恋バナ?!
広い集会所に、女性たちの笑い声が響いていた。
入浴の後、リンスの効果に感動して大興奮のルドヴィカを中心に、自然と話題はその分配へと移っていた。
「ルドヴィカさん個人に――そうね、月五瓶くらい売ればいいんじゃない?もちろん条件付きで」
静かに提案したのはメグだった。
「条件?」とルドヴィカが眉をひそめると、メグは指を折って数える。
「成分を調べない。研究しない。転売しない。――それを約束してくれるなら、こちらとしても安心して譲れるわ」
エイラも頷き、ルドヴィカの瞳をじっと見つめる。
「そうね……その条件なら私も納得できるわ。ルドヴィカさん、どうかしら?」
一瞬、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
商人としては製法を探りたいし、できることなら広く売り出して儲けたい――
その気持ちが透けて見える。
けれども、目の前にいるのは「絶対に嘘や裏切りを許さない女たち」だと理解している。
彼女は肩をすくめ、諦め半分、しかしどこか愉快そうに笑った。
「……仕方ないわね。悔しいけど、その条件を飲むわ。五瓶で手を打ちましょう」
その言葉に場の空気が少し和らぎ、女たちは顔を見合わせて微笑んだ。
ルドヴィカの負けを見て取って、マヌエラがふっと笑いながらおどけるように言った。
「フフッ……それじゃあ帰ったら早速お風呂を造らないとね」
その場がどっと笑いに包まれる。
普段は「お風呂」など考えもしない暮らしだ。
だがリンスの効果を知ってしまえば、どうしても整った湯場が欲しくなるのは当然だった。
「……そうね、もういっそダミアンに頼んで本店にお風呂を作ってもらおうかしら?」
ルドヴィカがぽつりと口にすると、その場の空気が一瞬にして明るくはじけた。
「え?本店にですか?」とエイラが目を丸くする。
するとノエルが身を乗り出して声を上げた。
「いいじゃないですか!福利厚生?ってやつにすればいいんですよ!従業員の人たちも使えるようにしたら、絶対に喜ばれますよ!」
その提案にメグも大きく頷いた。
「うんうん!間違いなく大人気になるわ。ダミアンさんだって、この間『お風呂は最高だった』って嬉しそうに言ってたし!」
メグの言葉に皆が頷きかけたとき、ルドヴィカが得意げに腕を組みながら言った。
「ふふ……でも、私のリンスは使わせないけどね」
その意地悪そうな一言に、女性陣は一斉に吹き出した。
「なによそれ!」
「従業員かわいそう!」
「ひど~い!」
場の笑いが落ち着いたころ、サーシャが真顔で言った。
「でも、本店にお風呂を作るなら安心ですよ。シャイン傭兵団が二十四時間体制で警備についていますし……」
「それは確かに!」とエリカが手を打つ。
「安全に入浴できるなんて、贅沢すぎるわ!」
「それなら、いっそ本店に住んじゃえばいいじゃない?」
キョウカが軽い調子で言った。
ケイトが不思議そうに首をかしげる。
「今までどこに住んでたんですか?」
ルドヴィカは肩を竦めて、あっけらかんと答えた。
「宿よ。旅の商人みたいなものでしょう?家を構えるなんて考えたことなかったわ」
その答えに、女性たちは「やっぱり」という顔をしながらも感心の声を漏らす。
だが次に放たれた言葉は、さらに場を揺るがせるものだった。
「でも……そろそろ私も結婚しようかしら?」
一瞬の沈黙。
その後、視線が一斉に彼女へ集まり、リズが思わず前のめりに尋ねた。
「え?……相手は誰なんですか?」
「ダミアンよ」
その名が口から出た瞬間、女性陣は一斉に叫んだ。
「ええ~~っ?!」
声の高さも、驚きの度合いも見事に揃っている。
「ちょ、ちょっと待ってください!お二人って、付き合ってたんですか?」
ミーナが真剣な顔で問いかける。
ルドヴィカは苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「付き合ってたわけじゃないのよ。ただ……何というか、切っても切れない関係、っていうのかしら」
彼女はしばし遠い目をした。
「一年半も交易に出ていたでしょう? それで、ようやく帰ってきたら……ダミアンが言ったのよ。『結婚を前提に付き合ってくれ。お前がいない間、気が気ではなかった』って」
その瞬間、女性陣は一斉に両手を口元に当て、歓声を上げた。
「きゃ~~~っ!」
「やだ!素敵!」
「プロポーズじゃないですか!」
エリカは椅子から転げ落ちそうになり、メグは顔を真っ赤にしながら「うらやましい!」と叫んだ。
ミーナは「物語のお話みたい……!」と感嘆し、マリアは目を輝かせて「ダミアンってそんなこと言う人だったんだ!」と驚きを隠さない。
ルドヴィカはそんな友人たちの反応を楽しむかのように微笑み、しかしほんの少し照れくさそうに肩を竦めた。
「まったく、あの人ったら……普段は無骨で、仕事仕事って顔してるくせに。帰ってきて開口一番、そんなことを言うんだから」
「きゃー!」
再び声が弾み、集会所の壁が震えるほどだった。
「でも、いいじゃないですか! ダミアンさんなら真面目だし、責任感もあるし!」
エイラが言うと、マヌエラも深く頷く。
「そうそう。それに、あの人ならルドヴィカのやり手ぶりもちゃんと把握してるし」
「それに」とエイラが悪戯っぽく笑った。
「二人が夫婦になったら……エイト商会はますます盤石になるんじゃない?」
その一言に女性たちはまた大笑い。
「そこに落ち着くのね!」
「まるで政略結婚みたい!」
「でも、本人たちが幸せならいいじゃない」
「……ルドヴィカさんの話、聞けば聞くほど羨ましいなぁ」
メグが頬杖をつきながらため息をつく。
「私も言われてみたい……『気が気じゃなかった』なんて! きゃーっ」
「ふふ、メグらしいわね」とマリアがくすくす笑った。
「でもわたしだったら……うーん、安心感よりもドキドキを選んじゃうかも。ちょっと危うい人とか、掴みどころがない人の方が気になるのよね」
彼女の言葉に、場が一瞬どよめく。
「マリアってば! 危ない人に惹かれるタイプ?」とリズが目を丸くする。
「そういうの、長続きしないんじゃない?」とミーナも首をかしげる。
「いいのよ、長続きしなくても。その瞬間が熱ければそれで!」
マリアが肩を竦めて言い放つと、皆が「また始まったわ」という顔をして笑い合った。
「私は……やっぱりお金よね」
さらりと口にしたのはクララだった。
「ええーっ!」と一斉にブーイングが上がる。
「現実的でしょ? だって、生活って愛だけじゃできないんだから。相手に財力があることは、大事な条件よ。もちろん、人柄も大事だけどね」
彼女の現実的すぎる答えに、場はまた笑いに包まれる。
「……私はそういうこと考えたことないな」
ぽつりと呟いたのはティアだった。
皆が視線を向けると、ティアは少し困ったように微笑んだ。
「ほら、私って……あんまり人付き合い得意じゃないし。だから結婚とか恋愛とか、遠い話に感じちゃって」
その素直な言葉に、エイラが優しく頷く。
「でも、それも悪くないわよ。焦らなくてもいいし……自分の心が動く瞬間が来たら、そのとき考えればいいのよ」
「そうね……」とティアが頬を赤くする横で、サーシャが真面目な顔で口を開いた。
「私は……相手が一番に信頼できるかどうか、だと思うの。仕事柄、命を預け合うことが多いでしょう? だから、その人の背中を迷いなく任せられるかどうか……それが一番の条件」
その言葉には一同が静かに頷いた。サーシャらしい誠実で実直な答えだった。
「私はねー……」とメリンダがにやにや笑いながら声を張った。
「とにかく楽しい人がいいな! 一緒にいると毎日が面白くなるような人! 退屈な日なんていらないの!」
「それ、絶対わがままになるやつよ」とエリカが突っ込むと、また笑いが弾ける。
そして最後に、エリカがにやりと笑って言った。
「私は……強い人がいいなぁ。やっぱり守られたいじゃない? でもね、ただ強いだけじゃダメ。強くて、しかも私を甘やかしてくれる人! 最高でしょ?」
「わがまま娘はエリカに決まりね!」
ミーナが拍手すると、また一斉に笑い声が上がった。
それぞれの恋愛観が飛び出し、冗談や冷やかし合いが絶えない。
ルドヴィカの結婚話をきっかけに、彼女たちはまるで秘密を共有するかのように胸の内を明かしていった。
笑いながらも、時折真剣な沈黙が訪れる。
そこに漂うのは、戦場や交易の場では決して見られない「女たちの時間」だった。
未来への不安も希望も、恋への憧れも、この夜はすべて笑いに溶け、仲間たちの心をさらに強く結びつけていった。
笑いと歓声が絶えない夜。
やがて誰かが冗談交じりに「結婚式にはリンスを引き出物にしてね!」と叫び、また大爆笑が巻き起こる。
その光景は、商会や傭兵団のしがらみも、外の世界の緊張感も忘れさせるほどに、幸福で、無邪気で、温かなものだった。
女性たちは口々に夢を語り合い、互いにからかい合っては笑い声を弾ませた。
翌日——
キョウカは、鍛冶場の片隅に積まれた鉄鉱石を手に取っていた。
陽の光を受けて黒々と鈍い輝きを放つその鉱石は、どこかただの鉄鉱とは異なる雰囲気を漂わせていた。
「ん……これは?」
石を砕きながら観察していたキョウカの指先に、奇妙な感覚が走った。
まるで小さな力が自分の持つ鉄片を引き寄せたような――。
脳裏に浮かぶのは、数日前にヤコブから告げられた言葉だった。
『鉄鉱石に鉄を近づけて、わずかでも引っ張られるような感覚があったら――必ずワシに知らせるのじゃ』
「……コレのことだわ!」
キョウカは目を見開き、石を大事に布に包み込むと鍛冶場を飛び出した。
向かう先は、バンガロー群のひとつ――11号棟。
そこはヤコブや彼の弟子たちが、調査や研究の拠点としていた場所だ。
勢いよく扉を開くと、室内にいた弟子のキジュとメッシが顔を上げた。
「キョウカさん、どうしました?」
「ヤコブ先生はいる?」
「奥で文を書いてますよ」
呼びかけるとすぐにヤコブが現れた。
髭を撫でつつ、彼はキョウカの差し出した布包みを受け取る。
「……まさか」
ヤコブが鉱石を取り出し、鉄片を近づける。
すると――カチリ、と小さな音を立てて鉄片が吸い寄せられた。
その瞬間、ヤコブの目が爛々と輝いた。
「フハハ……! 間違いない、これは磁鉄鉱じゃ!」
その声に、弟子のキジュもメッシも思わず息を呑んだ。
鍛冶場の隅で作業していたノエルまでもが興味津々に駆け寄ってくる。
「これが……磁石……?本当にあるんですね!」
ヤコブは興奮を抑えきれない様子で鉱石を掲げる。
「天然の磁力を帯びた鉄鉱を手に入れられるとは……! 研究が一歩どころか十歩進むわ!」
「これはシマにすぐ知らせるべきです!」
ノエルが真剣な顔で振り返る。
「キジュさん、お願いします! シマを呼んできて下さい!」
「了解!」
キジュは駆け足でバンガローを飛び出していった。
――その頃。
シマは別の家屋にいた。
空いている個人宅、その一室で机を囲み、ユキヒョウ、ティア、マヌエラ、そしてダミアン、ルドヴィカと共に過ごしていた。
「ここに数字を並べる。掛け算と割り算は、順番を間違えるな」
シマが木板に書きつけた記号を指し示しながら説明する。
「ふむ……面白いな。こうやって桁を整理するのか」
隣で腕を組むダミアンとルドヴィカは、集中した目で板を睨んでいた。
シマは頷いた。
「兵站の計算、物資の管理、全て数字で管理できるようになる。これが“シャイン式計算”だ」
そこへ扉を叩く音がして、キジュが駆け込んできた。
「シマ団長!」
耳打ちで状況を告げる。磁鉄鉱?が見つかったと――。
シマの目が鋭く光った。
「……そうか。分かった」
立ち上がると、キジュに向かって低く命じた。
「キジュ、マヌエラさんはここに残れ。ダミアンとルドヴィカが勝手に出歩かないよう監視を頼む。あと、算術の続きもみっちり教えてな」
「了解だ」
「わかったわ」
二人は短く返事をした。
シマは即座に判断を切り替える。
「ユキヒョウ、ティア。鍛冶場に行くぞ」
「承知した」
「はい!」
三人はすぐに席を立ち、鍛冶場へと足を向けた。
外はまだ陽が高く、作業音と人々の声があちこちに響いている。
シマの胸の内には、一抹の緊張と大きな期待が入り混じっていた。
磁石――未知の可能性を秘めた素材。
その発見は、この世界の技術体系を変えうる扉を開くことになるかもしれない。
シマの表情は険しくも静かに燃えていた。
仕事が忙しく更新が遅れています。




