新たに契約を結ぶ
モレム街の賑わいは朝から活気に満ちていた。
市場には新鮮な果物や肉、香辛料が並び、露店では職人が手作りの装飾品や道具を売っている。
街を行き交う人々の活気と、時折聞こえてくる楽器の音色が、ここが交易の中心地であることを物語っていた。
「僕たち、たまにヌケてるよね……」
ロイドが呆れたように呟いた。
それに対し、シマは肩をすくめながら答える。
「……返す言葉もねえ」
二人は現在、モレム街の門の近くで佇んでいた。
本来の目的であるダミアンとの取引のために二日前に到着し、市場や露店を巡りながら物価や珍しい商品の情報を集めていた。
加えて、ブラウンクラウンの動向についても探っていた。
時折、香ばしい匂いに誘われて買い食いをすることもあった。
しかし、彼らは重大なことを忘れていた。
ダミアンとの取引について、日にちは決めていたが「モレム街で行う」ということしか決めていなかったのだ。
具体的な場所や方法についての話は一切していなかった。
「そうなるとダミアンも結構ヌケてるってことになるよね?」
ロイドがクスクス笑いながら言うと、シマもそれに釣られて笑った。
「ハハハ! そうだな」
二人は門の出入口付近に朝から座り込み、ダミアンの姿を探していた。
どこで待つべきか分からなかったため、とりあえずこの街に入ってくる可能性が高い場所にいるのが賢明だと判断したのだ。
そうこうしているうちに、門から見覚えのある姿が現れた。
「おい、お前ら。こんなところで何をやってるんだ?」
ダミアンだった。
いつものように黒い外套を羽織り、肩には大きな荷を背負っている。
「ダミアンを待ってたんだよ」
ロイドが軽く手を上げて答える。
「そうそう。ついでにあんたのことを話してたんだ。あんたも結構ヌケてるんだなって」
シマが悪戯っぽい笑みを浮かべながら言う。
「……ん? 何の話だ?」
ダミアンは怪訝な表情を浮かべる。
シマは肩を竦めながら説明した。
「取引場所を決めてなかったろう?」
「ああ、そのことか」
ダミアンは納得したように頷くと、ふっと笑みを浮かべた。
「俺からお前らの方に出向く予定だったんだが」
「どうやって俺たちの居場所を知るんだよ?」
シマが首を傾げながら尋ねると、ダミアンはまるで当然のことのように答えた。
「この街には10軒の宿屋しかない。そのうち2軒は高級宿屋で、3軒はそこそこで一見さんお断りの宿もある。となると、残り5軒を調べればすぐに分かるだろう?」
「もしそこにはいなかった場合は?」
ロイドがさらに問い詰めると、ダミアンは少しも動じることなく肩をすくめて答えた。
「商人仲間の伝手を使うだけさ。多少、金はかかるがな」
その言葉にロイドとシマは顔を見合わせた。
ダミアンのことだから何か考えがあるとは思っていたが、ここまで徹底して情報収集の手段を確保しているとは思わなかった。
「まあ、結果的にはお前らがここで待っていたおかげで手間が省けたな」
ダミアンはそう言って笑った。
「それじゃあ、取引場所を決めよう。」
「取引場所は俺たちの部屋でいいか?」
ダミアンは軽く頷く。
「ああ、いいぜ」
ダミアンも同じ宿に泊まることにし、受付で支払いを済ませる。
その後、シマとロイドの泊まっている二人部屋へと向かった。
部屋に入ると、ダミアンは辺りを見回してから呟いた。
「何だ、今回は二人だけか?」
そう言いながら懐から小袋を取り出し、机の上に金貨を一枚ずつ積み上げ始める。
カチリ、カチリと硬貨が重なる音が静かな部屋に響く。
10枚の金貨を積み上げると、それを7つ分、さらに追加で2枚の金貨を重ねた。
「全部で72金貨。前回預かった白金貨、手数料を引いた分だ。確認しろ」
シマは黙って金貨を数える。丁寧に、一枚ずつ確かめながら。
「確かに」
そう言って、シマはダミアンと握手を交わした。
ダミアンは上着の内ポケットから布を取り出し、机に広げる。
すると、シマも契約書を取り出し、並べた。
「ロイド、頼む」
シマの合図で、ロイドが袋を引き寄せる。
中からジャムの入った甕を五つ、そしてブラウンクラウンを十五株、机の上に慎重に並べた。
ダミアンはそれらを一つずつ入念に調べる。
ジャムの甕を確認し、香りを確かめる。
ブラウンクラウンを一株ずつ丁寧に確かめ見極める。静寂が部屋を支配する。
しばらくして、ダミアンは小さく頷いた。
「……問題ない」
そう言うと、再び小袋を取り出し、今度は32枚の金貨を机の上に積み上げていく。
今度はロイドが数えた。
「うん、32枚。ちゃんとある」
「成立だな」
握手を交わし、取引は完了した。
だが、次の瞬間、シマとダミアンが同時に口を開いた。
「相談がある」
互いの言葉が重なり、一瞬の沈黙。
「……聞こう」
ダミアンが促す。
シマは少し間を置いてから口を開く。
「取引の頻度を4か月に1回に変更したい。次回は2か月半後、その後は4か月ごとにしたい。村から出てくるのも、雪が降ると移動するのもひと苦労だからな」
ダミアンは腕を組み、考え込む。
「俺もそのことは考えていた。ノルダランからこっちに出てくるまで結構な日にちがかかるんでな。年4回の取引は多いと思っていたところだ」
「それなら話は早いな」
シマは安堵の表情を見せる。
「ただし」
ダミアンが言葉を継ぐ。
「取引回数が減るということは、一度の取引量を増やす必要がある。次回は今まで通り。その次からは1.5倍の量を用意できるか?」
シマとロイドは顔を見合わせる。
「まあ、当然だな」
シマが答えると、ダミアンは満足げに頷いた。
「よし、それで決まりだな。俺からの相談はジャムの取引を増やして欲しいということだ。次回は今までどおり最低5甕でいいが、その次からは最低10甕にしてほしい」
「そんなに需要があるのか?」
シマが尋ねると、ダミアンは少し苦笑しながら答えた。
「…正直に言うがな、奥様方やお嬢様方にどうにかならないかと頼まれていてな…」
「…なるほど。種蒔きをしておきたいということか」
シマの言葉にダミアンは怪訝な表情を浮かべたが、すぐにその意図を察したのか笑い出した。
「種蒔き?…ハハハ!面白い例えだな、そうだ!種蒔きだ…今の段階ではな」
シマはロイドの方を向き、「ちょっと待ってくれ」と言い、部屋の隅へ移動した。
ロイドも後に続く。
「シマ、種蒔きって何の話だい?」
ロイドが小声で尋ねる。
「それは後で説明する。今重要なのは、ダミアンがジャムを欲しがっているってことだ。価格を上げるべきか、今まで通りにするか、どっちがいい?」
「…無責任なことを言うけど、僕にはわからないね」
ロイドは少し申し訳なさそうに答えた。
「俺もだ。ダミアン相手に有利な条件を引き出せるとは思えねえし…ここん所失敗ばかりしてるしなあ」
シマは苦笑しながら頭を掻いた。
「…正直に言ったら?」
ロイドの提案にシマはしばし考えた後、頷いた。
「…そうだな」
二人は再びダミアンの前に戻った。
「ダミアン、正直に言う。俺たちは商売の駆け引きってやつが得意じゃない。ジャムの取引量を増やすこと自体は問題ないが、適正な価格がどこなのか、俺たちには判断がつかない」
ダミアンはしばらくシマの顔を見つめていたが、やがてニヤリと笑った。
「…なるほどな。まあ、お前らが変に駆け引きして墓穴を掘るよりは、正直に言ってもらった方が話が早い。よし、こうしよう。とりあえず次の取引は今までと同じ価格で進める。ただ、その次からは俺が状況を判断して、適正な価格を提示する。その条件でどうだ?」
シマはじっとダミアンを見据えながら言った。
「その条件だと、あんたの方がだいぶ有利になるな」
ダミアンは肩をすくめ、口元に笑みを浮かべながら答えた。
「価格は今よりも下回ることはない。それに、長期的な取引になるなら、信頼関係が大事だろう?」
シマとロイドは顔を見合わせる。
確かに、価格が下がらないというのは悪くない条件だ。
「わかった。それで契約する」
シマがそう言うと、ダミアンは満足げに頷き、上着の内ポケットから契約書を取り出した。
シマも同じように用意していた契約書を広げる。
「まずは取引の基本条件を明確にしよう」
ロイドが確認しながら、ダミアンとシマは契約内容を調整していく。
1. **取引の頻度**
- 取引は4か月に1回とする。
2. **取引品目と最低数量**
- ジャム:最低10甕(約2kg)
- ブラウンクラウン:最低15株
3. **価格設定**
- ジャム:1甕あたり最低価格4銀貨
- ブラウンクラウン:1株あたり2金貨
4. **取引の独占性**
- シマたちはダミアン以外には商品を売らない。
- ダミアンが売りさばく相手について、シマたちは干渉しない。
5. **取引場所と関与者**
- 取引場所はその都度変更される可能性がある。
- 取引にはダミアン本人が関与し、第三者の介入は認めない。
6. **秘密保持と詮索の禁止**
- ダミアンはシマたちの存在を秘匿し、情報を漏らさない。
- ダミアンはシマたちについて詮索しない。
7. **違約時の対応**
- 契約違反があった場合、違約金として30金貨の支払いを義務とする。
- ただし、不測の事態や命の危機が発生した場合は、双方の話し合いで対応を決める。
8. **契約の確認**
- 取引の際には契約書を証として互いに見せ合い、内容を再確認する。
「これで問題ないな?」
シマが確認すると、ダミアンは満足げに契約書に目を通し、頷いた。
「問題ない。これで正式な取引契約ということだな」
互いに契約書へ署名し、それぞれの懐に収めた。
こうして、シマたちとダミアンの間で新たな取引の枠組みが成立したのだった。




