息つく暇もない?!
族長の館。
焚き火の赤い炎が壁を照らし、有力者たちが円座に並んでいた。
シマたちシャイン傭兵団との同盟について、議論は既に大詰めに差し掛かっていた。
「シマの武は言うまでもない……あの男一人でどれだけの軍を退けられるか。食文化、知恵、知識、そして未来への展望――すべて我らにとって新たな力となる」
ドラウデンは声を張り上げ、必死に説いていた。
「このままでは我らは存続できぬ! 同盟は必要不可欠だ!」
賛同の声は多かった。有力者の顔ぶれもおおむね頷いている。
だが、館の隅で組んだ腕を解こうとしない若い衆たちがいた。
オウタルの町の青年戦士たちである。その中心に立つのはラルグス。
「……だが族長、俺は納得できません。」
静かに立ち上がったラルグスの声は、広間を震わせるほどに張り詰めていた。
ラルグス自身は恩人であり憧れの人であったユーマの息子シマに協力はしたいし恩を返したい気持ちは強いが、勝てない相手に町を放棄して逃げ出すというシマの考えには賛同できるものではなかった。
「シマの強さは規格外なのは知っています。ユーマさんに命を救われたこともある。……だが、勝てぬ相手から町を放棄して逃げ出す? そんな考えを認めるわけにはいかない!」
若い衆の間に「そうだ!」と声があがる。
彼らにとって、矜持を捨てることは生きる意味を捨てることに等しかった。
「集の戦いとはなんだ? そんなに恐ろしいものなのか? 個と何が違うのか?」
ラルグスの疑問に、多くの若い衆が頷いた。
こうして事態は流れを変える。――「ならば模擬戦を」と。
翌日、オウタルの町の外。
平原に、二つの陣が向かい合った。
潮風が草を撫で、乾いた土埃を巻き上げる。
「……ハァ~、面倒くせぇ」
シマは深いため息をつき、後頭部を掻いた。
隣でベガが口を歪める。
「気持ちはわからんでもないがな。まあ、奴らにも意地がある。」
「さっさと終わらせようぜ」
ワーレンが唇を吊り上げ、木剣を肩に担いだ。
シマたち傭兵団は総勢二十一名。対するはラルグスを筆頭に集められた百人の若い衆。
武器はすべて間引きされた刃や穂先の丸められた槍、盾。弓矢は禁止。
それでも百の人数差は圧倒的に見えた。
ゴードンが両手を広げ、空気を切るように声を張る。
「始めッ!」
大地を揺らすような雄叫びが上がった。
「うおおおおォッ!!」
四十名余りの若い衆が、先陣を切って傭兵団へ突撃する。
だが――その姿は散漫で、足並みも揃っていなかった。
「足元が隙だらけだぜ!」
「ほらよっと!」
「後ろにも気を配らねえと……な!」
スリーマンセルで動くシャイン傭兵団。
三人一組で相手を受け止め、足払いで転ばせ、盾の隙間を狙って打ち据える。
無駄のない連携に、若い衆は次々と倒されていく。
シマは中央に立ち、指一本動かさなかった。
ただ鋭い声を放つ。
「鋒矢の陣! 分断させろ!」
「おうッ!」
ベルンハルトが重盾を構え、数名の団員と共に楔のように突き進む。
「オオオオッ!」
楯がぶつかり、若い衆の隊列を突き破った。
「偃月の陣!」
シマが続けざまに命じる。
左右から動き出すのはベガ隊とワーレン隊。
半月を描くように敵を包み込み、流れるように右回りへと動く。
「動きを止めるな!」
シマの声が風に乗り響く。
若い衆たちは必死に応戦するが、味方同士で武器をぶつけ合い、身体が邪魔をして槍を振るえない。
足を払われ、砂を浴びせられ、立て直す間もなく倒れていく。
「う、うわっ!」
「ぐっ、待て、後ろから……!」
右へ右へと回りながら打ち据えるシャイン傭兵団。
カイセイ族の若い衆は追いつけず、混乱の渦に飲み込まれていった。
シマは腕を組んだまま、冷ややかに戦況を見ていた。
圧倒的な差は誰の目にも明らかだった。
「……終わりだな。」
ベガが木剣を肩にかけ、溜め息を漏らした。
「結局、何もできなかったみてえだな」
ワーレンが吐き捨てるように言い、背を向けた。
圧勝。――その言葉すら生ぬるい。
百の若い衆は、二十一の傭兵団に為す術もなく打ち負かされたのだ。
土煙が静まり、平原に広がるのは呻き声と、乾いた風の音だけだった。
地に伏した若い衆は肩で息をし、武器を落とした手は力なく震えている。
汗と土にまみれた顔は、敗北の色に覆われていた。
対してシマ率いるシャイン傭兵団は整然と列を保ったまま、呼吸を揃えて立っていた。
武器を構え直す者、砂を払う者、それぞれが平然とした様子で、疲労の影すら見せていない。
まるで一体の生き物が、軽く身を翻した後に静止しているかのようであった。
観衆の誰かが、呟いた。
「……何が、起こった?」
それはラルグスだったのか、ドラウデンだったのか、あるいは群衆の中の一人だったのかは分からない。だが、その問いは場にいた全員の心を代弁していた。
「分断されたのは分かった……」
ゴードンが首を傾げ、敗れた若い衆たちを見やりながら言った。
「だが、何故だ? 二十名が六十名を包囲する? 普通なら逆だろう!」
呆然とした声に、トラウゴットがゆっくりと答える。
「……これが本当の戦であったなら……若い衆は全滅じゃな。」
その声には重みがあり、場の空気をさらに沈ませた。
ドラウデンは両手を握りしめていた。
「シマは……直接手を下していない……にも拘わらず……圧勝か……!」
目の奥に宿る驚愕と畏怖は隠しようもなかった。
ギーゼラが身を乗り出すように声を上げる。
「……凄い……! 流れるような動き……まるで、一つの生き物のようだわ!」
彼女の瞳は光を帯び、畏敬と感嘆が入り混じっていた。
フリーデは夫の隣で深い息を吐いた。
「あの子たち、何もできなかったわね……」
言葉には母としての憂いが滲む。
若い衆の無謀さと無力さを思い、胸が締め付けられていた。
ドーリスが杖を軽く突き、冷ややかに呟く。
「これで少しは身をわきまえて欲しいものじゃ……」
だが、その目には侮蔑ではなく、若い者への期待がわずかに光っていた。
観衆の後ろから、若者の明るい声が割り込んだ。
「やっぱシャイン傭兵団って、めっちゃ強いっすね!」
興奮気味に叫んだのはビリーだった。
ヤコブは苦笑しながら首を振る。
「……結果はやる前から分かってはいたがのう。」
ヤコブの目は冷静だった。
むしろ、これでようやく若い衆も現実を知るだろうと安堵すらしていた。
そこへトッパリが頷きながら言葉を添える。
「ベガ隊もワーレン隊も、まだ本気じゃなかった様に見えたよ。」
「えっ?! マジっすか!」
目を丸くするビリー。
「あっ?! チョウコ町でやる模擬戦じゃ、あんな軽口聞いたことないっすね!」
確かに、傭兵団の面々は笑みを交わしながら戦っていた。
平原の観衆は静まり返っていた。
向こう見ずな若い衆たちが少しは痛い目を見るだろうと予想していた古老たちでさえ、想像をはるかに超えた光景に言葉を失っていた。
「統率と連携……これほどまでに恐ろしいものなのか……!」
誰かが吐き捨てるように呟いた。
戦士として長年矜持を重んじてきた者たちも、その背筋を冷たいものが走るのを感じていた。
二十の傭兵団が百を圧倒する――数ではなく、質でもなく、「統率」という概念そのものが力になる。
その現実を突きつけられたからだ。
シマは沈黙したまま、ただ結果を受け止めている。
彼の眼差しには誇示も慢心もなく、当然の帰結を見るような冷ややかさがあった。
ラルグスは地に膝をつき、拳で大地を打ちつけた。
「……くそっ……!」
歯を食いしばる音が聞こえる。
若い衆の顔には悔しさと混乱が交錯していた。
「何が……違うんだ……?」
「俺たちは数で勝っていたはずなのに……!」
「全然、手が出せなかった……!」
その声は弱々しく、敗北を認めざるを得ない響きを帯びていた。
古老たちが口々に呟く。
「これが……集の戦い……」
「ただの数の集まりでは意味をなさぬのじゃな……」
戦いを目にした有力者たちは、否応なく理解した。
――シャイン傭兵団と結ぶことは、この上なく頼もしいこと。
――同時に、彼らの実力を敵に回すことは決して許されぬこと。
そう、模擬戦はただの示威ではなかった。
この瞬間、カイセイ族の未来を左右する現実が、否応なく胸に刻まれたのである。
チョウコ町へ帰還する一行の道のりは、まるでひとつの祭りの行列のようであった。
先頭にはシャイン傭兵団、そのすぐ後ろを数台の馬車が軋みを上げながら進む。
ミュールの町近くにある白い山と呼ばれる石灰岩の採れる丘から積み込んだ石材、浜辺で集めた砂鉄が馬車の荷台にぎっしりと詰め込まれているため、その足取りは重い。
蹄の音に混じって、車輪のきしむ音が絶え間なく響く。
さらにその後方には、カイセイ族の若い衆と、配下の部族から集まった若者たちがずらりと並び、ざっと百名近い人数が隊列を組んで歩いていた。
彼らの多くは先ほどの模擬戦で痛感した敗北の余韻を引きずりつつも、どこか浮き立った表情を隠しきれない。
なぜなら、彼らにとってチョウコ町は未知の土地であり、噂に聞く「旨い飯」や「旨い酒」、そして「風呂」があると耳にしたからである。
「……お前ら、客じゃねぇからな。しっかり働いてもらうぞ」
歩きながらシマが振り返り、ずらりと並ぶ若者たちを一瞥する。
その声音は冷静で、決して甘やかすものではなかった。
「もちろんだぜ!」とラルグスが力強く応える。
彼の声は仲間たちを鼓舞するかのように大きかった。
「でもよ、シマ!旨い飯と旨い酒もあるんだろ?楽しみにしてんだぜ!」
「まったく……お前ら、そればっかだな」
ベガが呆れたように肩をすくめる。
その横でギーゼラがくすりと笑いながら口を挟んだ。
「それにね、兄さん。あの町には“お風呂”があるらしいじゃない?前から一度入ってみたかったのよ、すごく楽しみだわ!」
「……おいゴードン」
シマは隣を歩く族長に目をやる。
「お前まで付いてきていいのか?ミュールの町を放って」
「問題ねぇ!」
ゴードンは豪快に笑う。
「サハリに任せてある。あいつなら十分にやれる。俺は俺で旨い酒を楽しませてもらうとするか!」
「まったく……酒と飯ばっかりだな」
ベガは再びため息をこぼした。
「仕方ねぇだろ」
ラルグスが悪びれもなく言い返す。
「俺たちにとっちゃ酒といえば馬乳酒しかなかったんだからよ。他の酒なんざ、一度も飲んだことがねぇ」
そんなやりとりを後ろで聞きながら、ワーレンは真面目な声で話題を変えた。
「チョウコ町に戻ったら、すぐに船着き場を作らなきゃな」
「うむ、そうじゃ」
ヤコブが顎を撫でながら応じる。
「新鮮な海の幸を運べるようになれば、皆も大いに喜ぶじゃろう」
「考えてみりゃ簡単な話だよな」
ベルンハルトが荷馬車を押す手を緩めずに口を開く。
「ルナイ川を使えばいいんだから」
その言葉にコルネリウスが小さく頷いた。
「さすがシマだよな。すぐにその答えに辿り着くとは」
「ふむ、それと……“生け簀”じゃったか?」
ヤコブは目を細めながら思い出す。
「魚をそこに入れて運べば鮮度も保てるし、町の者も大喜びじゃろう」
「やっぱ団長はすげえっス!」
ビリーが感嘆の声を上げる。
そのやり取りにシマは苦笑いを浮かべると、ふと思い出したようにヤコブに問いかけた。
「なぁ、ヤコブ……スレイニ族とも同盟を結ぶことになるよな?」
「そうじゃのう」
ヤコブは声を弾ませて答える。
「あのハン殿のことじゃ、仲間外れにされればすぐ拗ねてしまうわ!結ばぬ理由があるまい、ワッハッハッ!」
彼の豪快な笑いに周囲の空気が和み、若い衆たちもつられて笑みを浮かべる。
だがその一方で、シマは深く息を吐いた。
「……はぁ~。本当に息つく暇もねぇな」
そのぼやきには、近くにいた仲間たちも心から同意した。
交易、同盟、町づくり、そして新たな出会いと責務。
次から次へと舞い込む事柄に、休む間など与えられはしない。
だがそれでも、行軍の一行には確かな活気と前向きな期待感が満ちていた。
こうして、シャイン傭兵団とカイセイ族の若者たち、ゴードンを含む一行は、白い石灰岩、砂鉄の重みにもかかわらず、心なしか軽やかな足取りでチョウコ町への帰路を進んでいくのであった。