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光を求めて  作者: kotupon


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335/460

終わらない驚愕

「――シマから、エリジェ様にと……それと、礼には及ばないと申しておりました」

ギャラガの落ち着いた声が、広間の静けさに溶け込む。


エリジェは椅子から半ば身を起こし、わずかに瞳を見開く。

「……私に?!」

声には驚きと戸惑いが入り混じっている。


ギャラガは軽く頷き、続けた。

「……シマたちから聞いております。――体調を崩されていたと」

その言葉に、室内の空気が一瞬だけ沈む。


ブランゲルは深く息を吐く。

「……そうか。希少性も……効能も知っていて、なおもエリジェのために寄越してくれたか……」

重くも柔らかい声音。


だが、次の言葉はわずかに苦笑を含んでいた。

「礼には及ばない……か。さて、どうしたものか」


ジェイソンが困ったように唇を歪め、低く呟く。

「……困りましたね。ただでさえ借り一つあるのに」


すると、横にいたエリクソンが、にやりと口の端を上げた。

「借り、二つにしとくか?」

場の重さを和らげるつもりか、それとも単なる悪戯か――判断がつかない軽口に、ブランゲルは小さく鼻を鳴らす。


そのとき、ギャラガが再び口を開いた。

「侯爵様、ご息女から文を預かっております」

言葉とともに差し出された封書は、家紋の押された蝋で厳かに封じられている。


フーベルトが前に進み、恭しく両手でそれを受け取ると、ブランゲルの手に渡した。

紙がわずかに擦れる音が、張り詰めた空気を際立たせる。


ブランゲルは封書に一瞥をくれ、口元を引き結んだ。

「……この話はまた後でな。侯爵家としては、このままというわけにもいかんのでな」

短く、それでいて含みを持たせた声。

その奥には、礼をどう返すか――単なる贈答以上に複雑な思案が潜んでいる。


「ハッ」

応じる声が、場は静かに次の展開を待つ空気へと変わっていった。



執事長の手から封書を受け取ったブランゲルは、蝋を割る音をやわらかく響かせ、丁寧に紙を広げた。

筆跡はまだ若さの残る、しかし力強い線。紙からはほんのりと花の香りが漂い、書き手の息づかいまでもが伝わってくるようだった。


読み進めるうち、ブランゲルの眉間に皺が寄る。

――だが、それは怒りではなく、驚きや真剣さからくるもの。

次の瞬間には口元がわずかに緩み、低く抑えた笑いが漏れる。

「ふっ……」


時には感嘆の息を洩らし、時にはわずかに目を見開く。

読み手の感情がそのまま紙の上の文字と共鳴していく。


一通り目を通すと、ブランゲルは文を横にいるエリジェへと手渡した。

エリジェはゆっくりと受け取り、椅子を少し引いて姿勢を正す。

視線を滑らせながら、時折眉を上げ、時には小さく口角を上げる。


「……あの娘、楽しそうにしてるようね……行ってみたいわ……羨ましいわ~」

思わず心の声が零れる。

声には母としての安堵と、女性としての好奇心が混じっていた。


文はジェイソンへと渡り、彼は真剣な顔つきで読み進める。

読んでいる間、驚き何度か視線を宙に浮かせ、妹の姿を思い浮かべているようだった。


最後にエリクソンが受け取り、読みながら何度も口の端を吊り上げてニヤリと笑う。

時に「へぇ」と鼻で息を鳴らすような感嘆を漏らす。


手紙の中には、生き生きとした日々の報告が詰まっていた。


『訓練では、最初の頃はついていくのが精いっぱいだったけれど、最近では多少余裕ができてきたの。模擬戦では厳しくてキツくて……侯爵家の娘という肩書なんてここではまるで通用しないわ。打ちのめされてばかりだったけど、徐々に勝てる回数が増えてきたのよ。――サーシャたちに“アイキドー”を習ってるの!』


山狩り、建築作業、裁縫仕事、炊事、土木工事、レンガ作り、鞣し作業――領主の娘としては触れることのなかった作業を、彼女は次々と体験していることも書かれている。

『ドレスやスーツに、一針だけど私も縫ったのよ。』


そして、リンスの開発、ワイン作りにも挑戦していると書かれている。

『出来たら、一番にシマに飲ませるって約束したわ。二番目はお母様、三番目にお父様に』

――その順番に、エリジェが思わず小さく吹き出し、ジェイソンは苦笑いを浮かべる。


『お風呂に毎日入れるの、信じられないけど本当なのよ!』

『冷えたお酒が飲めるの、とっても美味しいの!』

『食事が美味しいの、今まで食べたことのない未知の料理がたくさん』

『シャイン式計算、お父様たちも是非とも覚えて!すごくべ便利よ』

読み進めるにつれて、彼女がどれほど新しい生活に胸を躍らせているかが伝わってくる。


やがて文は本題に入る。


『お父様へ――シュリ村(ロイドの故郷)でエール作りの許可をお願いします。その製法はシマが知っています。その権利を奪われないように、搾取されないように配慮をお願いします。』

『領主はルイーズ・ド・ナヴァル子爵家。これで貸し借りは無しだと、シマは言ってます』


その一文に、ブランゲルは短く息を吐き、目を細める。


手紙の最後は、エリカらしい無邪気な決意で締めくくられていた。

『――私の魅力で、シマを落としてみせるわ』


読み終えた瞬間、室内の空気は柔らかくなり、エリジェは頬に手を当てて笑みをこぼす。

ブランゲルは深く椅子に座り直し、ゆっくりと吐息をつく。

その顔には、娘の成長を見届けた父の安堵と、どう返すべきかを思案する領主の顔が同居していた。


手紙が最後にエリクソンの手から離れると、彼は軽く封を閉じながら肩を揺らし、笑いを堪えるような顔で兄の方を向いた。

「……兄上、どうだ? 驚いたろ? ツッコミどころ満載だな!」

声は弾んでおり、まるで戦場帰りの武勇談でも聞かされたかのような調子だ。


ジェイソンは腕を組み、半ば呆れ、半ば感心したように息を吐く。

「……信じ難い話ばかりだよ……でも、エリカからの文だしね」

妹の筆跡の確かさが、どんなに突飛な内容でも否定できない証となっていた。


ブランゲルは深く椅子に背を預け、低く呟く。

「……どこまで踏み込んでいいのか……?」


するとギャラガが一歩進み、落ち着いた声で口を開く。

「侯爵様、シマからは“極力包み隠さずに答えて構わない”と申し付かっております」


「父上、私からお聞きしてもよろしいですか?」

ジェイソンがやや前のめりに尋ねる。


「構わんぞ。なにも俺に遠慮することはない」

ブランゲルは軽く頷き、促すように手を動かした。


「わかりました……では、シマはワイン、エール……果実酒の製法を知っている……その認識でいいのかな?」

問いかけるジェイソンの声は、場の空気を探るように静かだった。


ギャラガは直立したまま、きっぱりと応える。

「ハッ、完璧とは言えませんが……ほぼ工程を知っております」


その瞬間――

ざわっ、と大広間の空気が揺れる。

エリジェが息を呑み、執事長が眉をひそめ、ミテランが視線を鋭く走らせる。

背後に控える執事や侍女たちも顔を見合わせ、囁きが波のように広がっていく。


ブランゲルはすっと右手を上げた。

その一挙動で、騒めきは水を打ったように静まる。


その静けさを破ったのは、エリクソンだった。

「……なぁギャラガ。この“冷えた酒”ってのはなんだ? 美味いのか……? それとよ、未知の料理って……ハンバーガーやホットドックのことじゃねえのか?」

口調は軽く、しかし興味津々といった色を隠さない。


ギャラガは僅かに口元を引き結び、答える。

「ハッ、冷えた酒というのは……製法はお答え出来ません。美味しいのか、と問われれば……今まで飲んでいた酒が泥水に感じるほどです」

重みのある例えに、場の一部から抑えきれない感嘆の声が漏れる。


「未知の料理については、ハンバーガーやホットドックのことではありません。……料理のレパートリーがありすぎて、我々も把握しきれていない部分があります」


またしても、どよめきが広がった。

今度はささやきが熱を帯び、侍女が袖口を握りしめ、執事長が目を細める。

人々の想像の中で、まだ見ぬ美酒と料理が鮮やかに形を取り始めていた。


大広間の空気は、既にただの歓談の場ではなくなっていた。

未知の美酒や料理の話でざわめきが収まりきらない中、エリジェが小首をかしげ、疑問を口にする。


「ねぇ? 毎日お風呂に入れるって……どういうことなの? それ程、山深い立地にある村で木材が豊富にあるってことなのかしら?」


問いにギャラガは背筋を正し、やや落ち着いた口調で答えた。

「ハッ、確かに山に囲まれ、木材も豊富です……が、薪以外に木炭や炭団といった代物を使っています。火力は多少薪よりも落ちますが、燃焼時間が長く、また――これら以外に、全く違う燃料の開発にも成功しております」


「……モクタン? タドン? ……全く違う燃料……?」

エリクソンが眉をひそめ、首を傾げる。

「兄上、俺にはさっぱりだ。どういうことなんだ?」


ジェイソンも同じく小さく首を振る。

「……私も聞いたことがないよ。それに全く違う燃料とは……干し草、藁、あるいは紙のことかな?」


ギャラガは軽く否定するように首を横に振った。

「いえ……木炭、炭団とも異なるものです。製法は……こちらの紙に記しております。侯爵家でも是非お使い頂き、広めて頂きたいとのことです」


エリクソンが僅かに目を見開く。驚愕半分の笑いを漏らした。

「……!ッ……無償で提供するのか?! 一財産築けるだろうに……」


「ハッ、シマとエイラも最初はそのつもりでした。しかし……山の木を伐採し続ければ――」

ギャラガが姿勢を正し、やや言葉を選ぶようにして口を開く。

「――大雨が降った際、ジバンが緩む? “ドセキリュウ”というものが発生しやすくなるのだとか……俺には理解できませんが、人命に関わることだと言っていました」


その言葉に、大広間の一部がざわりと揺れた。

聞き慣れぬ単語に眉をひそめる者、何かを思案するように目を細める者。


ジェイソンはすぐに反応し、軽く顎に手を当てながら言った。

「……シマはきっと山崩れのことを言ってるんだろうね。それにしても――シマの見識、知識は本当に深いね……」

そして半ば感心したように笑みを浮かべ、視線を父に向ける。

「父上、責任重大ですね」


だがブランゲルは、片眉をわずかに吊り上げて応じた。

「他人事のように言うな。侯爵家に委ねられたのだ――お前も当事者だぞ」


その低く響く声は、大広間の空気を再び引き締めた。


「今回、現物を持ってこなかったことにつきましては…」

ギャラガが言い出すと、大広間の視線が一斉に彼へ集まった。

「全く違う燃料が完成したのは、我々が出立する前日のことです。木炭、炭団も余剰にあるわけではなく…製法自体は難しくありません。間違いなくできるものです」


エリジェは、まるで子供が宝物を見つけたかのような輝きを瞳に宿していた。

先ほどまでの上品で落ち着いた貴婦人の面影は影を潜め、頬がほんのりと紅潮し、口元には抑えきれない笑みが広がっている。


その笑顔は、形だけの社交的なものではない。心の底から沸き上がる喜びがそのまま表情に表れており、目尻は柔らかく下がり、頬がふっくらと持ち上がっていた。


「木炭や炭団、全く違う燃料を使えば――毎日お風呂に入れるってことなのね?」

その声は、はしゃぎを抑えきれない少女のようにわずかに弾んでいた。


侯爵ブランゲルは深く椅子に背を預け、顎に手をやった。

まるで戦場で敵の新兵器の報告を受けている将軍のような鋭い眼差し。


ジェイソンは視線をテーブルに落とし、何かを計算するように指で軽く叩きながら、内心で“燃料が替われば、街の暖房も鍛冶場も変わる”と考えていた。


奥の方で控える執事や侍女たちも、表情こそ崩さないものの、耳だけはしっかりとギャラガの言葉を追っている。

新たな酒、新たな料理、そして新たな燃料――

話が進むごとに、彼らの中で「このシマという人物は、どこまで常識を覆すのか」

という思いが膨らんでいった。



「シャイン式計算とは何かな?」

ジェイソンが首を傾げる。


「ハッ、これは実演した方が分かりやすいでしょう……」

ギャラガは即答し、辺りを見回した。

「帳簿が何かありますか?それと、ペンとインクをお借りしたい」


「フーベルト」

短く名を呼ぶブランゲル侯爵。


「ハッ」

フーベルトはすぐさま側に控える若い執事へ視線を送る。

執事は深く一礼し、脇の机から分厚い帳簿と漆黒のインク壺、それに羽ペンを取り出し、恭しくギャラガに手渡す。


「こちらでよろしいでしょうか?」

帳簿を差し出そうとするフーベルトに、ギャラガは軽く手を上げて制した。

「あ、いや、それはそのままお持ちください。ペンとインクだけお借りできれば」


「では……」ギャラガは腰のポーチから、使い込まれた小さな革張りの手帳を取り出す。

表紙の角は擦れ、ページの端には何度も折られた跡がある。


「その帳簿に書かれている数字を、上から順に読み上げて頂けますか? 最後に、合計を答え合わせとして出します」

ギャラガは羽ペンを構え、手帳をぱらりと開いた。


フーベルトは帳簿を開き、ページの端を指で押さえながら、慎重に読み上げていく。

「……八十五、十一、二十六、四十八、六十一、七十九、四十七、八十五、六十六、百四、以上です」


「六百十二ですな」

ギャラガは迷いなく答えた。


フーベルトの目が丸くなる。

「……あ、合っています……!」


ざわっ、と空気が揺れる。後列のメイドが互いに顔を見合わせ、従者たちが思わず囁き合った。

「この短時間で……」「どうやって……?」


ギャラガは涼しい顔で手帳をフーベルトに差し出す。


「……これは……」

フーベルトは眉をひそめ、最初は理解に苦しむ様子だったが、一つ一つ説明を聞くうちに表情が変わる。

「ふむ……この数字が、ここで……なるほど……この数字がここに来るわけですな……」


そして次の瞬間、目が輝き出す。

「なるほど!…なるほど!! 侯爵様!」

思わず声を張り上げ、周囲を驚かせてしまう。

「あ、失礼しました……コホン……」

咳払いし、姿勢を正す。


「侯爵様、この数式は――大発見と言っていい代物です!」

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