一件落着?!
クイレイ商家――重厚な扉の奥、静まり返った応接間。
先ほどまで酒と笑い声で満ちていた空間は、まるで別の世界に変わっていた。
空気は凍てつくように冷たく、誰一人として息をする音すら立てられない。
ケイトは椅子に腰かけたまま、足を組み、静かに言った。
「証文を持ってきなさい」
その声音は、冷水を垂らした鉄のように、鋭く、冷酷だった。
息を呑むクイレイ。
その顔は死人のように青ざめている。
地面に額をこすりつけたまま、ファインが喉を張り裂けるように叫ぶ。
「クイレイッ!! も、持って来いッ!!!」
「……は、はいぃッ!……」
クイレイは半ば転げるように立ち上がり、部屋を飛び出していく。
静寂。
残されたのは、ケイトの視線に釘づけとなったファインと、その部下たち。
彼らはもはや人ではなく、ただの震える影のようだった。
「……べ、弁明の機会をッ! な、何卒ッ!」
地に這いつくばりながら、ファインは搾り出すように言った。
ケイトは微動だにせず、ただ一言だけ返す。
「……聞いてあげるわ」
その声には慈悲などなく、ただ冷静な「裁き人」としての響きだけがあった。
ファインは必死だった。
まるで命の火をつなぐように、早口で言葉を並べ始める。
「た、確かに……我々は貸金業を営んでおります! ですが……む、無茶な金利を設定したつもりはございません!!」
頭を擦りつけながら、声を震わせて続ける。
「細く……長く、吸い上げるのがラコ一家のやり方でございます! 債務者を潰してしまえば、回収することも難しくなる……我々は、そ、そうした真似はいたしません!」
その場の空気は重く、冷たい。
フレッドは腕を組み、椅子の背にもたれかかって無言で聞いていた。
まるで「どうあがいても無駄だ」と言わんばかりの目で。
ファインの喉はすでにかすれていた。
「ま、また……そうなった場合、身柄を押さえて売ることも確かにございましたが……!」
ケイトの視線がわずかに鋭くなる。
ファインは慌てて続ける。
「た、ただ、人身売買は足元を見られ、安く買い叩かれます……! 挙げ句の果てには、奴隷商人たちとの折半で、ほとんど利益にならぬのです! 娼婦にさせても、逃げられぬように管理せねばならず、人手もかかり……まったく、旨味のない商売なのです!」
その言葉を聞くケイトの表情は、微動だにしない。
ただ冷ややかに、淡々とその「弁明」を聞いていた。
ファインは恐怖で口が勝手に動いていた。
沈黙が恐ろしかった。止まれば殺される――その直感が、彼を喋らせていた。
「そ、そもそも……我々ラコ一家は、平民を相手に金貸しなどしておりません! そんなはした金をもらっても、高々知れています!」
「我々の相手は……大店や商家、貴族たちでございます! そこから利を取ってこそ、組織は潤うのです!」
彼の声は次第に熱を帯びる。
命乞いのための「理屈」は、いつしか自分に言い聞かせる「正当化」に変わっていた。
「で、でなければ! ゾゾ一家に次ぐ勢力など、築けるはずがありません!! 小銭稼ぎに精を出していたのでは、とてもここまでには――」
「――それで?」
ケイトの一言が、すべてを断ち切った。
声を発した瞬間、ファインの喉がひくりと動き、口が閉じる。
「それであなたたちは、ベンさんたち家族を困窮に追い込んだのね?」
ファインの顔から血の気が引いた。
汗が額から頬を伝い、床に落ちる音まで聞こえる。
「そ、それは……!」
「それはなんなの?」
ケイトの声は微笑を含みながらも、底知れぬ圧力を帯びていた。
その場の空気がひび割れるような緊張を孕む。
ファインは言葉を失い、唇を震わせた。
頭を下げたまま、ただ震える。
応接間の空気は、重く淀んでいた。
ベン、ヘラ、そしてリタ――三人とも顔色を失い、言葉を選ぶように口を開いた。
「……か、金を借りたのは、クイレイ商家からなんだ……」
掠れるような声で言うベン。
「ただ……その後ろ盾についているのが、ラコ一家であることは……間違いない」
静かに頷くケイト。
その隣でフレッドが腕を組み、険しい表情で尋ねる。
「最初はいくら借りたんだ?」
「い……一金貨だ」
「たった一金貨か」
フレッドの眉がピクリと動く。
ケイトが続けて問う。
「年利はどうなってたんですか?」
ヘラが、手を胸に当て、戸惑いを滲ませた声で答える。
「……年利、と言われても……よくわからなくて……。最初に言われたのは、『十日で一割返してくれれば問題ない』って……」
「十日で……一割?」
ケイトの目が細くなる。
「ええ、それで……十一回返したから、もう終わったと思ったの。けど、一年後に……『三金貨と六銀貨五銅貨を払え』って言われて……」
ベンが顔を歪め、拳を握りしめた。
「……小太りから言われたってわけか?」とフレッド。
ベンは無言で頷く。
フレッドの口角がピクリと上がった。
「……ハハッ、年利三六五%ってか。寝ても覚めても吸い尽くす地獄の金利だな」
ケイトは冷静な口調で言う。
「暴利どころじゃないわね。学がない人たちを食い物にして、好き放題……ほんと、下衆の極み」
沈黙。
部屋の空気が一気に冷える。
誰もが次に何が起こるかを察していた。
その時――。
「……も、持って……まいりました……」
廊下の方から、震える声が響いた。
クイレイだった。
顔は死人のように青ざめ、額からは玉のような汗が流れ落ちている。
両腕には、厚く積み重なった証文の束。
紙の角が震えるたびに、クイレイの歯がガチガチと鳴った。
「そんなにあるのか……?」とフレッドが呟く。
クイレイは返事もできず、ただ、引きずるような足取りで応接間へと入ってくる。
視線は泳ぎ、唇は紫色に変わっていた。
しかし、さらに異様だったのは――ファインの表情だった。
彼は地面に膝をついたまま、クイレイの方を睨みつけている。
その目には、怒りと殺意が剥き出しになっていた。
唇の端が引きつり、まるで「てめぇのせいで殺されるところだ」と言わんばかりの顔だ。
血走った眼。
爛々と光る瞳。
ファインの喉がカラカラに乾き、息を吸うたびにヒュウと音が漏れる。
クイレイは、そんな視線に気づき、ひたりと足を止めた。
肩がびくびくと震え、束ねた証文を抱える手が、今にも崩れ落ちそうに震える。
「……そ、その……こちらが……」
口を開こうとした瞬間、ファインの低い声が唸る。
「……テメェ、殺してやる……」
ケイトが視線だけでファインを制した。
「やめなさい、ファイブ」
その一言で、ファインの動きが止まる。
だが、その眼光は消えない。
殺意の炎が燃えたまま、ぎりぎりと歯を噛みしめていた。
ケイトは立ち上がり、ゆっくりとクイレイに歩み寄る。
「全部で何件?」
「……さ、三十件……です……」
声にならない囁き。
「そのうち、ベンさんの分はどれ?」
「こ、こちら……で、ございます……」
差し出された紙束をケイトが受け取る。
白い指が証文をめくるたびに、パラリ……パラリ……と乾いた音が響く。
「……十日で一割、ね」
その呟きは、静かに、だが確実に――嵐の前触れのように、場の空気を張り詰めさせた。
フレッドが片方の口角を上げ、椅子をきしませながら言う。
「ケイト、どうする?」
ケイトは一枚の証文を軽く振り、微笑んだ。
だがその笑みは、氷の刃のように冷たい。
「簡単な話よ。――この証文、全部“無効”にするだけ。その上で二十金貨を賠償しなさい。」
ケイトの声は冷たく、だが明確だった。応接間の空気が一拍引き締まる。
フレッドは肘をつき、付け加える。
「もう十分儲けただろうしな。この店なら大した出費じゃねえだろう…過去のことも気にはなるが…」
ケイトはフレッドに一瞥をくれ、声を落として言う。
「過去は今更変えられない。でも、未来は変えられる。クイレイ、話が終わったらすぐに賠償金を払いに行くのよ。それと、これからの営業方針を是正すること。」
クイレイは顔を真っ青にして震える手でうなずく。
「か、必ずッ! 必ずや支払いますッ!」と約束する。
フレッドはひと呼吸置いて、ふと商売目線で提案した。
「なあ、ケイト。こいつら、使えねえか? ファイブたちは貴族たちに金を貸してるって話だ。弱みを握ってる連中もいるだろうし、関係筋について詳しいはずだ。小太りのクイレイは商家だ。スラムに物資を運ばせたり、情報回しをさせる――うまく馴染ませれば、俺らの“手”にもなるぞ。」
その言葉に、応接間の空気が微かに揺れる。
ファイン――ラコ一家のナンバー5だった男――が顔色を変え、地面に額を擦りつけたまま喉を絞り出すように言った。
「我々は……シャイン傭兵団に、忠誠を誓いますッ! 手となり、足となり、耳となりますッ! もう二度と、クイレイのような者を野放しにしませぬ! この場で誓いますッ! どうか…ご慈悲をッ!!」
部下たちも連鎖のように膝をつき、声を揃えて誓いを繰り返す。
声は震え、しかし必死だった。クイレイは額の汗を拭いながら、かろうじて遅れて頭を下げる。
ケイトはしばらく沈黙して彼らを見下ろした。
テーブルの向いで、ベンとヘラ、リタが震えながらも互いの手を握りしめているのが見える。
彼らの顔には、まだ信じられないという表情と、安堵の影が混じっていた。
「条件は明確よ」とケイトが言う。
「まず、この証文は法的に無効とする。クイレイは直ちに二十金貨を用意し、被害者への賠償に充てること。二つ目、ファイブ――あなたは、貴族や商家の“裏帳簿”を洗い出す。誰が誰と繋がり、その関係を具体的に示すこと。三つ目、クイレイは、どの路で物資が流れているか、止まっているのか情報を私たちに提供しなさい。今後、高利貸し、人身取引、強制労働の斡旋を行わないことを文書で誓約する。違反があれば、私たちは躊躇なく介入する。」
フレッドがにやりと笑う。
「それでいい。うまく使えば、奴らは俺らの情報網の“枝”になる。表向きは商人、裏では耳と足。金と情報が手に入るんだ。」
ファインは顔を上げ、血走った眼でケイトを見つめる。
震える声で答える。
「承知しました。全て従います。……我々は命がけで動きます。」
ケイトは証文の一部をテーブルに並べ、指で一枚ずつ押えながら言った。
「まずは書面での誓約と、今日の賠償金を確認してから動く。取り急ぎ、被害者の生活再建を優先する。あなたたちがそれを守れるかどうか、行動で示しなさい。」
クイレイは肩を震わせ、ぽつりと呟いた。
「……わかりました。命に代えてでも、やります。」
フレッドは椅子をガタリと鳴らして立ち上がり、手元のグラスを掲げた。
琥珀色の液体が揺れ、応接間の照明を受けてきらりと光る。
「よし、じゃあ飯の続きだ。祝いだな!」
にやりと笑い、続けて言い放つ。
「今日から俺らは新しい“上下関係”でやっていくってわけだ。料理、もっと持って来い!」
一瞬、誰もが「た、助かった…!」と安堵したその時、フレッドがふと眉をひそめた。
「……アレ? なんか忘れてねぇか?」
――静寂。
「……は?」
ケイトが小さく聞き返す。
「ほら、あのさ……なんかこう……締まらねぇんだよな。誰かがいねぇような……」
フレッドが頭をかきながら辺りを見回す。
ベンもつられてきょろきょろ。
ファインも、クイレイも、なぜか同じ方向を見てしまう。
そしてケイトが、ハッとしたように目を細めた。
「……テオさんは今どこに?」
その瞬間、ベンの顔が「ああーーっ!」という形に固まった。
「テオォォォォ! 忘れてたぁぁぁ!!」
バンッとテーブルを叩き、ワインが跳ねる。
「…朝早くに荷運びの仕事に行ったわ」とヘラ。
「ラコ一家の手下ども! おい、連れてこい! 丁重にな! 丁重にだぞ! 乱暴にしたらケイトが怒るからな!」
「ひっ、ひぃっ! は、はいぃっ!!」
さっきまで床に額をこすりつけていたラコ一家の手下が慌てて立ち上がり、転びそうになりながら走って出ていく。
そんな中、ベンがぼそっとつぶやいた。
「……本当にラコ一家より偉いんだな……」
それを聞いたフレッドが豪快に笑い出す。
「おう、だから言ったじゃねえか!」




