案内3
午後の陽が西に傾きかけた頃、シマたち一行はチョウコ町の西側へと足を運んでいた。
道沿いに進む彼らの視線の先には、無骨な佇まいを見せる氷室小屋。
倉庫が七棟、規則正しく並んでいた。
氷室小屋は厚く組まれた木壁は堅牢で、内部を容易には覗けぬよう造られている。
前に立つのは、鋭い眼差しで辺りを見張るデシンス隊の団員二人。
槍を携え、風に揺れる衣の端も乱れぬほどの緊張感を纏っていた。
シマは歩みを止め、氷室小屋を指さしながら短く言った。
「……あそこには近づくなよ」
その声音は冷ややかで、軽い注意などではない。
はっきりとした「警告」として響いた。
軽々しく触れてはならぬ領域に足を踏み入れるなという、明確な意思表示だった。
ダミアンとルドヴィカは一瞬顔を見合わせ、互いに無言で頷く。
彼らはその言葉に込められた意味を理解していた。
軽口や冗談で済むものではなく、万一踏み込めば、取り返しのつかないことになるのだと。
氷室小屋の前を離れ、さらに南へと歩を進めると、景色は一転して木材の香りに満ちた一帯へと変わった。
そこには削り出された丸太や板材が、整然と、そして所狭しと積み上げられている。
雨を防ぐための大きな屋根が設けられ、材木は濡れることなく乾燥を待っていた。
周囲は立ち入りが制限されており、女子供には特に厳しく禁じられている。
それほどまでに危険であり、また重要な作業が進められている区域だった。
ただし、シャイン傭兵団は例外であり、彼らは日常的にこの場所へ足を運び、作業や点検に加わることが許されている。
「おい、気をつけろ! そっちは皮を剥いだばかりの材だ!」
掛け声が響く。
そこでは建築班の団員たちが忙しなく動き回り、材木の乾燥や皮はぎに追われていた。
斧の打ち込まれる音、木槌が響く鈍い衝撃音、そして木肌を削ぐ際に走る刃の擦過音が辺りを満たす。
その中でもひときわ目を引いたのは、巨躯のジトーと、トーマスだった。
彼らは巨大な丸太を、肩に軽々と担ぎ上げ、何事もなかったかのように運び出していく。
その様子は人間離れしており、鍛え上げられた肉体の凄まじさを物語っていた。
「……何なの……? この人たち……あんなの、普通じゃ持ち上がらないはずよ!」
ルドヴィカが思わず口を押さえながら驚愕の声を漏らす。
彼女の目には、ジトーやトーマスの働きぶりがまるで怪力の巨人に映ったのだろう。
隣でそれを見ていたダミアンも、深く息を吐きながら頷いた。
「……実際こうして目の前で見ると……圧巻だな」
シマたちはそんな二人の反応に苦笑を浮かべた。
自分たちにとっては見慣れた光景であっても、初めて訪れた者にとっては驚嘆に値する迫力があるのだ。
視線をさらに遠くに向けると、建築班が組み上げ中の骨組みが並んでいた。
乾いた木の匂いと汗の匂いが入り混じり、そこに活気と熱気が渦巻いている。
今もなお、町の成長に伴い個人宅の建設は途切れることなく続いていた。
「……その個人宅というのは、今は何棟あるの?」
ルドヴィカが興味深げに問いかける。
「40棟だな」
とシマが答えると、すかさずティアが補足した。
「その中で実際に使用しているのは31号棟までです」
「9棟、余ってるのか」
ダミアンが眉をひそめる。
シマは首を横に振った。
「まだまだ足りねえな」
「そうだね。これから移住者も来る予定だし、この街で家庭を持っていく人も増えるだろうし」
ユキヒョウが微笑んで付け加える。
その言葉にダミアンは口を閉ざし、ただ静かに町の未来を思い描いているようだった。
すると、場の空気を軽くするように、マヌエラが唐突に問いかけた。
「ところで、団長さんとユキヒョウさんはどうなんですか?」
「えっ……?」
唐突な質問にシマが怪訝な表情を浮かべるより早く、マヌエラは続けた。
「団長さんにはサーシャとエイラ……それにエリカ様もいるからあれだけど……ユキヒョウさん、誰か気になる女性はいないんですか?」
ビルギットがすかさずニヤリと笑う。
「モテるでしょう? かなりアプローチされているって聞くわよ」
「そうそう! イケメンで強くて人望もある……そんな人、ほっとかないわよねえ~」
マヌエラもわざとらしく肩を竦めながら追撃する。
不意打ちのような揶揄に、ユキヒョウは一瞬動きを止め、頬をわずかに赤らめた。
普段は冷静で切れ者として通る彼が、こうした話題になると途端に弱さを見せるのは珍しい。
「……い、いや、僕は忙しくて……今はそれどころじゃないから」
慌てて取り繕うように言葉を返すが、マヌエラとビルギットは楽しげに顔を見合わせて笑っている。
活気ある建築現場のざわめきと、仲間たちの和やかなやり取り。
その両方が混じり合いながら、チョウコ町の午後は着実に未来へと歩みを進めていくのだった。
住宅地の一角、整然と区画整理された土地のさらに奥まった場所に、今まさに活気に満ちた建築現場が広がっていた。
柱を立て、槌の響き、縄を張る掛け声、そして時折上がる笑い声や感嘆の声が混じり合い、そこはひとつの巨大な生き物のように動いていた。
現場に足を踏み入れたダミアンとルドヴィカは、瞬時に息を呑んだ。
数十名の建築班や傭兵団員たちが連携し、それぞれの役割を寸分の狂いなく果たしている。
グーリス率いる鉄の掟隊、ダグ隊、キリングス隊、そして専門の建築班が協力して、すでに基礎を終えた家屋の梁を組み上げていた。
その横では次の棟のために土地の整地が進み、縄張りの線が引かれ、さらにその隣ではすでに材木が積まれ始めている。
まるで未来の街並みが、眼前で同時進行的に立ち上がっていくようであった。
だが、群衆の中でもひときわ目を引くのはやはりシャイン隊――
ロイド、クリフ、フレッドの三人であった。
彼らは建築班が扱うにはあまりに重い太い梁を軽々と担ぎ上げる。
そして次の瞬間、梁を固定するために数メートルの高さに組まれた骨組みの上へ、三人は同時にジャンプした。
「……えっ?!……人って、あんなに高く飛べるの……?え…?」
ルドヴィカが声を震わせる。
瞳は大きく見開かれ、信じられないという表情のまま。
その横でダミアンもまた言葉を失っていたが、やがて呟くように口を開いた。
「……噓だろ……?なんだよ、あれは……人間の動きじゃねぇ……」
フレッドが梁の上に立ち、下にいる仲間へ軽く手を振る。
その余裕の表情は、まるで大道芸でもしているかのようだった。
クリフは両腕で太い梁を器用に押さえ、ロイドは瞬時に縄を渡して仮止めをする。
彼ら三人が一斉に動くと、まるで舞台上の演者のように息が合い、周囲の建築班の者たちですら感嘆の声を上げていた。
「…ちなみに聞くが……一棟建てるのにどれくらいの期間なんだ?」
ダミアンがシマに問いかける。
その声音には驚愕と、どこか畏怖すら滲んでいた。
ティアがにこやかに答える。
「建築班だけであれば二日で一棟が目安です。でも――今日は特にシャイン隊がいますから!全員が参加すれば、この規模の家なら一日で二棟は確実ですね」
「もうね!」とマヌエラが言葉を継ぐ。
「見ていて楽しいくらいなのよ!」
その瞳は少女のように輝いていた。
目の前の光景が、彼女にとっても一種の娯楽に等しいのだろう。
「……お前ら……オカシイよ……!」
ついにダミアンが堪え切れず、シマを睨むように言い放った。
シマは苦笑し、肩を竦める。
「……多少自覚はある」
「多少どころじゃねえだろ!」
ダミアンとルドヴィカが同時に声を張り上げる。
二人の反応はまるで打ち合わせたかのように息が合っていた。
ルドヴィカは唇を噛み、目を見開きながら言葉を続けた。
「……あんたたち……何とも思わないの……?目の前で、人間の常識を超えたことが平然と行われてるのに……!」
その問いに答えたのはビルギットだった。
彼女は腰に手を当て、笑みを浮かべながら肩を竦める。
「人はね、慣れる生き物なのよ」
マヌエラも同調するように穏やかな声で続けた。
「まあまあ、落ち着いてルドヴィカ。最初はみんな驚くけどね、毎日一緒に暮らしてれば、そのうち『ああ、また飛んでるわ』くらいになるものよ」
その言葉にルドヴィカは呆然としたまま二人を見つめ、そして再び現場を仰ぎ見る。
そこではロイドが宙返りのように身を翻して梁から梁へ飛び移り、クリフが縄を締め、フレッドが笑いながら仲間に指示を飛ばしている。
作業というより、ひとつの舞台芸術のような光景だった。
「……慣れる……?あれに……?」
ルドヴィカは小さく呟き、半ば自分に言い聞かせるように首を振った。
しかし心の奥底では、いまだ常識を塗り替えられるような衝撃が渦巻いていた。
一方、ダミアンは腕を組み、険しい顔でシマを見た。
「……お前らの存在は……この世にとって祝福なのか、それとも厄災の前触れなのか……」
その言葉にシマは深く笑いもせず、ただ静かに応じる。
「それは……これからの俺たち次第だろうな」
現場には再び、木槌の音と掛け声が響いた。
陽は傾きかけていたが、作業は衰えることなく続いていく。
チョウコ町に新たな家々が次々と形を成していく光景は、まるで町そのものが成長しているかのようであった。
その姿を見上げながら、ルドヴィカもダミアンも、言い知れぬ不安と同時に、抗いがたい期待の念を抱かずにはいられなかった。
建築現場の喧騒のなか、舞い上がる木屑と土の匂いの中を、一人の女性が軽やかな足取りで駆けてきた。髪を後ろで結わえたメリンダだ。
「――信じられないでしょ! 驚くでしょ!」
小柄な身体を弾ませるように近寄りながら、彼女は笑顔でそう言った。
その瞳は、初めてチョウコの町を訪れた者たちの驚愕と動揺を見逃さずに楽しんでいるようだった。
ルドヴィカは口を開けたまま、まだ梁の上を自在に跳び移るロイドたちの姿を見ていたが、メリンダの声に振り向いた。
「……ええ、正直……目を疑っているわ。家を建てるって、もっとこう、大地に杭を打ち、材木を組み合わせ、何か月もかかるものだと思っていたのに……」
「ふふっ、私たちも最初はそうだったの!」
メリンダは共感するように手を叩く。
「初めて目にしたときはね、呆然として声も出なかったわ。あの人たちの手にかかると、家がまるで積み木みたいに形になっていくのよ」
「……勘違いしそうになるわね」とルドヴィカは言った。
「家ってこんなに簡単に出来上がるものだったかしらって」
「ね! ホントそれよねぇ~!」と横からビルギットが加わった。
彼女は肩を揺らしながら笑い、メリンダに同意を示す。
「でも違うの。簡単に出来てるんじゃなくて、あの人たちが常識外れに凄いだけなのよ」
「そうそう!」とメリンダは勢いよく頷く。
「私たちの常識なんて、ここじゃ通じないの。木を担ぐ力も、作業の速さも、すべてが別物。見ていて気持ちがいいくらいなんだから!」
「団長さんたちのおかげで、もう大概のことには驚かなくなっちゃったわ」
マヌエラが笑って言った。
彼女の声音には、ただ慣れたという以上に、どこか誇らしさが滲んでいた。
三人――メリンダ、ビルギット、マヌエラ――は目を合わせて笑い合う。
その笑みには共通の体験を持つ者同士の連帯感があり、新しく訪れた者の驚きを懐かしむ余裕さえ感じさせた。
一方で、ルドヴィカとダミアンはなおも言葉を失っていた。
目の前で梁をひょいと持ち上げるフレッド、跳躍して屋根に駆け上がるクリフ、声をかけ合いながら一瞬の迷いもなく動くロイド。
その姿は、常人の延長にある肉体の働きとは到底思えなかったからだ。
「……やっぱり、どう考えてもオカシイ」ダミアンが低く呟く。
メリンダは、再びシマへと顔を向ける。
彼女の瞳は興味に満ち、どこか期待するように輝いていた。
「ねえ、シマ。これからどこへ案内するの?」
シマは少し考え込んでから答えた。
「……バンガローの方だ」
「バンガロー!」メリンダは弾む声を上げた。
「いいわね、私も行くわ!」
その宣言に、ティアとマヌエラ、ビルギットが「ふふっ」と笑みを漏らす。
メリンダは裾を軽く払いながら、既に歩き出す気満々で前に出た。
まだ呆気にとられているルドヴィカとダミアンに振り返り、明るく言い放つ。
「ほら、二人とも。まだまだ驚くことが待ってるわよ!」
その姿に引きずられるように、一行は建築現場を後にした。
背後では、今も力強い掛け声と木槌の音が響き、家の形が生まれていた。




