男はつらいよ?!
ハドラマウト自治区、ラドウの中央区役所──
静かな空気の中、区長ワイルジが慎重に、だが確かめるような口調で言葉を発した。
「……そ、それと……ダグザ連合国のスレイニ族と交易をしているという噂を聞いておりますが……?」
その声色には探るような響きが混じっていた。
だがシマは、まるで驚く素振りも見せず、にやりと口元を緩める。
「本当だ。さすが区長ともなると、情報収集に抜かりはないな。」
シマの言葉に、ワイルジは一瞬目を伏せながらも、無意識に背筋を正す。
「この街で見た衣装、布、織物も見事だったが、スレイニ族も引けを取らないくらい良いものだぞ。
それにな──馬乳酒って変わった酒もある、いや、知ってるか?」
問われたワイルジは、驚きと興味の混ざった目を見開き、急いでかぶりを振る。
「い、いえいえ、さすがにそこまでは……。ダグザ連合国は……い、言い方は悪いですが、荒くれ者が多いと聞いておりまして。当地との取引もほとんどなく、私も詳しくは……」
それに対してシマは、静かに、だが確信を持って言葉を重ねる。
「数年前まではそうだったみたいだな。……でも今は違う。と言っても──俺が知ってるのはスレイニ族だけなんだけどな」
少し肩をすくめながら、続ける。
「族長であり、軍の総司令官でもあるハン・スレイニ──こいつは……傑物だ。……俺はゆくゆく、同盟を結びたいと考えてる。」
シマの言葉に、ワイルジの目が大きく見開かれる。
(……ッ! スレイニ族といえば、ダグザ連合国でも屈指の一大勢力……!たかが村……いや、町と称した程度の場所が、そんな話を……!?)
驚愕はやがて疑念へと変わり、ワイルジの胸中で警鐘が鳴る。
(この男、まさか……誇大妄想に取り憑かれているのではあるまいか……?いや、見極めなければ……!)
表情は崩さず、しかし声を一段柔らかくし、ワイルジは訊ねた。
「し、視察はいつ頃がよろしいでしょうか……?」
シマは気負いもせず、笑みのまま答える。
「いつでもいいぞ。宿はもう完成してる。美味い飯と、美味い酒を飲ませてやるよ。……娯楽施設はまだ無いけどな。」
シマの目は、まるで自分の街を誇る町長のように穏やかで、誠実だった。
その様子を前にして、ワイルジの中の警戒心に微かな揺らぎが生まれる。
(……行かねばなるまい。この目で、確かめ、そして──見極めるのだ……!)
深く頷いた後、ワイルジは少し間をおいて口を開く。
「……一月後など、いかがでしょうか?区の行事とも重ならず、ゆっくりと見て回ることができましょうし……」
「楽しみにしてるよ。」
そう言って静かに微笑むシマの姿に、ワイルジは再び、己の抱いていた“先入観”を省みるのだった。
重厚な雰囲気の中で、ワイルジ区長が姿勢を正し、丁寧に口を開いた。
「町への変更手続きは──承りました。……書類は、わたくしがチョウコ町へ視察に伺った際に直接お渡しするということで、よろしいでしょうか?」
その確認に、対面の椅子に腰を落ち着けていたシマが、ゆっくりと頷く。
「ああ、それで頼む。」
続けて、シマは話題を移した。
「……役所の件だが、視察が終わってから協議に入るってことでいいか?」
ワイルジは一礼しながら返す。
「そのように考えております。住民の様子、地理、交通、治安状況なども加味したうえで、適切な人材と運営体制を整えたいと……」
その言葉を聞いたシマは、小さく微笑みを浮かべて立ち上がった。
「その方がいいな。……有意義な時間だった、ワイルジ区長。」
伸ばされた手に、ワイルジも立ち上がって両手で包むように握手を返す。
「いえ、こちらこそ。誠に光栄でした……!」
シマが腰の革袋からひと掴みの金貨を取り出し、ガチャリ、と執務机の上に置いた。
ジャラ……ッ。15枚の金貨。
夕陽の赤に染まった室内で、金色の輝きが煌めき、小さく跳ねたコインがワインレッドの敷布に沈むように落ち着いた。
「……手間賃。飲み代。弁償。──ま、全部には程遠いだろうが……取っておいてくれ」
静かだが、確かな誠意が込められたその言葉。
ワイルジは数瞬、何か言いかけて言葉を飲み込み、深く頭を下げた。
「……確かに、ありがたく……受け取ります」
それに軽く片手を挙げて応えるシマ。
ジトー、クリフ、トーマスも立ち上がり、それぞれ軽く顎を引いて礼を示す。
扉が静かに閉じられると、広すぎるほどの執務室に、再び静寂が戻る。
……執務机の上、15枚の金貨がわずかに転がる音だけが、余韻のように残っていた。
ワイルジは、それを見つめながら深く息を吐いた。
「……自然体でありながら――あの、圧…!」
その声は、誰にも届かぬ独り言だった。
ヒルズ宿へと続く道は、夕暮れの光に包まれ、ラドウの街全体が赤金色に染まっていた。
建物の白い壁と土色の漆喰が温かな輝きを帯び、通りにはまだ香辛料と果実の匂いが漂う。
そんな異国情緒の街並みを、4人の男たちが歩いていた。
シマ、ジトー、クリフ、トーマス。
その中で、ふとトーマスが肩越しにクリフへと声をかけた。
「なあ、クリフ。お前この街に来たことがあるんだよな。……その時、何か買ったりはしなかったのか?」
クリフは少し口元を緩めて答える。
「ああ、交渉でな……コイタ…何とかっていう議員とだったか……。ククッ、我ながら酷ぇ交渉だったよ。力業で承認書を書かせたようなもんだったし……」
肩を竦め、どこか申し訳なさそうに笑う。
「買い物気分って雰囲気でもなかったしな。宿に戻る途中で目に入るものも、全部スルーだったよ」
その言葉に、ジトーが低く、どこか諭すように口を開く。
「なら今回はしっかり見ておけよ。衣装に布地、織物……ケイトに買っていかねえと、ヤバイだろ?
1ヶ月後にはこの街の特産品持って視察に来るんだ。その時にケイトに言われるぞ。“なんであの時買ってこなかったの?”ってな」
「……お前も同じだろうが」
クリフがすかさず言い返すと、ジトーは真顔のまま力強く頷いた。
「もちろんだ。ミーナの分は確実に買って行く。あいつ、目利きだしな。手抜きしたらバレる」
「俺もだ。ノエルの分は絶対だ。ちょっとでも気の利いたのを見つけりゃ大喜びだぞ」
トーマスが言い、男たちの間に笑いが広がる。
「ハハハ!後で何を言われるかわかったもんじゃねえからな。用心に越したことはねえ」
シマも笑いながらそう言ったが、トーマスがすかさずツッコむ。
「……お前、笑ってる場合じゃねえだろ?サーシャに、エイラに……それにエリカまでいるんだぞ?……忘れたら…や、ヤバ……今、想像しちまったよ……」」
「……ッ」
シマの笑顔が、わずかに引きつった。
彼女たちの顔が脳裏に浮かんだのか、背中に冷たい汗が伝う。
「おいおい! 恐ろしいこと言うんじゃねえよ!」
シマが頭を抱え、トーマスが苦笑いし、他の連中も肩を震わせる。
街の喧騒から少し外れた道に、大男たちの笑い声がしばし響きわたる。
――異国の街で過ごす、平穏で温かい夕暮れのひととき。
だがその背後には、最も恐れるべき「女たちの怒り」という、戦場とはまた別種の緊張感が静かに漂っていたのだった。
女の尻に敷かれている4人の男たち。
しかし、それを誰も恥とは思っていない。
それがシャイン傭兵団という“家族”のあり方だった。
ヒルズ宿の広間には、夕餉の時間を告げる鐘の音が静かに響いた。
日が落ちて、ラドウの街は橙と紺の狭間に沈み、空気は涼しさを帯び始めていた。
宿の食堂――彫刻を施された木製の梁と、色彩豊かな織物が天井から垂れ下がる広い空間。
香の香りとともに、スパイスの刺激的な匂いが鼻孔をくすぐる。
白い陶器の皿には、串焼きの羊肉、甘酸っぱい果実を煮詰めたソース、濃厚なレンズ豆の煮込み、そして炙った平たいパン。
そんな中、ひときわ賑やかな笑い声を立てながらザックとフレッドが、戻ってきた。上機嫌だ。
「おーい、ちゃんと夕飯の時間には帰って来たぞ!文句ねえだろ?」
「ほらよ、土産もあるぜ。……って言っても、しっぽりの姉ちゃんの名刺だけどな!」
などとはしゃぎながら席につく。
「飯は香辛料たっぷりだな。こっちはこっちでクセになるな……」
肉を頬張りながらザックがうなる。
その時だった。シマがふと、声を落として呟いた。
「……俺の前世の記憶の中では、こういった地域は大抵が灼熱の乾燥地帯だったんだよな。砂漠とかさ。だが……この街って、冬になると雪が積もるんだろ?」
言葉の調子はどこか確信を持てない。
思い出そうとしても、靄がかかったように曖昧なのだ。
「チョウコ町とさほど離れてるわけじゃねえからな……積もるんじゃねえか?」
ジトーがパンをちぎりながら答える。
「前世の記憶、ねぇ……。お前のその記憶って、こことそっくりの街があったのか?」
クリフが問いかける。
「いや、完全に同じじゃないと思うが……似たような街があったような気がする。白い壁の建物、香辛料の匂い、色鮮やかな布……どこか、懐かしいんだよ」
「食い物も似てんのか?」
フレッドが口の端にタレをつけながら身を乗り出す。
「ああ、香辛料をふんだんに使った料理……特に“カレー”って料理を思い出す…ライスって知ってるか?」
「……カレー?」
「ライスってのは聞いたことがねえな」
ザックとトーマスが眉をひそめる。
「カレーってのはな……香辛料をたっぷり使った、茶色のスープみたいなやつだった。肉や野菜を煮込んであって、そいつを白い粒々のライスにかけて食べるんだ。そのライスってのは、甘みがあって、噛むと優しい香りが広がってな……。最初は見た目に少し抵抗を感じるかも知れねぇが……」
語るシマの顔は、どこか遠い場所を見つめるようだった。
記憶の海から必死に引き上げているような表情。
「……無茶苦茶、美味かったような気がする」
「聞いてる限りだと、あんまり美味そうには思えねえがな……」
トーマスが首をかしげる。
「いや……たぶん、お前らも一口食ったら虜になるぞ。そのくらいの……クセになる味だった」
そう言って、シマはしばし無言になり、手にした焼き野菜の串を見つめていた。
ふと、かすかに笑う。
「……思い出したら、腹減ってきたな」
その声に、周囲の男たちも笑い出す。
そんなやり取りを交わしながら、ヒルズ宿の夕餉は、静かに、穏やかに進んでいった。
遠い記憶と、目の前の仲間たち――そのどちらもが、シマにとって確かな“今”だった。
ヒルズ宿の夕食もひと段落し、テーブルには食べ終えた皿と空のグラスが並び、香辛料と肉の残り香がまだ鼻をくすぐっていた。
ゆったりとした空気の中、男たちはそれぞれにくつろぎながら、明日の予定について話しはじめた。
「明日は、いろいろなところ見て回ろうぜ」
クリフが椅子にもたれかかりながら言った。
片手には宿の甘い果実酒があり、グラスの中で琥珀色の液体が揺れている。
「明日、買い物した方がいいか、出立は明後日の朝だろ?」
トーマスが尋ねる。
「そうだな」
シマが頷いた。
「朝早くに出れば、急がずとも日が暮れる前にはチョウコ町に着けるだろう。昼前にラドウを出るんじゃ、途中で一泊しなきゃなんねえが…朝一なら大丈夫だ」
「ザックとフレッドはどうする?」
ジトーが向かいの席のふたりに問いかける。
「行かねえ、体力温存しとかねえといけねえからな」
フレッドはテーブルの縁に肘をつき、片手で酒瓶を回しながら言った。
「だな! 明日は“あわわ姫”に行く予定だしな!」
ザックがニヤニヤとしながら言い放つ。
その名に、シマたちの表情が揃って苦笑に変わる。
「そうか…一応声はかけたからな」
ジトーがわざとらしく頷いて見せる。
「メリンダにはちゃんと伝えろよ」
「……とばっちり食うのはごめんだぞ?」
クリフが目を細めて警告めいた声を出す。
「…なんでそこでメリンダが出てくるんだよ?」
フレッドが首をひねりながら顔をしかめる。
「ワハハ!深い意味はねえよ」
トーマスが笑いながら言う。
「ただな、今後のことを考えると、ご機嫌は取っておいた方がいいんじゃねえかって、思ってな」
フレッドはふっとため息をつき、グラスの中の酒を煽ると、半ば投げやりに言った。
「……わかったよ、俺も行くぜ」
すると隣で聞いていたザックも、気まずそうに鼻をこすりながら呟く。
「しゃーねえ…みんなが行くんなら、俺も行くか……」
宿の灯りの下、どこか兄弟じみた空気の漂う男たちのやりとり。
誰かが笑えば、つられるように笑いがこぼれる。
そうして翌日の“買い物”という名目の小さな冒険の決行が、決まったのだった。




