復讐?!
ザックたちは、チューファ一家の朽ちかけた長屋の一室に戻ってきた。
木の床はところどころ抜け、窓ガラスは割れて風が冷たく吹き抜ける。
外套を脱ぐでもなく、六人は互いに距離を詰めるように輪になった。
硬い表情をしたザックが、静かに口を開くと、その場の空気が一段と重くなった。
「話がある。」
言葉は短く、だが誰の耳にも刺さる針だった。
クリフは瞬時に目を細め、拳の力を確かめるように一度だけ肩をすくめた。
フレッドは唇を噛み締め、ユキヒョウは両肘を膝に置いてじっとザックを見つめる。
ベガは一歩下がり、壁にもたれかかるようにして距離を取った。
ケイトの顔には、今にも騒ぎ出しそうな火の気が宿っている。
ザックはゆっくりと周囲を見渡し、目を伏せてから話を始めた。
言葉は過去から剥がれ落ちた痕をなぞるように、静かに、しかし確実に、聞く者の胸の奥を叩いた。
「見つけたぜ。俺たちを散々いたぶってきたアイツを。」
声に混じる冷たさは、ただの復讐心などではなかった。
そこには年を経て積もった怨念と、守るべきものを守り切れなかった悔恨がある。
ザックは、スラムで肩を寄せ合って生きていた頃のことを語り始めた。
言葉は次第に具体性を帯び、薄暗い過去の一場面が室内に投影される。
「泥水をすすって、残飯をあさって。分け合って、寒さに耐えて…その頃、あいつら──スキンヘッドの男たちが、事あるごとに俺たちを殴った。的にして投げナイフを投げられたこともあった。剣で面白半分に切り付けられた奴もいる。連れ去られた子らもいた。行方知らずになった。娼婦に性処理に使われた子もいた」
ザックの声は低く、語尾を濁すようにして続く。
言葉の端々に、止まらぬ怒りと、奪われた記憶の苦みがにじんでいる。
クリフの顔が変わった。
目は吊り上がり、白目が血走る。
細かな震えが全身に伝播し、唇はほんの少し痙攣する。
彼が口を開くと、声はほとんど嗚咽のように崩れた。
「いつだったか…サーシャが連れて行かれそうになったとき、必死に取り返した。殴られ続けた。特にシマは──本当に、死んでもおかしくなかった。」
クリフの言葉は、過去の傷を抉る。
ケイトは両手をぎゅっと握りしめ、爪が手のひらに食い込むのを感じている。
顔面に浮かぶのは、今すぐにでも相手を引き裂きたいという殺意そのものだ。
彼女の記憶の中に、許しを乞う幼い声と、容赦のない暴力だけが交互に再生される。
「私たちは目立たないように、あいつらを避けて生きていた。」
ケイトは吐き捨てるように言った。
「それでも運悪く見つかって、泣きながら許しを乞うこともあった。許してはくれなかったけど。」
ユキヒョウが鼻を鳴らし、言葉を挟む。
「ゾゾ一家総長──今じゃスラムの帝王だってさ。だけど鼻クソが何万集まろうと、所詮鼻クソだよね。」
ユキヒョウの口調は冷笑めいていたが、その眼差しは揺るがない。
フレッドはその言葉に反応して立ち上がりかけ、拳を握り締める。
手の震えは止まらず、肉体が今にも爆発しそうだ。
「俺の家族を傷つけた代償は払わせる。」
フレッドの声は震え、しかし確かな決意を帯びている。
ザックは一歩前に出る。
怒気が彼の背中から湧き出すようで、空気までざわつく。
「ゾルゾって男は、俺たちに任せろ。生きてることを後悔させてやる。」
言葉は刃のようだ。想像の中で立ち上がる情景が、冷たい決意で色づく。
だが、その殺意を見せつけるような言葉の端に、ザックの声には複雑な濁りも含まれていた。
復讐が欲しいだけではない。
そこには仲間を守れなかった自責、取り戻せなかった時間への痛惜が混ざっている。
ベガはその場で一歩後ずさる。
瞳を大きく見開き、足元がおぼつかない。心の中で呟く。
(…こ、こいつらを本気にさせちまった…恐ぇな…気を張ってねえと倒れそうだぜ…!)
ベガの視線は幾分恐怖に満ちている。
「規格外」の者が一つの意志を持つとき、その迫力は想像を超える。
彼はそれを身をもって理解してしまったのだ。
そのとき、扉の方からかすかな物音がして、小さな影が腰を抜かすようにして現れた。
チュチュだ。
「おっ、ここにいたかお三方──ヒィィッ!」
彼の驚きと恐怖は、場の緊張をさらに煽る。
ザックたちの顔には表情のゆらぎが無い。
怒りの炎の前で、人は無言になるのだ。
ザックは冷たく、しかしどこか遠くを見るように言った。
「準備はいいか?」
返事をする者はない。だが六人の目は確かに一つの方向を見据えていた。
過去の傷が今、復讐という形で現実のものとなろうとしている。
ザックは視線を家族たちに巡らせる。
ユキヒョウの顔にはこれから狩りを楽しむ獣のような静けさがあり、クリフの顫える唇には血の味が戻りそうなほどの本能的な怒りがある。
ケイトの拳は白く、フレッドの眼差しは燃えている。
ベガは顔色を失いながらも気丈に立っている。
チュチュは膝を抱えて震えている──彼にはまだ事の重大さが飲み込めていないのだ。
ザックは最後に、小さな声でだけどはっきりと言った。
「今日、終わらせる。」
その宣言は復讐の鐘を打ち鳴らすように、六人の胸に重く響いた。
彼らは立ち上がり、短い沈黙の後に、ただ一つの方向へと進む決意を固めた。
チュチュは震える唇を何とか震わせ、目を泳がせながらザックたちを見つめ返した。
声は蚊の鳴くように細く、それでも必死に言葉を絞り出す。
「あ、あの……気を付けてくださいね……?」
ユキヒョウは薄く笑い、チュチュの返事を遮るようにすっと前へ出た。
その顔には冷たい玩弄の色が含まれていて、しかし決意はまざまざと滲んでいた。
「君も来るんだよ。ゾゾ一家のアジトまで案内してもらわないといけないからね。」
チュチュの目がいっそう大きくなる。膝がわななく。
「え……ええ? ど、どういうことですか?!」
「行きながら話すよ。さあ行くよ!」
ユキヒョウの声は柔らかだが、後戻りを許さない。
ザックの横で、クリフは歯を食いしばり、ケイトは指先に力を込めている。
フレッドの視線は既に暗く先を見据えていた。
道すがら、ユキヒョウはざっくりと説明を始める。
声は低く、しかし無駄がない。
「ザック、クリフ、ケイト嬢はここスラムの出身なんだ。ほかにもいるけど、ここにはいない。ゾルゾという男は、ザックたちが子供の頃、彼らに散々暴力を振るった。簡単に言えば復讐だよ。」
クリフの内に秘めた殺意が僅かに漏れる。
ケイトの顔は硬直し、瞳孔が細くなる。
ザックの肩元の筋がぴくりと動く。
彼の過去が言葉でなぞられ、今という時間へと繋がる。
復讐。それは冷たく、同時に熱い。
「殴り込みというわけですか?」
チュチュは震え声で尋ねる。
ユキヒョウは軽く首を振り、言葉を選ばずに言い放った。
「違うよ……虐殺しにいくんだよ。ゾゾ一家は復讐の相手でもあるけど、『敵』だからね。」
その一言に、家族たちの間にさらなる静寂が落ちる。
復讐と敵対、暗闘の境界線に立つ者たちの顔は、夜にほんのりと怪しく照らされる。
ベガは小声で呟いた。
(……本気だ。こいつら、本当にやるんだな。)
ベガは息を吐き、目を細めてチュチュを見下ろすように言った。
「チュチュ、お前は案内だけしたら帰っていいぞ。」
チュチュは咄嗟に言い訳が頭を回す。
誰でもいい、助けてくれと訴えたいが、口はもつれて思うままに出る。
「あ、あんた等はチューファ一家の客人だろ? だ、だったら見届けるさ……あんた等が死んだら、どうせ次は俺たちの番だ……!」
ユキヒョウは不敵に笑う。
雪のように冷たい笑いが、周囲の緊張を一層深める。
「フフフ、要らない心配だよ。万が一にもないからね。」
その自信には、根拠以上のものが宿っている。
ユキヒョウは仲家族たちの傷と怒り、そして自分たちの力を知っている。
彼は、復讐をただの私情ではなく『必要な清算』として受け止めていた。
チュチュの手は震え、だが最後の瞬間に固い決意が顔に浮かぶ。見届ける、と。
彼は自分がここで逃げれば自分の家族や位置が危うくなることを直感していた。
スラムのルールは残酷だ。立ち去る者は裏切り者だと名を刻まれる。
ならば観念して、少しでも仲間に味方する――そう自分に言い聞かせるしかなかった。
やがて、路地の先にその建物は立っていた。
夜の闇に紛れることなく、むしろそこだけが不釣り合いに明るく、どっしりとした威容を見せている。
スラムの粗末な住居が押し固められた狭い空間の中に、まるで異物のように大邸宅――ゾゾ一家の本拠地があった。
外壁は黒塗りの木材と漆喰で飾られ、二階建ての屋根は曲線を描いている。
大きな木製の門に窓には格子がはめられ、鉄の柵が家族の領域を守るかのように鎮座していた。
周囲の家々と比べてあまりにも違和感のある優雅さは、まるでスラムの中に生まれた別天地のようだ。
「……ここです」
そう言いながらチュチュは息を呑む。
胸の高鳴りは恐怖なのか興奮なのか、判断がつかない。
門の前には数人の男が、こぢんまりと座っていた。
見張りだ。彼らは髪を刈り込み、無骨な服をまとい、鋭い目で通行人を監視している。
飼い犬のように、ノーリードで人を威嚇する。
その存在だけで、敵意の空気が漂っていた。
門前の空気が一瞬、凍り付いた。
言葉は必要なかった――クリフが腰のアーミングソードに手を掛けるか掛けないかの僅かな間に、刃が閃き、門番四人の首が床に転がった。音は静かだった。
だが、その静けさが逆に残酷さを際立たせる。
首が跳ねた瞬間、周囲の空気は血を含んだ重さをまとったように濁った。
次の瞬間、ザックが大きな木製の門を蹴り込む。
板と鉄の継ぎ目が悲鳴を上げ、門は一発で砕け散った。
ザックの手には皆朱の槍――彼の誇り――が光を受けて滴るように見える。
槍先が夜の空気を裂き、彼の動作はまるで先導をする者の如く確固としていた。
庭に立っていた見張りたちの顔が一斉に引き攣る。
慌てて声を上げる者、逃げようとする者、ただ立ち尽くす者。
それぞれの恐怖と混乱が短い時間のうちに空間を満たす。
そこへ大邸宅の扉から、ゾゾ一家の者たちが押し出されるように出てきた。
表情は驚愕と狼狽に彩られている。
今夜の行動は復讐を越え、根絶を目的としていると誰の目にも明らかだった。
虐殺。蹂躙。
言葉だけでは足りない冷たさが現場を支配する。
ケイトのショートソードは、素早く、正確に、標的を切り裂くように振るわれる。
フレッドは二振りのグラディウスを両手で操り、左右から切り込んで相手の動きを断つ。
ユキヒョウの手にはバスタードソード、名はスノードロップ。
一本で重厚に振り下ろされ、相手の防御を砕いていく。
ベガは抜け目なく、隙を突くようにショートソードを走らせる。
剣の運びは無駄がなく、狩る者たちの冷静さと残虐性が混ざり合う。
彼らが振るうたびに、相手は膝を折り、倒れ、静かな終焉を迎える。
ここでは「命が狩られていく」という表現がふさわしいだろう――
突然の叫びと混乱の中で、ザックの槍が一つの影を貫いた。
槍の貫通は一瞬で、相手はもがきながら崩れ落ちる。
ザックは瞬時に冷静に槍を引き抜き、次の標的へと視線を移す。
彼の動作に躊躇はなく、あくまで目的に忠実だ。
大邸宅の門を越え、彼らは足を踏み入れた。
重厚な玄関は、今や血と足跡で埋め尽くされている。
外で見ていたチュチュは、現実に耐えきれずその場で身体を抱きしめる。
足元がふらつき、膝が抜けるようにして座り込んでしまった。
チュチュの胸の中では、誇りと恐怖がぶつかり合っている。
彼はこのスラムで「一家」を構え、暴力の輪の中で生きてきたという自負があった。
だが今目の当たりにしている光景は、彼の知っている次元を軽々と越えていた。
彼らのやっていることは、ひどく冷徹で、熟練の狩人のようだった。
暴力の質が違う。規模が違う。意志の重さが違う。
「ゾゾ一家は終わりだ……」という思いが静かに、しかし確信としてチュチュの胸に落ちる。
ザックたちの言葉が、現実になった瞬間だ。
チュチュは震える手で顔を覆い、あの人たち(ザックたち)が言っていたことの全てが真実であったと認めざるを得ない。
過去に抱いた恐れや尊敬が、今や恐怖と敬意の混ざった別の感情に変わる。
屋敷の中は一度に慌ただしくなる。
守る側は動揺し、指示を発する声は高まり、だが統率は早々に崩れる。
内部の者たちも次々と外に出てきては、刃の前に呆気なく倒れていく。
ザックたちの連携は機能していた。
互いの動きを補い合い、逃げ場を潰し、包囲して一つずつ潰していく。
暴力は瞬発的だが、計算されている。そこには無駄な殺戮の華美さはない。
必要最低限の冷たさで、存在を切り落としていく。




