幹部会議20
「……王都組の任務は、王都の現状調査だ。表向きにはな。だが実際には、もっと厄介なものを調べてもらうことになる」
重ねた指の先で卓を軽く叩き、シマは全員の顔を順に見渡す。
「法衣貴族たちの動向、王家の裏側、第一王子と第二王子、それぞれの取り巻きと背後関係……分かる範囲で構わない。だが――」
その眼差しがわずかに鋭くなった。
「無茶はするなよ…マジで。」
沈黙の後、フレッドが歯を見せて笑った。
「おう、任せとけって! お前は何も心配することはねぇ!」
続いてザックが胸を叩く。
「情報収集だろ? んなもん楽勝だって!」
二人の声が響いた瞬間、シマは額を押さえた。
「……俺、人選、間違えたか……?」
しかし小さくため息をついた後で、苦笑いを浮かべる。
「でも……あいつらがやる気出してるしな。今までも、なんだかんだ結果は出してきたし」
腕を組んでいたジトーが、肩をすくめて笑った。
「まぁな……何とかなるだろ。クリフにとっちゃ災難としか言いようがねぇけど」
「仕方ないわよ」
サーシャが静かに続けた。
「あの二人が言い出したら聞かないし、ケイトもそう。直情型だもの。一度言ったら引かない」
シマは苦笑のまま立ち上がり、書簡を一通取り出した。
「……クリフ、ブランゲル侯爵家の書簡だ」
受け取ったクリフは、わずかに眉をひそめた。
「……貧乏くじを引いた気分だぜ」
「ハハッ……まぁ……がんばれよ」
トーマスが乾いた笑いを漏らした。
その時、シマが振り向きざまに声をかけた。
「エリカ、法衣貴族たちの中で、ブランゲル侯爵家一派――信用できる人物を教えてくれ」
エリカは一瞬考え込み、細い指を顎に当てた。
「そうね……財政大臣、キーロヴィチ・デ・マルモス伯爵。外務政務官のオーギュスト・ド・スタール男爵。農林副大臣のセレスタン・ド・ニール男爵。そして……法務大臣、エルフリーデ・デ・ケレンズ伯爵。お婆様よ」
エリカは穏やかに微笑んだ。
「お母様の実家なの。私からも文を認めるわ。きっと力になってくれるはず」
「助かる」
シマの声には、心底からの安堵が滲んでいた。
だが、その安堵を破るように、フィンが口を開いた。
「なぁシマ……何でそんなにアンヘル王国にこだわるんだ?」
問いかけは素朴だったが、部屋の空気を微かに変える。
「……説明していなかったのか?」とシマ。
その隣でエイラが肩をすくめた。
「オリビアたちには話したはずよ。聞いてない?」
「聞いてねぇぞ?」とカスパル。
そこでミーナが静かに前に出た。
「簡単に説明すればね――私たちはブランゲル侯爵家と昵懇の仲なの。で、ブランゲル侯爵家は第一王子を推してる。対局にいるのが、第二王子を支援するスニアス侯爵家一派。互いの陣営は……正直、険悪だと聞いたわ。ブランゲル様は内戦を避けようとしてる。だから裏で、慎重に根回しをしてるの。」
ノエルが言葉をつないだ。
「内戦を防ぐのは、ブランゲル様のためだけじゃないわ。アンヘル王国には……トーマスの家族も、ロイドの家族も、フレッド、メリンダの家族もいる。キョウカさんの家族だってそう。彼らが戦火に巻き込まれないようにするためよ」
その声は、優しさの裏に決意を秘めていた。
「だからこそ、私たちは王国の内情を知っておく必要があるの」
シマは深くうなずいた。
「……そうだ。俺たちは、もう他人事じゃない」
短く息をつき、卓上の地図に手を置く。
「ブランゲルのためでもあるが――結局は、俺たち自身のためだ」
静かに、それでいて確固たる響きをもってシマは言った。
「悪いが、付き合ってもらうぞ」
その言葉を受けて、すぐにギャラガが立ち上がった。
「元よりそのつもりだ!」
彼の低く太い声が、まるで戦鼓のように部屋に響く。
続いてライアンが笑いながら拳を握った。
「俺たちはお前らについていくだけだ」
隣でブルーノが短く笑い、拳を合わせる。
「地獄までもな!」
「今更だよなあ」と誰かが言い、肩を叩き合う声が続く。
長く共に戦い、生き抜いてきた者たちだけが持つ、固い絆の匂いがそこにあった。
シマは小さく笑ってから、視線を巡らせた。
「……ワーレン、ベルンハルト。くれぐれも慎重にな」
呼ばれた二人は姿勢を正した。
「無茶はしねえから安心しろ」
ワーレンが短く応える。
「任せとけ。いつでも逃げられる準備は整えておく」
ベルンハルトは唇の端を上げた。
「それでいい」シマが頷く。
だがその直後、わずかに表情を引き締める。
「――で、他にも調べて欲しいことがある」
空気が少し変わった。
軽口の余韻が消え、皆がシマの言葉を待つ。
シマはゆっくりとリズの方へ視線を向けた。
「リズの家族は、王都にいるんだよな?」
唐突な問いに、リズは驚いたように目を瞬いた。
「……ええ、そうね」
彼女はわずかに視線を落とし、声を沈める。
「今は……わからないけど」
ケイトがそっと口を挟んだ。
「確か、清掃の仕事を請け負ってるのよね?」
リズは静かに頷いた。
「ええ。小さな劇場や娼館、酒場なんかで仕事をもらって……細々と食いつないでた。そんな生活だったわ」
場の空気が一瞬、痛みを含んだように沈む。
「何処に住んでたか、覚えてるか?」とシマ。
リズは少し考えてから答える。
「王都の外れよ。……そんなことを聞いてどうするつもり?」
シマは目を細め、迷いのない口調で言った。
「生きてりゃあ、呼び寄せる」
その声には団長としての命令でも、友としての気遣いでもない――
“家族”としての、静かな決意がこもっていた。
「……リズを奴隷商に売った負い目は、両親にもあるだろう…リズ、お前は会いたくねぇかもしれねぇ。けど、それでも――呼び寄せる」
断固としたその口調に、リズの瞳が大きく揺れた。
数秒、何も言えずにシマを見つめ、やがて小さく首を横に振る。
「……どうして、そこまで……」
シマはゆっくりと息を吐いた。
「お前は俺たちの家族だ。……それだけだ」
その瞬間、ロイドが椅子をきしませて立ち上がり、リズの肩を抱いた。
「僕も賛成だ」
柔らかな笑みを浮かべ、力強く言い切る。
リズの唇が震えた。
何か言おうとしたが、声にならない。
代わりに、そっとロイドの腕に手を置いた。
ケイトが口を開く。
「……リズのご両親の名前、聞いてたわよね。お父さんがベン、お母さんがヘラ」
リズが小さく頷く。
ケイトは確認するように続けた。
「ベンさんは額に火傷の跡がある。ヘラさんは手の甲に生まれつきの痣。長女がリタ、長男がテオ、で間違いない?」
「ええ……そうよ」
ケイトの表情が引き締まる。
「なら大丈夫。特徴がはっきりしてる。」
そう言って、彼女は拳を握りしめた。
「見つけ出して、連れてくるわ!」
その言葉に、シマが小さく頷く。
「助かる。……リズ、お前の家族が生きてたら、必ず守る。たとえ今さら顔を合わせるのが辛くてもな」
リズはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。
「……ありがとう。……でも、会えたとしても、私はもうあの頃の娘じゃないの」
「わかってる」
シマが静かに答える。
「それでもいい。今の“お前”が会えばいいんだ」
短い沈黙のあと、部屋の空気が少しだけ緩んだ。
ミーナが優しく笑い、サーシャがうなずき、ノエルが「きっと見つかるわ」と声を添えた。
シマは冷静に、聞く。
「ノエルが見習いメイドとして働きに入ってた貴族の名は?」
ノエルは小さく息を吸い、顔を上げる。
声には少し笑いが混じっていたが、その瞳には怒りと冷たさが瞬いた。
「ヨーナス・デ・コンラート伯爵家よ。息子の名はヨーゼフ・コンラート。スニアス侯爵家一派に近い家柄よ」
その情報が伝わると、会議室の雰囲気が一気にざわめいた。
シマはゆっくりと頷いた。
「……今はまだ調べるだけだ。すまんな、ノエル」
ノエルは肩をすくめ、涼やかに笑った。
「いいのよ。相手は伯爵家なんだから、慎重にやればいいだけ」
それを聞いたトーマスの顔が一瞬にして紅潮する。
「ヨーゼフ……そいつが、ノエルの身体目当てに迫ってきたやつの名か……。今直ぐ絞め殺してやりてぇ……!」
その言葉に、フレッドとザックが即座に飛びかかってトーマスの腕を掴む。
「お、落ち着けぇッ!!」とフレッドが叫んだ。
「抑えろ!今はまだその時じゃねえッ!」とザック。
トーマスが少し落ち着きを取り戻したところで、シマは本題へ戻す。冷静な声が皆を引き締める。
「ワーレン、コンラート家――ヨーゼフについても調べてくれ。それからルダミック商会、こいつらはスニアス侯爵家とつるんでる。徹底的にな」
ワーレンは即座に応じた。
手元で地図に印をつけ、顔を上げる。
「承知した。動き方を詰めて報告する」
すると、エイラがすっと立ち上がり、声に硬さを含ませる。
「ルダミック商会は私の家族の敵でもあるの、ワーレンさん。手間をかけることになるけど、お願いね」
その一言には、命令にも等しい確信が込められていた。
「わ、わかった……わかったから! そんなに圧をかけないでくれ!」
周囲のサーシャとミーナがエイラを宥めに入り、場の緊張は少し和らいだ。
だが、命じられた任務の重さは誰の胸にも残る。
ルダミック商会の名は、単なる商人組織を超え、侯爵家と結びつく影の力を示していた。
その時、ジトーが別の視点から話を切り出す。
「オスカー、お前は両親のことを覚えてないって言ってたが、何か特徴とかないのか?」
オスカーは静かに首を振る。
「う〜ん……もう全然、思い出せないんだ。年が幼すぎた。奴隷商に売られたのは五、六歳の頃で、その後の深淵の森での生活が濃すぎて、記憶が断片になってしまってる」
ロイドが優しく問いを重ねる。
「何処に住んでたんだい? どんな家だったか」
オスカーは目を細め、遠い記憶を探すように唇を噛んだ。
「それすらもわからない。顔も場所も、地図のように線を辿れないんだ」
エリカが静かに言葉をつなぐ。
「オスカーの両親を見つけるのは、雲をつかむようなものね…」
オスカーは小さく笑った。肩の力がふっと抜ける。
「僕は全然気にしてないよ。僕の家族はここにいる。それで十分なんだ」
その誠実な言葉に、会議室には温かさが広がる。
シマの声は静かだが、その一言一言に鋼が混ざっていた。
「オスカーの両親については一旦棚上げだ……任務は慎重にだ。だが、躊躇はするな。仲間が傷つくくらいなら殺せ……! 敵には容赦しねえ、それがシャイン傭兵団だ!」
大会議室に呼応するような低い咆哮が上がる。
幹部たちの「オウッッ!!」という気合いの声が、決意の輪を拡げる。
王都に潜む陰謀、二人の王子の対立、法衣貴族の権謀、ゼルヴァリアの動向――
そうした「大きな問題」よりも、ここにいる一人の仲間の命を救うことこそ優先する、というシマの価値観が、沈黙のうちに示されたのだ。言葉は短いが重く、脈々とした信頼と義の鎖を結び直す合図となった。
ゴードンは背筋が震え、思わず鳥肌を立てた。胸の内で熱が沸き起こる。
──この声、この揃い方、この瞬間の重さ! 一糸乱れぬ合唱のように響く仲間たちの声に、彼の血は騒ぐしかなかった。
──理屈ではない直感が彼を捉え、興奮は収まらない。
ゴードンの心に、ある衝動が生まれた。
「シマに付いていきてえッ!」という純粋な熱情だ。
ラルグスの胸にも、別の像が浮かんでいた。
病床で朦朧とする中、彼がかつて見た男──ユーマ・フォン・ロートリンゲンの姿。
村を救うために家臣を率い、的確に指示を出して回るその立ち振る舞いは、まるで英雄譚の一場面だった。夢とも現実ともつかぬその光景は、ラルグスの記憶深くに鮮烈に刻まれている。
今、シマの振る舞いの中にユーマの影を重ねた時、胸の内に確かな確信が生まれた。
〈この男に膝を折るのは恥じゃねえ、むしろ光栄だ〉
シマと共に歩む未来が、突然鮮やかに思い描かれたのだ。
想像するだけで胸が高鳴り、行く先の険しさすら快感に変わる。
同じ熱が、カスパルやフィン、セシリオ、ドミンゴ、ペドロの胸にも灯る。
彼らはそれぞれに血や素朴な野心、あるいは失いたくない安寧を抱えていたが、シマの言葉が放つ「仲間を守るためなら命を懸ける」という価値に触れ、言葉を超えた帰属を感じる。
カスパルは静かに拳を握り、フィンは視線を鋭くし、セシリオとドミンゴは無言でうなずく。
ペドロはまだ年若いが、瞳の奥の決意は確かだ。
場面は一瞬の静寂を迎え、その後に来るのは笑いと喧騒ではなく、沈黙の確約だった。
誰もが黙ってそれぞれの思いを内におさめ、ただひとつの合図を待つ。
シマの指先が地図の上で止まり、シマが小さく息を吐く。彼の背には重責がある。
だがその背を支える者は、もはや言葉の要請を待たない。彼らは仲間だ。
言葉にならない誓いが、胸の奥で静かに結ばれていく。
「シャイン傭兵団――それは家族だ」誰かが思い、誰もが頷く。
義と情け、戦術と暮らし、笑いと涙、そのすべてが混ざり合った結社。
大義や損得を超えて、ここにいる一人を救うために動くという単純で崇高な決意が、団員の心をひとつにした。
外の風が窓を揺らし、『雄々しい獅子』団旗がかすかに鳴る。
彼らは一つの声で応える準備ができていた──命を懸ける覚悟を、微笑とともに。




