案内4
チョウコ町に並ぶ木造バンガローの一角。
まだ新しい木の香りが濃く漂う十一号棟の前に、シマは一行を連れてやってきた。
「ここだ」
扉の前で軽く拳を握り、コンコン、と控えめにノックする。
返事を待たずに、扉を押し開けると、薬草の乾いた香りと独特の薬液の匂いが鼻をかすめた。
「失礼するぞ」
シマが中に入ると、そこには既に数人の姿があった。
ノエルが棚に並ぶ瓶を整理し、ヤコブは机に広げた分厚いノートに何事かを書き付けている。
キジュは石臼で薬草をすり潰していて、隣のメッシは色の違う小瓶を並べて比べ、光に透かして観察していた。
そして珍しいことに――窓際にはホクスイの姿があった。
絵筆を持ち、キャンバスに向かって黙々と手を動かしている。
「……ホクスイ? 珍しいな」
シマが意外そうに声を掛ける。
顔を上げたホクスイは、ちょっと気恥ずかしそうに鼻を鳴らす。
「ああ。今はそれぞれの仕事風景を描いてるんだ。普段の立ち姿や戦う姿は何度も描いてきたが、こういう日常の一幕は残しておいた方が面白いと思ってな」
「……まさかお前が絵を描いてるなんてな」
ダミアンが目を丸くする。
「ふん、悪いかよ」
「悪いどころか、見直したっての。どれ、見せてみろよ」
渋々といった風にホクスイがキャンバスを傾ける。
そこにはノエルが瓶を持ち上げ、真剣な眼差しで中を透かす姿が克明に描かれていた。
肩に落ちる光、瓶に反射する淡い青。
細部まで丁寧に描き込まれていて、そこに流れる空気までも封じ込められているようだった。
「……ほぉ」
ダミアンは感嘆の声を漏らす。
「上手いもんだなぁ。お前にこんな才能があったなんてな」
「へっ、まあな」ホクスイはにやりと笑い、筆先を拭った。
「戦うだけが生き甲斐じゃねえってことだ。……そうだ、シマ。今度の山狩りはいつ行くんだ?」
シマは少し考え込んでから答える。
「三日後だ。……来るのか?」
「たまには身体を動かさねえとな」
ホクスイは軽く伸びをして肩を鳴らした。
「私も行くわよ」
メリンダが即座に手を挙げた。表情はすでに乗り気そのもの。
「……俺も連れていってくれ」
ダミアンが口を挟んだ。
「え?」
マヌエラとビルギットが同時に振り向く。
ルドヴィカは呆れたように肩をすくめた。
「ダミアンったら、暇さえあれば弓の練習をしてるのよ。毎日毎日、飽きもせずに」
「……せっかくいい弓をもらったからな」
ダミアンはそっぽを向いて言い訳のように呟く。
「使わねえともったいねえだろう……?」
「気持ちはわかるけど」
ユキヒョウが腕を組み、低い声で口を開いた。
「体力的についてこれないよ。無理だね。かなり遠くまで行くんだから」
「そうそう、もうこの辺りには獲物なんていやしねえ」ホクスイも笑う。
「山狩りはな、半端な覚悟でついていくもんじゃねえ。やめときな、ダミアン」
「……ぐぬぬ」ダミアンは悔しげに歯噛みする。
シマが宥めるように口を開いた。
「弓の上達具合なら――」
しかし最後まで言い切る前に、メリンダが一歩前に出て、挑むような目を向けた。
「私が見てあげるわ。エイト商会の会頭さんの弓の腕がどれほどのものか、楽しみだもの」
その場が少しざわつく。
ノエルが肩を揺らして笑った。
「いいんじゃない? メリンダも大分、腕を上げたし」
ヤコブが口を挟む。
「実地で確かめることは大事じゃな。射程、精度、体力……数字で出せば説得力も増すじゃろ、己の今の実力も測れるというものじゃ」
「数字だの記録だの……お前ら学者はすぐそういうことを言う」とホクスイが笑い飛ばす。
シマが軽く肩をすくめて笑みを浮かべた。
「まあ、俺たちにとっちゃ山狩りなんて、ピクニックみたいなもんだが…」
その言葉に場の空気が一瞬緩む。
だがすぐに、彼はちらりとダミアンへ視線を向けた。
「…ダミアン、お前は町の近くで鳥や小動物でも狩ってもらうか」
やや本気の響きを含んだ声に、ダミアンは口を開きかけて言葉を飲み込み、肩を竦めた。
弓を練習しているとはいえ、シャイン傭兵団の面々と同じ行程をこなせる自信はない。
そんな彼の逡巡を見抜いたように、ノエルがすっと言葉を挟む。
「万が一のこともあるから、私がつくわ」
落ち着いた声でそう言った彼女の表情には、柔らかさと確かな決意が同居している。
その瞬間、場の空気がほっと和らぎ、ユキヒョウが頷いた。
「ああ、それなら安心だね」
さらにホクスイが深く同意するように短く言い添える。
「間違いねえ」
そのやり取りを聞いていたメリンダが、勢いよく椅子から立ち上がった。
「あっ!それなら私もノエルに付いていくわ」
彼女の明るさに空気がまた一段と軽くなる。
ティアが小さく笑みを浮かべながら言った。
「その方がいいわ。山狩りが終わった後はもう、クタクタだもの」
その率直な言葉に場にいた全員が笑い声を上げる。
苦労を知る者の冗談には、共感と親近感が宿っていた。
ダミアンは照れくさそうに頭をかきながら、だがどこか安心したように息を吐く。
ルドヴィカも隣で肩を揺らして笑い、シマたちを見やった。
その笑いの中にあるのは、互いの力量を認め合った上での信頼と、無理をさせまいとする思いやりだった。
シマが振り返りながら言葉を紡ぐ。
「改めて説明しておくが……ここでは調合や効能の検証、新薬の開発、薬草の生育や観察なんかを行っている。今朝、お前らが飲んだ二日酔いの薬もここで作られたものだ」
その言葉に、ダミアンはわずかに目を見開き、苦笑を浮かべながら頷いた。
「あの薬か……正直言って助かったぜ。あれがなかったら、今ごろまだベッドの上で唸ってたはずだ」
横で聞いていたルドヴィカが小さくため息をつきつつも、思い出したように肩を竦める。
「本当にそう。起きた時なんて、もう動けないくらいだったものね」
彼女の言葉に、傍らのビルギットが楽しげに笑みを浮かべた。
「この町では見慣れた光景よね。お祭りや宴会の翌朝なんか、あちこちで誰かがぐったりしてるのを見かけるわ」
その発言にマヌエラがすかさずからかうように言葉を添える。
「そうそう、男の人は特に羽目を外しがちだからね……でも、ルドヴィカまでもとは思わなかったわ」
「……反省してるわよ」
ルドヴィカが口を尖らせながらも認めると、その場にいた全員がつい吹き出すように笑った。
研究所特有の真面目な空気が、急に柔らかい笑い声で満たされる。
ひとしきり笑いが収まったところで、シマが窓の外を一瞥しながら呟いた。
「……そろそろ風呂の時間だな。それに飯も始まる。全部案内しきれなかったのが残念だ」
彼の言葉に、ダミアンが首を傾げて問いかける。
「後は何があるんだ?」
シマは指を折りながら、淡々と説明を続ける。
「裁縫仕事に蜜蝋塗り作業、レンガ作りに炊事班の仕事、牛糞拾いなんかもあるな。それとシャイン商会の仕事ぶりも本来なら見せたいところだ……もっとも、見せられねえ場所もある。入り口に団員たちが立ってるところは、近づかないようにな」
最後の言葉には、冗談めかしつつもどこか含みのある響きがあった。
その部屋の中央で、ダミアンが椅子を軋ませて腰をずらしながら声をかける。
「なぁシマ、組み立て式テントのことなんだが……」
黒髪を軽くかき上げながら、視線をダミアンへと向ける。
「エイラ、ミーナと交渉してくれ……飯を食った後でいいか?」
「……頼む」
間を置いて、彼は隣に座っていたルドヴィカへと鋭く目をやる。
「ルドヴィカ、酒は控えろ」
「はいはい……」
ルドヴィカは肩をすくめ、ダミアンの真面目な気配を感じ取って、これ以上は軽口も控えるべきだと理解しているのだろう。
それでも全体の雰囲気は和やかなまま、外から差し込む夕暮れの光に室内が染められ、そろそろ夕餉と湯の支度を意識させる時間帯へと移っていった。
外はすでに夜の帳が下りようとしている。
バンガロー群のあいだを柔らかな明かりが点々と照らしていく。
風が木立を揺らし、川のせせらぎが遠くで小さく聞こえた。
バンガロー10号棟。
木の香りがほのかに漂うこの建物は、今はシャイン隊と見守り隊、さらにテンメイ班の面々が寝床として使っている。
昼間の活動を終え、湯を浴びて汗と埃を流し、腹を満たした後の夜は、団員たちにとって一日の中でもっとも穏やかなひとときだった。
灯されたランプが柔らかに室内を照らし、窓越しには森の闇と遠い虫の声が聞こえてくる。
囲炉裏の火は炭が赤く熾っていて、じんわりとした熱気が室内を包み込んでいた。
団員たちは思い思いに腰を落ち着け、ワインを傾ける者もいれば、お茶や果実ジュースで喉を潤す者もいる。
湯上がりの肌は少し赤く、どこか緩んだ表情には安堵と充足の色が濃かった。
椅子に深く腰掛けてワインを楽しんでいたユキヒョウが、赤い液体を揺らしながら口を開く。
「ところでシマ。ミーナ嬢が言ってたんだけど、『組み立て式テントの詳細はシマに聞いてくれ』って。……耐久性や強度の問題かな?」
彼の問いに、シマは茶を一口含み、湯気の立つカップを卓に戻すと静かに答える。
「そうだ。どうしても従来のものに比べれば落ちる。雪が降った場合、どれくらいの重さに耐えられるのか……その辺りが難しいんだ。骨組みが折れた場合も問題だな。あれは一体化してるから、部分的に壊れると全体の機能が失われる」
言葉を引き継いだのはオスカーだった。
果実のジュースを飲み干し、カップを置きながら淡々と述べる。
「改良の余地はありますけど……万能じゃないですよ。」
彼の冷静な言葉に、トーマスがうんうんと頷いた。
「なるほどな。メリットもあればデメリットもある、ってことだ」
その横でクリフが口元に笑みを浮かべながら口を挟む。
「だとしてもよ、商人からしてみりゃ喉から手が出るほど欲しがるんじゃねえか? コンパクトに折り畳みができ、持ち運びできる屋根付きの寝床なんざ、夢みてぇなもんだろ」
一同が「確かに」と笑う中、ヤコブが顎髭を撫でつつ重々しく言葉を添える。
「うむ、冬の間はよほどのことがなければ外出を避けるじゃろうからな。そう考えれば、春夏秋の行軍や旅には格別の価値がある」
その一言に、ベガが笑いながら言う。
「そうだぜ。マントにくるまって地べたに寝るのと、テントの中で寝るのとじゃえらい違いだからな。雨風をしのげるだけで、次の日の疲れの残り方がまるで違う」
ジトーが腕を組みながらぼそりと呟く。
「ただし、数が少ねえのが現実だ。売り出すにしても、需要に供給が追いつかんだろうな」
シマは一同の意見を静かに聞きながら、最後に短く結論を下した。
「……オスカー、明日から組み立て式テントの製作に取り掛かってくれ」
オスカーは目を瞬かせ、すぐに頷く。
「午前中の訓練後でいいかな?」
「それでいい」
シマの即答に、場は少しだけ引き締まった。
ロイドが穏やかな笑みを浮かべて問いかける。
「シマはどうするんだい?」
湯飲みを置いたシマは短く答えた。
「俺はダミアンたちを案内する。訓練内容はジトーに任せる」
ジトーはわずかに顎を引き、力強く返す。
「了解だ」
会話がひと段落すると、バンガローの中には再び穏やかな空気が戻る。
ワイン、エール、果実酒、焼酎の香り、茶葉の温かな匂い、そして夜風がわずかに吹き込む窓辺。
団員たちはそれぞれの思考を胸に抱えながら、今夜の残り時間をゆったりと過ごしていった。




