表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光を求めて  作者: kotupon


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

402/449

老学者と深淵の森5

三日間に及ぶ作業の末、深淵の森の静寂の中に、ひとつの“砦”が築かれつつあった。

霧が漂い、湿った土の匂いが濃く立ち込める早朝、まだ薄暗い空の下で、シマたちはすでに動いていた。

彼らが取り掛かったのは、家とその周囲を囲う防柵の再構築——これまでのものよりも、遥かに堅牢で、侵入者を寄せつけない構造を目指しての作業だった。


防柵の高さは四メートル。

伐採してきた丸太を選別し、根元の太い部分を基礎に据える。


オスカーが木の繊維の向きや水分の残り具合を見極めながら、一本一本の配置を決めていく。

「この木はまだ若い。湿ってるし、強度が出るまで少しかかる。こっちの方がいいよ。」

そう言って、手際よく木を並べる。


「足場組むぞ!」とシマの声が響く。

トーマスとジトーが太い丸太を運び込み、ロイドが蔦を使って結束していく。


足場を組み、そこから上部の杭を打ち込む作業が始まった。

トーマスは肩に担いだ、ウォーハンマーを振り上げ、振動を吸収しながら、渾身の力で太い木杭を打ち込んでいく。

「……ッしゃあ! 入ったぞ!」

金属が木を割る音、打ち込まれた衝撃で鳥が飛び立つ音が、森にこだました。


やがて防柵の外側には、無数の逆茂木さかもぎが取り付けられていく。


シマが指示を出しながら、長短を組み合わせてランダムに配置する。

「長いのは外側に、短いのは低い位置。獣が突っ込んでも抜けられないように——角度を変えろ、もっと鋭く!」

オスカーが削った先端は、触れれば皮膚が裂けるほど鋭い。

地面にも、これらの逆茂木をランダムに差し込む。

踏み込めば足を取られ、倒れ込めば串刺しになる配置だ。

防柵の周りに、まるで有刺鉄線のような“木の罠”が広がっていく。


川へと続く裏手の防柵には、さらに工夫が凝らされた。

シマの指示で、上部に10センチ間隔で木材を横に通す構造が採用される。


しかし、問題は資材だった。

釘が足りない。


そこで、シマが代案を出した。

「このまま無理に打たずに、木を組み合わせて固定しよう。鳥居の形で支えればいい。


「鳥居?」とトーマスが首をかしげる。


シマは丸太を二本立て、その上に横木を渡して見せた。

「こうやって交差点を作る。上に渡す木を噛ませて力を逃がす。釘の代わりに縄で締めれば十分だ。」


「なるほどな……シマ、やっぱお前は頭が回るぜ。」とジトーが笑う。

その提案をもとに、柵の上部はまるで連なる鳥居のような形になった。


オスカーがは全体の指揮を取りながらも、自ら斧を手に取り、土を掘り、杭を打ち込む。

「少しでも傾いてたら全部やり直しだからね。気を抜かないで。」

声を荒げることはなくとも、その一言に皆が背筋を伸ばした。


三日目の夕方、ようやく最後の一本が打ち終わった。

沈みかけた陽の光が柵を照らし、木の表面が黄金色に輝く。

高さ四メートル、外側には無数の逆茂木、内側には強固な支柱。

川辺の防柵もすべて繋がり、家を完全に囲う形となっていた。


夕陽が森の木々の隙間から差し込み、赤く染まった光が川面をきらめかせていた。

三日間の防柵づくりを終えたシマたちは、すっかり汗と土にまみれ、息を吐くたびに疲労の熱がこもるような夕刻を迎えていた。


「よし、ひと浴びしてくるか。」

そう言って、シマが笑うと、誰からともななくブーツを脱ぎ、服を脱ぎ始める。

やがて、森の奥の静けさの中に、男たちの笑い声と水音が響き渡った。


全員、素っ裸で川の中へ一歩ずつ踏み出していく。

ジトーは頭から水を浴びせ、トーマスは腰まで浸かると「生き返る~っ!」と叫んだ。

ロイドとオスカーは静かに水をかけ合いながらも、口元に笑みを浮かべている。

ヤコブもまた裸で川に立っていた。


「うむ、こうして全身で自然を感じるのも悪くないのう!」

胸を張るヤコブ。

誰もが目を丸くし、次の瞬間に大笑いした。


そんな中、ジトーがふと思いついたように言った。

「ついでに魚、獲っちまおうぜ。汗を流すのと晩飯、二つ同時にってな!」

その言葉に皆の目が輝いた。


即席の追い込み漁が始まる。

シマが手早く指示を出す。

「ロイドとオスカーは上流側。トーマス、ジトーは下流を塞げ。ヤコブ……服を使って魚を追い込むんだ。」


「服を…? どう使うんじゃ?」と首をかしげるヤコブ。


トーマスが笑いながら説明した。

「こうだよ。服の両端を足の親指と人差し指で掴んで、両手でも角を広げる。川を横切るようにして魚を追い込むんだ。」

「ふむ、器用じゃのう…やってみるかの。」

ヤコブは水の中でよろよろと服を広げ——


「のわあっ!!!」


その瞬間、服に川の流れの抵抗をまともに受けて、派手にバランスを崩した。

ずるりと足を取られ、腰から水に沈む。


「ヤコブさーん!」

オスカーが駆け寄ると、ヤコブは浅瀬で座り込んでいた。

「ふぃ~……浅瀬でよかったわい……。」


その姿にジトーは腹を抱えて笑う。

「ちゃんと踏ん張れよ!足元を見てな!」


「わかっておるわい! 同じ失敗は二度とせん!」

水を跳ね飛ばしながら返すヤコブ。


やがて、みんなで川の流れを囲むようにして追い込み、魚たちはパシャパシャと跳ねた。

オスカーの服の中に数匹が入り込み、ロイドが両手で掬い上げる。


「魚も湯浴みも両得じゃな!」

ヤコブが嬉しそうに笑った。


陽がすっかり沈むころ、彼らはすっかり冷えた身体を拭い、濡れた髪を拭きながら男性棟へと戻った。

灯された囲炉裏の火が、濡れた肌を照らし、赤い光の中で湯気が立ちのぼる。


「いやあ、楽しかったのう!」

パンツ一丁のヤコブが、笑いながら背中を伸ばす。

その身体は以前よりも明らかに締まっており、腕や肩の筋が浮かんでいた。


「ヤコブさん、大分筋肉ついてきたんじゃないですか?」

オスカーが感心したように言う。


「出逢った頃はヒョロヒョロの爺だったのにな!」とジトーが茶化す。


「じじい言うな!…ダンディーな爺様に若いおなごもメロメロじゃろうな!」


「それはない」

ジトー・トーマス・オスカーの三人が声をそろえて即答。


「むう……お主らキッパリ言わんでもええじゃろうに……!」

ヤコブがむくれて見せると、全員が爆笑した。


その笑い声の中、扉が開いた。

「お前たち、まだそんな格好か。」

入ってきたのはシマとロイドだった。


シマの手には鉄鍋、ロイドの手には木皿に盛られた焼き魚とブラウンクラウン。

湯気とともに、芳ばしい香りが広がった。


「女性棟の調理場で作ってきた。こっちの鉄鍋はもう煮えてるな?」とシマが訊く。


「おっと、話に夢中になってたぜ……大丈夫、湯は沸騰してる。」とジトーが言う。


シマが持ってきた鉄鍋の中を覗くと、そこにはブラウンクラウンのスープ。

濃い黄金色の液体の中に、香草と茸のかけらが浮かび、湯気に混じって独特の芳香が立ちのぼる。

ロイドが持つ皿の上には、皮を香ばしく焼いた焼き魚にブラウンクラウンの身。

さらに、傍らの籠にはふっくらと焼かれたパン。


「ブラウンクラウンのスープを使ったラーメン……楽しみだね!」

オスカーが目を輝かせた。


「んじゃあ、早速、乾麺をほぐしていくか。」

トーマスが湯に麺を投げ入れる。


「麺は硬めがいいよ。ブラウンクラウンのスープ、また温めるから。」とロイド。


「そうじゃな! スープは熱くなくてはのう!」

ヤコブが笑い、フォークを手にした。


囲炉裏の上で、鉄鍋がぐつぐつと音を立てる。

香ばしい湯気が部屋いっぱいに広がり、茸と香草の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。

ブラウンクラウンのスープをベースにした、シャイン傭兵団特製——いや、“奇跡の一杯”とも呼べるラーメンが出来上がった。


ロイドが木椀によそい、シマが手際よく麺をほぐす。

黄金色に輝くスープの表面には油の膜が薄く張り、湯気の向こうに浮かぶ細麺が艶めいている。

香草の緑が彩りを添え、鹿の干し肉を炙った薄切りがトッピングとして乗せられた。


「では——」

シマの一言で、全員が一斉に手を合わせる。

「いただきます!」


まず、ヤコブが箸を取った。

慎重に麺をすくい、ずずっと音を立てて啜る。

口の中に広がった瞬間、目を見開いた。


「……おほッ!! こりゃあ……旨いっ!!」

震える声が漏れる。

「ヤコブ・スペシャルを……はるかに凌駕する味じゃッ!!」

そう叫んで、彼はまた麺を啜った。


スープが唇を焼くほど熱いのに、フォークの動きは止まらない。

「芳醇でいて、まろやか……しかも、どこか身体の芯から湧き上がるような力強さを感じるのう!」

老学者の声が、湯気の向こうで響いた。


ジトーも一口啜る。

「ズズッ……ッ! ……ヤベぇ……なんだこれ……!」

目を細め、舌の上でスープを転がす。

「こんな旨いラーメン食っちまったら……普通のラーメンじゃ物足りねえぞ……!」


その瞬間、全員の手が止まった。

フォークが鍋の上で静止し、誰もがシマを見る。


「……今日一日だけの、スペシャルメニューだ。」

囲炉裏の火がパチ、と小さく弾ける。

「食ったら忘れろ。」


「……今日一日だけ……?」と、オスカーが呟く。

目の奥に、惜しむような光が宿る。


沈黙が一瞬。


だが次の瞬間、トーマスがフォークを握りしめ、立ち上がった。

「上等だッ!!」

その目は戦場のように燃えている。

「食って、食って、食いまくってやるッ!!!」


ズゾゾゾゾゾゾッ——!!

轟音のような啜り音が部屋に響いた。

麺が吸い込まれるたび、スープが跳ね、香草が宙を舞う。


「おいおい! トーマスの奴、一人で食い尽くす気かよ!」とジトーが叫ぶ。


「シマ! 乾麺の残りは!?」とロイドが焦る。


「……ズゾゾッ……十人……ズズッ……前……ズゾッ……くらいだ……!」


「しまった! 先を越された!!」

ロイドが叫ぶや否や、彼もまたフォークを構え、鍋へ突っ込む。

その目はもはや理性を失っていた。


ヤコブも負けじと両手で椀を抱え、「これほどの研究対象……味覚の奇跡じゃああ!」と叫びながらズズズズッ!

ジトーもトーマスの隣で肩をぶつけ合いながら啜り、オスカーも両手でスープを抱え込むようにして飲む。


囲炉裏の周りでは、もう誰も言葉を発しない。

ただ、ずるずる、ずぞぞ、ズズズズッという麺の音だけが響き渡る。

まるで戦場の鬨の声のように、食欲と幸福がぶつかり合っていた。


スープの香りが立ちのぼり、湯気の向こうに笑顔が見える。

唇の端には油が光り、誰もが子どものような顔をしていた。

ブラウンクラウンのスープは、身体を芯から温め、脳の奥にまで旨味を叩き込んでくる。


「ぐぅぅ……もう入らねえ……だが……まだ食いてぇ……!」とジトー。


「これが最後の一杯じゃな……」とヤコブが名残惜しそうに器を見つめる。


シマはその光景を眺めながら、湯気の向こうで静かに笑った。

「これでいい……。忘れられねえ夜になったろ?」


ジトーたちは満腹で、笑いながらうなずく。

囲炉裏の火が、赤く、柔らかく揺れていた。

それは、戦う者たちの絆と幸福を照らす——一夜限りの伝説?の晩餐だった。



ブラウンクラウンの香りがまだ残る部屋の中で、シマは木椀を置き、深く息を吐いた。

「——明日は採取と狩りだ。」


その言葉に、皆が一斉に顔を上げた。


「明後日——行くぞ。」


一瞬、囲炉裏の火がパチッと弾ける。

その音が、妙に大きく響いた。


沈黙を破ったのはトーマスだった。

「……あの狼共の、住処に行くのか?」


その問いに、シマは静かに首を振る。

焔の光がその瞳を照らす。


「……違う。」

低く、しかし確かな声で言った。

「“始まりの日”だ。」


その瞬間、空気が変わった。

ジトー、ロイド、オスカー、トーマス——

全員の表情が、凍りついたように引き締まる。

誰もが、何を意味しているかを理解していた。


ヤコブだけが、静かな疑問を顔に浮かべた。

「始まりの日……? 一体、何のことじゃ?」


その問いに、ロイドが目を伏せ、唇を引き結んだまま答えた。

声は穏やかだったが、どこか遠くを見ているようでもあった。


「……あの日、僕たちは——奴隷商の馬車に乗せられていたんです。」

囲炉裏の火が、ゆらゆらと彼の顔に影を落とす。

「手足を縛られ、詰め込まれるようにして……カルバド帝国へ向かっていました。」


ヤコブが息を呑む。


しかしロイドは続けた。

「その途中で……崩落事故に巻き込まれたんです。山道が崩れ、馬車ごと谷底へ落ちました。」

「目を覚ましたら……この“深淵の森”の地にいた。」


ジトーが低く唸るように言った。

「……生き残ったのは、俺たち十五人だけだ。」

火の粉が、静かに天井へと舞い上がる。

「ほとんどの奴らは、生き埋めになった……。俺たちの仲間も、な。」


その言葉には怒りでも悲しみでもなく、ただ乾いた現実だけがあった。


「……俺の村の奴らも、あの時、一緒だった。」

トーマスの声はかすれていた。

「俺以外……誰も助からなかった。」


囲炉裏の火がまたひときわ大きく揺れた。

ヤコブは静かに目を閉じ、頷いた。

「……そういうこと、じゃったのか。」


シマが顔を上げる。

その瞳は、過去をまっすぐに見据えていた。


「これまで——その場所へ行こうなんて話は、一度も出なかった。」

その声には、哀しみと決意が混じっていた。

「……禁句のようにな。誰も言わなかった。」


一同の間に、長い沈黙が落ちた。

火の爆ぜる音だけが、静まり返った部屋の中で鳴り続けている。


オスカーがぽつりと呟く。

「でも……確かめなきゃ…逃げ続けるだけじゃダメな気がする。」


トーマスが拳を握りしめる。

「……行くなら、ちゃんと見届けよう。あの日の終わりを。」


シマはゆっくりとうなずいた。

「俺たちが、あの崩落の地を踏むのは——あの日以来だ。」

「“始まりの日”を、終わらせるために。」


焔が、再び大きく揺らめく。

それはまるで、彼らの胸の奥でくすぶり続けていた過去の炎が、静かに燃え上がったかのようだった。


ヤコブはしばし沈黙し、やがて深く頷いた。

「……わかった。ワシも同行するぞい。」

「学者として、ではない。お主らと共に——“家族”として、見届けよう。」


誰も言葉を返さなかった。

ただ、静かにうなずき合い、囲炉裏の火を見つめた。


夜は更け、外では森の風が木々を揺らしている。

深淵の森は、まるでその言葉を聞いていたかのように、ざわりと音を立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ