幹部会議19
「炭酸水の方な、あれも難しいな。だが――少しずつだ。ザック・エールの完成はまだ時間がかかりそうだが、確実に近づいてるぜ!」
その声には、諦めの色は微塵もなかった。
むしろ自分の造り出すものへの確信と、未知への挑戦が滲んでいた。
「二酸化炭素、じゃったか? あれをどう封入するのか、樽に入れるのか……色々と試しておるところじゃ」とヤコブが補足するように言った。
彼はメモを広げ、細かい数字と図面が書き込まれた羊皮紙をめくる。
学者特有の癖で、熱を帯びた早口になっていく。
「どうにも泡が逃げおるのじゃ。炭を燃やして生じる気体を管に通そうとするが、途中で気泡が抜ける。樽に詰めようとしても、栓をする頃にはしゅわしゅわと逃げてしまう。うむ……まるで気の早い小妖精のようじゃ!」
「送風管に通す前に二酸化炭素が逃げてる感じなのよね」
キョウカが眉を寄せる。
「通りが悪いというか……どうしても圧が保てないの。鉄管の継ぎ目の密閉も何度も直したけど、まだ完全じゃないのよ」
「ふむ……今のところは、少しずつ進めていくしかねえか」
シマがつぶやき、椅子の背にもたれる。
「焦っても仕方ねえ。失敗を積み重ねて、どこかで突破口が見つかるさ。泡の逃げ道も、きっと塞げる。……そのうち何か思いつくかもしれねえ。それまでは試行錯誤でいこう」
「了解だぜ!」
ザックが力強く頷く。
彼の声には、苦労の先にある“完成の味”を思い浮かべているような明るさがあった。
シマは苦笑を浮かべながら、「他に報告はあるか?」と改めて問いかける。
「大体のことは伝えたとおりだ」
ジトーが短く言った。
「よし」
頷いたシマは、手元の地図を広げ、これからの予定を口にした。
「これからのことを伝える。まず、ノーレム街に行ってキョウカのオヤジさんに弓を卸す。それから深淵の森に入る。ブラウンクラウンと土の採取、家の補修もしねえとな。帰りにはキョク村によって村長宅の件をまとめる。その次にリュカ村でトーマス一家を連れ出し、九月下旬にはカシウム領でサーシャたちと合流……大体そんな流れだ。かなりの速度で進むことになる」
会議場の空気が引き締まる。
「行くメンバーは、俺とジトー、ロイド、トーマス、フレッド、オスカーだ」
シマの声が静まり返った室内に響いた、その直後だった。
「シマ! ワシも深淵の森に連れていってくれ!」
ヤコブが突然立ち上がり、両手を合わせて拝むような姿勢で叫んだ。
白髭が震え、顔には子どものような興奮が走っている。
「頼む、この通りじゃ!」
あまりの勢いに、オスカーが「うわっ」と声を上げた。
「……学者としての血が騒ぐか?」
ジトーが呆れたように言う。
ヤコブは大きく頷き、瞳を輝かせた。
「そうじゃ! 深淵の森――あそこには未知の植物、動物があるやもしれん! ワシはどうしてもこの目で確かめたいのじゃ!」
「爺さんの脚じゃついていけねえだろ」とザックが口を挟む。
「シマ、お願いじゃ! 深淵の森に行ってみたいのじゃ!」
懇願する声は、普段の学者然とした落ち着きからは想像もできないほど切実だった。
シマはしばらく黙り込み、顎に手を当てて考え込んだ。
「……背負子を椅子のように改良して、おぶっていけば行けるか?」
彼がそう言うと、場に一瞬の静寂が訪れた。
「念のためにベルトをつければ、落ちる心配もねえだろ」
「おおっ……!」とヤコブが目を見開く。
「僕たちが代わるがわる背負っていけば、それほど負担にはならないね」
ロイドが穏やかに微笑んだ。
「それならいけそうだな」とトーマスが頷く。
「おおっ?!本当か?!ワシも連れていってくれるのか!」とヤコブが叫ぶ。
シマは軽く笑いながら言った。
「――ヤコブも連れていく」
その一言で、老学者はまるで少年のように飛び上がった。
その姿に、場の空気が一気に和む。フレッドは大笑いし、ジトーは頭をかく。
ロイドは小声でオスカーに言う。
「……ヤコブさん、きっと森の中ではしゃぎまわるだろうね。」
「間違いないね…しっかり見張っておかないと」とオスカーが笑う。
深淵の森――それは未知と危険、そして新たな発見が待つ場所。
学者ヤコブの探究心、仲間たちの信頼が交錯する中、シャイン傭兵団は再び動き出す。
議題は次の行動方針――アンヘル王国の情勢確認、ゼルヴァリア方面の情報収集、そして王都での調査。
シマは机に広げた地図の上に手を置き、重々しい声で言った。
「情報が欲しい。アンヘル王国、王都の状況、ケリガン・デル・スニアス侯爵一派、それにゼルヴァリア軍閥国の動向も含めてな。……王都の様子を調べてくれ、クリフ」
名を呼ばれたクリフは、短く頷きながら立ち上がる。
「了解だ。スニアス侯爵の動き次第では、王国全体の均衡が崩れる。気は抜けねえな」
その言葉に、周囲の面々が一瞬静まり返る。
スニアス侯爵――アンヘル王国でもブランゲル侯爵に次いで最も影響力を持つ貴族のひとりであり、野心家としても知られる男。
シマは続けて言葉を重ねる。
「それと……ベガ隊を分ける。ベガはクリフと行動を共にしてくれ。ベルンハルト、お前がベガ隊を率い、ゼルヴァリアの情勢を調べてこい。ワーレン隊にはスニアス侯爵領の様子を探ってもらう」
淡々とした声だったが、部屋の空気は一気に緊張感を帯びる。
配置と任務が伝えられるたび、各隊長たちは姿勢を正し、短い敬礼で応えた。
だが次の瞬間――
「ちょっと待ったああぁぁッ!!!」
突如として大声が響いた。
全員が驚いて声の方を見ると、立ち上がっていたのはザック、フレッド、そしてケイトの三人だった。
「王都に行くんなら俺も行くぜ!」とザック。
「俺もだ! 一度でいいから行ってみたかったんだよな、王都!」とフレッドが拳を握る。
そしてケイトは、頬を赤らめながら両手を胸の前で組み、「……私はね、王都の街をクリフと散策したいかなぁ~……なんて」と可愛く言ってみせた。
その瞬間、室内の空気が一変する。
エイラが苦笑し、サーシャが頭を抱え、シマが額を押さえた。
「お前……遊びに行くんじゃねえんだぞ」
クリフが冷たく言い放つ。
「わ、わかってるわよっ!でも任務の合間くらい、少しはいいでしょ?」とケイトが抗議する。
「ザックとフレッドはどうせ娼館目当てでしょ」
エリカが呆れ顔で言うと、ノエルが即座に頷いて「間違いないわ」と同意する。
「メリンダ、いいの?!」
ミーナが信じられない様子で問いかける。
メリンダは、肩をすくめながら小さく笑った。
「……フレッドには何を言っても無駄だとわかってるの。どうせ行くのよ。最後に私のところに戻ってきてくれれば、それでいいわ。はぁ~……」
そう言って、諦め半分、呆れ半分のため息をつく。
笑いが起きる中、リズが口を開く。
「ケイト! 公演に向けての練習もあるのよ? 衣装合わせも、他にもやることが山ほどあるわ」
ケイトは舌を出して笑う。
「合流したら猛練習するから!ね、いいでしょ?」
マリアが腕を組んでザックを見つめた。
「ザック、エール作りはどうするの? まだ完成してないでしょ」
ザックは苦笑いを浮かべて頭をかく。
「ここんところバンガローに籠りきりだったからな。たまには羽を伸ばさねえと、泡も立たねえってもんだ!」
「泡が立たないのは炭酸水のせいじゃなくてお前の集中力の問題だろ」
トーマスが突っ込み、場が再び笑いに包まれる。
ロイドが穏やかに問いかけた。
「フレッド、キョク村の村長さんとの交渉はどうするんだい?」
フレッドは自信満々の笑みを浮かべて親指を立てた。
「情報を集めたらすっ飛んでキョク村に行く! 問題ねえって!」
「なんとまあ……自由な連中じゃな」
スタインウェイが深いため息をつく。
その言葉に、後方に座っていた移住組の面々――カスパル、フィン、カイセイ族のラルグスとギーゼラ兄妹、ゴードン、セシリオ、レイモンド、ドミンゴ、ペドロらが顔を見合わせる。
彼らの表情はまさに「呆気に取られる」という言葉がぴったりだった。
口を開けたまま固まる者、ため息をつく者、頭を抱える者……彼らの中にあった「シャイン傭兵団=規律」という概念が静かに崩れていく。
オスカーが苦笑しながら言った。
「僕たちの方からフレッドが抜けることになるね。戦力的には痛いけど、まあ、フレッドらしいよ」
「……シマ、もう一人、まともな奴をつけてくれ」とクリフが言う。
その声には切実さが滲んでいた。
「そ、そうだ! 俺も賛成だ!」
ベガも即座に手を上げ、首をぶんぶんと縦に振った。
彼はもともと冷静な性格だが、ザックとフレッドとケイトが同じ任務に同行することを想像した瞬間、顔から血の気が引いたらしい。
「クリフの苦労が目に浮かぶな……」とジトーが肩をすくめ
「確かに地獄行きの三人組だ」
全員が納得顔で頷く。
だがフレッドたちは全く悪びれる様子もなく、笑いながら「ま、にぎやかでいいだろ!」と笑っている。
「にぎやか過ぎるんだよ……」
シマは小さく呟いたが、誰も聞いてはいなかった。
「僕も王都に行こうかな。氷の刃隊はシオンに任せるよ」
言葉の主はユキヒョウ。
銀髪を揺らしながら、いつものように柔らかな笑みを浮かべていた。
だがその瞳の奥は、どこか愉快そうに光っている。
「おいおい、ユキヒョウ、お前まで来るのかよ」
ザックが呆れたように言う。
「うん。――君たちの事が、放っておけなくてね」
その口調は冗談めいていたが、心の中では別の思いが渦巻いていた。
(この三人は絶対に問題を起こす。王都の高級娼館で揉めるか、商人の娘を口説いて騎士団に追われるか……いや、もっと面白いことになるかもしれない。何が待ってるのやら……楽しみだなぁ)
彼の脳裏には、王都の石畳を疾走するザックとフレッド、呆れた顔で追うケイトの姿が、すでに鮮明に浮かんでいた。
そんなユキヒョウの表情を、鋭い目で見逃さなかった者がいた。
「……こいつ、一瞬悪い顔をしてたぞ」とジトーがぼそり。
「気のせいだよ」
ユキヒョウは笑って、まるで人畜無害の天使のように目を細めた。
「ユキヒョウか……これで少しは負担が減るな」
クリフが安堵の息を漏らした。
「ちゃんと補佐するよ。安心して」
ユキヒョウはそう言って、まるで“嵐の中心に飛び込むことこそ楽しみ”と言わんばかりの笑みを浮かべた。
シマはその様子を見て、苦笑を交えつつも指を鳴らした。
「……ハァ~。よし、纏めるぞ」
全員の視線が一斉にシマへと向く。
彼は机の上の地図を軽く叩きながら、静かながらも力のある声で告げた。
「クリフを中心に、王都組は――ユキヒョウ、ベガが補佐に入る。同行はザック、フレッド、ケイト。合計六名だ。ベルンハルトはベガ隊の指揮を取り、ゼルヴァリア方面の偵察に向かえ。ワーレン隊はスニアス侯爵領を調べる。」
シマの声には、いつもの柔らかさが消えていた。
その真剣な口調に、全員の表情が引き締まる。
「期間は一ヶ月。その後はカシウム領で合流だ。合流地点は――『アパパ宿』…身の危険を感じたら即引き上げろ。その場合でも、アパパ宿で待機だ」
シマはそう言って、鋭い視線を一同に向けた。
その眼差しには、ひとつの警告が込められている。
――「命を軽んじるな」
シマの静かな想いとは裏腹に、会議室の空気を一変させたのは、ザックだった。
「よっしゃあ! 王都だ! 飲むぞ、食うぞ、遊ぶぞぉっ!」
その勢いにフレッドが腹を抱えて笑い出し、ケイトが呆れたように肩をすくめる。
「……一応、仕事もね」
「どうせまた娼館まっしぐらだな」
「お前もだろうが!」
ザックの鋭い突っ込みに、フレッドの笑い声が重なり、ふたりの声が大会議室中に響き渡る。
だが、その喧騒の中で、後方の席にに座っていたレイモンドが眉をひそめる。
「王都の状況を調べるんだよな? ……何だよ、飲む食う遊ぶって?」
隣のペドロが顔をしかめて答える。
「……俺に聞くな。俺だってわかんねえよ」
レイモンドとペドロのやり取りを、ラルグスが腕を組んで聞いていた。
「シャイン傭兵団……未だに理解できねえ。化け物じみた強さだってのはわかったが、まとまってるかと思いきや、各自が好き勝手やってるように見えるな」
その言葉に、傍らのゴードンが鼻を鳴らした。
「同感だな。戦闘でも日常でも、連中の動きは常識じゃ測れねえ。あれで組織として機能してるのが不思議なくらいだ」
彼らの視線の先では、まだザックとフレッドが軽口を交わしており、ケイトが椅子に腰かけて脚を組みながらため息をついていた。
エイラは微笑を浮かべて見守り、リズやノエルは「また始まったわね」と苦笑している。
その様子を見て、メリンダがゆったりとした口調で言った。
「フレッドとザックを基準に考えたらだめよ。あの二人は特に自由奔放だから。シマやサーシャたち、他の人たちが全体をちゃんと見てるの。これでもバランスは取れてるのよ」
「……バランス?」
ギーゼラが首を傾げる。
「そう。まるで大きな家族みたいなもの。みんな勝手に見えても、不思議と信頼で繋がってるの」
メリンダはそう言って微笑んだ。
「それに、幹部会議なんていつもこんな感じらしいわよ。真面目な話をしてると思えば、誰かが冗談を飛ばして全員が笑う。緊張と緩和が一つの流れになってるの」
彼女の言葉に、ラルグスとゴードンが顔を見合わせる。
その瞬間、部屋の奥で再びザックの大声が響いた。
「よし、まずは王都の娼館を――」
「仕事が先だっつってんだろうが!」とクリフの怒鳴り声がかぶさる。
どっと笑いが起こる会議室。
呆れながらも、誰も本気で止めようとはしなかった。
――この混沌の中にこそ、シャイン傭兵団という集団の“強さ”がある。
新参の者たちはまだ知らない。
彼らの笑い声の裏には、戦場を幾度も越えてきた絆と信頼が息づいているのだ。




