同盟に向けて
カイセイ族――。
それは大小様々な十五の部族をまとめ上げ、今やダグザ連合国内においてスレイニ族に次ぐ勢力を誇る存在である。
古くは散発的に漁や交易を営む海辺の小さな集団に過ぎなかった。
豊かな海の恵みを糧とする一方、薪や木材といった資源は乏しく、集落の維持には常に困難が伴っていた。
火を絶やせば食も命も危うくなる――それは海辺の町や村にとって常に背負わされる宿命であった。
だが、そうした欠乏を逆手に取るように、彼らは交易の道を磨き上げた。
手に入らぬ物は他所から運べばよい。
魚や塩、海産物を対価に山の民から薪を得、内陸の農耕民から穀物を得る。
その流れを太く広くすることによって、やがて「カイセイ族にあっては今では手に入らぬ物はない」とまで評されるほどの流通網が形づくられていったのである。
この発展の背後にあったのは、族長ドラウデンの非凡な手腕であった。
彼はただの戦士ではなかった。
確かに彼は戦場で名を馳せる猛将であり、その豪腕は族長同士の力比べでも屈指の強さを誇った。
しかし同時に、戦士の力で得たものをいかに保ち、いかに育むかを知る男でもあった。
人を治める才覚、仲間を生かす度量、そして敵をも時に取り込み仲間へと変える胆力――その全てを兼ね備えていたからこそ、十五の部族を束ねることができたのだ。
そもそも、ダグザ連合国内における部族同士の関係は複雑である。
勝者が敗者を呑み込み、また新たな勢力に押し流される。
そうしたことは歴史の常であり、誰もが理解していた。
しかし、ユーマの登場はその常識を覆した。
彼は一人の戦士として比類なき強さを誇りながらも、同時に「手を取り合う」という考えを周囲に示したのだ。
敗者を屈服させるのではなく、共に生き延びる道を探る――
その思想は、幾人もの族長たちに衝撃を与えた。
ドラウデンもまた、その思想に影響を受けた一人であった。
ユーマが残した「協調の芽」は、彼の胸の奥底に確かに息づいていたのである。
振り返れば、もしドラウデンにその比類なき武がなかったならば、十五部族を束ねることなど到底かなわなかっただろう。
彼がただの策士であったなら、他部族は彼を軽んじ、隙あらば牙を剥いただろう。
逆に、彼がただの豪腕の戦士であったなら、結束は一時の恐怖に過ぎず、長続きはしなかったはずだ。
武と智、その両輪を兼ね備えていたからこそ、カイセイ族は今日の繁栄を築き上げたのである。
そして今――カイセイ族は転換期を迎えている。
ドラウデン自身もそれを理解していた。
これからの時代は「個の力」ではなく「集の力」がものを言う。
戦士一人の強さが部族を守るのではなく、兵の運用、戦略、戦術といった「組織としての力」が求められる。
頭では理解している。だが、どうすればよいのか――その答えはまだ見えない。
もしユーマが生きていたなら、きっと道を示してくれただろう。
そう思うたびに、ドラウデンはふと夜空を仰ぎ見るのだった。
この思いは、隣接する大勢力――スレイニ族との関係にも表れていた。
スレイニ族は、稀代の傑物ハン・スレイニによって急速に勢力を拡大した部族連合である。
彼自身は武力に秀でていたわけではない。
むしろ戦場で槍を振るうことは少なく、その姿を見た者すら少ない。
しかし、彼には人を見抜き、適材適所に置き、組織全体の力を最大限に引き出す才があった。
結果、スレイニ族は瞬く間にダグザ連合国の四分の一を占める大勢力へと成長した。
彼らは「集の戦い」を体現する存在となり、各地の部族から同盟や傘下の打診が相次いだ。
カイセイ族にもまた、スレイニ族からの申し出が届いたことがある。
「同盟を結んでもよい。ただし、その前に武を見せてくれ」――ドラウデンはそう返した。
彼にとってそれは形式ではなく、誇りであり、矜持であった。
戦士としての魂を交わすことでこそ、真の同盟は成り立つと考えたのだ。
だが、ハン・スレイニはその挑戦を受けなかった。
彼に武力はない。代わりに有能な将たちがいたが、ハンは彼らを差し出さなかった。理由はわからない。
優しさゆえかもしれない。部下が傷付くのを見たくなかったのかもしれない。
あるいは、命を落とす危険を恐れ、失いたくなかったのかもしれない。
だが、結果として話はまとまらなかった。
たとえ勝てなくても、勇を示し、ドラウデンに挑む姿を見せてくれれば――
それで気持ちは晴れたはずだった。
だがそれがない以上、彼らの胸には「臆した」という影が残ったのである。
良くも悪くも、それは時代遅れの在り方だった。
個の力よりも集の力がものを言う時代において、武の力比べなど無意味かもしれない。
だが、それでも戦士としての誇りは消えない。
矜持は時代の波に抗ってでも守らねばならぬものなのだと。
こうして、スレイニ族との同盟は結ばれなかった。
それからのカイセイ族は、孤立ではなく独立の道を選んだ。
交易を拡大し、物資を豊かにし、軍備を整える。だが彼ら自身も気づいていた。
自分たちには「集団戦」の術が欠けている、と。
個々の戦士は強くても、大軍との衝突になればいずれ押し潰される。
その不安はドラウデンをはじめ、長老たちの胸に常に重くのしかかっていた。
そんな時に現れたのが、シマである。
盟友にして親友であったユーマの息子。
試しに戦ってみれば、その答えは一撃で明らかになった。
シマは素手で、ドラウデンを倒した。
その圧倒的な力は、父ユーマ以上を思わせると同時に、さらに何か未知の可能性を秘めていた。
しかも彼は武だけの男ではなかった。
オウタルの町に新たな食文化をもたらし、知恵を分け与え、燃料の工夫までも授けた。
宴の席で見せた麦ごはんや刺身、天ぷら、ラーメンは、ただの料理に留まらず、人々に「新しい文化」を感じさせ、心を震わせる出来事となった。
「同盟か……交易してくれるってことでいいんだよな? 傘下には入らなくてもいいんじゃないか? 今のままでも充分やっていけてるんだろう?」
シマの言葉は率直だった。
傘下という形にこだわらず、自由で平等な関係を求める姿勢がにじみ出ていた。
だが、ドラウデンは首を振った。
「わかってるだろう? 今のままではいずれ飲み込まれる。俺たちは集団で戦う術を知らんのだ」
この言葉に、居並ぶ戦士たちも静まり返る。
やがて口を開いたのはゴードンだった。
「川を挟んだ向こう側は帝国領だ。今は不気味なほど大人しいが……『嵐の前の静けさ』だと俺たちは感じている」
帝国――その名が出ただけで空気が重くなる。
ここ二十年、直接的な衝突はなかった。
だが、長老トラウゴットが続ける。
「二十数年前、一度だけゲオルグ・フリードリヒ・フォン・カルバド、現皇帝を見たことがある……あやつは野心の塊のような男じゃった。幸いというべきか、当時は我らの集落を支配するに値しないと見たのか、戦は起こらなかった。だが……」
彼の声はかすれ、目は遠くを見ていた。
「今の繁栄、今の町並みを奴が知れば、攻めてくると考えてよいじゃろう」
その言葉を受けて、学者ヤコブが口を開く。
「充分にあり得る、ということですかの?」
トラウゴットは重々しく頷いた。
「うむ……あり得る。ユーマ殿を除けば、帝国との接触はなかった。だが、奴らが指をくわえて待っているはずがない」
一同は沈黙した。
火の揺らめきが長老の顔を赤く染め、ドラウデンは拳を握りしめた。
帝国の影。迫りくる嵐の予感。
そしてその只中に現れたユーマの息子シマ。
「……もしスレイニ族や帝国と戦うことになったら、勝てるのか?」
火の明かりに照らされた場に、シマの問いが響いた。
その場に居合わせた者たちの表情が一瞬で引き締まる。
ドラウデンは腕を組み、唸るように言った。
「無理だ。」
重々しいその言葉に、戦士たちがざわめく。
シマは頷きつつ、さらに踏み込む。
「じゃあ、逃げることは視野に入れてるか?」
だが返ってきた答えは、再び首を横に振る仕草だった。
「……それも無理だ。」
シマは火にくべられた薪を見つめ、肩をすくめて笑った。
「うーん……そこなんだよな。根本的に俺たちとは考えが違う。歴史や文化、伝統が違うって言われりゃそれまでなんだが……俺は勝てないと思ったら即逃げるぞ。」
「へ?」
「え? 逃げる?」
ゴードンが目を丸くし、信じられないというように声を上げた。
「お前ほどの男が……?」
「俺は逃げることに何の抵抗もねぇよ。」
シマはあっけらかんと言う。
「生き延びることが大事だからな。」
言葉の軽やかさと裏腹に、その目には確固たる信念が宿っていた。
戦いを避けることは卑怯ではなく、生を繋ぎ未来を残すための選択肢。
だが戦士としての誇りを重んじるカイセイ族にとって、その発想は天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
その空気を和ませるように、学者ヤコブが口を開いた。
「今、ワシらが住んでおるチョウコ町はの……もとは山々に囲まれた、放棄された廃村じゃったんじゃよ。」
場の視線がヤコブに集まる。
「天気の変化は激しく、限られた土地での作付けも難しい。獣害もひどくのう。何度も人は住もうとしたが、すぐに去っていった。しかし今は違う。シマたちが来てからというもの、山を切り開き、削り、獣害の被害は一度もないのじゃ。片っ端から狩り尽くしてしまったからのう、今では見つけるのも一苦労じゃ。すぐ近くにはルナイ川という水場があり、住居、集会所、厩舎、窯、宿、風呂……小さながらも田畑や果樹園まで、一年足らずで作り上げたんじゃよ。」
「あっけにとられる」とはまさにこのことだった。
ドラウデンをはじめ戦士たちは口を開け、言葉を失った。
「山を削る……? 意味がわからん。」
トラウゴットが唸るように言う。
「それもこれも、シマたちシャイン隊がいてこそじゃ。」
ヤコブはにっこり笑った。
シマは少し黙り込み、やがて口を開いた。
「……俺たち家族は、深淵の森育ちなんだ。スラムで暮らしてた頃、奴隷狩りに遭って……逃げ延びて、深淵の森で六年間暮らしていた。」
「なっ……」
その言葉に戦士たちが一斉に息を呑んだ。
「『魔の領域』だぞ……」
「『禁域』じゃ……」
「『人が踏み入ってはならぬ場所』……」
口々に言葉が漏れる。
彼らにとって深淵の森は畏怖と忌避の象徴だった。
だが、シマはさらりと続ける。
「そこで俺たちはブラウンクラウンっていう幻の茸を見つけた。成長促進、身体能力向上、病気にもかかりにくくなる……いろんな偶然が重なって、今の俺の強さがある。」
ドラウデンは目を見開き、低く唸った。
「……なるほどな。合点がいった。お前の桁外れな強さの秘密はそこにあったのか。」
「だけどよ。」
ラルグスが腕を組み、首を傾げる。
「山を削るって何だよ?」
その問いにシマが答えるより早く、ゴードンが思い出したように言った。
「あ、そういやお前と同等の力を持つ奴が、あと十四人いたんだっけ?」
「なにっ……十四人……?」
驚きの声が広がる。
「その者たちが……シマ殿の家族というわけか。」
トラウゴットが呟くように言った。
火の粉が舞い上がり、沈黙が広がった。圧倒的な力を持ち、逃げることさえ選択肢に入れるシマ。
そして彼を支える十四人もの家族と傭兵団。
常識を覆す存在に、カイセイ族の戦士たちは畏怖と憧れ、困惑と期待を入り混ぜた視線を投げかけるのだった。
シマはしばらく黙り、やがて静かに切り出した。
「つまりな……何が言いたいかといえば、どこに行っても水場さえあれば、俺たちはどこでだって生きていけるってことだ。」
一同が息を呑む。
彼の言葉は軽くも聞こえたが、その実、土地に縛られ続けてきたカイセイ族にとっては価値観を揺るがす宣言だった。
シマは続けた。
「俺たちの傘下に入るってことは、一つの場所や土地にこだわるなってことでもある。どんなに豊かな町を作っても、戦や災害で失うことだってある。だから俺たちは縛られない。そういう生き方を選んでる。」
重苦しい沈黙。やがてドラウデンが低い声で問うた。
「……同盟には賛成なんだな?」
シマは頷いた。
「条件や条約にもよるが、概ね賛成だ。交易はしたいし、不要な戦いはしたくない。……ただ勘違いしないでほしい。カイセイ族がどこの誰と戦をしようとも、正直言って俺は興味ねえ。いや、今となっては多少加勢することはあっても、ボロボロになるまで、死ぬまで命をかけて戦うつもりはない。」
そこでシマは拳を握り、はっきりと言い切った。
「俺にとって何より大事なのは、家族や仲間だ。」
「……矜持、誇りよりも家族や仲間か。」
ドラウデンが深く息を吐いた。
「そういう時代になりつつあるのかもな……。ラルグス、お前はどうなんだ?」
名を呼ばれた若き戦士は、迷いを押し殺すように答えた。
「……俺たちの代でも、矜持や誇りよりも家族や仲間を大事にするっていうやつは確かにいる。けど少数派だな。俺は……戦士として矜持、誇りの方が大事だと思っている。」
その言葉にヤコブが口を挟んだ。
老人の声は穏やかだが、芯があった。
「……考えが甘いのう。本人はそれでいいかもしれん。じゃがな、残された者たちのことを考えたことはあるのかのう?」
ラルグスは眉をひそめる。ヤコブは静かに言葉を継いだ。
「戦で命を落とせば、町は蹂躙される。目の前で家族や友人が殺されることだってあるのじゃぞ。……聞いた話じゃが、帝国では奴隷は物として扱われるそうじゃ。」
「……」
ラルグスは言葉を失い、拳を握り締めた。
そんな彼を見やりながら、トラウゴットが語り出す。
「ラルグスたちの世代は、本当の戦を知らん。ワシらのころはな……戦で余りにも人が死にすぎた。だから族長同士による決闘で勝敗を決めるようになったのじゃ。」
「それでも攻めてくる部族はかなりいたがな。」
トラウゴットは苦く笑った。
「つまり……戦の形を変えることで、血を流す数を減らしたわけか。」
シマは理解を示しつつも、鋭く指摘した。
その一言に、ドラウデンの目が細められる。
大きな体躯に似合わぬ慎重さで頷いた。
「……今、配下の有力者たちを集めている。三日後に同盟締結といこう。」
その言葉に場の空気が動いた。
「勿論、シマの考えを尊重したうえでだ。」
ドラウデンは力強く続ける。
「説得も、納得もさせる。俺たちカイセイ族の未来のためにな。」
炎が弾け、火の粉が宙に舞う。
シマはそれを見つめながら、小さく笑った。
「……わかった。なら、俺も腹を括るとするか。」
ヤコブは頷き、長い髭を撫でながら目を細めた。
「ふむ……これで新しい時代がまた動き出すのう。」
ラルグスは拳を握りしめ、まだ揺れる心を押し込めるようにうなずいた。
誇りか、仲間か。戦士の矜持と人としての生き様。
そのはざまで、若き世代は答えを模索していた。