帰還2
山道を抜け、木々の切れ目からふいに差し込んだ光の向こうに、ぱっと空がひらけた。
「……っ!」
ダミアンが無意識に手綱を緩める。
ルドヴィカも、目の前に広がった光景に思わず息を呑んだ。
眼下に広がるのは、山間に築かれた新しい町だった。
二十棟もの大きなバンガローが整然と並び、その中央には一際大きな建物――
集会所と思しき木造の館が、ひときわ堂々と佇んでいる。
広場には石積みの井戸。倉庫群や畜舎、鶏舎、馬車小屋。
そして馬車を点検・修理できる工房まで備わっていた。
少し離れた場所には鍛冶場やいくつもの窯が煙を上げ、宿や厩舎も見える。
生活に必要な設備はほとんど揃っており、木の香りすらまだ新しい。
さらに視線を遠くへ移せば、整地された畑らしき区画が規則正しく並んでいるのがかすかに見えた。
規模の大きさに圧倒され、ダミアンもルドヴィカも、口を半開きにして立ち尽くすばかりだった。
「……確かに町だな…これは…」
ようやく言葉を絞り出したダミアンの声は掠れていた。
「…信じられない……!」
ルドヴィカも唖然として呟く。
その間にもギャラガ一行は、堀に架けられた跳ね橋へと差しかかっていく。
やがて橋を渡りきると、町の入り口に大勢の人々の姿が現れた。
見慣れた顔ぶれ――シマを先頭に、シャイン傭兵団の仲間たちが待ち構えていた。
「お帰りー!」
「お疲れさん!」
「風呂、もう沸いてるから入ってこい!」
「荷物は俺らが運んどくぜ!」
「着替え忘れんなよー!」
次々に飛んでくる声援と冗談に、一行の緊張は一気に解けていった。
「父さん!」「おとーさん!」
甲高い声が響くと、駆け寄ってきたのはジーグとシンジュの二人だった。
ギャラガは目尻を下げ、片手でシンジュを軽々と抱き上げる。
その一方で、もう片方の手はしっかりとアンジュが乗る馬の口取りを離さない。
「おとーさん! お土産は?」
シンジュが腕の中で瞳を輝かせる。
「ちゃんと買ってきたさ。楽しみにしてろ」
ギャラガは口元を緩ませた。
「父さん! お疲れ様でした!」
ジーグが真っ直ぐに頭を下げる。
「おう……なんだか急に大人びてきやがって」
しみじみと見下ろすギャラガに、ジーグは胸を張る。
「僕だって、いつまでも子供じゃないよ」
「ぬかせ。まだ十歳のガキだろうが……いや、年は関係ねえな」
ギャラガは少し考え、ふっと笑った。
「ジーグ、今度、槍のけいこをつけてやる」
「本当!?」
ジーグの瞳が輝く。
「ああ。約束だ」
そんな温かな親子のやり取りを遠巻きに見ながら、フレッドが渋い顔をしてダミアンを指さした。
「……なあ、なんでダミアンがいるんだ? しかもあの間抜け面」
「口ん中に馬の糞でも放り込んでやりゃ、正気に戻るんじゃねえか?」
ザックが肩を揺らして笑う。
「あいつのあんな顔、滅多に見れねえぞ」
ジトーも片眉を上げる。
「気持ちはわかるけどな」
キーファーが小声で宥めるように言うと、ベガが懐かしむように頷いた。
「…俺たちも最初は、あんな顔してたんだろうな」
「……言うなよ」
ワーレンが苦笑をもらす。
「もはや通過儀礼みてえなもんだ」
トーマスが肩をすくめた。
「ワシは驚かんかったぞ」
胸を張るスタインウェイに、ダグが茶々を入れる。
「……その代わり、冷えたエール飲んだ時にめっちゃ驚いてたけどな」
「そんなこともあったかのう?」
「なんだオヤジ、もうボケたのか?」
ザックが突っ込む。
「ボケとらんわ!」
一同がどっと笑いに包まれる。
その和やかな空気のなか、ルドヴィカの耳に切羽詰まった声が飛び込んできた。
「ルドヴィカ!……ルドヴィカ?!」
声の主はマヌエラだった。
駆け寄ってくるや否や、彼女は涙をにじませながら反応がないルドヴィカの頬を打った。
「痛っ……あれ? マヌエラ?」
驚くルドヴィカに、マヌエラは大きく息を吐き、じっと彼女を見つめる。
「……正気に戻ったようね」
「え?」
「もう……せっかくの感動の再会だったのに」
そう呟くマヌエラの声には、安堵と怒りと愛情が入り混じっていた。
頬に残る熱を押さえながら、ルドヴィカはただ呆然と笑みを浮かべる。
再会の場は涙と笑いと叱責が入り混じり、山間の新しい町の空気をよりいっそう鮮やかに彩っていった。
「よう、ギャラガ、お疲れだったな」
クリフが歩み寄り、拳を突き出す。
「ギャラガさん、お疲れ!」とケイトも駆け寄る。
「おう、何とか任務は達成したぜ」
ギャラガは拳をクリフの拳に打ち合わせ、乾いた音を響かせる。
「それは何よりだ。早く風呂に入って来いよ」
「そうだな、冷えた果実酒を頼むぜ!」
そう言うと、馬の口取りをクリフに渡し、抱き上げていたシンジュをケイトに託した。
シンジュは頬を膨らませて
「おとーさん、あとで一緒にご飯だよ!」
叫ぶが、ケイトに抱かれるとすぐ笑顔に戻る。
ロイド、ハイド、ビリーが姿を見せた。
「マルクさん、お疲れ様です。」
「お疲れ様です!」
「お疲れっす!」
声をそろえて迎えられたマルクは、軽く手を挙げる。
「おう、ただいま。――ロイド、これを後でシマに渡してくれ」
腰の袋から封蝋された書状を取り出す。
「…ホルダー家の家紋…マリウス様からですか?」
ロイドが封蝋を見て問う。
「ああ、そうだ。これでシャイン傭兵団はフリーパスでリーガム街に入れるぜ」
「すっげえ!」
ビリーが目を丸くして声を張り上げる。
「だろ? ロイドたちは本当に凄ぇよ。――ハイド、いい兄貴を持ったな」
「はい!」と即答するハイド。
ロイドは少し照れくさそうに「マルクさん、あまりおだてないでください」と苦笑する。
「謙遜するなよ」マルクは肩を叩き
「んじゃ風呂にでも行ってくるぜ。キンキンに冷えたエールを頼む、ハイド、後で一緒に飲もうぜ」
と言って馬をロイドに預けた。
マリアの鋭い声が飛ぶ。
「オズワルド、ドジ踏んでないでしょうね?」
目を細めて振り返ったのはオズワルドだった。
「…帰ってきたと思ったら第一声がそれかよ。ちゃんと任務は果たしたぜ」
と不満げに答える。
「オズワルドさん、お疲れ様。リバーシは売れましたか?」
エイラが控えめに尋ねた。
「おう、ああ――っと、この紙にまとめてある」
革袋から帳簿を取り出し、さらに一枚の書類をエイラに差し出す。
「収支報告書は…これだ」
「ありがとうございます。…あら、計算して合計金額も出してくれたのね」
エイラは視線を走らせ、眉を上げる。
「どれどれ……ブランゲル侯爵家に売った分、エイト商会の商標権、護衛依頼、仕入れ、買い出し、諸費用……うまくまとめてあるわね。なかなかやるじゃない、あんた」
マリアが横から覗き込み、口角を上げる。
「ヘイヘイ、お褒めにあずかり光栄ですよ」
オズワルドは片手を上げ、軽口を返す。
「――で、風呂に入ってきていいか?」
マリアは追い払うように、しっしっと手を振った。
「行ってらっしゃい」
「お酒を用意して待ってるわ」
エイラが笑顔で言うと、オズワルドは肩をすくめて
「冷えたエールを頼む」とだけ言い残し、足早に風呂場の方へ消えていった。
「ルーカスさん、お疲れ様です!」
「ルーカス殿、お疲れじゃったの!」
「ルーカス、お疲れー!」
町の門を抜け、広場に入った途端、オスカー、ヤコブ、エリカが次々に声をかけた。
声の調子も三者三様、オスカーは親しげで柔らかく
ヤコブは年長者らしい穏やかさ、エリカは弾けるように明るい。
ルーカスは背筋を伸ばしつつ、ほんの少し疲れた笑みを浮かべて頷く。
「ん?ああ、ありがとう……え~っと、これだ」
懐から大切そうに取り出したのは二通の書簡。
その片方をすっと掲げて見せる。
「侯爵様から預かった手紙だ」
「お父様から?!」
エリカがぱっと目を見開く。
声の高さは、今にも跳ね上がりそうな驚きと喜びが混じっていた。
「……で、こっちがエール作りの許可証な」
ルーカスはもう一通を取り出し、落ち着いた所作でエリカに手渡した。
「ロイド~!」
エリカは許可証を抱きしめるようにして振り返り
広場の向こうにいたロイドへ駆けていく。
その後ろ姿を見送りながら、ルーカスは深いため息をひとつ吐き出した。
「……何とも騒がしいな」
肩をすくめるルーカスに、オスカーが小さく笑う。
「あはは、帰ってきた実感がわくんじゃないんですか」
「うむ、いい町じゃな」
ヤコブが目を細めて町の建物や人々を眺める。
その横で、しっかりとした口調でビルギットが言う。
「ええ。この町はこうじゃないと」
「だな」
ルーカスも短く同意し、仲間の輪に立つ。
ふとヤコブが顔を上げ、問いを投げた。
「で、侯爵様に会った感想はどうなのじゃ?」
「まあ!あなた、侯爵様に会ったの?!」
ビルギットも驚きに目を丸くする。
ルーカスは腕を組み、思い返すように目を細めた。
「会ったし、話もしたよ……さすがに緊張したぜ」
言葉を区切ってから、視線をオスカーに向ける。
「オスカーは初めて会った時はどうだったんだ?」
オスカーはわずかに首を傾げ、思案するように答えた。
「僕は……別に緊張はしなかったよ。シマたち、みんながいたし」
「ワシもそれほどでもなかったのう……」
ヤコブが続ける。
「それよりもザックとフレッドが何かしでかすかの方が心配じゃったわい」
確かに、と笑いがこぼれる。
小さな笑いが輪の中心に集まり、空気が和らいだ。
デシンスが口を開く。
「エッカルト、問題はなかったか?」
エッカルトは顔をしかめ、苦笑を浮かべる。
「問題ねぇ……とは言えねえな」
「おや?何かあったのかい?」
問いを投げるのはユキヒョウ。鋭さの中に興味深げな響きがある。
エッカルトは視線をそらした。
「……実はな。エイト商会の護衛任務の最中、野営の準備をしてる時に
……ブルーノが組み立て式テントを……」
「エイト商会の人間に見られたんだね」
ユキヒョウの即答に、エッカルトは渋い顔で頷く。
「……ああ」
「じっくり見られたわけじゃねえんだろう?構造まで見られたのか?」
デシンスの問いに、エッカルトは力なく手を振る。
「いや、外側だけだ」
「問題ないね。あれはオスカーにしか作れないから……ただ、ちょっと迂闊だったね」
ユキヒョウの口調は冷静だが、どこか釘を刺すような響きもあった。
「そこは本人も反省してる」
エッカルトが肩を落とす。
「……エイラ嬢とミーナ嬢がなんていうかだな……?」
デシンスが気まずそうに呟くと、ユキヒョウはわずかに口角を上げた。
「何とかなるさ。少しばかりお説教を食らうかもしれないけど」
「そうですね。俺たちが考えてもしょうがねえ」
デシンスが同意する。
「……あいつが怒られている姿を肴に一杯やるのも悪くねえな」
とエッカルトがニヤリ。
その言葉に三人がどっと笑い、場の空気はさらに和やかになった。
「ようお疲れだったな! 男爵様に会ったんだろ? 失礼なことはしなかったか?」
シオンが笑いながら声を掛ける。
「する訳ねえだろうが! お前と一緒にするな!」
ブルーノは即座に噛みつく。
言葉は強いが、その足取りは落ち着かず、落ち着かない視線があちこちを泳いでいた。
「……?なんだお前、苛立ってるというか……妙にソワソワしてるな?」
ロッベンが眉をひそめる。
「そ、そんなわけねえだろ!」と即答するブルーノ。
だが、その視線はつい、ルドヴィカを囲んで談笑している女性陣――
その中のミーナの姿へと吸い寄せられていた。
ロッベンはその目線を見逃さない。シオンと視線を交わし、口元をニヤリとゆがめる。
「はは~ん……お前、何かやらかしたな?」
シオンがからかうと、ブルーノは肩をビクッと揺らし、口をつぐむ。
「わかりやすい奴だな」
ロッベンが追い打ちをかける。
シオンが、わざとゆっくり一人ひとりの名前を呼び上げた。
「……サーシャ嬢……ノエル嬢……ミーナ嬢」
その瞬間、ブルーノの肩が再び大きく跳ね上がった。
「ミーナ嬢~!ブルーノが用があるってさ!」
ロッベンが声を張り上げる。
「ばっ、バカッ! 何を言って……!」
慌てるブルーノの声も虚しく、ミーナが振り返り、首をかしげながらこちらに歩み寄ってくる。
「何かしら?」と微笑を浮かべるミーナ。
ブルーノは言葉を失い、まるで口に石でも詰まったように黙り込む。額にじわりと汗。
代わってユキヒョウが近寄り、淡々と説明した。
「……実は、任務中にエイト商会の連中に組み立て式テントを少し見られたようで」
ミーナはしばし無言のまま、ブルーノを見つめる。
彼は視線を逸らし、猫のように肩をすぼめる。
やがてミーナは軽くため息をつき――
「…中まで見られたわけじゃないなら別にいいわよ。今度からは気を付けてね」とやわらかく告げた。
「は、はいっ!」
背筋をピンと伸ばして返事するブルーノ。
「……大した問題じゃないってことかな?」
ユキヒョウが確認すると、ミーナはにこりと笑って
「詳細はシマから聞いて」とだけ言い、再び女性陣たちの輪へ戻っていった。
「命拾いしたなぁ」とシオンがニヤつく。
「ふぃ~……もっと怒られるかと思ったぜ……」
ブルーノは胸を撫で下ろす。
「反省はしてんのか?」とデシンスが問う。
「おう、めちゃくちゃしてるぜ!……というわけで風呂に行ってくる!酒を用意しとけよ!」
ブルーノは大声で笑い、上機嫌でスキップを踏みながら立ち去った。
その背中を見ていた女性陣から、冷ややかな声が飛ぶ。
「きしょっ……」
「キモッ……」
突き刺さるような視線を受けても、ブルーノの足取りは妙に軽やかだった。




