土産物を巡って
西日が空を朱に染める頃――チョウコ町の手前200メートル。
静かな夕暮れの音を切り裂くように、澄んだ指笛の音が高く響いた。
「ピッ!ピィッー!……ピッ!ピィッ!~」
吹いたのはシマ。
仲間たちとの間で決めている合図。
町に戻るときや緊急連絡に使われるものだ。これでロイドや仲間たちには伝わっただろう。
「ロイドたちならこれで気が付いただろう……わかってるな?」
シマが横を歩くザックに目を向けて問いかける。
「もちろんだぜ!」
ザックが気安く笑うと、クリフが口元を引き締めて言った。
「この作戦はお前が肝だ、頼んだぜ」
「背負い袋をシャイン隊の誰かに渡せばいいだけだろ? 楽勝だって」
ザックは背中の大きな袋を揺らしながら言うが、すかさずジトーが鼻で笑った。
「わかってねえな……この衣装、布地、生地、織物……これを見て奥方連中が黙ってるわけねえだろ。殺到するぜ…!」
「俺たちは囮だ」
トーマスが静かに言う。
「俺たちがテキトーに選んだ布とか衣装を奥方連中に『これお土産だぜ~』とか言って渡してる間に、お前は背負い袋ごとすり抜けろ」
「お前が背負ってる中身はサーシャやエイラたちの分だ」
シマの声がやや低くなる。
「……奪われるなよ」
ザックの顔にうっすらと緊張が走る。
「……お、おう。わ、わかってるよ……」
空堀の前に立つ団員たちが橋が降ろす。
その向こうには――ロイドを筆頭に町の仲間たち、奥方連中、さらには子供たちまで、ずらりと出迎えに立っていた。
「お帰りーっ!」
「なんだよ! まだ4日しか経ってねえぞ?!」
「早すぎんだろ?!ちゃんと終わったのか?!」
「行き2日、帰り2日だろ? なんでこんなに早く帰ってきたんだ!?」
どよめく中、ユキヒョウが涼しい顔で前に出て言う。
「終わらせてきたからに決まってるじゃないか」
「…見て!団長さんの背負い袋!…織物が覗いてるわ!」
「クリフの背負い袋からもよ!」
「みんな同じような膨らみ方してるわね…?」
「…じゃあ、アレ全部、そうなのかしら?」
「…渡さないわよ…!」
「アレは私のモノよ…!」
「…!や、ヤベぇ…何だよ…あの獲物を見るような眼は…?」
戦慄するフレッド。
ザックがごくりと息をのむ。背中の袋の重みがズシリと感じられる。
「……来るぞ」
トーマスが低く呟く。
「三、二、――」
「わぁああああっ!!」
「今だっ!!!」
クリフが叫び、シマ、ジトー、フレッド、クリフ、トーマスが左右に散って“おとり役”に徹する。
「お、落ち着け!」「…みんな平等に…!」「…!ど、どこ触ってんだよ…?!」
「ひ、引っ張るなー!」「い、今…降ろすから!…痛ッ!イテテ…!」
ザックは全力で、背負い袋を抱えてすり抜けた。
「ザック、逃げろーっ!」
「がんばれザック!背負い袋死守だ!!」
夕焼け空の下、町を包む喧騒と笑い声。
夕暮れ前、集会所。
その中心にある長机では、シマたちが揃ってぐったりと座りこんでいた。
部屋には笑いとため息。
「……えらい目にあった……!」
シマがうなだれたまま呻いた。
「相変わらずこの町の奥方連中はパワフルだぜ……!」
ジトーが呆れとも感心とも言えない口調でぼやく。
「髪は引っ張られるし……顔は引っ搔かれるし……イテテ……!」
クリフが顔を押さえながら呻く。
「……俺なんか、どさくさに紛れてチ○コ触られたぜ…?」
声を潜めながら、それでいて抗議の色を隠せず言うフレッド。
「アタタ……!踏んづけられるわ、何故か蹴りまで飛んでくるわで……?」
トーマスが足をさすりながらぼやく。
ノエルがくすっと微笑んで、トーマスの肩を軽く叩く。
「トーマス、お疲れ様。がんばったわね」
「背負い袋、ザックから受け取ったわ。中身もちゃんと確認したわよ」
ケイトが涼しい顔で言う。
「……サーシャたちは行ったか?」
シマがエリカに尋ねる。
「ええ、昨日出発したわ。予定通り」
エリカはワインのグラスを揺らしながら、しれっと答えた。
ミーナが手元の帳簿をめくりながら言った。
「シマ、そろそろ城塞都市に向かう準備を進めた方がいいわ。濡れない浸みこまないシリーズも、製作がかなり進んでる」
シマはこくりと頷く。
「……よし。明日午前中に幹部会を開く。通達を頼む」
メグが少し身を乗り出して訊ねた。
「お兄ちゃん、ダミアンさんの方は終わったんでしょ?」
「……ああ、一日でケリをつけた」
シマが短く答えると、その言葉に周囲がどよめいた。
「さすがだね、シマ……」
ロイドが、苦笑しながら尋ねる。
「で、ランザンの街まではどれくらいで着いたんだい?」
「昼前には着いた」
その一言に、さらに驚きの声が重なる。
「シマ、体力的にはきつかった?」
オスカーが関心と不安の入り混じった顔で尋ねる。
「それがな、思ったよりも全然余裕でよ……」
フレッドが身を乗り出すようにして言った。
「本気で走れば、5時間かからずに着くんじゃね?」
「……!」
室内の空気がざわつく。
「じゃあ私たちも、それくらいで行けるってことね?」
リズが目を輝かせて言う。
「そういうことになるな」
クリフが肩をすくめた。
そのとき――
ガチャッ! と扉が開かれた。
一同の目が扉に向けられる。
そこにいたのは、シャツの裾が引き裂かれかけているザックだった。
髪は乱れ、目元には疲労の色がにじんでいる。
「……参ったぜ……!」
ザックはずかずかと歩み寄ると、集会所の中央でへたりと座り込んだ。
「ガキどもにまとわりつかれて……鬼ごっこか何かと勘違いしてよ……」
彼の背中にはまだ布の糸くずがいくつか貼りついている。
「……やっと……解放された……」
どっと湧き起こる笑いと拍手、そして「お疲れ!」の声が一斉に飛ぶ。
それは――シャイン傭兵団、そしてチョウコ町にとって「いつもの」
だが、確実に前へ進む日常のひと幕だった。
集会所の一角。
賑やかさが一段落し、話の熱気が和らいだころ、ライアンはふっと隣に立つユキヒョウに声をかけた。
「ユキヒョウ、お前……ついていかなくてよかったな」
その声には、少しだけ苦笑いがにじんでいた。
彼の視線の先では、フレッドが「5時間あれば着く」と豪語し、ザックは子どもたちに追い回されて灰のような顔をして座り込んでいる。
周囲の団員たちは笑いながら、労う言葉をかけていた。
ユキヒョウは無言のまま、それをしばし眺めたあと、深く長い息をついた。
白銀の髪がふわりと揺れる。
「……夜明け前に出て、昼前にはランザンの街に到着、か……」
そう呟く声は、ひどく静かで、けれどどこか遠いところを見つめていた。
「はあ~~……」
感嘆とも、諦めともつかないため息が漏れる。
「……まだまだ、彼等の背中は遠い……」
ユキヒョウは目を細めた。その顔に、嫉妬や焦燥の色はない。
ただ、追いすがる者の静かな決意と、強者を見上げる敬意があった。
彼にとってシャイン傭兵団――とりわけ、シマという男の存在は、単なる強者ではない。
「この世界の“可能性”」そのものであった。
「……それでも、いつか追いついてみせるさ」
かすかに口角を上げて言う彼の声は、誰にも聞こえないほど小さく――
だが確かに、未来への一歩を踏み出す音がそこにあった。
夕暮れの柔らかな陽光が、チョウコ町の集会所の木窓から差し込んでいた。
その光の中、土産の包みが次々と手渡されていく――衣装、布地、生地、織物。
ラドウの街で男たちが選び抜いた色とりどりの宝石のような布たちだ。
最初に静かに近づいたのはシマ。
エリカは彼の姿を見つけると、にっこりと笑った。
シマは手にした包みをそっと差し出す。
「エリカ。似合いそうな布があったから、買ってきた。気に入ってくれるといいんだが」
エリカは受け取ると、一枚一枚そっと開いて見た。
指先で撫でると、上質な織りと柔らかな肌触りが伝わる。
淡い水色に銀糸を織り込んだ布、そして深紅に黒の刺繍が施されたものも――どれもが彼女の雰囲気に合うよう考えられていた。
「……シマ!すっごく綺麗……ありがとうっ!」
突然、エリカはシマに思い切り抱きついた。
シマは少し驚いた表情を浮かべながらも、やがて穏やかな笑みを返した。
「ドレスに仕立ててもらおうか、普段着にしようか……ああ、どうしよう……!」
嬉しさが抑えきれず、エリカの頬は紅潮し、瞳は宝石のように輝いていた。
ジトーはミーナに、やや照れたような表情で布を差し出した。
「似合いそうなやつ……一生懸命、選んできたつもりだが…」
ミーナは無言で布を受け取り、じっと見つめる。
目の細かな刺繍入りの布地に、幾何学的な模様。
ミーナの端正な顔立ちと静かな気品にふさわしいデザインだ。
「……ありがとう、ジトー。きっと、素敵な服になるわ」
彼女の声はいつも通り控えめだったが、喜びがにじんでいた。
ふとジトーの方を見上げて、少しだけ口元を緩めると――耳元で囁く
「お礼は……後で、部屋でね」
ジトーはその一言に、少し赤面しながらも、鼻をかいて誤魔化した。
クリフがケイトに渡したのは、艶のある黒地に金糸の刺繍が入った布。
「…強くて綺麗な、お前に似合うと思ってな」
ケイトは開いた瞬間、その場に膝をついて目を潤ませて布を抱きしめた。
「……クリフ……あなたが選んでくれたのね…?」
クリフが肩をすくめると、ケイトは突然立ち上がって、クリフの顔を両手で包むようにして見つめた。
「……大事にする。絶対、大事にする」
フレッドが手渡したのは、色彩のはっきりした布や艶やかな生地――そして、どこか遊び心のある模様が散りばめられていた。
「はいよ、メリンダ。派手で元気そうなの、選んできてやったぜ」
「――キャー!!」
メリンダは包みを開くと、まるで宝箱でも開けたような声を上げた。
「見てこれ!この柄!見て見てフレッド!村では絶対に手に入らないものだわ!最高!」
彼女は布を広げながら、何度もフレッドの頬や胸を叩いて喜びを爆発させた。
「ねえねえ、これワンピースにする?スカート?それともショール?」
「お、おう、好きにしてくれや……」
メリンダの勢いに押されつつも、フレッドはどこか満足げに鼻を鳴らした。
最後にトーマスがノエルにそっと差し出したのは、落ち着いた色味の中に上品な織り模様が入った布だった。
「お前の好きそうなの……って思って選んだ」
ノエルは一言も発さずに、目を見開いたまま布を撫で、抱きしめた。
「……トーマス……ありがとう」
その声はかすれていた。
「こんなに綺麗なの……本当に私に?いいの?」
「ああ、もちろんだ。これでもかなり悩んだんだぜ……布地と、お前の顔、交互に見ながらな」
「ふふっ……そっか。なんか……胸がいっぱい」
そっとトーマスの肩に寄りかかるノエル。
彼女の微笑みは、満ち足りた月のようだった。
男たちは顔を見合わせて、少し照れ臭そうに笑った。
だが心の中は――「選んでよかった」その一言で、いっぱいだった。
女性たちに土産を渡す光景が一段落したところで、今度は男たちの間で静かな焦りが広がり始めていた。
「……リズに合いそうなものは…と……」
ロイドが中を覗き込む。
その隣でオスカーも真剣に選ぶ。
「メグに似合いそうな色は…」
ギャラガも苦笑を浮かべながら袋を広げた。
「いやはや……こういうのは照れくさいが、放っておくと、あとが怖いからな…」
ルーカスはすでに黙々と袋を漁っていた。
表情は真剣そのもの。
ライアンはは「シャロンの好み……赤か?いや青か?」とぶつぶつ呟きながら、布を一枚一枚持ち上げては眺めていた。
ワーレンは小さく苦笑しながらも、袋の中身をテーブルに並べていた。
男たちは皆それぞれの大切な相手の顔を思い浮かべ、袋を漁る――まるで戦場で武器を選ぶかのように真剣な目つきで。
そんな様子を少し離れた場所から眺めていたのが、マリア、キョウカ、ティア、コーチン、クララ、ヒルダの6人だった。
彼女たちは土産をもらって喜ぶ仲間たちを見届けたあと、揃って顔を見合わせ、ふっとため息をつく。
「ねぇ……なんだか妬けるわよね」
「ええ。あんなに嬉しそうな顔、久しぶりに見た気がするわ」
「まったく。私たちには、何もナシ?」
「なぁんて、言ってみただけよ?」
「でもほんと、ちょっとは考えてほしいわよね」
「……ねぇ?」
マリアが不意にザックの方を見やり、にっこりと笑って言った。
「ザック、私のを選んできなさい」
ザックはその声に少しうんざりしたような、しかしどこか諦めを含んだ表情で振り向いた。
「……んだよ…お前にはこれで十分だな……」
そう言って、ザックは今着ているシャツの裾をグイと引っ張り、ビリッと裂けかけたそれを脱ぎ、ぐしゃっと丸めてマリアに放った。
「ホレ」
その瞬間だった。
――バコンッッ!!!
乾いた音が辺りに響き渡った。
ザックの顔面に強烈なマリアの右ストレートが炸裂。
「へブゥッ!!」
ザックの足が浮き、体が斜めに飛ぶ。
その様子に、あたりが一瞬静まり返る――
だが次の瞬間、クスクス、という笑い声が漏れ始めた。
「まったく……相変わらず女心を理解していないのう、ザックは…」
腰に手を当てて首を振るヤコブが、知った風な顔で言った。




