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光を求めて  作者: kotupon


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367/456

過去と現在

 十数年前――。

 今でこそ漁師町オウタルと呼ばれる場所も、当時はまだ小さな入江に寄り添うように暮らす集落の一つにすぎなかった。

そこに根を張っていたのがカイセイ族である。

海を生業とし、魚や貝、干した海草などを糧に暮らす彼らは、この辺りでは珍しく安定した食生活を営んでいた。

ゆえに狙われやすかった。

周囲には大小さまざまな部族や集落があり、必要なものは奪い取るのが常識という荒々しい時代。

交易や協調よりも、強さと恐怖が秩序を形作っていた。


 当時の族長――ドラウデンの父は、腕力にも剣技にも秀でた武人であり、その威光でカイセイ族の安寧を保ってきた。

しかし、人の力では防ぎきれぬ敵があった。病である。


 ある年、流行り風邪がこの沿岸一帯を襲った。

現代でいえばインフルエンザに相当するものだろう。

高熱にうなされ、咳と倦怠感で身動きがとれなくなる。

やがて衰弱し、最悪命を落とす。

集落の大半が病に倒れ、働き手はもちろん、子供や老人まで例外なく床に伏した。


 ドラウデンの父もまた病に倒れ、床に臥せった。

母も、妻も、まだ幼かった息子や娘たちも次々と熱に苦しみ、呻き声をあげていた。


残されたのはわずかに動ける若者たちだけ。

族長代行として奔走したのが若き日のドラウデンである。

彼もまた疲労と恐怖に押し潰されそうになりながら、ただ必死に仲間の命を繋ぎ止めようとしていた。


 そんな時だった。


 沖合に黒々とした帆影が現れた。数隻の大船。

波間を抜けるように進み、やがて入江の手前に停泊した。


カイセイ族の者たちは臨戦態勢を取る。

病で動けぬ者が大半とはいえ、ここで略奪者に踏みにじられれば終わりだ。

武器を握る手に力がこもる。


 やがて、二艘の小舟が大船から下ろされた。

その先頭に立っていたのが――ユーマ・フォン・ロートリンゲンである。


 背は高く、広い肩幅に鍛えられた体躯、精悍な顔立ち。

黒髪に、瞳はまるで海のように青く澄んでいた。

彼の背後には数名の家臣が従い、全員が精緻な鎧と武器を備えている。


 「……来るぞ!」

 若者たちが武器を構える中、ドラウデンは前に出て叫んだ。

「ここは俺たちの土地だ! 命が惜しけりゃ引き返せ!」


 ユーマは臆することなく、むしろ愉快そうに口角を上げて答えた。

「喧嘩をしに来たんじゃねえ。俺たちは交易がしたくて寄っただけだ。珍しいものはねえか?」


 その声音には不思議な力があった。

威圧も驕慢もなく、ただ真っ直ぐに言葉を投げかけてくる。


その誠実さに、ドラウデンは一瞬言葉を失った。だがすぐに絞り出すように返した。

「……俺たちは今、それどころじゃねえんだ。原因不明の病で仲間も家族も次々と倒れていく。取引どころか、明日を生きられるかもわからねえ」


 ユーマの表情が変わった。鋭い眼光がドラウデンを射抜く。

「症状は?」


「高熱と咳、体のだるさ……子供や老人は特に重い……。薬師の婆さんも倒れて手の打ちようがねえんだ」


 ユーマは即座に部下を振り返り、短く命じた。

「カルバド帝国でも似た症状があったな。医師と薬、薬草、それに食料を持ってこい」


 その声には一切の迷いがなかった。


 やがて船から医師や薬師が駆け下り、箱に詰められた薬や干した薬草、保存食が運ばれてきた。


ユーマ自身も率先して病人の床を回り、額に触れ、症状を聞き取り、次々と指示を飛ばす。

 「熱を冷ますにはこれを煎じろ。喉の痛みにはこの葉を噛ませろ」

 「衰弱してる子供には、この麦粥を少しずつ与えろ」


 的確で迅速な処置に、ドラウデンはただ呆然とするしかなかった。

見知らぬ外の男が、まるで古くからの仲間のように必死でカイセイ族を救っている。

その姿に、警戒心は次第に薄れていった。


 数日が経つ頃には、多くの病人が峠を越し始めていた。


高熱にうなされていた母も、幼子も、ゆっくりとではあるが呼吸を落ち着けていく。

ドラウデンの胸に、熱いものが込み上げた。


 「……どうしてだ。どうして俺たちにここまで……?」

 ある夜、焚き火の前でドラウデンが問うた。


 ユーマは火の粉を見つめながら静かに答えた。

「人が倒れているのを見捨てる理由があるか? 交易だろうが戦だろうが、生きていなきゃ話にならねえ。俺はそれだけのことをしてるにすぎん」


 その言葉は若きドラウデンの胸を打ち抜いた。

力だけが全てと信じていた自分に、まるで別の生き方を示すかのように響いた。


 ユーマはカイセイ族に手を差し伸べるだけにとどまらなかった。

周辺の部族にも病が蔓延していると聞けば、すぐさま船団を動かした。

薬や食料を抱え、荒れた道を越えて病床を巡り歩く。


その案内役を務めさせられたのがドラウデンである。

 「俺たちの敵だぞ、あいつらは!」

 最初は反発した。


だがユーマは平然と答えた。

「敵も味方もねえ。病は皆を等しく殺す。だから皆を救うんだ」


 道中で見た光景は凄惨を極めた。

小さな子供が母の亡骸にすがり泣き叫ぶ姿、老人が衰弱して目を閉じる寸前にユーマの差し出した薬を飲み込む姿。

ユーマとその家臣たちは昼夜を問わず駆け回り、必死に処置を続けた。


 ドラウデンはその背中を、ただ黙って見つめ続けた。

自分には到底真似できない――そう思った。

だが同時に、これこそが「真の強さ」ではないかとも感じ始めていた。


 数週間後、流行り風邪は峠を越えた。

死者は出たものの、カイセイ族も周辺の部族も、多くが命をつなぎ止められた。

それは間違いなくユーマと彼の船団の働きによるものだった。


 ある日、ドラウデンの父――衰弱しながらも命を取り留めた族長が、震える声で息子に言った。

「……あの男には……礼を尽くせ。武の強さではなく……真の強さを持つ男だ……」


 その言葉は、若き日のドラウデンの胸に深く刻まれた。


 カイセイ族とユーマ・フォン・ロートリンゲンの出会いは、ただの偶然にすぎなかったのかもしれない。

しかしその後に紡がれた歴史を振り返る時、それはこの小さな漁師の集落を「町」へと変貌させる最初の一歩であり、やがて海と共に生きる人々の未来を形づくる大事件であったと断言できる。


 流行り風邪から立ち直ったカイセイ族の人々は、ただ薬と食料を恵んでくれたからではなく、ユーマの持ち込んだ思想と技術に心を揺さぶられた。

「生き残るためには協力も必要だ」――。


それは当時の荒々しい常識とは正反対の考えであった。

周囲から略奪し、弱き者から奪い取ることが当然とされた時代にあって、ユーマは交易という形を示したのだ。

力は必要だが、それは奪うためではなく守るために用いろ、と。


 ユーマの船団は、干物の作り方や保存方法、投げ網による効率的な漁法を教えた。

それまで浜辺近くで細々と漁をしていたカイセイ族にとって、それは目を見張るほどの変化であった。


沖合に漕ぎ出すことは危険を伴うが、彼らに改良された船の作り方を教えつつ、「この船は航海には使うな、過信はするな」と念を押す姿に、ユーマの誠実さが見え隠れした。


 また鉄器の存在は生活を一変させた。

耐久性も切れ味も段違いだった。

男たちは頑丈な針で網を修理する時間を大幅に短縮できた。

薬草の知識もまた彼らの生活を支え、病で一族が滅びかけたあの日の恐怖を遠ざけた。


 そして、ユーマたちが喜んだのが「馬乳酒」である。

これはカイセイ族にとっても馴染みが深い酒である。


ユーマの家臣たちが酔い潰れるほど喜んで飲み干す様子は宴を大いに盛り上げた。

ユーマ本人は驚くほど酒に弱く、ほとんど口をつけられなかったのだが、彼の無邪気な笑顔とそれを茶化す部下たちの光景は、荒んだ心を癒やす灯火となった。


 数年のうちに、ユーマとカイセイ族の交流は周辺部族をも巻き込むものとなる。

初めは不審の目を向けていた隣人たちも、ユーマがもたらす交易と誠意、そして「力」を目の当たりにすることで態度を変えていった。


 ある日、カイセイ族の集落に周辺部族の族長たちが集まり、大きな宴が開かれた。

互いの利害調整を兼ねた席で、やがて話題は必然のように武の話へと移る。

「ユーマ殿の剣技はどれほどのものか?」

「噂では嵐の中でも剣を振るう鬼神だと聞く」

 そんな言葉が飛び交い、ついに「力比べを」と声が上がった。


 ユーマは黙って腰の刀を抜いた。

異国の地で「カタナ」と呼ばれるその武器は、細身でありながらも凄まじい存在感を放っていた。


立ち会った族長たちは一人また一人と地に伏し、その圧倒的な剣技にただ驚愕した。

誰もが勇猛と称えたドラウデンの父でさえも、数合を交えた末に敗北を喫した。


 若き日のドラウデンも挑んだ。

彼は善戦した。だが、ユーマの剣は次元が違っていた。

まるで相手の呼吸や思考を読み取るかのように先を制し、しかし無用な怪我を与えぬ優しさを残した剣筋だった。

敗北を認めた時、ドラウデンの胸には悔しさよりもむしろ敬意が芽生えていた。


 それからというもの、ユーマが立ち寄る度にドラウデンと夜更けまで語り合うのが常となった。

「このカタナという武器はな、先祖伝来のものでな、我が家にしか伝わらぬ」

「俺にも息子がいる。お前の息子ラルグスと会わせる日が楽しみだ」


 時に夢を語り、時に家族の話をし、時にはただ海を眺めながら取り留めのない話に笑い合った。

互いの立場を超え、同じ時代を生きる男として心を通わせた瞬間であった。


 しかしその穏やかな日々は長くは続かなかった。


 数年後、風に乗って届いたのは冷酷な訃報だった。

――「ユーマ・フォン・ロートリンゲン伯爵、反乱の罪により戦死」。

 それは信じ難い知らせであった。


交易の盟友であり、剣を交え、語り合った男が無惨に討たれたという。

ドラウデンは耳を疑い、怒りと喪失感に震えた。だが現実は変えようがなかった。


 そして今。

 オウタルの町を訪れたシマを目にした瞬間、ドラウデンの胸は過去と現在が交錯する激しい衝撃に襲われた。

 黒髪、青い瞳――。

それはユーマを除いて一度も見たことのない特徴であった。

顔立ちも、声の響きも、まるであの男が時を超えて再び現れたかのように酷似している。


 「ユーマ…?!」

 思わず漏れた声に、自分自身で戸惑いを覚えるほどだった。

ラルグスに至っては涙を流し、駆け寄ろうとしたほどである。


 しかしシマは静かに言った。

「俺はユーマ・フォン・ロートリンゲンじゃねえ。息子みてえだがな、顔も声も知らねえ」

 

 静かながらも確信に満ちた響きでシマが答えると、場に重たい沈黙が落ちた。

潮風が吹き抜け、砂混じりの浜をざわつかせる音だけが耳に残る。


 ドラウデンは目を細め、深く刻まれた皺の奥からシマを見据える。

確かに彼はユーマではない。

だが、そこに漂う雰囲気――立ち姿の落ち着き、揺るぎない眼差し、己の力を絶対的に信じる者特有の余裕。

それらすべてが、かつて肩を並べて語り合ったユーマの姿を彷彿とさせるのだ。


 「お前がユーマの息子だという証拠はあるか?」

 問いは鋭く、しかし声はどこか揺れていた。


 「ない。」

 シマは短く答えた。


 「……顔も声も知らないとはどういうことだ?」


 「物心つく頃にはスラムで仲間たちと生きてたからな。」


 その言葉に、ドラウデンは一瞬息を呑んだ。

(……あいつの……ユーマの配下の誰かが、子を逃したのか?)脳裏をよぎるのは十数年前の惨劇。


あの男が命を落としたと聞いた時、もしや息子や家族も共に滅んだのではと誰もが思った。

だがもし、ほんのわずかな忠義心が子を遠くへと逃がしたのだとすれば――。


 「そうか……」と呟いた後、ドラウデンの瞳に戦士としての光が宿る。

 「聞きたいことは山ほどある。だが、ここいらの流儀でな。力を見せてもらうぞ。」


 「異論はない。」

 シマの声は低く、落ち着いていた。


 二人は自然と対峙の間合いに立った。

砂を踏み締める音がわずかに響き、周囲を取り囲むカイセイ族や傭兵団の面々は息を呑む。

潮風さえも止んだかのように、空気は張り詰めていく。


 「……剣を抜かないのか?」とドラウデンが問う。

彼の手には長大な槍。

海の民らしく筋肉は厚く鍛えられ、体躯も大きい。戦いに慣れた者の構えだ。


 「俺が剣を抜くときは、殺すときだ。」

 瞬間、場の空気がさらに冷えた。

その宣告は虚勢でも冗談でもなく、ただの事実として口にされたものだった。


 「……言うじゃねえか。」

 ドラウデンの口元がわずかに吊り上がる。

「後で後悔しても知らんぞ!」


 掛け声と共に、大地を割るほどの鋭い踏み込み。

 槍の穂先が風を裂き、雷のごとき速さでシマの胸を目がけて突き出される。


 ――が。


 その刹那、さらに鋭い踏み込みが返った。

 シマは一歩で間合いを殺し、槍の穂先を外に弾くでもなく、受けるでもなく、ただ肩をぐいと入れた。その瞬間、轟音と共にドラウデンの巨体が宙を舞う。


 「ぐっ……!」

 空気が震え、7、8メートルも吹き飛んだドラウデンの身体が砂地を転がる。

三度、四度と地面を跳ね、ようやく止まった時には息が詰まり、目の前が暗転していた。


 カウンターで叩き込まれた当て身――。

それは剣も槍も介さぬ、純粋な肉体の衝突だった。

しかしその一撃は、槍の突進の勢いを逆手に取ったため、通常の打撃の数倍の威力となって返ってきていたのだ。


 「……アレはヤバいんだよなぁ。」

 ベガがぽつりと呟いた。


実際に喰らった事がある裏打ちされた言葉は重い。

 「踏み込みが鋭けりゃ鋭いほど、こっちに返ってくる力が何倍にもなる……。恐ろしい技だ。」


 「今の、肩で当てたろ? まさか肘打ちじゃねえよな?」

ベルンハルトが息を呑みながら言う。


 「肘打ちだったら胸骨が何本も折れて、血を吐いてんだろうよ。」

ワーレンが応じた。


 ゴードンが目を見開き、皆に問う。

「……お前ら、見えたのか?」


 「…ギリな。」

 コルネリウスが冷静に答える。

「あいつの本気は、こんなもんじゃねえぞ。」


 周囲のカイセイ族の戦士たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

槍を手にした熟練の族長が、一瞬で吹き飛ばされた。

その事実を受け止めきれず、視線は自然とシマへと集まる。

彼は何もなかったかのように立っていた。

ただ呼吸すら乱さず、風に黒髪を揺らしているだけだった。


 転がったドラウデンは、やがて咳き込みながら身を起こした。

胸に焼けつくような痛みを抱えながらも、笑みを浮かべる。

 「……やるな。」

 その声は掠れていたが、戦士としての敬意がはっきりと込められていた。


 シマは答えない。ただ視線を返すのみ。

それがかえって、この場の誰よりも雄弁に力を示していた。

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