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光を求めて  作者: kotupon


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案内2

チョウコ町の北側。


ゆるやかに広がる台地の一角に、九つの区画に分けられた畑があった。

区画は整然と並んでいるものの、今はまだどこも黒々とした土が広がるばかりで、作物は一本も芽吹いていない。

けれど、踏みしめれば土はやわらかく、既に手が入れられていることが分かる。


「……何か匂うわね」

最初に鼻をひくつかせたのはルドヴィカだった。

口元に手を添え、少し顔をしかめる。


畑の方角から漂ってくるのは、濃厚で鼻を刺すような発酵臭。

牛や鶏を飼っている村であれば慣れ親しんだ匂いだが、こうして一面に立ち込めれば、普段は市街地に暮らす人間にとって耐え難いものがあった。


「臭くない?」

ルドヴィカの問いかけに、シマは苦笑を浮かべた。

「まあな。……色々試すことがあるんでな」


言いながら、彼は畑の中に視線を投げた。

各区画の端には小さな木札が立てられており、そこには数字や記号のようなものが簡単に記されている。それは配合比率を示す印だった。


牛糞、鶏糞、炭。

三つの素材を組み合わせ、発酵させ、土に戻す。

ある区画では牛糞が多く、別の区画では鶏糞を主とし、また別では炭を多めに混ぜていた。

どの組み合わせが最も作物の育ちに寄与するか、それを一年かけて試すつもりなのだ。


もっとも、シマたちにとっては「肥料実験」という認識があるものの、体系化された農学もなければ、肥料の概念すら広まっていない。


農民たちはただ、先祖から伝わった方法や、隣村でやっていることを真似し、あるいは思いつきで試すだけ。

そんな曖昧な伝承と経験則の積み重ねが、この世界の農業だった。


だからこそ、こうした「配合比率を区画ごとに分け、結果を検証する」という発想は、この世界の者からすれば異質に見えるに違いない。


「なるほどな……」

その匂いの強烈さに顔をしかめながらも、ダミアンは畑をしげしげと眺めていた。

いかつい腕を組み、土を耕した痕跡を観察するように目を細める。


そしてぼそりと口を開いた。

「……教えてもらうわけにはいかねえか」

その声音は、半ば独り言のようでもあり、相手の出方を窺う挑発のようでもあった。


シマは肩を竦める。

「何をだ?」


「…何か混ぜてんだろ?…」


「それは教えられねえな」

あっさりとした返答。


しかしシマの声音は硬くなく、むしろ柔らかさを含んでいた。

拒絶というより、「それだけは触れるな」という線引きを淡々と告げるような響き。


「……だろうな」

ダミアンは薄く笑い、深追いはしなかった。


だがすぐに別の切り口を探す。

「植える作物くらいは教えてくれてもかまわねえだろ?」


その問いに、シマは一拍置いてから答えた。

「…大麦、小麦だな」


「……大麦、小麦、だと?」

その答えを聞いた瞬間、ダミアンの瞳が細くなる。


内心で思案が始まっていた。

(大麦に小麦……? こいつらの資金力なら、いくらでも買った方が早えはずだ。わざわざ畑を整えてまで育てる理由はねえ……)


普通の町なら、穀物は商人から仕入れるのが常だ。

ましてや、この規模の畑で収穫できる量などたかが知れている。

町全体の消費量を賄うには到底足りない。


(……なのに、だ。わざわざ自分たちで育てるってことは……何を考えてやがる?)

思考を巡らせるダミアンの横で、ルドヴィカもまた口を閉ざしていた。


彼女は商会出身の視点から、この規模の畑と作物の選択を分析していた。

(この九区画を全部合わせても、町の人口を養うにはあまりに小さい。……やろうとしているのは、自給の確保じゃない。別の目的……?)


小さく首を傾げる。

(まさか……)


しかしそこまで考えたところで、彼女の思考は途切れた。

この世界において「穀物を発酵させ、酒を醸す」という発想は一般庶民には存在しないからだ。


酒造りは貴族の特権。

醸造の知識も設備も、代々厳重に守られ、門外不出とされてきた。


だからこそ、ルドヴィカの考えは「町の消費には足りない」以上に進まなかった。


一方で――ユキヒョウはそんな二人の横顔を愉快そうに眺めていた。

その口元には、わずかな笑みが浮かんでいる。


(フフッ……さすがに疑念がわくよね。大麦や小麦をわざわざ育てる理由、普通に考えればおかしい。でも……まさかこの町でエールを作ろうとしている、なんてところまでは考えが及ばないだろうね)


だが、シマたちは違った。

知識を持ち、酒造りを「特権」ではなく「技術」として理解している。

そのための準備――それがこの畑だった。


ユキヒョウは、匂いに顔をしかめるルドヴィカと、顎に手を当て思案するダミアンを見比べ、心の中で愉快に笑った。

(いつ気づくかな……いや、絶対に気づかないだろう。醸造の概念すらないんだから。だが、これからどう転ぶか楽しみだ)


匂いの漂う畑に風が吹き抜ける。

肥料の山は土に埋められ、上からは木酢液が振りかけられていた。

酸っぱいような焦げ臭いような匂いが立ち上り、糞の臭気を抑える。


静まり返った畑に、シマたち一行の声だけが響く。

人のいない広大な黒土の前で、彼らはそれぞれに違う疑念や思惑を胸に抱きながら、足を止めていた。


そして、その中で、ユキヒョウは――すべてを見通した笑みを浮かべていた。



チョウコ町の北西奥。

町の中心部から少し離れた場所に、旅人や客人を迎えるための宿泊施設が整えられていた。


宿本体、宿用の厩舎、馬車の停留所、物資を収める倉庫、飼料や馬具を保管できる小屋、さらに宿泊者が利用できる露天風呂まで備えられている。

その一帯は町の他の建物群から切り離された造りになっている。


宿の建物は平屋で、部屋数は全部で八室。

表から見ると長屋のようにも見えるが、共用スペースを中心に、右手と左手に四部屋ずつ配置されている。

その配置がまた無駄がなく、泊まる者にとってわかりやすい導線となっていた。


宿の裏手には宿泊者専用の厩舎がある。

馬が十数頭は入れる規模で、壁は厚く作られ、冬場の寒風を防げるよう工夫されていた。

さらに馬車の停留所も隣接しており、旅人たちが馬車ごと到着してもそのまま乗り入れられるようになっている。

物資用の倉庫は木材で組まれた頑丈な造りで、宿泊客が預ける大きな荷物などを保管出来る。


宿泊客専用の風呂は、外からは高い柵で目隠しされている。

浴場の隅にはに小さな小屋があり、中には牛糞を使った燃料が入っている。


女性客が来た場合は時間制に区切って利用してもらうか、場合によってはシャイン傭兵団の女風呂に案内する案も検討中だという。


「一人二人くらいなら、俺たちの方を使っても問題ないだろうな」とシマは言った。


湯の供給方法も独特である。

ルナイ川から荷車を使って水を運び入れ、風呂に張る。

飲料用の水は別に井戸から汲んでおり、用途を分けることで清潔と利便を保っていた。

宿の横に停めてある木製の荷車は、ちょうど水運び専用のものだった。


「……ああ、それで甕がこんなにあるのか…宿の中も見せてもらえるのか?」

興味津々といった様子でダミアンが尋ねた。


「ああ、案内しよう。せっかくだから全部見ていけよ」とシマが答える。


中に入ると、すぐに広々とした共用スペースが広がっていた。

窓から差し込む光で温かい雰囲気を醸し出している。

いくつもの長椅子と大きめの卓が並べられており、宿泊者がくつろぎ、食事をしたり談笑できるようになっていた。

壁際には簡素な棚と、薪暖炉もある。

寒い時期になれば火を入れ、皆が身を寄せて温まることになるのだろう。


「へぇ……共用スペース?思ったより広いわね!」

ルドヴィカが感心したように声を上げた。

「部屋も見たいわ」とすぐに続ける。


「こっちよ」とティア、マヌエラ、ビルギットが案内役となり、ルドヴィカを右手の部屋へと連れていく。

その後ろ姿を見送りながら、シマとユキヒョウはダミアンを左手側へと導いた。


各部屋の造りはほぼ同じで、質素だが清潔さが保たれている。


簡易なベッドが二つ、小さな机と卓、椅子が二脚ずつ置かれ、部屋の隅には木製の小さなゴミ箱が設えられていた。

壁には薄い布が掛けられており、少しでも柔らかさと彩りを演出している。

雑魚寝にすれば五人は泊まれる程度の広さで、短期滞在には十分だろう。


「ほう……思った以上に整ってるじゃねえか」

ダミアンが感心したように呟いた。


ルドヴィカの方はベッドに腰掛けてみたり、机の引き出しを開けたりと、少女のように好奇心を隠そうともしない。

ティアとマヌエラ、ビルギットはそれを微笑ましく見守っていた。


「この造りなら、客人も安心して泊まれるでしょうね」とマヌエラが言い


「そうね……町の規模に比べて宿が質素に見えるけど、必要なものは全部揃っているわ」

ルドヴィカが答える。


「まだ始まったばかりだからね。ここもこれから手を入れていくんじゃない」とビルギットは苦笑した。


宿の説明を終えると、一行は再び共用スペースに戻ってきた。


ユキヒョウが小さく笑って呟いた。

「……どうだい、なかなかだろ?」


その声音は誇らしげでもあり、また少し挑発的でもあった。

彼はシマたち、自分たちが築き上げたこの町を、外からの目でどう受け止められるかを楽しみにしている節がある。


案の定、横に立つダミアンは言葉を失い、そして苦笑いを浮かべた。

「ああ……よくもまあ、一年足らずでここまで……」


長年、幾多の町を歩き、市井を見てきた彼にとっても、この光景は常識を揺るがすものであった。


シマはその反応に肩をすくめるだけで、誇示するようなことは一切言わない。

ただ静かに微笑み、次の案内先へと歩を進める。

「こっちだ」


案内されたのは、集会所と同規模、いやそれ以上に匹敵するほどの大きさを誇る建物だった。

外観はまだ完成して間もないようで、白木の香りがかすかに漂っている。

外壁には装飾は少ないが、その分頑丈さと実用性が際立っている。


「ここは……?」

ダミアンが眉を上げた。


「娯楽施設だ」

シマの答えに、ダミアンは一瞬言葉を失う。


娯楽施設。

町がある程度発展したのちに整備されるのが常のものだ。

それをこの規模の町に、しかもこの段階で建てるというのは常識外れに映る。

だが、目の前の建物は確かに存在している。


「中を見てみろ」

扉を押し開けると、そこには広々とした空間が広がっていた。

まだ床には何も敷かれておらず、壁も装飾を欠いている。

ただし、柱の配置や天井の高さ、光を取り込む窓の位置などを見るに、明らかに人が集い、長時間を過ごすことを意識した造りであることがわかる。


「……なるほどな。だが、中はまだ空っぽだ」


「そうだ。骨格だけは用意した。どう使うかはこれから協議する」

シマは歩きながら、手で空間を示した。

「カードでもサイコロでもいい。集まる人間が楽しめるようにする。」


「……お前の頭の中では、すでに構想が出来上がっているんだろう?」


鋭い問いに、シマは口元を緩める。

「ゲーム、賭博は決まっている。あとは配置と流れだ。飲食スペースを併設するか、別棟にするか。休憩用の座敷を設けるか、それとも簡易な寝台で済ませるか。どれも決定には至っていない」


ダミアンは感心半分、呆れ半分といった顔で息を吐いた。

「賭場に飲食……まるで都の歓楽街だな」


「似たものになるだろう。ただし、俺たちの町に合った形にする」

シマは壁に手を当てながら、まるで既に完成した光景を思い描いているかのように語る。

「酒はもちろんだ。だが、料理や軽食も用意する。人は遊びと食を一緒に求めるものだからな。それに、ただの博打場では人はすぐに飽きる。だからこそ休憩所を置く。座敷で寛げるようにし、演奏や舞を取り入れてもいいだろう」


「……演奏や舞、か」


「人を集めるには華やかさが必要だ。労働で疲れた者たちが心を解き放てる場でなければ意味がない。」

その言葉は静かだったが、力強さがあった。


「……ふむ」

ダミアンは顎を撫で、考え込む。

娯楽施設は刃にもなる。人を慰めもするが、堕落させもする。

だが、目の前のシマはその危険性すら折り込んだ上で進めているように見える。


ダミアンは深くため息をついた。

「……お前たちには恐れ入るよ」


娯楽施設はまだ空っぽだった。

しかし、その空間には確かな熱気が漂っていた。

まだ形を持たぬ未来が、ここに息づいている。

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