安らかに眠れ
崩れ落ちた大地の傷跡——それが、彼らにとっての「始まりの地」だった。
あれから凡そ七年。
当時の惨状を覆い隠すように、崩落した土砂には雑草が生い茂り、ところどころに小さな花が咲いていた。
しかしその下には、かつての地獄が確かに眠っている。
周囲には、風化した木材と鉄の残骸。
壊れた馬車の車輪、錆びついた剣や槍、そして無数の白骨。
骨の一部にはまだ布の切れ端が絡みつき、過去の惨劇を静かに物語っていた。
シマたちは言葉もなく、散らばる骨と遺品を一つひとつ拾い集めた。
自分たちを攫った憎き奴隷商の男、殴られ蹴られる自分たちを見て、嘲笑う護衛たち。
誰のものか分からない。
だが、その違いはもはや意味を持たなかった。
彼らの手には泥が付き、汗が滲む。
トーマスが黙々と穴を掘り、ロイドが骨を並べ、ジトーが布をかける。
誰も指示を出さない。
それでも、全員の動きが自然と揃っていた。
穴を掘り終え、彼らは静かに埋葬を始めた。
土の中に、憎しみも悲しみも一緒に葬るように。
シマはふと空を見上げる。
木々の間から差し込む光が、まるで鎮魂の祈りのように揺らめいていた。
——なぜ、こんなことをしているのか。
自分でも分からなかった。
だが、何かを終わらせなければならない気がした。
心の中で、名前を呼ぶ。
(サラ……コッジ……遅くなって悪いな。安らかに眠れ。)
手の中の土を静かに落とすシマの瞳は、どこか遠くを見つめていた。
ジトーが隣で小さく笑う。
「サラ、コッジ……お前らと過ごしたあの頃のこと、忘れたりしねぇよ。」
その声は掠れて震えていた。
トーマスもまた、土に向かって囁く。
「リュカ村のみんな……名前、全部覚えてる。土産話、山ほど持っていくからよ……それまで待ってろ。」
やがて、風が静まり返る。
その静寂の中、シマが立ち上がり、声を張った。
「——シャイン傭兵団、黙禱!」
全員が一斉に姿勢を正し、頭を垂れる。
誰も泣かない。ただ、沈黙の中にそれぞれの想いを沈める。
やがて、木々の葉が風に揺れ、どこからか一羽の鳥が舞い上がる。
彼らの過去を見届けたかのように、その鳥は光の方へ飛び去っていった。
シマたちは「家」――いや、いまや立派な砦と呼ぶべき建物に帰り着いた。
長き一日の終わり。沈みかけた太陽が森の梢を染め、彼らの影を長く地面へと伸ばしていた。
門を開けると、風に乗ってかすかに乾いた草と土の匂いが漂う。
その中心には、防柵で囲まれた砦――人の手で築かれた「生きるための拠点」が、確かに存在していた。
組み上げた防柵は、すでに馴染んだかのように風景に溶け込んでいる。
高さ四メートルの柵、その外側には逆茂木が無数に突き刺さり、木々の影が鋭い棘のように地面に伸びていた。
シマたちは荷物を下ろし、一息つく。
「ふぅ……やっと戻ってきたな。」
ジトーが額の汗をぬぐいながら呟く。
その声にオスカーが苦笑して答えた。
「アルフォンスもぐっすり眠ってるよ。」
オスカーの胸に抱かれた小さな白い塊――アルフォンスは、眠りの中でかすかに耳をぴくりと動かしていた。
その毛並みは淡雪のように白く、光を反射して柔らかく輝く。
その小さな体は確かに生きており、かつて深淵の森の“ボス”が託した命の証だった。
「さて……荷物を確認しておこう。」
シマが立ち上がり、囲炉裏の光を頼りに背負い袋を点検していく。
「ブラウンクラウンの株は、深淵の森の土ごと詰め込んである。かなりの量だ。」
囲炉裏の灯が袋の中で鈍く光り、湿った黒土と白いキノコのような株が見える。
それは、深淵の森の恵みであり、彼らの次なる生活を支える糧だった。
「後は……ブルーベリー、ラズベリーの苗木は……無理だな。」
袋の口を閉じながら、シマが小さく首を振る。
「もう、いっぱいいっぱいだよ。」
オスカーが苦笑する。
「これ以上詰め込んだら、移動どころか歩くのもままならんじゃろう。」
ヤコブが椅子代わりの木箱に腰を下ろし、膝に置きながら言った。
「とはいえ、なるべく早く甕に移し替えたいところじゃのう。せっかく採ってきたものを無駄にしたくはないからの。」
「だな。」
ジトーが焚火の火を棒で突きながら頷く。
「せっかくのブラウンクラウン、腐らせちまったら洒落にならねぇ。」
炎がパチッと音を立て、火の粉が宙に舞う。
それを見つめながら、シマは小さく息を吐き出した。
「さて、荷物の振り分けを決めるか。」
周囲の空気が一気に引き締まる。
「まず、俺がヤコブと背負い袋一つを持つ。背負い袋は身体の前に。背負子にはヤコブを乗せる。ヤコブはアルフォンスを抱えてくれ。」
「ワシばかり楽して悪いのう?」
ヤコブがにやりと笑う。
「ヤコブには、頭脳労働に専念してもらうのが一番だ。」
「ふん、口が達者になったのう、シマ。」
軽口を叩く二人のやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れる。
「ジトー、トーマスは背負い袋を二つ。前後でバランスを取れ。」
「了解。」
二人が同時に頷く。
ロイドはカイトシールドに目をやりながら問うた。
「カイトシールド、邪魔にならないかい?」
「問題ない。」
続いてオスカーが口を挟む。
「ポールアックスにウォーハンマ……あれも、相当重いんじゃない?」
トーマスが肩で笑った。
「平気だ。こいつらは俺の一部だ。」
「お前の弓も重いだろ?」
ジトーがオスカーに笑いかける。
「これは僕の身体の一部だから。」
「俺たちも同じだな。」
互いの言葉に頷き合い、彼らの間に小さな誇りの炎が灯る。
「ロイドとオスカーは、ブラウンクラウンの株が入った背負い袋を一つずつ持っていってくれ。他に食料、飲料、薬草、調味料、組み立て式テント、道具箱も重さを均等に分けて詰めるんだ。」
二人はシマに向かって短く答えた。
「了解。」準備は静かに、しかし確実に進んでいった。
夜の静寂を破るように、荷物を詰め直す音が響く。
革袋のきしみ、金具の音、そして外の風が窓を叩く音。
一つひとつの音が、これから始まる旅の準備を告げていた。
「動きに支障はねぇな?」
最後にシマが全員を見回す。
「問題ねえ。」
「俺も平気だ。」
トーマスとジトーが同時に答える。
その声には確かな自信があった。
シマは囲炉裏のそばに腰を下ろし、ゆっくりと立ち上る煙を見つめた。
「……明日、出発だ。」
「どこまで行く?」とジトー。
「二日で深淵の森を抜ける。」
静かながらも、確固たる決意がその声に宿っていた。
「了解。」
全員の声が重なった瞬間、アルフォンスが小さく鳴いた。
「……きゅん。」
その小さな声に、場の空気が一瞬やわらぐ。
オスカーの胸の中で目を覚ましたアルフォンスは、まだあどけない仕草でシマの方を見上げた。
まるで「ボクも行く」と言っているかのように。
シマは静かに笑い、指先でアルフォンスの頭を撫でた。
「おう、もちろんだ。お前も立派な家族の一員だ。」
長い一日を終え、彼らの胸の中には確かな達成感と、明日への静かな緊張が混じり合っていた。
だが、その表情はどこまでも穏やかだった。
明日、彼らは再び深淵の森を越える為に出立する。
一方、王都組。シマたちと別れてから——
緩やかに傾き始めた午後の陽光が、街道沿いの木々の間を金色に染めていた。
砂煙を上げながら、二台の馬車がミトスの街を目指して進む。
手綱を握るのはクリフ。隣でケイトが腕を組みながら、何やら上機嫌に鼻歌を歌っていた。
後方の荷台では、ザックとフレッドがいつものように軽口を叩き合っている。
「やあ~っと、小うるせぇシマから離れられたぜ!」
フレッドが大きく伸びをしながら空を仰ぐ。
「お前は俺の母ちゃんかっての! あれしろこれしろ、寝る前に歯を磨け、飯は残すな!ってな!」
言葉に勢いを乗せながら、彼はまるで檻から解放された少年のように笑った。
「ジトーの奴もそうだぜ!」
ザックも乗ってくる。
「『お前ら問題起こすなよ』だの『自覚を持て』だの…俺らがいつ問題起こしたってんだ? あいつ、被害妄想入ってるんじゃねえか?」
二人の声が野原に響き渡る。風が木々を揺らし、道端の草がさらさらと音を立てた。
「はぁ……あんたたちのことが心配なのよ。」
ケイトが振り返りながら呆れたように言う。
だがその声音には、どこか母性めいた柔らかさがあった。
「ま、まあ……それならしょうがねぇなぁ……ったく、あいつは……」
フレッドが鼻の頭をかき、ばつの悪そうな笑みを浮かべる。
「そ、そう言われるとなぁ……」
ザックも同じように頬をかき、視線をそらした。
「おっ、うまいなケイト嬢。あの二人の扱い方をよくわかってる」
ユキヒョウが二台目の馬車、御者席で感心したように目を細める。
「チョロすぎだろ、この二人……」
隣でベガが小声でぼやいた。
「ふふ、さすが俺の彼女だ。」
手綱を握るクリフが得意げに胸を張る。
ケイトがちらりと横目で睨む。
「なによ、そのドヤ顔は。」
「いや、褒めてるんだよ。お前がいると隊の空気が柔らかくなる。」
「……言ってくれるじゃない。」
ケイトが頬を少し染め、ふいに前を向いた。
陽が少し傾き、道の先に淡い靄がかかってくる。
遠くにミトスの街の高い城壁が見え始めた。
「さて、今日は豪遊するわよ!」
ケイトが両手を広げ、声を弾ませた。
「お風呂がある宿に泊まって、美味しいものを食べて飲んで、明日に備えるわよ!」
「賛成ッ!!」
ザックとフレッドが同時に叫び、荷台の上で拳を突き上げる。
「……ダメだこりゃ。」
クリフが肩を落とし、手綱をゆるめる。
ユキヒョウとベガも同時にため息をついた。
「はしゃぐのはいいけど、程々にしておけよ。」と言うクリフ。
「今日くらいはいいじゃない。たまには羽を伸ばすの。」
「……お前らが羽を伸ばすと、財布が軽くなるんだが。」
そんな愚痴を零しつつ、クリフは手慣れた手つきで馬を操った。
夕陽が街の屋根を照らす頃、一行はミトスの街門へとたどり着いた。
石造りのアーチ門の前には衛兵が二人。
「入場税、一人あたり銀貨一枚だ。」
衛兵に支払いを済ませ、馬車がゆっくりと石畳の街路へと入っていく。
ミトスの街は、すでに夜の気配を帯びていた。
行き交う人々、香ばしい肉の匂い、酒場から聞こえる笑い声。
石畳にランタンの明かりが連なり、まるで星の川が地上に降りたようだ。
「おおおおっ……!」
フレッドとザックが同時に感嘆の声を上げた。
「これがミトスか……こりゃたまんねえな!」
「良い宿を探すのよ!」
ケイトが気合を入れ直すように声を上げた。
「合点承知の助!」
ザックとフレッドが声をそろえて応じる。
その息の合い方がまた見事で、通りの人々がくすくすと笑った。
通りを行く三人は、目に映るものすべてが珍しいらしく、右へ左へと忙しく視線を動かす。
「俺が思うに、あっちが歓楽街だな。」
フレッドが人混みの向こう、灯りが一際多い通りを指差す。
「ああ、俺の勘もそう言ってる。」
ザックが鼻を鳴らして頷く。
「わあ! あそこのお店に飾ってある洋服、素敵じゃない?!」
ケイトが目を輝かせ、ショーウィンドウに駆け寄る。
薄桃色のドレスが光を反射して輝いていた。
「…おい……宿を探すんじゃなかったのかよ。」
クリフが額に手を当てて呟く。
ベガが小さく笑って言う。
「……先が思いやられるな。」
「ん~……僕じゃこの三人は止められそうにないね……。」
ユキヒョウが苦笑する。
人々の喧騒、焼き立てのパンや香辛料の匂いが風に乗って漂う。
道端の楽師が弦を弾き、子どもたちがその周りを踊っていた。
宿を探すという名目はどこへやら、彼らはまるで旅芸人一座のように賑やかに街を練り歩いた。
「なあクリフ!」
フレッドが声を上げる。
「飯は何食う? 肉か? 魚か?」
「おいおい、腹が減るのはわかるが、まずは宿だ宿!」
「腹が減っては宿探しもできねぇだろ!
「それを言うなら、戦はできぬだろ!」
「同じようなもんだ!」
クリフは頭を抱える。
ケイトは笑いを堪えながら歩きながら言った。
「いいじゃない。せっかくだもの、今夜くらい楽しみましょう。」
「おーい! 見ろよ、あっちに『湯宿・金の鷲亭』って看板が出てるぞ!」
ザックが通りの先を指差す。
「お風呂付き! 酒も料理も最高級!」
木札の文字が金色に輝いていた。
「決まりだな!」とフレッドが笑う。
「待て待て、お前ら!」
慌てるクリフをよそに、三人はもう駆け出していた。
そんな三人の背中を見送りながら、ベガが小さくため息をついた。
「あの調子じゃ、宿代も食事代も倍はかかるな……。」
「まあ、いいじゃないか。」とユキヒョウが微笑んだ。
「あの三人だって分かってるさ今日一日だけだって…多分。」
沈みゆく太陽が街を朱に染める中、クリフたちのため息がミトスの喧騒に溶けていった。




