訓練、模擬戦
夕暮れがチョウコ町を包む頃、集会所の広間はいつになく神妙な空気に包まれていた。
夕食の準備が整い、いつものように皆がテーブルに着く。
しかし、その中央にはひときわ目を引く鍋が置かれていた。
鍋の中でゆらめく黄金色のスープは、ただの食事ではないことを物語っている。
――「ブラウンクラウン」。
その身を食せる者はわずか5名。スープを口にできるのも15名に限られていた。
シマが静かに口を開く。
「まず、この貴重なキノコの“身”を食べられる者を伝える。ヤコブ。ドウガク。ヨーク。テオドール。ニクラス――お前たちだ」
一斉に周囲の視線が彼らに注がれる。
ヤコブは少し戸惑いながらも、「……すまぬのう…有難く頂戴するぞい」と静かに頭を下げた。
見守り隊―日々子供たちを見守る。
ドウガクとヨーク、年配者の二人は背中を少し伸ばしながら、感謝の笑みを浮かべた。
テオドールとニクラスは驚いたように目を丸くしている。
気が弱く武器を取れぬことを悔やんでいた二人に、初めての「名誉」が与えられたのだ。
「お前らがいなきゃ子供たちは守れねぇ。ありがとな」
シマの言葉に、四人は胸を押さえて深く頭を下げた。
続いてスープだけを飲む十五名の名が告げられていく。
「ギャラガ、オズワルド、マルク、ルーカス」
次の遠征を控えた四隊の隊長たち。
彼らは無言で頷き、深い呼吸を一つ。
「キーファー、ベガ、ワーレン」
肥料作りという、過酷で臭いのきつい作業を黙々と支えた三人。
「ダルソン、キリングス」
半年以上にわたり本部勤めを果たした二人。
最後の一杯―名前が告げられる。
「ギャラガの妻、アンジュさんに――ここにはいねぇが、奥方たちを纏め、支えになってくれている。リズがいない間の裁縫の仕事も仕切ってくれている。感謝を伝えたい」
その言葉に、集会所にいた者たちの間から微かなざわめきが上がる。
「……い、いいのか…?」と、ギャラガがぽつりと呟いた。
普段は堂々とした彼が、目を丸くし、珍しく戸惑った顔をしている。
「冷めないうちに早く持って行ってやれ」
シマが背中を押すように言うと、ギャラガは「あ、ありがてぇ!」と感極まった声を上げ、慌てて自分の分とアンジュの分の器を両手に持ち上げた。
「こぼすなよ!」
「慌てて転ぶんじゃねえぞ!」
仲間たちから温かな声が飛び交い、笑いが混じる。
ギャラガは照れ臭そうに笑いながら、器を慎重に運び、集会所を後にした。
場が一段落しかけたその時、ふと、妙に静かな一角があった。
「…どうしたんだお前?今日は駄々をこねねえな?」
声をかけたのはフレッド。
普段なら美味い物の取り合いで真っ先に騒ぐはずの男――ザックだった。
「ん?……ああ、今はエール作りのことで頭がいっぱいでな」
ザックは真顔で返す。
その一言に、その場にいた者たちは一瞬きょとんとし、次の瞬間、キョウカが驚きに満ちた声を上げた。
「……ザックの口からそんなセリフが出てくるなんて……」
クリフも呆れたように肩をすくめながら笑う。
「最近の中じゃ一番の驚きだな」
静かだった空気が、再び笑いとざわめきに包まれていく。
それはまるで、団員それぞれの「小さな成長」や「変化」が、目に見えぬ絆となって広がっていくようだった。
二日後の早朝、ギャラガたちの最終確認が済むと、彼らは馬車の列と共に、城塞都市への出立を果たした。
先頭にはシャイン傭兵団の団旗がはためき、陽光を浴びて誇らしく輝いていた。
その旅立ちを、シマをはじめとする団員たち、家族の面々が静かに見送る。
誰も言葉にこそ出さないが、仲間の無事と成功を祈る想いは同じだった。
見送りが終わると、傭兵団の午前は訓練に費やされた。
最初は基礎的な戦闘行動、次いで集団行動、各部隊単位での協調と展開。
ハンドサインによる伝令訓練や、商隊護衛を想定した連携訓練も含まれていた。
緊張感が漂うなか、後半は模擬戦へと移行する。
戦いは徐々に規模を上げ、一対一、一対三、一対十、二対三十と展開。
戦場も、開けた平地から、障害物を設けた地形へと変化をつけた。
「シマ・リズ組 VS ライアン隊・キーファー隊・ベガ隊」。
障害物の点在する広場に配置された各隊。
ベガ隊が前衛、キーファー隊が中間支援、ライアン隊が司令役。
隊列は防御を意識した三日月形。
相手は二人にも関わらず、皆の目は警戒に満ちていた。
「いた!リズ嬢だ!!」
前線の斥候が叫ぶ。
「飛び出すなよ!むやみに近づくな!」
キーファーが制止を飛ばす。
リズが物陰から姿を現し、悠々と歩み寄ってくる。
「……シマはどこだ?」とライアンが低く呟く。
「……わからねえ」とベガ。
「リズ嬢が近づいてくるぞ!どうする、ライアン?!」と焦るキーファーに
「持ち場を離れるな!ベガ隊・キーファー隊に合流して三日月形隊列を維持しろ!」
「……クソッ……シマはどこにいる?!」
――カシャン。
乾いた金属音が左手の物陰から聞こえた。
皆の視線が一斉にそちらへ向く。
「……ブラフだ!」
ライアンが叫んだ、が――遅かった。
その一瞬の隙を突き、反対側から、まるで影のようにシマが出現。
音もなく疾風のごとく接近し、ライアン隊に襲いかかる。
鋭い動き、的確な打撃――もちろん実戦ではないため手加減はしているが、当たれば痛みは走る。
リズの遠慮のなさもまた同様。
「キーファーッ!!」とベガが叫ぶ。
「……クソッ、どうする!? 後ろからシマ、正面にリズ嬢……!」
キーファーの脳裏に、瞬時に判断の天秤が走る。
左右に分かれて隊列を維持するか、ライアン隊に加勢するか……どちらも間に合わない。
「――前に進むしかない!リズ嬢に突撃ッ!!」
叫びと共にキーファーが一歩を踏み出した、その瞬間――
「……え?」
目の前に、すでにリズがいた。
気づいたときには、木剣の一撃が胴を薙ぎ払っていた。
見事な間合いと速さ、寸分の迷いもない動作。
「ぐっ……!」
キーファーは地面に転がり、ベガ隊も追随する暇なく切り崩された。
こうして、模擬戦はわずか数分でシャイン隊の勝利。
ライアン、ベガ、キーファーの三隊はボロボロに打ち倒された。
「……またかよ……」
仰向けに倒れたまま苦笑するライアン。
「……やっぱ、あいつらはは反則だって……」
ベガが呻くように呟く。
各部隊による集団戦訓練の後――疲労の色が濃くなった隊長格の面々に対して、なおも一対一の模擬戦が課せられた。
すでに何度も転がり、倒れ、叫び、全身を汗と砂にまみれた彼らではあったが、シマは言う。
「戦場は待ってくれない。疲れたからといって、敵は攻撃をやめたりしない。」
もちろん無理はさせたくない。
だが隊を率いる者たる者、極限下でも判断し、戦える精神と身体を持たねばならない。
そうした思惑のもと、この「隊長模擬戦」は定期的に行われていた。
今回は特に厳しい構成だった。
参加者は以下九名:ユキヒョウ、マリア、エリカ、ライアン、キーファー、ベガ、ワーレン、ダルソン、キリングス。
対戦は総当たり。つまり一人あたり八戦。
すでに消耗した体力と集中力の中での実力勝負。
そして、この戦いの中で、頭一つ抜けた強さを見せたのは――ユキヒョウだった。
ユキヒョウ
涼やかな目をした異彩の男は、模擬戦では全勝。
ただの勝利ではない。ほぼ全てが圧勝といえる内容だった。
抜き身のような間合いの鋭さと、無駄のない動き、そして何より冷静さを欠かさない戦術眼。
打ち合いの中で一度も表情を変えず、対戦相手がどれほど強かろうと、一定の距離とタイミングを崩さなかった。
マリア
意外な健闘を見せたのが、この女戦士だった。
戦績は五勝二敗一分け。
特に注目すべきは、ライアンとの試合で引き分けに持ち込んだこと。
地に足の着いた剣筋と、読み合いに長けた間合いの管理が光っていた。
エリカ
陽気で自由奔放な印象とは裏腹に、剣の才覚を遺憾なく発揮した。
戦績は四勝四敗。
特にマリア戦では、最後まで読み合いと打ち合いが続き、両者満身創痍の中で決着がついた。
勝利したのはベガ、ワーレン、ダルソン、キリングスの四名。
キーファー
戦績は七勝一敗。唯一の敗北はユキヒョウに対して。
本来なら驚くべき勝率だが、彼自身の冷静さからか大きく評価されることを嫌う節もあり、戦いぶりも着実で守勢型。
勝利した相手は全員と言ってよく、粘り強く体力を削っていく戦術で試合を制した。
ライアン
戦績六勝二敗一分け。
マリアと引き分け、ユキヒョウとキーファーに敗北。
攻撃型の戦術を貫く彼らしく、勝ち試合では短時間で相手を崩すが、読み合いに強い相手にはやや弱さを見せた。
ベガ、ワーレン、ダルソン、キリングス
この四名は総じて一勝七敗という苦しい結果となった。
それぞれ気迫や根性では一歩も引かなかったものの、持ち味の異なる強者たちに翻弄される展開が多かった。
勝利した一試合はいずれも、相手のミスや油断を突いたものとされる。
特にキリングスは、マリア相手に善戦しながらも最後に踏みとどまれなかった。
シャイン傭兵団の強さと精鋭たちの実力が、改めて全員の胸に刻まれた訓練だった。
――疲労困憊の模擬戦訓練が終わり、汗と砂にまみれた団員たちの前で、シマは乾いた声で告げた。
「――午後の仕事は休みだ。明日は休養日な。風呂入って、飯食って、酒飲んで、ゆっくり休めよ。」
その言葉に、場に一瞬静寂が広がった後、疲労の中から歓声が漏れ始める。
「やっと休みか…」「よっしゃあ!」「今日は死ぬほど寝る!」――
喜びと安堵が交錯し、皆の顔が緩んだ。
クリフが確認する。
「……俺たちは、午後は建築班の手伝いか?」
シマは一拍おいて、静かに首肯する。
「ああ。午後も動くのは一部だ。鞍作りは一旦休んで、今日は“宿用の浴場”を作る。指揮はオスカーに任せる。」
するとすかさず、ザックがぬるりと立ち上がり、にやりと笑いながら宣言した。
「俺はエール作りに行くぞ。」
「ああ、それでいい。」
シマはあっさりと許可を出す。
ザックは満足げに頷き、既に頭の中ではレシピや発酵樽のイメージが渦巻いている様子だった。
そして、淡々と午後の人員配置を告げていく。
【浴場建設班】
宿に付随する共同浴場の建設は、かねてより必要とされていた案件。
身体を休め、疲労を癒やす設備が求められる。
指揮:オスカー
作業班:シマ、ジトー、ロイド、クリフ、トーマス、フレッド
資材の切り出し、水場の配管、浴槽の加工といった作業が主だが、皆器用かつ経験豊富な顔ぶれであり、作業の段取りは極めて早い。
【建築班】
1. 娯楽施設
2. キョウカ専用の鍛冶場
班分け:
・娯楽施設組:建築班主力
・鍛冶場組:ケイト、メグ、キョウカ、ガディ、建築班5人
【その他作業】
それぞれの得意分野で、個別に活動するメンバーたちもいる。
ミーナ:シャイン商会へ出勤。
ノエル:研究作業に没頭。
リズ:裁縫の仕事。
【自由時間を迎える団員たち】
一方、午後が完全休養となった団員たちは、徐々に解散し、それぞれの居場所へと向かっていった。




