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光を求めて  作者: kotupon


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425/452

ブランゲル侯爵家諜報部隊?!

青年の名は――ユリウス。

 年齢、二十五。

 ブランゲル侯爵家諜報部所属。配属されてからまだ一年にも満たない。


 (……なるほどな)

 ベガは歩きながら、青年の態度を観察していた。

 足取りは落ち着きを取り戻したように見えるが、肩の動きがまだ硬い。

 緊張が抜けていない。

 そのあたりの未熟さが、経験の浅さを物語っていた。


 「……ユリウス、って言ったか」


 「は、はい。ユリウス・ランデルと申します」


 「ランデル、ね……貴族出か?」


 「元平民です。侯爵様から騎士爵を賜りました。書記官補佐で書類整理をしていたところを、諜報部の補充で配属されて。」


 ベガは短く鼻を鳴らす。

 「書類屋がスパイに転職か。そりゃ人手が足りてねえってわけだ」


 ユリウスは苦笑いとも言えぬ曖昧な笑みを浮かべた。

 「お恥ずかしい話ですが……はい。その通りです」


 ブランゲル侯爵家諜報部――。

 侯爵家直属の“影”の組織であり、主な任務は情報収集、政治的監視、そして王都・周辺諸侯間の動向の把握。

 だが、今その組織は極端な人員不足に悩まされていた。


理由は三つ——まず一つ目は、侯爵自身の姿勢にあった。

情報の価値を誰よりも理解していながら、武を重んじる気質ゆえに、影の働きをどこか軽んじていた。


二つ目は、近年の情勢の激変だ。

王国も近隣諸国も内外の争いが絶えず、従来の諜報網では対応しきれず崩壊に近い状態にある。


そして三つ目——最も現実的な理由は、“諜報”という仕事そのものに命を懸ける者が減ったことだ。

闇の中で動き、成功しても名は残らない。

危険ばかりが多く、報酬は少ない。

戦場で華々しく名を上げたい若者たちは、陰に生きる覚悟を持てず、次々と別の道を選んでいった。


その結果、現在王都にいるブランゲル侯爵家の諜報員は――ユリウスを含め、わずか五名。

 それぞれが単独行動を強いられ、連携も薄い。


 「いま、我々は――ケレンズ伯爵邸を拠点にしています」


 「……ほう?」

 ベガの目がわずかに細くなった。


 「侯爵家の命令で、です。直接ではありませんが、伯爵家と“情報の共有協定”を結んでいます。」


 「裏は別だな」


 「……はい。ブランゲル様とケレンズ様の間には、王都の物資の流れ、商家の資金源、軍需品のルート……そのあたりの監視を共同で行っているようです」


 「ふむ……」

 ベガは無言で歩みを止め、路地裏の影に身を寄せた。

 ユリウスもそれに倣う。


 通りには、貴族の馬車が数台通り過ぎる。

 馬蹄の音が響き、車輪の鉄が石畳を削るような音を立てる。


 「……去年の春頃。あのとき、私は侯爵家の書記補佐として随行していました。……シャイン傭兵団の方々を見かけたのは、そのときです」


 「……なるほどな」


 ユリウスの脳裏に、あの日の光景が蘇る。

 そして、侯爵の低い声が耳に焼き付いている。

 『いいか、ヤツらの顔を、声を、歩き方を、呼吸ひとつ見逃すな。一人一人、必ず記憶に刻め。シャイン傭兵団の情報は“すべての基礎”になる。』


 ブランゲル侯爵のその声は、どこか異様だった。

 単なる命令ではなく、“確信”にも似た響きがあった。

 まるで、彼が未来を見通しているかのように。


 ユリウスは無意識に拳を握る。

 「……あの日の侯爵様の言葉が、ずっと頭に残っていました。だから今日、あなたを見た瞬間に確信しました。間違いない、と」


 ベガは鼻を鳴らした。

 「へぇ、そいつは光栄だな。ブランゲル侯爵家の“基礎”にされるとは思わなかったが」


 「い、いえ! そういう意味では……!」


 「冗談だよ。落ち着け」

 短く笑うベガ。

 「で、ユリウス。お前ら、今どこに寝泊まりしてる?」


 「ケレンズ邸の地下書庫を一部改装した部屋を使っています。五人それぞれが分担して、王都の各区域を巡回。……報告は、夜明けと日没に必ず一度ずつ。情報の交換は紙ではなく、“口頭のみ”。残らないように」


 「まあ、当然だな。」


 ユリウスはこくりと頷く。

 「ええ……けれど、正直に言えば、怖いです」


 「怖い?」


 「……はい。誰が味方で、誰が敵なのかも分からない。でも――命令は絶対ですから」


 ベガは腕を組み、静かにうなずいた。少し考え、ニヤリと笑った。

 「よし、ユリウス。いいニュースと悪いニュースがある」


 「いいニュースは――お前、今日から俺の監視対象から外れた。」

 唐突に告げたベガの声に、ユリウスはきょとんとした表情を浮かべた。

続く言葉はさらに彼の思考を止めた。

 「悪いニュースは――今から俺たちの“連絡係”になった。」


 「れ、連絡……?」

ようやく口を開いたユリウスの声は、かすかに裏返っていた。


 「そうだ。お前にはちょうどいい。目立たねえし、真面目そうだ。」

 軽口を叩くように言いながらも、ベガの横顔は笑っていなかった。

むしろその目の奥には、状況を冷静に見極める鋭さが光っている。


 「……で、でも、それは……命令違反になるんじゃ……?」

ユリウスは言葉を詰まらせる。

 ブランゲル侯爵家の諜報員である彼にとって、正式な報告ルートを外れることはあり得ない話だ。

彼のような新参にとって、それは即ち“死刑宣告”にも等しい行為だった。


 「ブランゲル様には俺たちから話を通す。事後報告になるがな。」

 軽い調子のベガの言葉に、ユリウスの顔色が一気に青ざめた。

 「だ、大丈夫でしょうか……?」


 「大丈夫に決まってるだろ。」とベガは笑った。

 「俺たちはシャイン傭兵団だぜ。俺たちの力を誰よりも理解してるのはブランゲル様だと俺は思ってる。」

 その言葉には、不思議な説得力があった。

 「まあ、任せとけ。お前にお咎めがいかねえように配慮するからよ。」


 「……」

 ユリウスは一瞬だけ迷いの表情を浮かべ、しかしすぐに頷いた。

 「……わかりました。お任せします。」


 「よし、話が早くて助かる。」

 そう言ってベガは軽く背を叩くと、先に立って歩き出した。

 

 ユリウスはその背中を見つめながら、ふと自分の胸に手を当てた。

 鼓動が速い――恐怖ではない。

 何か、大きなものに巻き込まれていく予感がした。


王都の貴族街を抜け、徐々に石畳が割れ、泥と埃が混ざり合う通りへと変わっていく。

高級な馬車の往来が消え、かわりに薄汚れた外套を着た者たちが肩をすぼめて行き交う――王都の“裏”が顔を覗かせる。


 光の届かない裏通りに入ると、途端に空気が変わった。

 腐った野菜の匂い、焦げた油、鉄と血のような匂いが混ざり合う。

 遠くで怒号が上がり、どこかの路地で子どもが笑っている声がする。


 「……ここが……?」


 「そうだ。スラムの入り口だ。」

 ベガは言った。

 足元に転がる瓶を避けながら、彼は気楽な調子で続ける。

 「すぐわかる。昼でも薄暗ぇ。けど、ここにゃ生きる知恵が詰まってる。表の奴らよりよっぽど現実的だ。」


 ユリウスは緊張した面持ちで辺りを見回した。

布を張っただけの家々、焚き火の煙、そして自身を見る目――それは好奇でも敵意でもなく、“観察”だった。

 「……すごいところですね……」


 「最初は誰でもそう言うさ。けど、慣れりゃ悪くねえ。人間くせえ場所だ。」


  王都の喧噪を抜け、夕闇の差しこむスラムの中心地へ――。

 ベガとユリウスは、まるで空気そのものが違う世界に足を踏み入れた。

舗装などない地面には泥が溜まり、路地裏では焚き火の煙が白く立ち上る。

だがその奥に、場違いなほど堂々とした屋敷がひときわ存在感を放っていた。


 「チューファ一家」の大邸宅。

今は、スラムを掌握したシャイン傭兵団の臨時本部となっている。


 門の前には、見張りに立つチューファ一家の手下が二人。

粗末な服に身を包んでいるが、腰にはきちんと剣を下げている。

彼らはベガの姿を認めるなり、姿勢を正し、深く頭を下げた。


 「お帰りなさい、ベガさん!」

 「ご苦労様です! クリフさんたちも既にお戻りになっております!」


 「そうか。助かる。」

 ベガは軽く頷きながら言う。その口調には自然と風格が滲む。

スラムにおける“シャイン傭兵団”という名の持つ重みが、もはや絶対的なものになっている証だった。


 隣を歩くユリウスは、門をくぐった瞬間に思わず感嘆の声を漏らした。

 「す、すごい……立派な邸宅ですね……!」

 彼の瞳は、まるで城館を初めて見た少年のように輝いていた。


 ベガは苦笑を浮かべて肩をすくめる。

 「まあ、いろいろあってな。ここも最初は血の臭いしかしねぇ場所だったが、今じゃ“仮本部”だ。皮肉なもんだろ?」


 中は、意外にも温かい光に満ちていた。

大広間へ続く廊下の壁にはランプが等間隔に掛けられ、甘い香辛料の匂いと、かすかに焼き立てのパンの香りが混じって漂う。


 ユリウスは思わず背筋を伸ばす。

スラムの只中とは思えない空気だった。


 やがて二人が大広間に入ると、ざわりと視線が集まった。

 広間の中央には長いテーブル。その上にはワイン、エール、紅茶、そして軽食が並び、まるで貴族の夜会のような光景だった。


 テーブルの周囲には、クリフ、ケイト、ザック、フレッド、ユキヒョウ、情報屋のエグモントとギュンター、さらにラコ一家の親分ファイン、クイレイ商家の店主クイレイの姿があった。


 「エグモント、無事だったようだな。……報告はしたのか?」

ベガが尋ねると、エグモントは軽く首を振った。

 「いや、一同が揃ってから説明した方がいいと言われてな。お前の帰りを待っていたところだ。」


 「そりゃ、ありがたい話だ。」

ベガが笑い、椅子を引く。


 そのとき、フレッドの目がユリウスに向いた。

 「おい、お前……カシウム城にいたやつだよな?」


 突然の指摘に、ユリウスはびくりと背を伸ばした。

 「は、はいっ! ブランゲル侯爵家諜報部隊に属しております、ユリウス・ランデルと申します!」


 その名乗りを聞いた瞬間、場の空気が一瞬だけ変わった。

 ザックがワインを片手にニヤリと笑い、「へえ、ブランゲルのとこのやつか」と何気なく口にした。


 次の瞬間、ぎょっとしたのは周囲の面々――特にエグモント、ギュンター、ファイン、クイレイだった。

 (こ、この人たち……侯爵様を呼び捨てに……!?)

 ファインなどは、青ざめた顔のままグラスを持つ手が小刻みに震えている。

クイレイに至っては目を伏せ、何度も喉を鳴らした。


 スラムの中で、侯爵を名指しで呼び捨てにする――そんなこと、常識の世界ではあり得ない。

だがこの場では、それが“当たり前”のようだった。


 ケイトが優しく微笑み、ユリウスに手で「どうぞ」と席を示した。

 「座って。そんなに緊張しなくていいわ。」


 「は、はい……!」

 ユリウスは恐縮しながらも、促されるまま椅子に腰を下ろす。


 ユキヒョウがグラスを手に取り、ベガたちに向けて微笑んだ。

 「ベガ、このワイン、美味しいよ。君もどうだい?」

 淡い赤が灯りに照らされて美しく揺れる。


 「こいつは上等な葡萄酒だな……まさかスラムで飲めるとはな。」

ベガが笑って受け取る。


 「うん、ファインからの差し入れだよ。ちょっとした掘り出し物らしいよ。」


 ザックが豪快にワインを煽りながら、「この酒、マジでイケるぞ!」と笑う。

 フレッドが「俺のおかげだからな」と笑い返し、ケイトは呆れたように肩をすくめた。


 ユリウスはその光景をぼんやりと見つめていた。

 (……これが……シャイン傭兵団……?)

 戦場での彼らの噂は聞いていた。冷酷で、恐れられる傭兵たち。

しかし今、目の前にいる彼らは不思議なほど穏やかで、どこか家族のように見えた。


 そして、そんな彼らの中にブランゲル侯爵の名が“自然に”存在している。

尊敬でも恐怖でもない。対等な、いや、ある意味では“信頼”にも近い響きで――。


 「それで、ユリウス君。」

 ユキヒョウが軽くグラスを回しながら、穏やかに言葉を続けた。

 「君はブランゲル家の諜報部所属だったね。ここに来た理由は――単なる任務、というわけではなさそうだ。」


 ユリウスははっとして姿勢を正した。

 「は、はい! 本日は……ベガさんのご判断により、連絡係として同行しております!」


 「ふむ、連絡係か。」

ユキヒョウは興味深げに笑った。

 「それなら、君にしかできないことも増えるだろう。情報の橋渡しは、戦うことよりも重要だからね。」


 フレッドが「ま、そう堅くなるなよ。ブランゲルのとこの奴なら無下に扱うことはしねえからよ」と言って笑う。


 ザックも「おう、まずは飲め。話はそれからだ!」とワインを押しつける。


 「あ、あの、私は任務中で――」


 「任務中も何も、もうここがお前の任務地だろ?」

ベガが割り込むと、場の空気は笑いに包まれた。


 ユリウスは真っ赤な顔で、差し出されたグラスを両手で受け取る。

 そして――ほんの一口、口に含む。

 「……お、美味しい……」

 素直な感想に、誰からともなく笑い声が上がった。


 ワインの香り、味、笑い声、そのすべてが混ざり合い、大広間は奇妙な“温もり”に満たされていた。

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