで、有利な状況は変わらない。どれほど人員を抱えようとも、組織の根が浅い以上、戦略的価値は限定的……そう考えていました。だからこそ、こちらは焦らなかった」


ケイトが頷く。

「つまり、第二王子派が人を集めても――脅威とは見なしていなかった、と」


「ええ」

エルフリーデは小さく頷き、そして言葉を続けた。


「……けれど、想定外があったの」

その瞬間、彼女の指先がわずかに揺れた。

ティーカップを支える仕草に、隠しきれぬ緊張が走る。


「まず――アンヘル王国の将軍、ゲルゾーン・デ・ブライヒレーダー伯爵。彼が第二王子を“推す”と明言したこと。これが誤算の一つ目です」


マンフレートが息を呑む。

「ブライヒレーダー伯爵様が……?」


「そう。表向きは中立を保っていたはずのアンヘル王国軍部が、ここにきて露骨な態度を示した。彼が一枚噛んだというだけで、情勢は一気に傾いたわ。戦場の経験、戦略眼、そして人脈。彼は、ただの貴族将軍ではない。イーサンと並ぶアンヘル王国の“戦”の象徴よ」


クリフが腕を組み、低く唸る。

「……なるほど。ブランゲルも一目置く相手か。そいつが動けば、戦局が二転三転するのも納得だ」


「次に――外務政務官、オーギュスト・ド・スタール男爵。彼の寝返り。これが第二の誤算」


ケイトの眉がわずかに動く。


「彼は表面上は穏やかで、信仰深く、几帳面な官僚に見える。けれど実際は、己の利と名誉のためなら国をも売る男だったわ。」


「……それは痛いな」

クリフが低く呟く。


エルフリーデは頷いた。

「ええ、痛手です。そして、この二つの想定外が重なった結果――第一王子派は、今や圧倒的に不利な状況にあります」


彼女の声に滲む苦味。

その一語一語が、現実の重さを突きつけていた。


「軍部が第二王子派についたこと。これが決定的だったわ。王の軍が、もはや“王”を守るためのものではなくなっている。彼らは、次の王を選ぶための力へと姿を変えたの」


ケイトが息を詰めた。

「軍部がついたことで……強行策に移した、ということですね?」


「ええ、その通りよ」


エルフリーデの声が、冷たく沈んだ。

「北の倉庫地帯から物資を“押収”した――。第二王子派の強硬策の始まりよ。名目は“戦時物資の確保”。

 けれど実際は、反対派貴族の流通網を断ち、民衆の不満を煽るためのもの。狡猾で、残酷で、そして速い」


マンフレートが苦い顔をする。

「……民を犠牲にして、敵を弱らせると」


「そう。軍部の動員が始まれば、物資の流れは完全に第二王子派の掌の中。この王都の市場すら、すでにその影響を受けているわ」


ケイトがカップを見つめながら、静かに言った。

「物価の上昇……」


「不満を募らせた民は、やがてどちらかの旗を選ばざるを得なくなる。それこそが、第二王子の狙いよ」

エルフリーデは長く息を吐き、紅茶に口をつけた。

その瞳は遠くを見るように、わずかに細められていた。


「……静かに見えて、もう戦は始まっているのよ。剣より先に、金と情報が火をつけたの」


「……あの~、ブランゲル侯爵様とブライヒレーダー伯爵様は戦友であり、仲がよろしかったと聞いていますが……?」

控えめながらも真剣な眼差しで問うユリウスの声が、重く張り詰めた空気をわずかに震わせた。


ケレンズ伯爵――エルフリーデは、膝の上で組んでいた両手をゆっくりと持ち上げ、指先を軽く合わせる。

「その通りよ」

声は穏やかだが、わずかに哀しみを帯びていた。

「この邸宅にも何度か遊びにいらしたことがあるわ。イーサンとエリジェの結婚のときも、まるで我がことのように喜んでくださった。公明正大で、潔癖なほど誇り高い人物であり……兵からの信頼も厚く、あの方のもとで戦いたいという者は多かったのよ」


エルフリーデの言葉には懐かしさがにじむ。

だが、その声の余韻が消えるころには、部屋には再び重苦しい沈黙が戻ってきた。


「……中立を保っていた男が、急に第二王子派につく……?」

クリフが眉を寄せ、深く椅子の背もたれに沈み込みながら低くつぶやく。

その声音には、単なる疑問ではなく、直感的な警戒が滲んでいた。


マンフレートが隣で静かに頷き、言葉を継ぐ。

「国王陛下を……アンヘル王国までも裏切るということになりますね…」

冷静な分析だったが、その瞳の奥には焦燥の色が隠せない。


「……それがわからないブライヒレーダー伯じゃないでしょう?」

ケイトが腕を組み、長い睫毛の奥から鋭い視線を放つ。

「戦略にも通じた人だと聞いてるわ。国内の混乱が国外に隙を作るなんて、誰よりも理解しているはず」


その言葉にエルフリーデも頷き、少し唇を噛む。


クリフが机の縁に指をトントンと打ちつけながら低く呟いた。

「……内戦になれば国力は落ちる。国外から干渉されるのは目に見えてる。それがわからねえ連中じゃねえはずだ」

その声音には、戦場を知る者の現実感があった。


エルフリーデは深く息を吸い、視線を鋭くした。

「……今から言うことは機密事項よ。ここにいる者以外には決して漏らさないで」

そう言って護衛の方に目をやり、静かに頷かせる。

部屋の扉が音もなく閉じられた。外の廊下の気配すら、今は遠い。


「確証はないのだけれど……帝国の者が、この王都に潜り込んでいると思っているわ。あるいは……彼らの手先になっている者がね」


その一言で、室内の空気がさらに冷えた。

ケイトが一瞬息を呑み、クリフが背もたれから身を起こす。

ユリウスとマンフレートは視線を交わし、表情を硬くした。


「名前を挙げるわ。外務政務官、オーギュスト・ド・スタール男爵。そして……王家特別監察官長官、カーロッタ・デ・マッケンゼン伯爵」

エルフリーデの声は低く、しかし刃のように鋭かった。

「私の中では――黒だと確信しているわ」


その瞬間、蝋燭の炎がひときわ強く揺れた。

まるでその名を告げること自体が、王都の静寂に亀裂を入れたかのように。


ケイトが唇を結び、静かに呟く。

「……帝国の影、ですか……」


クリフは腕を組み、目を細めながら低く言う。

「……厄介だな」


エルフリーデは深く頷き、苦々しく言葉を重ねた。

「ええ。彼らの狙いはおそらく――“王国の分断”よ。そして、その渦の中心に第二王子を据えようとしている」


静まり返る部屋、沈黙を破ったのはケイトだった。

 金糸のような髪を揺らし、深く思案の表情を浮かべながら、彼女は静かに口を開く。

 「……第二王子の側近に、パウル・ベニヒゼン。彼も帝国の人じゃない?」


 その名が出た瞬間、場の空気がわずかにざわめいた。

 マンフレートは眉をひそめ、ユリウスは顔を上げる。


クリフは腕を組み、ゆっくりと視線をエルフリーデへ向けた。

 「ケレンズ伯爵は……その男に会ったことがあるのか?」

 低く落ち着いた声。戦場で幾度も生死を分けてきた男の、敵を探るような響きだった。


 エルフリーデは一度小さく息を吐き、首を振った。

 「ないわね。……マキシミリアン・フォン・アンヘル王子殿下とも、もう何年もお会いしていないの。側近たちの名と出身貴族家の記録くらいは覚えているけれど、顔までは分からないわ」


 その声音には、かつて宮廷に出入りしていた頃の記憶と、長年王都の動きを静観してきた者の慎重さがにじむ。


 「俺たちが調べた限りじゃ……」

 クリフが椅子に深く腰を下ろし、掌を組みながら言葉を続けた。

 「パウル・ベニヒゼンはアンヘル王国の出身じゃねえみたいだ。どうも王家特別監察官長官――カーロッタ・デ・マッケンゼン伯爵の推薦で、いきなり第二王子の側近に抜擢されたらしい」


 ケイトがすぐに補足するように言葉を重ねる。

 「七年前の話だって報告があります」


 その言葉に、エルフリーデの指がピクリと止まった。

 「……七年前?」

 彼女は息を呑み、ゆっくりと顔を上げる。

 「……前国王陛下が崩御なされた年……!」


 室内に静寂が落ちた。

 その一言が、全員の胸に重く響いた。


七年前――王国全土が喪に服し、政変の嵐が吹き荒れた混乱の年。

多くの派閥が姿を現し、宮廷の中でも闇が蠢いていた時代。

 「……混乱に紛れて……!」

 エルフリーデの声には怒りと悔恨が混じっていた。

 「やられたわね……彼らはあの時から、ずっと機を伺っていたのね……!」


 ケイトは拳を握りしめ、視線を落とす。

 「七年前に潜り込んでいたとすれば、今や王都の中枢に根を張っている可能性も……」


 「外務政務官のオーギュスト・ド・スタール男爵も、その線で動いていたのかもしれねぇな」

 クリフが低く唸るように言った。

 「エリカから聞いた話じゃ、“信頼できる人物”だったんだろ?ブランゲル侯爵家とも良好な関係を築いてた……だが、寝返ったってんなら話は別だ。奴は帝国、そして第二王子派に情報を流していた可能性が高い」


 エルフリーデの瞳が鋭く光る。

 「……ブランゲル侯爵家の動向が筒抜けになっている……そう考えるのが自然ね」


 マンフレートが険しい表情を浮かべ、声を落とす。

 「……王妃様もご存知ないのでは? この件、王家の中でも共有はされていないはずです」


 その瞬間、エルフリーデは椅子を勢いよく立ち上がった。

 重厚なドレスの裾がふわりと揺れ、鈍い金の刺繍が光を反射する。

 「今から王妃様に会いに行きます。――用意をしなさい!」


 凛とした声が部屋に響いた。

 執事と侍女たちが即座に動き出し、衣装と馬車の準備に走る。

 護衛の兵が扉の外で号令をかけ、廊下を駆け抜ける足音が連続する。


 クリフはその様子を見ながら立ち上がり、深く息を吐いた。

 「行動が早ぇな、伯爵」


 「悠長に構えている暇はないわ」

エルフリーデは冷たく言い放つ。


 ケイトも立ち上がり、マントの留め具を整える。

 「王妃様への報告……同行させていただけますか?」


 「もちろんよ。あなた方がこの話を持ち込んだのですもの。証人として立ち会ってもらうわ」

 エルフリーデの声には、揺るぎない決意がこもっていた。

 彼女はただの伯爵ではない。

王都の政に深く関わり、王家と血縁にも近い立場にある人物。

その彼女が自ら動くということは、もはや事態が一線を越えたことを意味していた。


「……帝国の影がここまで伸びているのなら、今ここで立ち上がらなければ、この国は食い潰されるわ」


 クリフとケイトは静かに頷き、彼女の後を追う。

 扉の外には、すでに馬車の支度が整っていた。

黒塗りの車体にケレンズ家の紋章が輝き、御者台には屈強な兵が座っている。


 空にはまだ灰色の雲が垂れこめていた。だがその下で、王都の空気は確実に変わりつつある。

 権力、陰謀、忠誠、裏切り――。

 それらすべてが入り混じる、嵐の前の静けさ。


 エルフリーデは振り返り、短く言った。

 「行くわよ、クリフ、ケイト。王妃様の前で――真実を明らかにするの」


 馬車の扉が閉まり、重い音が響いた。

 蹄の音が石畳を叩き、ケレンズ邸を後にする。

 その音はまるで、迫りくる嵐の鼓動のようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ