試せ?!
ホルンの街、軍宿舎。
日が沈み、スレイニ族軍とシャイン傭兵団との合同宴が催されていた。
広間の中央には大きな円卓がいくつも並べられ、肉の香ばしい匂いと、馬乳酒の芳醇な香りが空気を満たしている。
兵たちはすでに顔を赤らめ、笑い声が絶えない。
杯が打ち鳴らされ、歌が起こり、床を叩く足音が響く。
そんな喧噪のただ中で、シマとハン・スレイニは、ひとつの卓を挟んで静かに語り合っていた。
二人の周囲だけは、まるで異なる空気が流れているかのようだった。
賑やかな音が遠のき、互いの言葉だけがまっすぐに交わされていく。
「……やっぱり、お前とは話が合うな、ハン」
水の入った杯を傾けながら、シマが笑う。
「僕も同じ気持ちだよ、シマ。最初に会ったときから思ってた。」
「“共存共栄”ってやつだ。」
「そう。“共に生き、共に栄える”。それが理想だね!」
ハンの声は若いが、その言葉には年輪を感じさせる深みがあった。
彼は人々を見渡した。
そこには笑いながら杯を交わすスレイニ族の兵と、肩を並べて談笑するシャイン傭兵団の面々がいた。
「でも、それを実現するのは簡単じゃない。人の意識を変えるのは、戦うよりも難しいことだよ」
「ああ。剣じゃ変えられねぇもんな。けど、できるはずだ。飯を分け、酒を分け、仕事を分け合う……それが積み重なれば、“敵”って言葉もいずれ薄れていく」
シマの言葉に、ハンは頷いた。
「僕たちはまだその入口に立ったばかりだ。だからこそ、一緒に考えたいんだ。何を成し、何を遺すか」
「…お前、本当に若いのか?」
「君に言われたくないな」
二人が笑い合う。その笑いには、未来を信じる者だけが持つ静かな確信があった。
「このあいだサーシャ嬢が来た時に教えられた“シャイン式計算”と“牛糞燃料”——あれには本当に助けられたよ」
ハンが感慨深げに言う。
「風の炉も燃料がなければ、ただの大きな建物だからね」
「はは、そりゃよかった。どんどん広めていってくれ。燃料は命だ」
「君たちの知恵には驚かされるよ。惜しみなく共有できる姿勢……それが共栄の第一歩なんだろうな」
そのとき、少し離れた席でフレッドが大声を上げた。
「なぁシマ! 俺たちも“風の炉”ってやつ、同じようなもん作れんじゃねぇの?」
「箱だけならな」
シマは水を飲み干しながら言った。
「中身はがらんどうだ。あれは土地と物、人が揃ってこそ成り立つもんだ。山から降りる乾いた風、鉄鉱石が採れる土地、そして腕のいい鍛冶職人たち。全部が揃ってる必要がある」
「つまり、うちには……どれもねえな」と言うフレッド。
「でも、風だけはなんとかなるんじゃない?」とユキヒョウが尋ねる。
「そうだな。風はどこにでもある。何年もかけて調べれば、ああいう仕組みに向いた土地も見つかるだろう」
シマの言葉に、ユキヒョウはうなずいた。
「なぁ……シマ」
ヒル・スタインウェイが、盃を片手に口を開いた。
「お前、ホントになにもんだ? “フウリョクヨウカイロ”? “レイキャクフウ”? “サンカ”とか、何やらわからねぇこと言ってたが、一目見て“風の炉”が何であるか理解してたな」
その問いに、シマは少し困ったように笑った。
「まぁ、ちょっとした知識だ。昔、学者に教わったことがある」
「嘘つけ、絶対もっと知ってるだろ」
「まあな。でも、知ってるだけじゃ意味がねえ。使ってこその知恵だ」
その言葉に、ヒルは「ふっ」と笑い、杯を掲げた。
そのとき、サーシャが横から身を乗り出した。
「私たちの団長よ。ついでに、私の彼氏でもあるけど!」
一瞬、場が静まり返り——次の瞬間、爆発的な笑いが起きた。
「ちょっ……! なにを言わせんのよ!」
顔を真っ赤にしてシマの背中をバチンッ!と叩くサーシャ。
「お、おい痛えって!」
「ワハハハハ! いいカップルじゃねぇか!」
ヒルが笑い、酒を吹き出した。
その隣で、さらに追い打ちをかけるようにエリカが杯を掲げた。
「いずれ私の夫になる人よ!」
再び、広間が爆笑の渦に包まれる。
「お前まで何言ってんだよ!?」
シマが思わず立ち上がるが、サーシャとエリカは顔を見合わせ、勝ち誇ったように笑っている。
「団長!羨ましい限りだな!」
「モテる男は違ぇ!」
「サーシャ嬢もエリカ嬢も、美人すぎるぞ!」
周囲から冷やかしの声が飛び交う。
ハンでさえ笑いながら両手を叩いた。
「いいね、君たちは。本当に家族みたいだ」
「まぁな」
シマが肩をすくめる。
「血は繋がってねぇが、魂で繋がってる」
酒が進むにつれ、宴はさらに熱気を帯びていった。
楽士たちが弦を弾き、笛が鳴る。
スレイニ族の兵が円になって踊り、シャイン傭兵団の若者たちもそれに加わった。
笑いと歌が空間に溶けていく。
ハンはそんな光景を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……これが、僕の見たかった未来だ」
シマはその横顔を見て、静かに言った。
「まだ始まったばかりだ。けど、こうして笑い合えるなら、きっと間違っちゃいねぇ」
ハンはゆっくりと頷き、杯を掲げた。
「共に歩もう、シマ。君と、君の家族たちと」
「おう」
二人の杯が、夜空に澄んだ音を立ててぶつかった。
その音が、やがて夜風に溶けていく。
ホルンの街の上空には、星々が瞬き——まるで彼らの未来を祝福しているようだった。
シマは杯を置き、ハンの方へ身体を向けた。
「俺たちは今、酒を造ってる」
唐突な話題転換にハンは眉を上げたが、すぐに興味を示した。
「酒を? 君たちが?」
「そうだ。今のところはまだ町の中で消費される分しか造れてねえ。けど、いずれは大々的に売り出すつもりだ。もう下準備には取り掛かってる。農地と果樹園の拡張を進めてる。肥料も改良して実験中だ。これがうまくいけば……肥料そのものを売ることもできる。土地を豊かにすれば、人の暮らしは安定する」
「肥料を?」とハン。
「そうだ。糞、灰、炭に魚の骨。それを適度に混ぜ、寝かせる。単純だが、効果はでかい。作物の出来が変わる」
ハンは感心したように頷いた。
「本当に君は……商人か学者か、どっちなんだい?」
「ただの傭兵団の団長だ」
シマが笑うと、ハンもつられて笑った。
「僕たちの方からは、いつものように鉄鉱石、手織りの布生地、民族衣装、馬乳酒、家畜、肉を売るよ」
「助かるな。互いの足りないもんを補う。それが商いの本質だ」
シマはちらりと隣の席のサーシャに目を向けた。
「サーシャ、技術を一つ教えても構わねぇか?」
サーシャは頷き、微笑んだ。
「風の炉のことを教えてくれたんだもの。信頼には応えないとね」
彼女の声には、誇らしさと共に確かな覚悟があった。
「軍備食にもなる食い物だ。——“乾麺”と言ってな」
「かんめん?」とハンが首を傾げる。
「そうだ。作り方は難しくねぇ。小麦粉に塩と水を混ぜてこね、細く伸ばして乾かす。それだけだ。保存が利くし、軽い。湯さえ沸かせば、どこでも温かい飯が食える」
ハンの表情が一気に明るくなった。
「なるほど……乾燥させるのか! 確かにそれなら保存できる。麺料理はうちにもあるけど、日持ちしないのが難点だった」
「お湯さえ沸かせば何時でも温かい料理が食べられる。塩漬けの干し肉なんかも入れたら、うまいもんになるぞ」
「……いいね!」
ハンの声には興奮があった。
「行軍中や野営では、どうしても食が質素になりがちだ。温かい食事は士気に直結する」
「その通りだ。腹が満たされれば、人の心は穏やかになる。兵も民も同じだ」
「うん、試してみるよ。ありがとう、シマ」
そのやり取りを聞いていたヒルが、杯を揺らしながら口を挟んだ。
「なぁ、シマ。さっきから聞いてりゃ面白そうな話ばっかだが……酒の作り方は教えてくれねぇのか?」
「あるじゃねぇか」とシマが言う。
「馬乳酒だろ」
「いや、あれ以外のだよ。」
ヒルの顔は好奇心で満ちていた。
「ヨーグってのがあるじゃねぇか。昔からこの地域で食べられてたって、ダグから聞いたぞ」
シマが静かに言った。
「ヨーグ……確かにあるな。だがあれは発酵乳だろ? 酒とは違う」
「違うが、近い。あれを造る工程を見直してみろ。温度管理、時間、清潔さ。それを徹底すれば、別の発酵が生まれるかもしれねぇ」
ヒルは顎を撫でながら唸った。
「つまり、やってみろってことか」
「そうだ。試したのか? 試行錯誤を繰り返したのか?」
シマの声には叱咤の響きがあった。
「何も無い、飢えにあえぐ時ならそんな余裕はねぇ。だが今は違うだろ?だったら、考えろ。やってみろ」
ヒルは一瞬、言葉を失い、それから照れくさそうに笑った。
「なるほどな……言われてみりゃ確かにそうだ。試してもねぇのに“無理”って言っちまってたわけだ」
「そういうことだ」
シマが笑い、杯を掲げた。
「失敗してもいい。失敗したら、その理由を学べ。次に繋がる。それが“作る”ってことだ」
その言葉に、ハンも頷いた。
「……君の言葉は重いな。」
「戦場も、鍋の中も同じさ。段取りを間違えれば、すぐ焦げる」
「ははは! いい例えだ!」
場が再び笑いに包まれた。
暖炉の火の粉が舞い、夜の冷たい風が窓の隙間から流れ込む。
酒樽の中身は減り、卓上の皿はほとんど空になっていた。
「……そろそろ宴も終わるころだな」
シマが杯を置き、深く息をついた。
「同盟締結までは、まだ少しかかるな。協議して詰めていかねえと」
その声には、冷静な重みがあった。
向かいの席で椅子に身を預けていたハンが頷く。
「うん。お互いが納得できる条件で、だね。先ずは草案を作って……」
ハンはしばらく考え、視線を上げる。
「カイセイ族との同盟条文も知りたいな。参考にしたいね」
「ああ、いいさ。教えるよ」
シマが軽く笑うと、周りの団員たちもほっとしたように息を吐いた。
「数日は滞在することになるね」
ハンが言うと、護衛のヒルが静かに姿勢を正した。
「軍宿舎を自由に使っていいから」とハンが続ける。
そしてヒルに向かって言った。
「ヒル、シャイン傭兵団を賓客として扱うように、もてなして。」
「了解した」
短い返事だったが、その声には礼と敬意が滲んでいた。
「ハンさん、スレイニ族軍の皆様」
その時、サーシャが柔らかく笑って立ち上がった。
「レーアの街での宿代、滞在費を負担して頂いて……ありがとうございます」
「あっ、そうだったな!」
シマが慌てて頭をかく。
「礼を言うのを忘れてた。ありがとう」
ヒルが笑いながら手を振る。
「なぁに、礼には及ばねえよ!シャイン式計算と牛糞燃料の対価に比べりゃ、安いもんさ」
「そういうことだよ、シマ」
ハンが杯を掲げる。
「僕らの方が学ばせてもらってるくらいだからね」
「……けどよ」
シマが真顔に戻り、少し声を低めた。
「これからも長く交易を続けていくからには、とるものはしっかり取った方がいい。そうした方が、互いに健全だろ?」
「う~ん……」
ハンは唇に手を当て、しばし考えるように天井を仰いだ。
「そのことも含めて協議していこうか。明日から協議に入るってことでいいかな?」
「ああ、いいぜ」
シマが手を差し出す。
二人の掌が、しっかりと握り合わされた。
乾いた音がして、周囲に温かな空気が広がる。
「んじゃあ、俺がシャイン傭兵団を案内するわ」
ヒルが立ち上がり、声を張る。
「アンドレ! ハンから離れるなよ!」
「了解だ!」
ひときわ大きな声で応えたのは、褐色の髪を後ろで束ねた若者だった。
「……僕は子供じゃないのに」
ハンが小さくぼやくと、周りから笑いが起こった。
宴の名残を背に、シマたちは立ち上がる。
ヒルの先導で、軍宿舎の廊下を進むと、夜風が吹き抜ける中庭が見えた。
石畳を踏むたびに靴音が静かに響き、月光が白く床を照らしている。
やがてヒルが、木製の扉の前で足を止めた。
「ここが賓客の部屋だ。シマたちはここで休んでくれ」
鍵を外して扉を押し開けると、中は思いのほか広く、簡素ながらも清潔な部屋が並んでいた。
壁にはスレイニ族の刺繍布が掛けられ、暖炉の火が小さく揺れている。
ロッベンが感心したように口笛を吹いた。
「こりゃまた立派なもんだな。」
ヒルが笑う。
「兵と将が泊まる場所はきっちり分かれてる。賓客用は別棟になってるんだ」
「…アンドレ……なんか聞き覚えのある名前だな…?」とシオンが呟く。
ヒルが答える。
「アンドレ・レーアと言ってな。元レーア族族長アドルフ・レーアの次男坊だ」
ユキヒョウが腕を組んで頷いた。
「レーアの街でアドルフ・レーアに会ったよ。裏表のない人物だった。いい男だ」
「私たちの町に行きたいって、駄々をこねてたわ」
エリカが思い出し笑いを浮かべる。
「帰りに合流していくことになってるの」
マリアが続けた。
ヒルは驚いたように眉を上げた。
「……羨ましい話だ。旨い酒、冷えた酒が飲めるんだろ? はぁ~、俺もお前たちの町に行ってみてぇよ」
その言葉に、シマたちが笑う。
ヒルは笑いながらも、どこか懐かしそうな表情になった。
「……親父とお袋は元気か?」
「スタインウェイの親父は、シャイン傭兵団の相談役に就いたぞ」
フレッドが答える。
「ハンナさんには産婆として後進の育成に携わってるわ。私も教えてもらってるの」
メリンダが微笑んだ。
「そうか……いや、元気ならいい」
ヒルの声が少し掠れた。
灯りの下で見えたその横顔には、安堵と少しの寂しさが混ざっていた。
「護衛隊長だっけ?」
シオンが腕を組んで言う。
「ハンから離れるわけにもいかねえってか?」
「ああ」
ヒルは苦笑しながら頷いた。
「あいつには武力はねえからな。常に誰かが張り付いてねぇと心配でな」
部屋の扉を開け、シマたちを振り返る。
「っと、長話しちまったな。ゆっくり休んでくれ」
「助かる」
シマが軽く頭を下げた。
「じゃあ、明日な」
ヒルが去り際に笑い、手を振る。
その背中を見送りながら、団員たちはそれぞれの部屋へと散っていく。
部屋の中は、夜の静けさに包まれていた。
暖炉の火が柔らかく壁を照らし、遠くでまだ宴の名残が響いている。




