ちゃっかり?!
チョウコ町へ戻る街道。
夏の始まり思わせるような風が、乾いた草の匂いを運んでくる。
シャイン傭兵団の隊列の後方、その列にちゃっかり紛れ込むように、一台の馬車が走っていた。
ダミアンは護衛費は出さないという小さな諍いを尻目に
「目的地が同じなら後ろをついていけばいいだろう」
という簡潔な理屈でちゃっかり便乗している光景は、隊列にちょっとした笑いを添えていた。
御者席にはルドヴィカ、隣にはルーカス。
馬の手綱を軽く引きながら、彼女は――ルーカスに視線を向ける。
馬蹄が乾いた道土を軽く叩き、規則的な音が続いていた。
「シャロンやビルギット(ルーカスの妻)それにナミ、マヌエラ、アマーリエ……みんな元気にしてる?」
陽射しを受けたルドヴィカの赤茶色の髪が、風に揺れる。
ルーカスは軽く顎を上げながら返す。
陽の光が頬を照らし、二人の間には長年の知り合いならではの気楽さがある。
「ああ、シャロンはシャイン商会でエイラ嬢たちの下、しっかり働いてるぜ。
ビルギットはチョウコ町の暮らしを楽しんでる。
奥方連中と毎日おしゃべりしては笑っててな。
今度は乗馬に挑戦するんだとさ。
肘あてや膝あての防具をせっせと作って――最近は綺麗になったし、おしゃれも――」
「もういいわ!」
ルドヴィカは手をひらひらと振って遮った。
「惚気話を聞きたいわけじゃないのよ。元気ならそれでいいの」
彼女は軽く笑い、馬車の縁に肘を預ける。
だがその表情には、喜びと安堵がにじんでいる。
「残念だな、まだまだ聞かせてやりたかったのに」
ルーカスは口元を緩め、肩をすくめた。
「お腹いっぱいよ……」
それからふと真面目な顔になり
「でも、乗馬ねぇ。つまり仕事はしてないってことかしら?」
「その日の気分だな。炊事班に入ったり、裁縫仕事をしたり、蜜蝋塗り、レンガ作り、木炭や炭団作り、子供の世話……この前なんか建築作業もやったって言ってた」
ルドヴィカの顔に瞬間、驚きと心配が交錯する。
「危なくない? 大丈夫なの?」
「建築といっても高い所に登ったり釘を打ったりはしねえ。力仕事は任せず、補助に回る感じだ。家が出来ていく工程が面白かったらしい」
「へぇ、それじゃあ結構忙しいのね。掃除や洗濯だってあるでしょう?」
「ああ。家には、広間に三つ部屋があるからな。石鹸を使ってても洗濯は大変だ。だが疲れたら休んでいいし、家でゴロゴロしてても、寝ててもいい」
ルドヴィカはその言葉に少しだけ眉を寄せる。
「そんなことが許されるの? ほかの人が働いてるのに?
…それに…中には怠ける人や仮病を使う人も出てくるでしょう?」
「シャイン傭兵団じゃ無理はさせねえ。団長のシマが、休んでいる奴を無理に働かせるようなことは許さねえ。やりたいことがなけりゃ寝てても、ぶらぶらしててもいい。
中には仮病で怠けるヤツがいるかもしれんが、見たことはねえな。
大体、やれることをやらせて、やりたいことを見つけさせるのが団のやり方だ」
彼女の目には懐疑とともに、どこか羨望が混ざっていた。
「それで、本当にみんな自分のやりたいことを見つけるの?」
ルーカスはふっと笑みを漏らし、口調を和らげる。
「あいつ、ホクスイを覚えてるか?」
ルドヴィカははっとうなずく。
「そりゃあ覚えてるわよ。鉄の掟傭兵団でも強かったじゃない」
ルーカスは軽く顔を綻ばせる。
「今な、あいつは絵を描いてる。山の中をふらふらしたり、馬を駆って丘陵に出かけたり、子供や奥方連中に絵を教えたり、たまに訓練に顔を出す。剣は置いて、筆を持ってるって感じだ」
その言葉を聞いたルドヴィカの表情が柔らかく変わる。
想像の中に、陽だまりの下で微笑みながらスケッチをするホクスイの姿が広がる。
堅牢な戦士が筆を動かす光景は、一見すると本来の姿から遠いが、どこか自然でしっくりと来る。
ルドヴィカは、軽く息をついてから。
「ふん、意外とロマンチックね。戦士が絵を描くなんて」
ルーカスはくすりと笑い、ドヴィカをちらりと見やった。
「ああ、あいつの描く風景画にはな、騎乗姿のシマがやたら出てくるんだぜ──それでいてシマの奴、騎乗できねえってのが可笑しいんだ」
ルドヴィカは目を大きくして
「え〜?! 団長が騎乗できないって、どういうこと?」
ルーカスは肩をすくめて声を低くした。
「ハハハ、あいつは身体もでけえからな。馬がすぐバテちまうんだ。
それに、あいつらは馬より速えからな、持久力も半端じゃねえし…ダミアンたちから聞いたか?
深淵の森育ちだって話だ。禁域で育った奴らは規格外だ。
…だがな、家族や仲間を守る意識だけは誰よりも強えんだ」
ルドヴィカは、その言葉を聞きながら薄く笑みを浮かべ、しかし瞳の奥には探るような光を宿した。
「…会うのが楽しみだわ。それから──放棄された、見捨てられた村がどれだけ発展したのかも」
ルーカスはわずかに口角を上げ、低く「着いてからのお楽しみだ」と返す。
その笑い声は短く、喉の奥でくぐもるように「ククッ」と響いた。
ちょうどそのとき、柔らかい風が街道を抜け、ルドヴィカの髪をさらりと揺らす。
空は吸い込まれるほど青く、遠くにはうっすらと積雲が浮かび、陽射しはじわりと肌に熱を伝える午後。
馬の蹄音と車輪の軋みが続く中、二人の会話はそのまま風に乗って、緩やかに流れていった。
焚火のぱちぱちと弾ける音が、夜の静けさに小さく混じっていた。
夏の初めとはいえ、夜気は肌を刺すほど冷たく、吐く息が白く見える。
辺りはすっかり暮れ、頭上には星々が散りばめられ、街道脇の草原は月明かりを浴びて青白く輝いている。
ギャラガ一行は、すでにテントを組み、焚火の周囲に腰を下ろしていた。
香ばしい匂いとともに、金属鍋からは湯気が立ち上っている。
そこには、シャイン傭兵団の炊事班が作った温かい料理が並んでいた。
「ありがたくもらうが、金は出さんぞ」
粗い声でダミアンが言い放つ。
彼の目の前には、木皿に盛られた野菜と肉の煮込み、焼き立ての平たいパン、そして香り立つスープ。
ギャラガはその言葉に呆れたように鼻を鳴らし、肩を落とした。
「いらねえよ!……見てられねえよ……ったく」
彼が思い返すのは、昼間、ダミアンとルドヴィカが口にしていた食事。
ぼそぼそした乾いたパンに、硬い干し肉、塩気だけの薄いスープ――ただ湯に肉を放り込んだだけの代物だ。
食べられなくはないが、胃に重く、心までは満たさない。
対して、今ギャラガたちが囲んでいる鍋には、干し肉と野菜の旨味が溶け込んだ濃いスープ。
香草で香りを整え、麦粉で軽くとろみをつけている。
決して贅沢な食材ではない。
だが、炊事班の三人は、限られた材料を組み合わせ、手間を惜しまずに調理する。
結果、心も体も温まる食事になるのだ。
「悪いな、酒ももらえるか」
煮込みを食べながら、ダミアンが当然のように要求した。
「……ホラよ」
マルクが短く答え、樽からエールを注ぎ、木製の杯を手渡す。
その横でルドヴィカが涼しい顔で口を開く。
「ギャラガ、私には果実酒をくれるかしら」
ギャラガは目を細め、苦笑した。
「……お前もたいがいだな」
そう言いながらも、用意していた瓶から深紅の液体を杯に注いでやる。
ルドヴィカは礼もそこそこに、軽く口をつけて喉を潤した。
この遠慮のなさに、シャイン傭兵団の面々は互いに顔を見合わせ、くすりと笑った。
彼らにとっては珍しいことではないが、この二人の堂々たる振る舞いは、どこか憎めない。
ダミアンがふと真顔になり、焚火の明かりに照らされた顔で呟く。
「しかしよ……にわかには信じられねえぜ」
「木炭、炭団、牛糞を使った燃料のことね」
ルドヴィカが補うように言い、杯を揺らした。
果実酒が月光を反射し、赤く煌めく。
「いずれチョウコ町に行けばわかることだわ」
ダミアンは鼻を鳴らし、苦笑する。
「……まったく、あいつらもよ。商材にすりゃあいいものを、どれだけの金が転がり込んでくるか……まあ、あいつららしいというべきか……?」
オズワルドが焚火越しに、真っ直ぐな声で答える。
「金より人命を優先したってことさ」
ルドヴィカが首をかしげる。
「でもそれで職を失う人も出てくるでしょ? 木こりにとっては死活問題にならない?」
「シマが言うには、それはねえって言ってたぜ」
ブルーノが間髪入れずに返した。彼はパンをちぎりながら続ける。
「カンサイだっけ? 太い木を残して細い木は伐採したほうがいいと……時間ができれば、より山のことを考えて、いい木材が出来上がるかもなって言ってたぜ」
エッカルトがスープをすすり、口の端を拭いながら口を挟む。
「俺たちには理解が難しいが……あいつの言うことなら間違いねえ」
ギャラガもゆっくりと頷いた。
「カンサイ、って言葉を知らなくても、長年木こりをやってるもんなら経験と勘で自然とやってるんじゃねえかって言ってたしな」
マルクが鍋をかき混ぜながら同意する。
「それに木の需要、使い道はたくさんあるからな。」
ルーカスが、エールを一口あおってから笑った。
「薪に使えば燃えておしまいだが、物にして作れば残るしな」
焚火の火は、赤々と燃え続ける。炎が揺れ、皆の顔に明暗を作る。
時折、火の粉が夜空へ舞い上がり、星々の間へと溶けていった。
ギャラガ一行の誰もが、言葉の端々に「シマ」という男への信頼を滲ませていた。
彼が決めたことなら、きっとそれが正しいのだと。
遠くで、夜鳥の声が短く響いた。風が草を撫で、焚火の炎をわずかに揺らす。
「…なぁ、見せてくれよ?」
隣で酒杯を片手にしたダミアンが、妙に子供っぽい笑みを浮かべながらギャラガに迫る。
口ぶりこそ軽いが、その目には好奇とわずかな執念が光っている。
ギャラガは、短く息を吐きながら呆れ顔をした。
「またその話かよ…。だから言ってんだろ、エイラ嬢と交渉してくれって」
どうやら、この二人の間ではすでに何度も繰り返されているやり取りらしい。
ダミアンの狙いは“ある物”――シャイン傭兵団が所有する特製の簡易テントだ。
ディープの話によれば、たった二、三分で組み立てが終わり、畳めば驚くほどコンパクトになるという。遠征生活が長い者にとっては、夢のような代物である。
その噂に、ルドヴィカがすかさず会話に割って入る。
「でも、本当なのかしら? 二、三分でテントが設営できるなんて…しかも幅も取らないんでしょう? そんなテントがあるなんて信じられないわ」
夜の焚き火に照らされた彼女の瞳は、興味と半信半疑が入り混じった輝きを放っている。
「だったら見せてやるよ」
豪快に笑いながら口を挟んだのはブルーノだ。
ルーカスが肩をすくめて制止する。
「おいおい…こんなあけすけの挑発に乗るなよ」
その声色には苦笑混じりの呆れがにじんでいる。
ルドヴィカは唇の端を上げ、余裕たっぷりに笑った。
「フフフ…ブルーノは相変わらずね」
途端にブルーノの顔が引きつる。
「…こ、こいつ、また俺をだまそうとしやがったな…!」
その言葉に、周囲から小さな笑いが漏れる。
焚き火の火花が舞い、会話は一気に過去の“因縁”に遡った。
「人聞きが悪いわね。だましたことなんか、一度もないわよ」
ルドヴィカは平然とした表情で返す。
むしろ、微かに胸を張っているように見えた。
「忘れたとは言わせねえ…!」
ブルーノは勢いよく指を突きつけた。
「お前から買ったブーツ…三日で底が抜けた! マントは裏地がはがれた! 槍を買えば――ポッキリ折れるし、危うく命を落としかけたんだぞ!」
声はやや芝居がかっており、本気の怒りよりも恨み節に近い。
それでも、その時のブルーノの苦労は確かに思い出せるほど生々しいのだろう。
ルドヴィカは肩をすくめ、あきれたように言う。
「無理やり売りつけたわけじゃないでしょ? ブーツに使われている革はいいものね、マントは手触りがいいわ、槍についている穂先はいいものだわ――そう言っただけよ。それを『売ってくれ』って頼み込んできたのは、あなたの方じゃない」
その言葉は、まるで商人が無実を証明するための陳述のように整っていた。
だが同時に、“私は悪くない”とでも言いたげな薄い笑みが浮かぶ。
ブルーノはまだ納得いかない様子で食い下がる。
「…結果、全部ポンコツだったじゃねえか!」
「心外だわ…あなたに見る目がなかっただけじゃない」
ルドヴィカは小首を傾げ、焚き火の揺らめきに影を落とす。
その仕草は、完全に自分が正しいという自信を物語っていた。
「それに――」彼女はわざと一拍置き、微笑んだ。
「今、生きてるんだし、問題ないじゃない」
この最後の一言に、焚き火を囲む面々は思わず吹き出した。
ギャラガは苦笑を浮かべ、マルクは「確かにそうだな」とぼそりと呟く。
エッカルトは首を振りながら、やれやれと言わんばかりの表情を浮かべた。
焚き火の炎がぱっと強まり、一瞬だけ全員の顔が明るく照らされる。
その中で、ルドヴィカは涼しい顔をして果実酒の杯を傾け
ブルーノはまだ何か言いたげに口を開きかけては閉じる。
ダミアンはといえば、そんな二人の応酬を肴にエールを飲み干し、再びテントの話を持ち出すタイミングを狙っていた。
夜は更けていく。笑いと軽口が、闇に溶けていった。




