改心?!
応接室に通されたシマたちを迎えたのは、過不足ない調度品と張り詰めた緊張感だった。
室内は上品にまとめられており、光沢のある大理石の床には上等な絨毯が敷かれ、壁には控えめだが高価そうな絵画が一枚掛かっている。
机や椅子はすべて重厚な木製で、無駄な装飾は施されておらず、“見せびらかすためではなく、使うために整えられた空間”だとわかる。
そしてその中央に、直立不動で立ち尽くしている男――チャフク・カインゼ議員。
仕立ての良い紺色の上着に身を包み、髪も整えられている。
だが、首や手元に一切の金属的な輝きはない。
宝石も、腕輪も、指輪すらも。
かつて金と力を誇示していた男とは思えぬ、静かな佇まい。
彼の背後には10人の護衛たち。目つき鋭く、筋骨隆々な彼らもまた、沈黙のまま気配を殺して控えていた――だが、その多くの頬には汗が流れ、拳がほんの僅かに震えているのがわかる。
そんな空気の中、シマがゆっくりと一歩前に出て、穏やかな声で言った。
「突然押しかけてすまないな。会ってくれたことに感謝する。シャイン傭兵団団長のシマだ」
その瞬間、チャフクの肩がビクッ!と跳ねる。
直後、彼はカタコトのように口を動かした。
「ちゃ、ちゃ、チャフク・カインゼと…もも、…申します…! どど……ど、どうぞ……お、おかけになってくだしゃい」
シマたちが目を見交わす。
(…めっちゃ怯えてるけど、ロイドの奴、いったい何をしたんだ…?)
ジトーが静かに鼻を鳴らし、トーマスがわずかに肩をすくめる。クリフが小さくため息を吐いた。
やがて護衛の一人が、ぎこちない動きで茶器を運んでくる。
陶器の揃いの茶碗に香り高い茶を注いでいくが――その手は、カタカタと震え、茶の表面が小刻みに揺れる。
しかも注ぎ終わったあとも、緊張のあまりこぼしそうになるほどのぎこちなさ。
「チャフク議員、賭場について少し聞きたいんだが……」
言い終えるか否か、チャフクが身を乗り出すように言葉をかぶせてきた。
「わ、悪いことはしていません! しておりませんので!本当です!!」
その勢いに、場が一瞬沈黙する。
「……あ、ああ、そうみたいだな……」
シマは目を細めつつ、やんわりと笑みを浮かべて言う。
「えっと、座ってくれないと、落ち着いて話ができねえんだが……」
「は、ははは! も、申し訳ありません!」とチャフク。
かつてあくどく私腹を肥やしていた男が、今では真っ直ぐシマの目を見て、正しく応対しようとしていることは、シマにもよくわかった。
「チャフク議員の賭場ではどんなゲームが行われているんだ?」と聞くシマ。
シマの問いに、チャフク議員は思わず背筋を正し、若干声を上ずらせながらも誠実に答え始めた。
「は、はいっ! 私どもの賭場では……ええと、もっとも人気のあるのが『ダイス・ゲーム』でして……とてもシンプルながら、奥が深いと評判なんです」
護衛から渡された蓋を開ける。
その中には、動物の骨から削り出したような白地に黒い目が刻まれた、少しばかり磨かれたサイコロが丁寧に収まっていた。
彼はその中から3個をそっと手に取ると、机の上の革張りのプレイマットのような場所にそろりと並べて見せる。
「こちらを……この3個のダイスを振りまして、出目を予想する遊戯です。賭け方はいくつかありまして――」
チャフクは人差し指で空中に数字を描くようにしながら、説明を続けた。
「まず、最も基本的なのが“奇数か偶数か”。これは、3つのサイコロの合計値が奇数か偶数かを予想するだけでして、当たれば配当は2倍です」
(…丁半博打に近いな)
シマは静かにうなずいた。
「次に、合計数を当てる賭け方。これは、3つのサイコロの合計――つまり3から18までの数字をピンポイントで当てるものです。当たれば5倍の配当金が支払われます」
「確率は低いですが、その分夢がありますね……!」
チャフクはにわかに熱がこもった声を出した。
まるで自分もプレイヤーとして熱中していたかのように。
「そして最後に……ゾロ目です。これは、3つのサイコロがすべて同じ目を出した場合を予想するものです。当たれば――」
「10倍の配当だ」
先に口を挟んだのはトーマスだった。
にやりと笑って「やったことあるぞ、昔」と言う。
「ひぇっ……は、はい、そうです、10倍の配当でございます!」
「なるほどな……」
シマは腕を組んで目を細めた。
(丁半博打に、合計数当てとゾロ目予想が加わった感じか。ルールは単純、でも一手間加えることで賭けとしての妙味が増してるな……“合法賭博”の体裁を保ちつつ、客の射幸心も満たしてる。うまい作りだ)
「もちろん、最低掛け金は銅貨1枚から。賭け金の上限は席ごとに異なりまして、大きく張りたい方には専用の“貴族席”も設けております」
チャフクの声はやや震えつつも、熱を帯びていた。
説明を続けるうちに、かつて闇金業者だった男の面影は薄れ、どこか商売人らしい誇りと工夫の片鱗が見えてくる。
「…ほ、他には……『コイン投げ』がございます……!」
チャフクは身を乗り出すようにして語った。
「こちらは、ツリー状に配置された銀盆に向かって、客がコインを一枚投げるという、極めてシンプルな遊びです。……ええ、見た目は子どもにもできそうなほど簡単に見えるでしょうが――実は、投擲の技術と、ほんの少しの運が必要な、奥の深い遊戯でございます!」
両手で枝分かれの形を示しながら、チャフクは熱弁をふるった。
「銀盆は、上から下へと段階的に広がっておりまして……大きさや角度、盆の深さがそれぞれ違うんです。上段に入れば倍率が高く、中段は中配当、下段は低倍率。そして――」
チャフクは一呼吸置いて、芝居がかった口調で続ける。
「もしも……盆に当たって跳ね返され、外に出てしまった場合――通常はハズレとなりますが、客が望めば“倍賭け”として次の一投に賭けることも可能なんです……!いわば“運命の再挑戦”というやつでして」
「なるほどな……腕だけじゃなく、運がないと勝てない――そういうゲームだな」
ジトーが腕を組んでうなずく。
「銀盆の配置こそ、運営側の腕の見せ所なのです。盆の材質や、わずかな傾斜の違い……そういった“微細な調整”によって、絶妙な難易度を生み出しております」
クリフがぼそっと「それってつまり、調整次第でいくらでも吸い上げられるってことだよな」
つぶやくと、チャフクは苦笑いを浮かべてごまかした。
「……そ、それと、もうひとつございます」
チャフクは一組の木札を取り出して見せた。
「こちらは“カードゲーム”と呼んでおりますが、使うのは紙ではなく、木目のある薄い木札です。一枚一枚に1から6までの数字が書かれており……ディーラーが伏せている札の数字を当てるという、実に単純明快な遊戯でございます」
シマが札を一枚取って見つめると、確かに表面には木目が通っており、手触りもしっかりしている。
「ですが――注意点がございます。木札は一回ごとに全て交換しなければなりません。なぜなら……木目の特徴から、プレイヤーには札を見抜かれてしまう恐れがあるからです……!」
チャフクは小さく頭を下げながら言った。どこか申し訳なさそうに。
「現在では、全部で6種類、全部同じ形、似たような色合い、光の反射でも読めないようなものを職人に依頼して製作しております。これも、健全化に努めている取り組みの一環でして……以上が現在、我が賭場で行われている全てのゲームのご紹介となります!」
「ふむ……よくできてるな。客の気分と懐具合を読みながら運営するには悪くない」
シマは冷静に評価した。
(…たしかに、どれも子どもでも分かるような単純なルールだが、中毒性や意地になりやすい要素を巧妙に仕込んである。うちの町の娯楽施設に応用できそうだな……)
「後で実際に見せてもらうかもな」と言うと、チャフクは胸に手を当てて頭を下げ
「は、はい!ぜひぜひ! 本日でも、明日でも……!大歓迎でございます!」
と、食い気味に答えるのだった。
応接室の空気がふと静まった。
トーマスが鋭くも柔らかい声で問いかける。
「……しかし、かなり厳重な警戒体制をとってるようだが、何か理由があるのか?」
その言葉に、チャフクはピクリと反応し、すぐに目を逸らした。
瞬きの数が増え、手元に置かれた茶器の取っ手をそっと握ると、ほんの僅かに指が震えているのが分かる。
「……い、いえ……そ、それは……」
言葉を選ぶように口ごもるチャフク。
だが、下手に誤魔化すことは許されないと察したのか、深く息を吸い、観念したように語り始めた。
「……い、今までの……その……私の、所業……でして」
言いながら、チャフクは自嘲するように笑い、うつむいた。
「……当時の私は、金を貸しては取り立て、土地を奪い、弱った人間を容赦なく追い詰めて……ひ、酷いものでした。特に困窮した家々を狙って高利で貸し付けては、遅延を理由に財産を取り上げ……そうしたことを、長年……」
顔の表情は笑みを保っているものの、額にはうっすらと汗が浮かび、目の奥には後悔と恐怖が滲んでいた。
「……そ、そんな生活を続けていたせいで……その、ええ、今では――たくさんの人々に、恨まれております。中には、復讐の機会をうかがっている者がいるという噂もありましてな……」
苦笑とも嘆きともつかない声が漏れる。
「……お、恥ずかしい話ですが……」
彼はうなだれたように肩を落とし、ぽつりと続ける。
「……自分でも……わかってるんです。もう金や地位ではどうにもならない“業”というものがあると……そ、それで……ええ……」
少しだけ顔を上げて、観葉植物の向こうに見える遠い空を見つめながら、ぼそりと付け加えた。
「……自分が……臆病になっただけ、なのかも知れません」
重苦しい空気に、少しの沈黙が流れる。
だが、シマたちの誰も口を開かず、彼の言葉の重みだけが室内を満たしていた。
ジトーは腕を組んだまま目を伏せ、トーマスはほんの少し眉をひそめ、クリフは椅子の背にもたれて無言で視線をチャフクに据えていた。
やがてシマが一言、静かに呟く。
「……後悔できるなら、まだ救いがあるさ」
その言葉に、チャフクの肩がほんのわずかに震えた。彼は黙って、深く頭を垂れた。
「さて……俺たちは、そろそろお暇しよう。チャフク議員……大変参考になった。忙しいところ、悪かったな」
ラドウの街の石畳を、シマたちは静かに歩いていた。
チャフク邸を辞し、再び賑やかな通りへと出る道すがら、その表情には言葉にしきれぬものが宿っていた。
誰もがそれぞれに、先ほどのチャフクの姿、言葉、空気を胸に噛みしめていた。
風が、色とりどりの織物をはためかせる。
遠くから香辛料の匂いが流れてきた。
石畳を踏むブーツの音に重なるように、ジトーがぽつりと呟いた。
「……因果応報……だったか? お前が前に教えてくれた言葉……」
シマが横目でジトーを見る。
ジトーの顔は前を向いたままだったが、その瞳はどこか遠くを見つめているようだった。
「……いずれ、俺たちも報いを受ける時が来るだろうな」
その言葉には重みがあった。
積み上げてきた戦いの数、奪った命、守った命、支えた命……それらすべてが、いつか振り返る刃になることを、皆、どこかで理解していた。
だが、シマは穏やかに笑った。
そして、まるで当然のように、静かに言った。
「なに、そん時は――俺が全部引き受けてやるよ」
その一言に、クリフが肩をすくめ、すぐに噛みつく。
「カッコつけるんじゃねえよ。俺たち家族全員で引き受けるんだろうが」
トーマスが歯を見せて笑った。だがその目は真剣だった。
「報いを受けたとしても――俺が全部踏みつぶしてやるよ」
ジトーがにやりと笑みを浮かべ、拳を握る仕草を見せながら付け加えた。
「んじゃ、俺はそいつらを埋めてやる」
「お前ら、容赦ねえな……」
クリフが笑いながら呆れたように言うと、全員が吹き出す。
一瞬だけ、歩く足が止まる。
だがそれは、苦しさや迷いのためではなく、家族のような安心感に包まれた、かけがえのない時間だった。
その背に、ラドウの街の夕陽が長く影を伸ばしていった。




