幹部会議16
「ねぇ、シマ」
サーシャが静かに口を開いた。
「スレイニ族との同盟締結の話し合い……私もついていくわ」
彼女の隣に座るエリカが、すぐに反応する。
「それなら私も!」
ふたりの視線がシマに集まる。
その瞬間、エイラと目が合った。
エイラはわずかに微笑し、淡々と告げる。
「シマ、スレイニ族との会談は任せるとして……牛と羊を買い付けてきてくれるかしら?」
「牛と羊?」
シマが聞き返すと、エイラはさらりと続けた。
「ええ。食料確保と、今後の畜産計画の基盤にするの。牛は十頭、羊は三十頭ほど。これだけあれば、乳製品も安定して供給できるわ」
「了解した」
シマの短い返答に、エイラは小さく頷いた。
その会話を聞いていたユキヒョウが、椅子に座ったまま片手を上げる。
「僕たちの隊も行こう。」
「私も行ってみたいわ!」
元気よく声を上げたのはマリアだった。
「俺もだな。ハンって男に会ってみてぇ」
フレッドが腕を組みながら言う。
「もちろん、ワシも行くぞい!」
ヤコブが椅子から立ち上がる。
その場の空気がにわかに賑やかになる。
しかしロイドは、ひと呼吸おいてから静かに口を開いた。
「シマ、今、チョウコ町でやるべきことは?」
皆の視線が再びシマへと向く。
少しの沈黙のあと、低く、しかし明瞭に答えた。
「…山を削る、だが、それだけじゃない」
シマの声が低く響く。
「肥沃な土地を広げる。畑を拡張する」
シマは机の上の地図を指で示す。
「大麦、小麦、ジャガイモ、紅芋、薬草園、果樹園……それぞれの区画を風向きと日照に合わせて配置する。」
「なるほど……でも、本当に大丈夫?」
ミーナが心配そうに問う。
「この地域、天気の変化が激しいから、今まで小規模の畑にしてたんでしょ? 広げすぎたら、一度の嵐で全滅するかもしれないわよ」
「そうだな」
トーマスも頷く。
「作物が全滅なんてシャレになんねえぞ」
シマは地図の上に置いた指先を、チョウコ町の西側に走らせた。
「この地域は南北西に連なる低山帯に囲まれている。急激な天気の変化の原因は、この地形にあると考えている。湿った海風が山にぶつかり、気流が乱れる。それが突風や集中豪雨を生む。つまり、風の流れを変えれば天候の安定が望める」
「なるほどのう……」
ヤコブが頷きながら呟く。
「つまり、人工的に地形を調整して気流の通り道を作る、というわけじゃな?」
「その通り」
シマは頷く。
「まず西の山肌を削り、緩やかな傾斜を作る。湿気が溜まりやすい谷間を埋めて気流の直進性を確保するんだ。これで、急激な温度差や積乱雲の発生を抑えられるかもしれない」
キジュとメッシ、ティアたちがすぐさま筆記を始める。
ヤコブが身を乗り出し、興奮気味に言った。
「ほっほう! なるほどのう、確かに気流の安定は降水量の変動を抑えるじゃろう。」
その説明を聞きながら、ティアが目を輝かせてペンを走らせた。
キジュとメッシも地図に書き込みを加え、ヤコブは何度も「うむうむ」と唸っている。
「そして……今回、砂鉄と石灰岩を運んできた」
シマが続けた。
「これを使って、玉鋼の精錬をする。石灰岩から、炭酸水を作り出す。それと、カイセイ族から新鮮な海産物を輸入するための船着き場を作る。」
「バンガローや家屋の建設も、まだまだ必要だね」
ロイドが呟いた。
「そうだ」
シマが頷く。
「移住者が増える以上、住環境を整えるのは急務だ…玉鋼の精錬、刀作りの記録はとってあるな?」
シマがキジュたちに視線を向けると、キジュが力強く頷いた。
「もちろんです、シマ団長。」
「そうか。まあ、俺の説明じゃ拙い部分も多かったろうが……キョウカに任せっきりになるけど…。頼むぞ」
「任せて!」
キョウカは嬉々とした声を上げた。
「今からもうワクワクして早く鍛冶場に行きたいくらいよ!」
鍛冶女の目が輝いている。
シマは苦笑しながらも、その情熱が頼もしくてたまらなかった。
ふと、横からジトーが腕を組みながら口を挟んだ。
「ところでよ、シマ。さっき言ってた“炭酸水”って何だ? あと石灰岩? あれは何に使うんだ?」
シマは頷き、皆が聞きやすいように姿勢を正した。
「いいか、ジトー。炭酸水ってのは“泡の立つ水”のことだ。あの泡の正体は“二酸化炭素”っていう気体なんだ。それを水に溶かすと、シュワッとした喉ごしになる」
ジトーが目を丸くする。
「泡の水、ねぇ……?」
「作り方はな、難しくない」
シマは指を二本立てて続けた。
「石灰岩と酢を使うんだ。石灰岩に酢を垂らすと、泡が出る。あれが二酸化炭素だ。つまり、“石と酢から泡の気体を取り出して、水に通す”――それが炭酸水作りの基本だ」
ヤコブは「ふむふむ」と顎を撫で、ティアは手元のノートに素早く書きつけていた。
「だが注意が必要だ。出た泡をそのまま飲み物に混ぜるのはダメだ。味が悪くなるし、舌がピリピリする。だから、出た“泡の気体だけ”を管を通して水にくぐらせる事が大事なんだ」
説明のあいだ、ザックは腕を組みながら口を尖らせていたが、やがて「……なあシマ、それってよぉ」と立ち上がる。
「エールとか果実酒にも使えるってことか?」
「そうだ。うまくやれば、エールにも果汁にも“発泡の刺激”が加えられる。つまり……さらに美味くなるってわけだ」
集会所がざわつく。
「今のエールより美味くなるのかよ?!」
「…信じらんねえ…!」
「どんな味なんだ…?」
「シュワっとした喉ごし?って何だ?」
「俺に聞くな…わかるわけねえだろう」
「なっ!? マジかよっ!? シマ!」
ザックの大声が響き渡った。
「……まだあれで完成じゃなかったのかよ……?」
「試してみる価値はあるだろ?」
シマは静かに微笑む。
「ただし、それにはヤコブの知識が必要だ。だから――ヤコブは連れていけねえ」
「…ふむ、仕方ないのう……」
ヤコブは少し寂しげに笑ったが、その瞳には知的好奇心の光が宿っていた。
キョウカが手を挙げる。
「ねえ、シマ。その“ガスを水にくぐらせる”って感じにすればいいのね? 鍛冶の送風管を細くして、泡を細かくすればもっとシュワシュワ?になるんじゃない?」
「……詳しいことまではわからねえが、確か……冷やした水のほうがガスがよく溶けるんじゃなかったか……?」
「冷たいほど、ガスが逃げにくいのね!」
キョウカが頷く。
「その辺は試行錯誤だな」
シマが笑うと、周囲の空気が一気に活気づいた。
「ザック・エールを完成させてやるぜ……!」
ザックは豪快に笑う。
「ワシも手伝うぞ!」
スタインウェイが立ち上がった。
その横で、メグがマリアの肩をつついた。
「……マリア、どうする?」
「う~ん……スレイニ族の方に行くわ。帰って来てから手伝う」
軽く笑って言うマリア。
「石灰岩ってあの白い山から持ってきたやつだろ?」
腕を組んでいたゴードンが口を開いた。
彼と並んで座る、カイセイ族のラルグスやギーゼラが怪訝そうな顔をしている。
「ああ。お前が住むミュールの町の近くのな」
シマが静かにうなずいた。
その声にゴードンは一瞬目を丸くし、すぐに笑いを浮かべる。
「そういうことなら俺も一枚かませてくれよ。俺の地元の資源なら、なおさらだ」
エイラが書類をめくりながら顔を上げる。
「同盟相手で、いずれは傘下に入ることだし、いいわよ」
あっさりとしたその口調に、ゴードンは思わず口笛を吹きかけた。
「おっ、嬢ちゃん悪りぃな……にしても、何故、嬢ちゃんが決定するんだ?」
その瞬間、場の空気がぴしりと凍る。
ロイドとワーレンが視線を交わし、ベガが肩をすくめながら低く告げた。
「おい、ゴードン……エイラを怒らせるなよ、マジで。シャイン商会会頭に就いてるんだ。商材になる物の決定権はシャイン商会が握ってるんだ」
「それにな……」
ワーレンが片眉を上げた。
「シマと同等の力を持つことも忘れるな。舐めた口をきいてると、シメられるぞ?」
ごくり、と音がして、ゴードンは背筋を伸ばした。
「……わ、わかった。え~っと、なんて呼んだらいいんだ?」
「エイラでいいわよ」
エイラは苦笑しながらペンを回す。
「りょ、了解だ」
次の瞬間、場にいた全員が堪えきれず笑い声を上げた。
エイラも肩をすくめ、「まったく……」と呟きながら微笑む。
笑いの余韻が残る中、ギーゼラが眉をひそめて口を開いた。
「……何で笑っていられるのよ。山を削る? それにキリュウが乱れる? セキランウン? 言ってる意味が分からないわ!人が天候をどうこうするなんて、できるわけないでしょう?!」
その声は、やや震え混じりであった。
彼女の素直な疑問は、移住組の多くが抱いているものでもある。
「シマの知識には驚かされてばかりじゃが……流石に天気までは、のう?」
スタインウェイも腕を組んで唸る。
隣ではカスパルやフィンも無言でうなずき合っている。
幹部たちすでに知っている——シマが「前世の記憶」を持つ者であることを。
だが、そのことを知らないスタインウェイたちの前で、うっかり話を進めていたのだ。
「……あ~~、なんだ。こいつが出来るって言えば、できるんだ」
クリフが肩を竦めながら言った。
「今はそれで納得してくれねえか?」
「ふむ……」
スタインウェイは目を細め、静かにうなずく。
「何やら重大なことのようじゃな。信が足りぬというところかのう……」
少しの沈黙のあと、彼はゆっくりと立ち上がり、窓の外を指さした。
「じゃが――山一つ無くなっておるのは確かじゃ。ワシが初めてここを訪れた時、北側の一角に山があった。それが今ではきれいさっぱり無くなっておる」
「まさか……本当に、山を……」
ギーゼラが呟く。
「ええ。信じられないかもしれませんが、事実です」
ノエルが落ち着いた声でが言う。
「力業でな!」
その言葉とともに豪快に笑ったのはグーリスだ。
分厚い腕を組み、白い歯を見せながら続けた。
「お前らにも手伝ってもらうぞ! だが安心しろ、無理はさせねえから!」
「そうだな」
ライアンが軽く顎を引いて笑う。
「十分な食事と、日々の鍛錬、それに休養……一年も経てば、身体が一回りでかくなるぜ。」
「わっはっは!酒の量も増えたけどな!」
ザックが杯を掲げて笑う。
「違いねえ!」
幹部たちもどっと笑い声を上げた。
その光景に、ギーゼラやフィンたち移住組はぽかんとした表情を浮かべる。
目の前の彼らは笑い、冗談を飛ばし合う、どこか温かい“家族”のように見えた。
「ここでは、重労働は午前中だけなんだ」
オスカーが穏やかに語る。
「午後は基本的に休み。次の日は完全にオフだよ。訓練や模擬戦の後も同じようのね。」
「疲れた時は、休んでいいのよ」
リズが優しく笑いながら言った。
「無理に働くのは効率が悪いわ。この団では、休んでいる人を咎める人なんて誰もいないの。それが――シャイン傭兵団の方針だから」
「その通りだよ」
ロイドが腕を組みながら頷く。
「『超回復』って言ってね…そのバランスが、身体を強くするんだ。」
デシンスがにやりと笑い、椅子の背にもたれながら口を開いた。
「ただしな――訓練と模擬戦は容赦しねぇぞ。幹部ともなればなおさらだ。覚悟しとけよ!」
「……ああ、それはここ数日で嫌というほど見せられた」
フィンが苦笑混じりに肩をすくめる。
「激しかったな……!」
「直接、命に関わることでもあるしね」
ユキヒョウが淡々と応じる。
「僕たちは戦うためだけじゃなく、守るために剣、槍を握る。そのための厳しささ――それがこのシャイン傭兵団の在り方でもあるんだ」
静寂の中に、言葉の重みが染み渡る。
「まあ、今は俺たちの団長を信じて動いてくれ」
ギャラガが腕を組んで立ち上がる。
その声は穏やかだが、芯の通った響きを持っていた。
「シマが考えることは、いつも先が見えねぇ。でも、やってみりゃ必ず“意味”がある。俺たちはそれを何度も見てきた」
「結果は後でついてくるってな!」
フレッドが笑いながら拳を突き上げる。
その言葉に、場の全員が声を合わせた。
「おおっ!」
笑い声、歓声、どこか誇らしい空気。
だがその根底にあるのは、ひとりの男――シマへの絶対的な信頼だった。
ギーゼラは静かに目を伏せ、唇を噛んだ。
目の前の者たちは、ただの傭兵ではない。
力に奢ることなく、理を知り、人を思い、仲間を信じる。
その在り方こそが、“シャイン傭兵団”の真髄なのだと理解し始めていた。
「……すごいな」
隣でフィンが呟いた。
「戦う者の集まり、かと思っていたが――まるで、国を造る者たちだ」
「同感だ」
カスパルが腕を組みながら頷く。
「この団がなぜ多くの者を惹きつけるのか、少し分かった気がする」
「ま、やるからには全力でやるさ」
ラルグスが笑いながら言った。
「山を削るのも、畑を耕すのも、全部“未来を造る”ためだ」
その言葉に、グーリスもうなずき、ゴードンが拳を合わせる。
「おう! やるからには、シャイン傭兵団流でな!」
笑いが再び響く。
その笑いの中に、不安を越えた“希望”があった。