何をもたらす?!
宴は、ただの祝祭から狂喜乱舞のような饗宴へと姿を変えていた。
麦ごはんに刺身をのせてかき込む。天ぷらを混ぜ合わせる。
人々は次々に新しい食べ方を試し、驚きと歓声をあげ、笑い声が絶えない。
大人も子供も関係なく、まるで未知の遊びに熱中するかのように皆が箸を手にしていた。
そんな熱気の渦の中で、シマは杯を置き、隣に座るラルグスへと視線を向けた。
「ラルグス、少し話をしてもいいか?」
「お、おう?」
ラルグスは口いっぱいに麦ごはんを頬張りながらも、真剣な眼差しに気圧されるように姿勢を正した。
「お前たちに教えたい知恵がある。ラーメンって食べ物もそうだし、シャイン式計算ってやり方、それと牛糞燃料だ」
ラルグスは眉をひそめ、口を半開きにして固まった。
聞き慣れない単語が連続して飛んできたせいで、頭が追いついていない。
「らー……めん? 計算? 牛の……糞?」
完全にきょとんとした顔で繰り返すラルグスに、すかさずゴードンが大声で割り込んだ。
「ラーメンはな、めちゃくちゃ旨いんだぜ! 一度食ったら忘れられねえ。腹も心も満たされる魔法の食い物だ!」
拳を振り上げるように熱弁するゴードン。
その熱さにラルグスはたじろぎながらも、周囲の耳も自然とそちらに向いた。
ゴードンは続ける。
「シャイン式計算ってやつはな、正直俺にはまだ理解できねえ。けどヤコブさんやコルネリウスがやってるのを見りゃ、きっとすげえんだろうよ! まあそれはそれとして……牛糞燃料だ! あれは使えるぞ! 暮らしを変えるぜ、間違いなくな!」
「……それ、サハリが言ってたやつじゃねえか…」
呆れたように割って入ったのはワーレンだった。
するとゴードンは一拍置き――「ワハハハ!」と大声で笑った。
燃料は、オウタルにとって毎年頭の痛い問題であった。
寒冷な季節が長く続くこの地方では、暖を取るための燃料が欠かせない。
しかし薪は限りがあり、家畜の飼育や漁に必要な油脂も量に限りがある。
どれだけ工面しても「燃料不足」は町の悩みの種であり続けた。
そこに差し出されたのが牛糞燃料だった。
シマが合図すると、団員の一人が持参していた固形燃料を取り出し、宴席の焚き火に放り込んだ。
乾燥させ、圧縮し、適度に整形された塊は、火を点けるや否やふっと青白い炎を上げて燃え始める。
「おおおっ!」
「これは……!」
広間に歓声が響き渡った。
燃え盛る火を目にした人々の驚きと喜びが一気に爆発する。
ドラウデンが力強く唸る。
「これが……牛の糞から作った燃料か。これなら薪の代わりに使える! 冬を越すための苦労が、どれほど軽くなるか……!」
ラルグスも熱にあてられたように顔を上気させながら、シマを見つめる。
「お前たちは……一体、ここに何をしに来たんだ?」
問いに、シマはひと呼吸置いてから答えた。
「海岸線にある砂が欲しい」
「……砂?」
再び、ラルグスの顔がきょとんとする。二度目のことだ。
「試したいことがあるんだ。ただし根こそぎ砂を持っていくわけじゃない。必要な分だけでいい。貰っていっていいか?」
ラルグスは数瞬考え、やがて頷いた。
「問題ない……いや、親父の許可は必要だが、きっと反対はしないだろう」
そこへ、控えていた娘ギーゼラが一歩前に出た。
十八歳の彼女は、父ドラウデンに似てしっかりした眼差しを持つ。
だがその瞳には若者らしい好奇心が色濃く宿っていた。
「その……ラーメン? っていうのは、誰が作ってくれるの?」
問いかけに、シマは口元を緩めた。
「トッパリだ。俺たちシャイン傭兵団の食事を任せている男で、腕は確かだよ。小麦粉はあるんだよな?」
「あるわよ」
ギーゼラが即答する。
「なら心配ない。……出汁って知ってるか?」
その一言に、ギーゼラは得意げに胸を張った。
「勿論知ってるわ! オウタルの町では干した海藻や魚の骨、小魚から出汁を取る文化があるのよ」
「おっ?」
シマの表情がぱっと明るくなる。
「それなら明日は旨いスープが作れるんじゃねえか? 時間もあるしな」
横で聞いていたコルネリウスが、にやりと笑う。
「じっくり煮込んだスープ……いいな。魚介の旨味が効いたやつなら…期待できるな」
さらにビリーが両手を擦り合わせながら期待に目を輝かせた。
「……じっくり煮込んだスープっスね。うわぁ、明日がめっちゃ楽しみっス!」
その場にいた全員が、一瞬未来の味を想像し、思わず唾を飲み込む。
さきほど牛糞燃料に湧いた熱狂が、今度は未知の料理への期待へと移ろっていくのを、誰もが感じていた。
ヤコブは一歩下がったところから静かに状況を観察しながらも、ドラウデンに包みを手渡していた。
それはミュールの町でまとめておいた「シャイン式計算」の資料であった。
「まずは、この紙に書かれた例題を試してみてくだされ。きっと役に立ちますぞ」
老学者の声音は穏やかだが、その瞳には確信があった。
こうして宴は、料理から暮らしの知恵へ、そして未来の可能性へと広がり続けていく。
カイセイ族の館は、その夜ひときわ明かりが灯されていた。
広間には族長ドラウデン・カイセイを筆頭に、妻フリーデ、前族長である父トラウゴット、母ドーリス、息子ラルグス、娘ギーゼラ、そして町の有力者や古老たち、さらにゴードン・ハッサンまでもが集まっていた。
魚と酒の香りがまだ残る宴の余韻を残しながらも、ここは一転して厳粛な空気に包まれていた。
「まずは、これを見てくれ」
ドラウデンが机の上に置いたのは、羊皮紙に整然と記された数列と符号。
それはヤコブが丹念にまとめ、シマが伝えた「シャイン式計算」の基礎であった。
「シャイン式計算というものらしい……わかる者はいるか?」
問いかけに、場は一瞬の沈黙に包まれた。
「あなた、私に見せて頂戴」
すっと手を伸ばしたのは、妻フリーデであった。
彼女は元来、数字や記録を扱うことに長けていた。
交易の計算や食料の管理を手伝い、町の会計を陰で支えてきた経験を持つ。
羊皮紙を手に取った瞬間、その眼差しに火が宿る。
周囲の有力者や古老たちも身を乗り出し、彼女の周りへ集まった。
「あら? ここがこうなるのかしら……?」
「いや、待て。そうではなく、ここで割って……」
「でも、こう置き換えれば……」
「なるほど!…ということは?」
最初は戸惑いと困惑が入り混じっていたが、やがて一人が気づけば次々と理解の糸口を見つけ、声が熱を帯びていった。
「ここがこうなって……あら? あってるわね!」
「……っ! こ、これはもしかしてとんでもない計算式なんじゃないか?!」
その熱は伝染した。
十五分も経たぬうちに、フリーデを中心とした数人の有力者が、足し算引き算、掛け算割り算――すなわち四則演算の本質を理解してしまったのだ。
「すごい……これなら、物資の計算も一瞬で済むわ!」
広間は興奮の坩堝と化した。
フリーデは身振り手振りを交えながら早口で説明し続け、周囲の男たちまでもが押され気味になるほどだった。
ドラウデンは額に汗を浮かべ、妻の勢いにタジタジになりながらも、どこか誇らしげでもあった。
そこに、低く穏やかな声が割って入った。
「――要するに、とても便利だというわけじゃな?」
前族長トラウゴットが腕を組み、目を細めながら言う。
その一言で、場が落ち着きを取り戻した。
皆がうなずき合い、やがて視線は自然とドラウデンに集まる。
「……シマは、このシャイン式計算について何を言っていた?」
ドラウデンは息子ラルグスへ問いを投げた。
ラルグスは背筋を伸ばし、言葉を選びながら答える。
「戦の兵站、交易の取引、食料や資材の分配……商人に騙されることがなくなる。本来であれば読み書きも教えたい、そう言っていた。それと……広めたい、とも。俺たちもできる限りのことはやっている、とも言っていた」
「……この計算式を、無償で広めているのか?」
驚きの声をあげたのは町の有力者の一人だ。
ラルグスは静かにうなずいた。
「そうだ」
ざわめきが広がる。
「信じられん……」
「そんな大事なものを……ただで?」
そこへゴードンが杯を置き、どっかりと腰をかけたまま口を開いた。
「んなこと言ったらよ、牛糞燃料だってそうだろう? あれだって町に差し出してくれたんだ。あいつらはそういう連中なんだよ」
「……何故そこまでしてくれるのじゃ?」
古老の一人がぽつりと呟いた。
すると、トラウゴットが深く目を閉じ、しわだらけの顔に静かな微笑を浮かべる。
「血は争えん、ということかのう……」
その言葉に場の空気が一変する。
誰もが心の奥で感じていたこと――シマの姿に、ユーマの面影を見ていた。
「して、ドラウデン。お前、負けたんじゃよな?」
トラウゴットの問いかけに、広間は再び熱を帯びる。
ドラウデンは一瞬の沈黙の後、力強く頷いた。
「ああ、手も足も出ねえ! 一撃だ!……しかもあれで手加減してるってんだから……底が知れねえ」
「ユーマ殿よりも……」
古老の言葉を遮るように、ドラウデンは断言した。
「強い! ユーマも確かに強かった……あいつの剣技は素晴らしかった。だが、いつか追いつけるという思いがあった。――シマは違う。次元が違うんだ!」
その熱を帯びた声に、広間の空気が震える。
ゴードンがうなずきながら言った。
「同感だ。シマの強さは、俺たちごときじゃ計れねえ」
「お主も戦ったのか?」
古老がゴードンに問う。
「戦ったとも。……同じく手も足も出ねえ。コテンパンにされたよ」
ゴードンは豪快に笑いながらも、目の奥には本気の敬意を宿していた。
人々は息を呑む。
町の未来を拓く知恵をもたらし、圧倒的な強さを見せる若き傭兵団長――シマ。
やがて場を落ち着けるように、ドラウデンが低く響く声で言葉を発する。
「……俺たちが待ち望んでいた奴が現れたと思えば、それがユーマの息子だとはな。これもまた、運命というやつか……」
その言葉に、場にいた者たちの顔に複雑な色が走った。
尊敬と驚嘆、そしてわずかな警戒心が入り混じる。
すかさずラルグスが、杯を置きながら問いかける。
「……シマの……“シャイン傭兵団”だったか? つまり俺たちは、そいつらの傘下に入るってことになるのか……?」
問いの響きには苛立ちというよりも、率直な疑念と警戒心が含まれていた。
「不服か……?」と父が低く返す。
「……親父が……族長が負けた時には、いつかはそうなるだろうとは思っていた。あいつは確かに強い、文句なしにな……。だけどよ、町の運営についてはどうなんだ? 俺たちにとってオウタルの町は、ただの居場所じゃねえ。誇りなんだ。誇りを託す相手かどうか……そこが肝心じゃねえか?」
その言葉に、古老が長い髭を撫でながら口を開いた。
「……ワシらの若い頃とは時代が違う。敗者は勝者に奪われる――そんな血の掟で全てが決まる時代ではなくなりつつある。確かにドラウデンは負けた。だが、いくら族長が敗れたとて、すぐに傘下に下るのが正しいのかどうか……それは慎重に見極める必要があろう」
続けて、娘ギーゼラが真剣な眼差しを浮かべて言う。
「敬意を払うことと、支配を受け入れることは違うわ。父上が負けたからといって、即座に全てを委ねるのは短慮だと思う。あの人……シマが規格外の強さを持っていても……町を導けるかどうかは、また別の話。見極める必要があるわ」
彼女の言葉には若さゆえの鋭さと責任感がにじんでいた。
それを受け、ゴードン・ハッサンが豪快に笑いながら杯を煽る。
「なんだ、心配は無用だ。シマたちも町一つをちゃんと治めてるみてえだぞ。チョウコ町だったか?」
「……ふむ」
ドラウデンが考え込むように顎に手を当てた。
その時、祖父でもある前族長トラウゴットが、静かにしかし確固たる調子で口を開いた。
「ならば……ラルグス、ギーゼラ。お前たち若い者が中心となって、シマという男を追い、その振る舞いを見極めてくるがいい。これはただの力比べの話ではない。時代の転換期なのじゃ……。お前たちが自分の目で、耳で、肌で確かめよ」
その言葉に、ラルグスとギーゼラは互いに視線を交わし、やがて真剣に頷いた。
責任と好奇心が入り混じる若者の瞳は、未来への決意を帯びていた。
その様子を見ていたフリーデも、夫に向かって言葉を添える。
「最初から屈する必要はありませんわ。ただ、同盟という形にしておくのがよろしいのではなくて? 見極める時間を持つためにも……」
「ふむ……確かに理に適っておるな」
ドラウデンはうなずき、杯を高く掲げた。
「よし! ならば明日、カイセイ族の支配下にある有力者たちを一堂に招集する! この話を伝え、シマとの同盟を確認するのだ!」
力強いその言葉に、場の空気は一気に熱を帯びた。
誰もが己の心に迷いを抱えながらも、未来への選択が迫られていることを悟っていた。
こうして、当のシマがいないところで、カイセイ族の未来を左右する大きな決断が、静かに、しかし着実に進められていったのである。




