同盟締結に向けて
午後の陽が差し込む集会所。
「オスカー、それから建築班には負担をかけることになる。役所、バンガロー、家屋、船着き場の建設……厩舎と牛舎の拡張、羊小屋の増設も頼む。」
シマの声はいつも通り穏やかだが、その一言ひとことに芯があった。
傭兵団長でありながら、彼の指示は軍事よりも生活の整備から始まる。
だからこそ皆、自然と耳を傾ける。
オスカーが図面を覗き込みながら頷く。
「了解だよ、シマ。」
その時、ホースが真剣な面持ちで口を開く。
「シマ団長、家畜の繁殖も視野に入れておくべきです。幸い、今回の移住組の中には、牛や羊の飼育に長けた者たちがいます。」
「そうか……助かるな。」
シマは微笑を返し、資料をめくった。
「牛や羊の頭数が増えても問題ないか?」
「問題ない。」
答えたのはカスパルだ。長身の男が腕を組み、頼もしい笑みを浮かべる。
「助かる。よろしく頼む。」
会議の空気は、どこか活気に満ちていた。
戦場の作戦会議とは違う。ここにあるのは“築く”ための前向きな熱だ。
その中で、メグが小首をかしげてシマに尋ねた。
「お兄ちゃん、船着き場って、どれくらいの大きさの船が来るの?」
シマは一瞬考え込み、地図の川の湾曲部分を指差した。
「小舟だ。一度に五艘やってくるとして……そうだな、小舟を引き揚げて馬車に積む形を考えていたが……いや、待てよ。」
言葉を途中で切り、彼は炭筆で新しい線を引き始めた。
「小舟専用の台車を作って、それに乗せて引っ張って行った方がいいかもしれない。馬車には荷を多く積めるようになる。」
その提案に、場の空気が一気に動いた。
「おお、それはいいな!」
ラルグスが豪快に笑う。
「そうすりゃ、麺と酒、香辛料……あれらの積み込みも捗るぜ!」
「麺とお酒……!」
ギーゼラが楽しげに目を輝かせた。
「オウタルの町の住人たちも喜ぶわ。」
「だったらうちのミュールの町にも卸していってくれ!」
声を上げたのはゴードンだ。
がっしりとした体を揺らしながら、笑顔でシマを見る。
「対価は……そうだな、石灰岩?でどうだ?あれなら山ほどある…だがそれだけじゃ申し訳ねえからな……」
ゴードンが腕を組み、少し考え込む。
「そうだ! 鍛冶職人が必要だって言ってたな。呼び寄せてやるよ、うちの方から腕の立つやつを送る!」
「助かるわ!」
キョウカが笑みを見せる。
その目には、職人を迎える責任者としての自信が宿っていた。
「ただし、私の指示には従ってもらうわよ。鍛冶場を預かるのは私なんだから。」
「なあに、それはお前さん次第だ。」
ゴードンがニヤリと笑う。
「職人ってのは腕がものを言う世界だ。力でねじ伏せるより、技で従わせるのが一番さ。」
「わかってるじゃない。」
キョウカも笑って返す。
「従えてみせるわ。私のやり方で。」
トーマスが椅子の背にもたれ、感心したように言った。
「心強いな!」
場がどっと和やかになる。
笑い声の中で、シマは全体を見回した。
一人ひとりの顔が、希望に満ちている。
シマが一息つき、背もたれに体を預ける。
「各地で大道芸人や旅の一座に声はかけたのか?」
彼の問いは、すでに仕事の段階を終え、皆の表情が緩んできた頃合いに静かに投げかけられた。
ノエルが微笑みながら頷く。
「ええ、声もかけたし、手紙もいくつかの街へ送ったわ。返事も届いているの。『ぜひとも行きたい』という声が多かったわ。早くて半月後、遅くても一月後には何組かの大道芸人や一座がやってくるはずよ。」
その報告に、場の空気がふわりと明るくなる。
「……奥方連中や子供たち、団員たちが少しでも楽しんでくれたらいいな。」
シマは目を細めながら、窓の外に視線をやった。
「杞憂じゃぞ、シマ。」
年配のスタインウェイが笑う。
「今でも十分に楽しんでおるわい。」
「あなたは気をまわしすぎよ。」
エリカが軽やかに言葉を継ぐ。
彼女はシマを見つめ、少しだけ呆れたように肩をすくめた。
「どこの領に行っても、平民がこんな贅沢な暮らしをしてるなんて聞いたこともないわ。食事は美味しくて、毎日温かいし、家屋も立派。服も布団も清潔で、子供たちは笑ってる。――もう、それで十分よ。」
「まあ、そのおかげで俺たちの家族は今の生活を満喫してるけどな!」
ワーレンが豪快に笑いながら言う。
「酒もうまいし、飯もうまい。雨風をしのげる寝床がある。それだけで最高だぜ!」
こんな恵まれた環境はないとばかりに言うベガ。
場がどっと笑いに包まれた。
皆、同じ想いを抱いている。
“戦うために生きる”から、“生きるために戦う”――その転換を、彼らは確かに感じ始めていた。
笑いの余韻の中で、ザックが唐突に声を上げた。
「そう言やあ、お前ら……海の魚を食ったんだってな?」
その一言に、場が再びざわめく。
「うむ……旨かったのう!」
ヤコブが目を輝かせ、両手を胸の前で組みながら語り出す。
「海の幸の天ぷら、刺身、本物のタコ焼き……あれほど多彩な味を一度に味わえるとは思わなんだ。わしの学問書の中にも、あんな食文化の記録はないぞ!」
「私たちでさえ衝撃的だったわ!」
ギーゼラが声を弾ませる。
「刺身なんて、生の魚を食べるなんて最初は信じられなかったのに……あんなに美味しい食べ方があったなんて!」
「俺はラーメンに度肝を抜かれたぜ……」
ラルグスが頭をかきながら呟く。
「あれはヤバい。旨すぎる。」
「ラーメンは最高だよな!」
ゴードンがすぐに食いつく。
「しかも、いろんな味があるんだろ?」
「昨夜の宴では出なかったなあ……」
ジトーが唇を尖らせた。
「腹が減ってきたじゃねえか……」
「俺もだ!」
「俺も!」
「腹の虫が鳴って仕方ねえ!」
あちこちから笑い混じりの声が上がる。
その笑いが、やがて一つの大きなざわめきとなって集会所を包んだ。
机を叩く音、背をのけぞらせる笑い声、肩を叩き合う音――
そこにあるのは戦士の顔ではなく、家族のような温もりだった。
ふと、ノエルが窓の外を見やりながら呟いた。
「もう昼過ぎね……」
気づけば陽は傾き、窓辺の影が机の上に長く伸びていた。
遠くから馬のいななきが聞こえる。穏やかな日常の音が、心地よく響く午後だった。
「……昼飯、まだだったな。」
シマが苦笑する。
「全員、解散。飯を食うぞ。今日は魚のフライを出すそうだ。」
「やった!」
「魚のフライか…!今日はどんな味つけだ?」
「頼むから、飯の前にその話題出すなよ腹が鳴る!」
再び笑いが起こる。
それはもう、戦場の咆哮ではなく――
新しい暮らしの中に芽吹いた“平和の音”だった。
外に出ると、陽の光が金色にきらめいていた。
遠く、川面が輝き、建設中の家々からは木槌の音がリズミカルに響いてくる。
人々の笑顔と、未来へ伸びる影――
シマはその光景を静かに見つめ、胸の奥で小さく呟いた。
「……この笑い声が続くように。俺たちの手で、守っていこう。」
彼の隣でサーシャとエイラ、エリカが微笑む。
「きっと、続くわ。あなたがいる限り。」
その言葉に、シマは照れくさそうに頷き、視線を逸らした。
笑い声は絶え間なく続いている。
チョウコ町を出立して二日。
シャイン傭兵団の旗印を掲げた一行は、ハン・スレイニに会う為、街道を進んでいた。
緩やかな丘陵が連なり、風に乗って草の香りが漂う。
空は高く澄み、白い雲がゆっくりと流れていく。
その先に見えてきたのが、スレイニ族領レーアの街だった。
レーア――かつてはレーア族と呼ばれる小氏族が支配していた“町”である。
しかし、数年前にスレイニ族の傘下に下ったことで、大きな転機を迎えた。
強力なスレイニ族の庇護と交易の流入によって、レーアは町から“街”へと発展を遂げた。
いまや石畳が敷かれ、市壁に囲まれたその街は、ダグザ連合国の中でも数少ない整った都市のひとつと評されている。
「思ったよりも、立派な街だな……」
フレッドが感嘆の声を漏らした。
街道の両脇に並ぶ木造の家々、その屋根の多くは赤土瓦で覆われている。
市場のあたりからは人のざわめきが響き、干し肉、果実の香りが混じって流れてくる。
人々の服装は多様で、毛皮を羽織った者、粗布の衣を纏う者、さらには鮮やかな刺繍入りの民族衣装を着た者まで、まさに“部族連合の縮図”といった光景だった。
「ここが……レーアの街。スレイニ族の領地に入るのは初めてだわ」
エリカが呟く。
彼女の横を歩くマリアは、興味深げに街の装飾を見上げていた。
建物の壁面や門扉には、動物や太陽、波の紋章が刻まれており、それぞれの氏族の象徴を示しているようだ。
「ハンは、支配よりも“吸収”を重んじるんだろうな」
シマが説明するように口を開く。
「征服して滅ぼすんじゃない。降った氏族の名や文化を、形を変えて残す。――ハンが、その方針を貫いてるんだろう。」
その言葉に、ユキヒョウが頷いた。
「名を消してしまえば、反発も生まれる。だが、誇りを残せば人は従う。賢い統治だね。」
「ふふ、やっぱりあなたは鋭いわね」とエリカが笑う。
「でも、そういう統治ができるのは“力があってこそ”よ。力もなく寛容を気取っても、誰も従わないもの。」
その会話を聞きながら、後方を歩くコーチンと子供たち。
「見て、あの屋台。焼き果実を売ってる!」
「ほんとだ!あれ、甘い匂いする!」
ジーグやヴィム、ザシャたちが目を輝かせ、足を止めかける。
「寄り道は帰りにしましょうね」
微笑むコーチン。
その穏やかな声に、隊の空気が柔らぐ。
一行には、シマ、サーシャ、エリカ、フレッドに加え、ユキヒョウ率いる氷の刃隊、マリア隊、そして炊事班班長のひとりである女性・コーチンも同行していた。
さらにメリンダや子供たち、そしてハイド、ビリー、ジーグ、ザシャ、ヴィムらの姿もあった。
ハイドやビリーの目にはすべてが新鮮で、異文化に触れることへの好奇心が隠せない。
「シマ団長、聞いてもいいですか?」
ジーグが尋ねる。
「ホルンの街って、スタインウェイさんの出身地なんですよね?」
「ああ、そうだ」とシマは頷く。
「ホルン族も、もとは独立した氏族だったが、スレイニ族の庇護下に入った。ホルンの街という名が残ってるのは、ハンの配慮によるものだろう。氏族の名を消してしまえば、その民の誇りも失われる。だからハンは、そうしなかった。」
「優しい人なんだな……」とハイドが呟く。
「優しい、か……」
ユキヒョウが少し遠い目をした。
「それもあるが、ハン・スレイニという男は“強い”からこそ優しくできる。力を持たない者の慈悲とは違う。彼の慈悲は、信頼を生む。」
「それにしても……この国、複雑ね」
サーシャが肩をすくめた。
「手を組んだり、争ったり……同じ国なのに。」
「“国”とは名ばかりだろ?」とフレッドが笑う。
「ダグザ連合国ってのは、いくつもの部族が寄り集まった集合体だって聞いたぞ。時に協力し、時に領土を巡って争う……それがダグザのやり方らしいな。」
「気性の荒い者も多いしな。排他的な氏族も少なくない」
シマが低く言った。
彼は旅慣れた目で周囲を見渡しながら続ける。
「だから、交易商人もめったに来ない。危険すぎるんだ。……けど、スレイニ族領は別。ハンの名を聞けば、誰も手を出さない。」
「ハン・スレイニ……やはり只者じゃねえな」
フレッドが腕を組んだ。
「戦で名を上げただけじゃなく、今や部族間を繋ぐ象徴か。」
「そうだな」とシマは頷く。
一行が街の門をくぐると、衛兵たちが警戒を示しつつも、見慣れぬ旗印に目を留めた。
“雄々しい獅子”――シャイン傭兵団の紋章である。
だがその緊張はすぐに和らぐ。
衛兵のひとりがシマの名を聞いた瞬間、驚きと敬意が入り混じった表情を浮かべたからだ。
「……シャイン傭兵団、ですか。ハン様より、すでにお話は伺っております。お待ちしておりました、団長シマ殿。こちらへ。」
「準備が早いな……流石だ」
シマが小さく笑みを浮かべ、感心したように呟く。
その横でエリカが腕を組みながら、少し口角を上げた。
「つまり、歓迎ってことね。いいスタートじゃない。」
風に靡く金髪が光を反射し、彼女の表情はどこか誇らしげだった。
「いい耳を持ってるんだろうね。」
ユキヒョウが穏やかに言う。
その声にマリアが頷いた。
「情報を理解しているってことね。彼らはただ待っているだけじゃない。」
フレッドが肩をすくめながら、からかうように笑う。
「何だ? マリアも随分とわかってきたじゃねえか。」
「私は幼少期のフレッドを知っているからこそ…情報を理解しているフレッドが何だか不思議だわ。」
メリンダの言葉ににフレッドは眉をひそめ、周囲の空気がふっと和む。
「お前なぁ……」
「もっと言ってやりなさい、私のことを小ばかにした報いよ。」
マリアが涼しい顔で言い放つと、エリカがクスリと笑いをこぼした。
「はいはい、それまでよ。物見遊山で来たわけじゃないのよ。」
サーシャが軽く手を叩き、場を締めようとするが、すかさずシオンが茶々を入れた。
「…そう言うサーシャ嬢は、さっき民族衣装をじーっと眺めてたよな?」
その一言にロッベンも加わり、笑いを噛み殺すように囁いた。
「俺も見た。」
サーシャは無言で彼らに振り向き、目を細める。
「……聞こえてるわよ。」
その静かな声に、二人の男たちは息を詰めたように口を閉ざし、一瞬の静寂の後、周囲から小さな笑いがこぼれた。
異国の空気と緊張の中にも、確かに温かな仲間の絆があった。
そのまま一行は街の中心部へと案内される。
途中、通りに並ぶ屋台や露店の賑わいに、子供たちが歓声を上げた。
焼き果実、干し肉、蜜漬けの木の実、干し魚の串焼き、色鮮やかな布――この地の文化が生き生きと息づいていた。